毎年多くの本が出版され、その年の代表的な本と過去の時代を象徴する本が紹介されます。
それらは確かに知の最前線であり、時代を表し人類の可能性を感じさせます。特にNHKでは
欲望の哲学史のマルクス・ガブリエルや正義の話をしようのマイケル・サンデル、ホモゼウスの
ユヴァル・ノア・ハラリと時代の最先端を感じさせる特集をしてきました。ですが、昨年の
宮沢賢治の銀河への旅あたりでここまでやるのかという感じになってきてしまい、実際に
作品を読み味わいそれなりの感想を持っている人のイメージを叩き壊すような暴露的な
作品の背景話は必要なのかという気もしていた矢先に、このカラマーゾフの兄弟も取り上げられました。
ドストエフスキーの研究者としては第一人者として知られる亀山郁夫教授という完ぺきな布陣で
100分で名著で取り上げられました。私が人類最高傑作と思う小説であり、今まで何度となく読み
人生の折に触れ思考的影響も感じたりした本です。亀山郁夫さんは新訳を出したり関係本出版も多く、
ドストエフスキーで出てくるのもやはりなあという感じですが、ネットでは彼の新訳は非常に評判が
悪く、いかにひどいかという本もよく目にします。有名作家が作品が好きで新訳を出すというのは
よくあるケースですると名訳を汚すと批判をする人はよくいます。ネットでその手の批判は常ですが、
それが多いとやはりそれだけ注目されているという見方もできます。
しかし、今回のこのシリーズはカラマーゾフの兄弟をそのようなテーマで読み解くべきものなのか、それ
より実際の作品としての味わいとか読んだ醍醐味とかをもっと語り合いたいというのが私の感想です。
何かと正解とか作者が言いたかったことはこういう時代背景ゆえに起きたというテーマ解説などこの間の
宮沢賢治の映像詩の番組と同じでやるべきことなのかとまた強く思ったのです。
今回語られたテーマやドストエフスキーの生い立ちやら人生背景などは皆既知のことであり、目新しい
ことはなく、逆にそこから入ってしまったら作品の良さや物語の醍醐味がそがれることは間違いありません。
つまり、この番組を見た人で気に入ってこの本を読んでみようと思う人はいないと思います。つまりは
本を読んでもらう番組ではなく、逆に言えば読ませないようにしているといってもよく、ネタ晴らしして
本の奥深さとか文芸体験を遠ざけていると感じます。
なんでそんなことをするのだろうというくらい気の利きすぎる解説と構造まで丁寧にテーマ解説されると
ああまたやってると思わず心の中で叫んでいるのでした。本を読まないように仕向けている国があるという
不思議な感じを受けます。なぜそう思うかといえば司会の伊集院は取り上げる本をことごとく読んでいないと
いうありえない配置がそもそもこの番組は本をより知ろうとか深く知ろうというものではないと考えてしまう
読ませないようにしている番組と思えてしまうのです。
カラマーゾフ兄弟での魅力の一つとはアリョーシャの創造にあります。聖職者であり、一人この兄弟の中にあり
清廉であり、父の影響のない性格の良さという存在がこの兄弟のアクセントになっていて生まれながらにして
何の苦労もなく何の援助も保証も必要なく人生を一人で生きていけるという完ぺきな独立者であるという個性は
この兄弟の中あまりに浮世離れしていて、ふたりの兄弟が生きるためにお金や父親との確執やら同じ女を取り合ったり
果ては殺人事件まで起きて裁判でその異常な親子間があらわになっていく中サスペンスのような実際の犯人は誰なのかと
読者は気をもみ嫌らしいスメルジャコフや非人間的行為やら人間の汚い面を見させられる反面アリョーシャだけは
同じ兄弟でもまるで別というところに読者は騙されてどんどんと物語に引き込まれていくのです。
それを作者のおいたちと人生と昔からあるオイディプス王の父殺しのテーマを引き合いにしてこの物語を
見てしまったらアリョーシャの存在価値に思いが及ばないのです。アリョーシャの存在意義やそんな人がいるかとか
そんな宗教だったかと神を思ったりすることがこの一つのテーマでもあり、社会主義の台頭と予測の中で
小説が先に出ていることを考えたりする遡行的思考とか楽しみはこの100分では足りないと思います。
その100分で語ってしまいもう読んだことにしてしまうと永遠にこの本の面白さもすごさも素晴らしさも知らず
人類最高の小説を読むこともないというもったいないことになってしまいます。ぜひこの番組を見た人も小説は
読んでみてこそです。読むことをお勧めします。100分で語られない魅力を絶対見つけられます。
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