朝のワイドショーでは表参道の迷惑外国人だとか石破総理の外交マナーだとか103万円の壁とかばらまき経済政策の話題が流れるなか、朝の珈琲をいただきます。
頭に浮かぶのは清津峡のアートシーンです。
私は世界的観光地となった清津峡と認識して出掛けましたが、そんな薄っぺらなもんでなく立派なアートスポットであると認識を新たにしました。
京都の東山の別荘のように辺りの自然の景観と一体となった庭を持ち、庭から眺める自然と一体になった借景に悠久の時間の流れの一部に溶け込んだような気分に浸るのと同じものがあるのです。
目の前にある地層ができたのが1200万年前であり、それが柱状節理になるのが700万年前で、隆起して侵食して目の前に現れたのが260年前のこと。そして今こうしてそのそそりたつ地層の壁を前にしている自分。自分の成り立ちと地球の歩みと宇宙のなかでの出会いまでその時間と空間の織り成す過程を思い巡らし、清らかな渓流の流れに今正に流れる時間との対峙に直面し魂が打ち震えるような感動が背筋に駆け抜けるそんな舞台に立たせてくれる。宇宙空間のほんの傍観者なのか時の観察人なのか自身の精神背景を発表する舞台なのか。アートスポットにあなたなら何を感じるか。
アートに身も心も溶かし混んで非日常を満喫することができるのです。
さった峠の富士山のように昔から日本人は自然の見方を知っていたのです。
火焔土器に見るアート感覚と古代からその美的感覚の豊かさは正に自然が生んだものそして育んだものに違いありません
人工的な銀杏並木に群れているそんな薄っぺらさとは違うのです。
秩父にもミューズパークの銀杏並木がありますが、秩父神社の垂乳根の銀杏や西武秩父のラクウショウを話題にする人はいません。
そういった永年人々が紡いできた時間の流れを意識せず地方創生などできないのです。
ただ、人に移住を促し金で釣った地域興し協力隊などという時限的制度で何をしろというのでしょう。
石破氏の外交デビューを云々もその人の薄さが露呈しただけでそもそも役人どもはお供として機能してないことを露呈しちっとも日本をしょってたつ気概などないことをうかがわせます。
そんなもろもろを感じながら飲んだのがペルーのマチュピチュです。
それこそ悠久の遺跡の地で作られた珈琲は無農薬で作られ素朴な味わいでマイルドでいつまでも心に残るそんな優しい珈琲でした。