King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

寒ざらしに遭いながら見た他人のランニングに

2020年02月10日 10時25分30秒 | 珈琲

昨日は配達と色々と調達のためお店を回りふと出会った路上の捨て看板に道路規制の表示と

駅伝の文字をみて、改めてわらわらと沿道に出てきたスタッフらしき黄色のウィンドブレーカーを着た人や

警官たちの姿にもしやこの辺りに選手が走りこむのかとそのスタッフに聞くと間もなく荒川の運動公園を

出てキヤノンの通りからこの大通りに向かってくるといいます。

ならばと少し待つことにして15分程度歩道で待つと先行の宣伝車が通り間もなく駅伝の選手がとおりますから

沿道の皆様の声援をお願いしますとスピーカーで呼びかけていきます。

 

しかし、かつて自宅近くの羊山の登りで見た秩父トレイルランの時には道一杯に選手が走り壮観でしたが、

この駅伝は秩父で一番の大通りを通るのに沿線に応援の人もまばらで選手もわずか

300人程度と長い歴史と伝統があるレースといいますが、やっと来た先頭の選手の姿もそれに続く選手も

かなり間延びしていて長いこと冷たい風にさらされて待ったのに実に寒々しい光景を見た思いにさせられた

だけでした。

 

この大会はバスケット関係者も参加していたり、友人の走友会も参加するなど関心はあったのですが、

今回のように偶然外にいてみることになったのですが、先頭の選手がいってしまいもうこんなものかと

解ったつもりでも最後尾の選手が通り過ぎるまで結局ずっと観戦してしまいました。友人知人が監視人と

して参加するとも聞いていましたし、偶然通りかかりそのまま最後まで見てしまうのならもっと積極的に

かかわってもよかったかとか思わなくてもいいことを思いその場を後にするのでした。

 

なぜか見終わった後はすっかり冷えてしまい身も心も寒々としていて最近のやっと遅れてきた寒波の威力を

まざまざと感じました。テレビのニュースでも氷柱が出現と映像でやっと凍ったさまが流れていたり、寒いのは

感じていたものの外にいてその寒さを感じるのとはまた違います。

 

ここのところの眠りの深さとか寝付きの感じはまたいろいろなことを整理して更新されやっと熊木の

頃と同じ感覚に近づきつつあります。

 

こういう変化や日々の変化を語ることは毎日忙しく流れる日々に何かしら刻むもので、

それは珈琲の味と同じでいつもあるものとしてその時に飲んだ珈琲とかセットに考えて

いつもそれからいろいろなことを思い出したりもします。

 

先日書いたキーコーヒーで思い出したことのようにある時代を一杯のコーヒーで

思い出したり、旅行先で飲んだコーヒーとかふとしたこともセットにして思い出させて

くれるのが珈琲です。

 

今たくさんの荷物を整理してまた押し入れにしまい込むようなことをしていますが、

そうするとはるか昔の手紙やら古い年賀状やら捨てずに取っておいたものからそんな

ものたちはただのごみでしかないかもしれないけれど今またみてはしまいながら捨て

ずにおいてよかったと思っています。

 

昔描いた絵なども捨てずに額に入れておくと目にして色々なことをその絵が教えてくれる

ことがあるように、日々飲む珈琲もその時と空気と考えた思考の数々が練りこまれて記憶され

ふと珈琲をたどりその記憶に出会うこともあります。

 

ですから、私が毎月提供する季節のブレンドもただ季節に合う味という単純なことではないのです。

 

昔のことと現在を結ぶ思考の果てであり、それが今を表現する今感じる珈琲になっていてそれは

単純に味だったり香りだったり、今この香りの豆がこういう思念を呼びこういう気分に浸れてと

いうところに収束していたり人の気分や期待それを推理し逆照射するにはという俳句の達人が

言葉の配列に感じる感性からより鮮烈に残せる効果を考えるのと同じものがあります。

 

さて、そんな人生の指標でもある日々飲んだ珈琲の記憶を思いながら家に戻ると引越しした当店に

いつも一年に一度くるお客さんが何もなかったかのように現れたり、冷たく冷えた体も珈琲を挟んで

会話すると本格的冬の日もまた陽だまりの温もりで温まるのでした。

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