昨日SNSをみていてら映画の宣伝が妙に引っ掛かり見に行こうかと考えて改めて公開日時をみてまだ先かと思ってみていたけれどすでに11月だからやってんじゃんとなりあわただしくなりましたが合う時間にやっている回はなく、何となくうまくいかいなあと朝から感じつつ、仕方なく次のミッションは昨日から考えていたシャトレーゼにアプリ会員プレゼントをもらうでした。
これは三日間限定でベルギーショコラブッセをひとつくれるというもので毎日あちこちから配布されるクーポンのなかでは破格のものでいつもの買い物時間にいったのではもらえないと思いわざわざ開店と同時に行くことにしたのです。
このクーポンの使い方を読むと商品をもちレジに行きクーポンを提示すると書かれていてその通りにするとアプリを使用するをタップすると何かコードが現れるものと思いタップするとアプリ使用済み在庫0と表示されただけでした。つまりレジの人がクーポンを目視してレジで商品のバーコードをスキャンしてアプリ決済を押す方式らしくアプリとレジは何ら接触なしで誰がアプリ使用したかもデーターとして残らない何のためのアプリなのかというものでした。さて、そこで気になったシャトレーゼの実力ですが、私はこの時期愛して止まない栗蒸し羊羹は虎屋のものしか買わないのですが、かねてからシャトレーゼのクオリティの高さを感じていたので栗蒸し羊羹もどんなかと思い買ってみました。
虎屋の栗蒸し羊羹は餡の色からして独特で他のものとははっきりと違います。
そして他の菓子屋はなんでも甘く味など考えて作られてないものがほとんどで何を食べてもただひたすら甘いだけなのです。
この話は度々してますし、素材を生かした絶妙な味というものの意味を理解されることはなかなかなく私が何を訴えているのか理解されることもまれです。
しかし、これは珈琲の味でも同じでこういうときにはこの味というのが理解されない方ばかりで、何故何種類の豆をいつも焼き店頭に並べているのかそもそも理解されてないことになります。
秩父には菓子屋さんは多く昔葬式というと大きな葬式まんじゅうと砂糖を固めた鯛とか鶴とかの形のものとかはたまた砂糖1kとかが返礼品として供されました。それらは引き物と呼ばれいかに当時砂糖は日常重要な食品だったかということが思われます。
今ではどんな田舎にいってもそんなことはないわけですが、お茶とかカタログショッピングとかがさばらず洗練された感じになっています。とかくブランド志向に流れスタバのコーヒーとかゴジバのチョコレートとか有名ブランドの商品が選ばれるのです。
中にはスーパーの金券をつける人もいたりしてそれなら最初からお金のいったり来たりは省いてしまったらと思ったりします。というのも高齢者が増え葬式も増えているからです。都内ではコロナ以降焼き場の渋滞が問題になっているそうです。つまりは順番がくるまでドライアイスで冷やしたり遠くの焼き場まで運んだりして経費がかかるということです。一方葬式の費用を縮小する動きは相変わらずで、寺との付き合いを解消する人や永代供養を見直す人は増えています。
それだけ合理的な考え方に変わるのなら食とか味とか健康に対する意識も変わって良さそうなのにと思うのです。そしてシンプルに季節と共に旬の食品と食材で今を感じて生きていくという感覚を持つべきなのではないでしょうか。
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