King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

蕎麦の味と余寒

2020年02月04日 22時04分06秒 | 珈琲

この冬は暖かいといいますが、昨年同様この時期に亡くなる人も多く、また法事や

葬儀の連絡が続くのがこの月と来月で昨年はついに三月のスキー行きをあきらめる事態に

なり、三月辞めたら四月も五月も結局スキーに行けなかったという残念なシーズンに

なったのは記憶に新しく、今年はどうなるかと頭の痛いものとなっています。

 

そして回数がいけないということになるとその質をどう上げるかという意識も働き、

ふかふかのパウダーを狙ってゲレンデを選んだり、まだ行ったことのない地に足を

運ぶことを優先するべきかとかいろいろと考え、それでも昨年福島に行き、まだ

未体験のゲレンデを三つ制したのはとても良い思い出のように思い出したり、はたまた

そのあとそれを経験したらいつもの斑尾で滑るという行動をしたことを重要なこととして

思い出します。

 

人生は一度きりなのだから何度も同じことを繰り替えす愚は侵さないようにという

ある人の言った人生訓はことあるごとに頭に去来します。

 

しかし、毎日飲む珈琲にこうあってほしいという願いが切実に積み重なり、今の

結果となったことやいつもある珈琲の味により人生を考え、人生を感じることも

できるようになっていることなど基本のベースに流れるものというのは人にはあり

それを確実に築くというのは大事なことであると思います。

 

そういうものがあり、新たなものに挑戦したり、やりたいことに挑むということも

でてくることで、一度やったからもうやらなくていい言うことはないのだということも

感じます。

 

先日当店の入り口に示したやなぎやの駐車場のポールですが、今日はお昼にそのやなぎや

のそばを食べてきました。

 

もう何度も食べていますが、こうして改めて対峙してみると味はいつものあじであり、

何も変わらないのですが、昨年行った長野で食べたものと比べている自分になるほど

こういうことか言う気もしました。

コメント
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