King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

『騎士団長殺し』読了

2017年06月11日 15時15分33秒 | 読書
このある意味華麗なるギャッビーのような物語を
ギャッビーの謎を解きすべてを露にして物語の終局と
完結を求めるのが小説家であり、どのような複雑で現代的な
謎を作り出すのもその技の内として華麗の華麗なる意味を
描き出したところで、様々なメタファーを直喩に言い換えただけの
ことになりはしないかというそんな考察のような作家の思惑と
手の内を明らかにしているようでいてその手の上で遊んでいる
という感じが展開する作品で楽しめる人と作品の力量を感じられ
ない人といるかもしれません。

私は華麗なるギャッビーも白鯨も大好きな作品であり、悪霊の
ように現代的な事件をモチーフにする作品も好きです。

この騎士団長殺しなる奇妙な題から何が主題になっているのかを
巧妙に隠し、複雑な人生の命題をちりばめ芸術と人とのかかわりをも
考えさせる展開はワクワクとして読み進められます。

奇妙な題と主人公の語りの下手な感じの文体の直喩止めのような
語りが定法的にとられ時には直喩が暗喩なり、イデアやら
二重メタファーとあえて手の内をさらすかのような定義をして
みせてまったくとぼけたキャラクターまで登場させています。

主人公が描く絵が未完成のままあえて完成させないという点や
描かずに仕舞ったスバルフォレスターの男の絵などこの作品の
芸術観とか見えているものと見えない世界とか全てを語りつくすに
値しないことを見事に表現してそれでいて皆収まるところに
おさまったかのようにして見せたのもなかなかの手腕です。

小説を書き始めたばかりの人のような繰返す比喩的表現と
章題の一節まる使い的な素人臭を前面に出した文体など巧みな
枠組みと雨田具彦といったスバルフォレスターといった誰もがしる
名詞のように使うことで特別な存在感を醸し出し思わずネット検索を
かけると実際のモデルがいたという新聞記事がヒットするなど
実にあざとい仕掛けになっており、難しい展開にするなあと
いう技量的な腕力を見せつける第1部-顕れるイデア編の読後の第一印象があり
ました。

今まで、誰も聞いたことのないようなクラッシクの曲をモチーフ
にしたり、ビートルズ好きで滅多に聞かない曲を持ってきたりと
やり方としてはこれは漱石の使ってきた技であり、小説技法です。
その焼き直しの域を出ない作家だと半ば決めつけてきたような村上春樹
観を持っていました。

さらにここのところの海辺のカフカや1Q84などは時代に迎合したり世間受けを
意識したような漱石的なところが多々見受けられ何かを待っているかのような
書き方でしたが、ここにきて本当に書きたい等身大からの初期の短編群に通じる
ものを感じさせてくれました。

と同時に実在の画家をモデルにするなど誰もが知るドンジャバンニという
オペラなどと日本画という相容れないものが交錯する絵とオペラと
戦争と過去、肖像画家が自分の描きたい絵を見つけ出しテーマも掴み
かけ、人生の命題と自身の生き方も見つけていくというあらゆる方向に
向く物語を作り出すという難しい設定にするなあとワクワクとさせる
力を見せつけてくるのです。

それに華麗なるギャツビーの免色なる人物までだしてメタファーの解放
という展開にまでもつれ込みます。

第一部での一番の見せ場は舞台設定として現実にいた作家のアトリエと
そこに残された絵の秘密とがどう明かされるのかということです。

しかし、ここで免色なる人物が出てきて雨田具彦の人生と華麗なるギャツビー
でああ秘密の行方は大体予測できてきます。

この一部での唯一の欠点というか私が気に入らない部分は、芸術的
表現で漱石は生がうまくいかなくなりそこに詩が生まれ画が生まれると
肯定的に芸術家を描きましたが、雨田の弟が自殺した原因に対して
ショパンをうまく弾くことだけの人間に現実面で正しき事は
望めないというように自殺したという表現に戦場では芸術家は無用であり、
無意味というところが引っかかりました。

雨田具彦の過去の秘密と謎の絵のテーマがその弟の死と自身の受けた
戦時中のトラウマを込めて騎士団長を殺すということになったとしたら
やはり芸術は世界を変えたり暴走を止めたり正しき道に留める力はないのかと
思えてしまいます。

ショパンを美しく弾くだけで新しいイデアを示して世の中を変えることや
新しい免色さんを作り出すことになったりしていいはずです。

ネット社会のせいで一代で世界のトップテンに入る富豪になれたり
するものの世界を動かすスーパーパワーにはアクセスできず、所詮
世の中を動かす支配階層にはなれないという現実にもっと新しい視点を
示すかのようなストーリーでもよかったのではと私は考えるのです。

第二部にはいり、免色の計画と主人公の芸術的成長があり、イデアの
開放により物語が展開するのですが、後半になるとこんな残り少なく
なるページでどう全てにけりをつけるのかとこちらの方が心配して
しまうような物語の進み方で、結局大きなテーマと現実的側面との整合性は
避けられてしまったかのような印象もありました。

ここでひとつ自身の心配を書いておくとこの主人公のたどる異世界の冒険と
いうか体験は全く同じ過程のものを私も夢で見ており、なぜだろうと色々と
探ると元となる物語がどこかで見たのです。
ええ
宇治拾遺物語の中にでも出てくるインド起源の古い話にあることであり、
各地の神話も色々と共通事項が多々あるのも何か元の事件があるに違い
ありません。

元々説話集として取りまとめられ保存したものがやがて散逸してしまう
という歴史の中で、話だけは古来語り続けられ人々の中に不思議なこととして
語り継がれているのです。

日本書紀の中にも地下のこの世以外に生霊を探しに行く話はあり、
そんな行動とは別にいやもしくはそのために騎士団長は殺す必要があり、
殺したことにより主人公にも芸術的展開と妻との再会という展開が
あるわけでそれぞれの謎は残ったのか華麗なるギャッビーのように
秘密を明かして主人公も死んでしまうという解決イコールカタストロヒィ
とならないところで、イデアを開放し殺して主人公の異界への冒険と
いうカタストロヒィで代替という何ともファンタジーな終わり方に
一抹の不満も残ります。

これは主人公が行動したことと説明的な最後のまりえの告白も騎士団長の
提案とそれにつながる手助けももしかして免色がアトリエに泊まりに
行ったときに行動するように騎士団長が助言すれば済んだことなんじゃ
ないかという疑問が残ることです。

つまりは最後の結末に必然がないのです。

この最後の冒険は必要であるとするならもっと免色の秘密もバランスも
踏み込まなくてはならないし、芸術家がただショパンを美しく弾くだけ
のものと表現されたところに収束され、芸術家は無用なものという結論に
行きつきそうでたまらなく不満と不安にさいなまれるのです。

この先はもっと行きがたいところだという手の内を明かしてしまった
ところにも不満がありますが、また楽しみも生まれたのでよかったのかも
知れません。


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