King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

年頭の所感

2020年01月13日 13時03分28秒 | 珈琲

年末の怒涛の引っ越しからまだ混乱明けやらず、いまだ熊木と相生を毎日往復して

荷物を運んだり整理したりとその合間に突如現れるお客様の注文をこなし、豆を焼という

まったく昨年以来一日も身も心も休まらぬ状況の毎日です。

 

まず荷物の整理というのは膨大な今までため込んできた物たちの整理と処分に決断をつけるという

何かと先延ばしにしてきてとりあえず保管しておこうという形で埃とともにただ朽ちるのを待つ物質の

数々であり、時とともに使わなくなったPCやらソフトやら記憶媒体と本の山です。

 

その背表紙を眺めるだけでなつかしく、自分の歴史がざっーと脳裡に流れたりして、諸々の思いに駆られ

ついつい手が止まり、ただぼうっとしてしまったり色々とグネグネと考えあぐねたりといった状況に

陥ったりします。そうかと思えば、自分のお気に入りの本や美術展の図録などを本棚に並べていると

自分の精神史が繰り広がるかのような改めて追認を行っているような自分の人生の各シーンの再生を

見るかのような時間を過ごしたりと時間と空間の中しばしさまざまにさまようかのような感覚を味わったり

しました。

 

懐かしい高校時代の手紙やらなんやらでこんなものをとってあるのというものまで出てきてしばし手も思考も

とまり、様々な疑問の中に当時の記憶を再生したりしてただ一片の紙片でも捨てるべきか保存すべきかという

簡単な決断になかなか結論が付かないという繰り返しです。

 

とはいえもういいだろうと残しておいても結局これらのものは自分がこの世からなくなればごみ以外の

何物でもなく確実に処分されるだろうと思うと何も残してはいけないという気もしてくるのでした。

そして、人が住まない家というのはなかなかすんなりといかないもので、プロによるリフォームと掃除で

すぐに住める状況と乗り込んできた物の風呂釜が壊れたり、トイレが壊れたりと次々に不具合に出くわし

電気の管は次々に切れて交換を余儀なくされちっとも落ち着く気配もないのです。

 

引越ししたのは暮であり、業者も対応が鈍く、来年ですねという返事ばかり聞く羽目になるのですが、

トイレや風呂が来年まで待てるのかということでとにかくやってもらえるところに高くなろうが修理して

もらうということで金ばかりかかるのでした。

 

電話の移転もネット環境の移転を伴い長年使ったプロバイダーも今回解約してwifiにしました。つまり、

電話の工事を待っていたら開通がいつになるか空白時間ができてしまうことからネットで申し込み次の日に

届くwifiは以前のADSLより早くて快適でした。しかし、それも昨年末までの話で、そもそもADSLというのは

もはや古い技術らしく新規の申し込みは停止しており、光回線かwifiしかなかったのです。

 

以前引越しした時には電話やら電気は秩父の営業所に赴き手続きしましたが、電話や電気の営業所はいまなく、

全てネットからの手続きでした。電話などは116にかけると受付したのは岩手の局でした。ネットで申し込みした時には

一か月程度待ちますと言われていたのが、一週間程度でできました。でもこの工事の費用3000円ほどは利用者が

支払うというのは何とも理解しがたいものです。というのも熊木も相生も電話線は既存のものが付いたままなのに

一体何を工事しているのか、そもそも人がわざわざ来て何かする必要があるシステムになっていることが不思議です。

 

高所作業者と交通整理の人が来て電信柱のところの鞍状のターミナルを開けて何かやってものの数分ですむことで

電話番号もそのままで済んだことなのでこんなのは配電盤の基地局で何かやれば済みそうな感じがします。

 

引越しは気持ちの整理やモノの移動や大変な作業で今までに何回か経験してきていますが、人生を経るに伴い

移動するものも増え今回は全くもって一大事業でまだ終わらないという状況になってしまいました。

そして、移動して相生の今までとは違う空の明るい感じと夜走ってみる夜空もいつもより星が明るい感じが

します。今までの羊山の影の下日当たりも悪く、朝目覚めれば武甲山を仰ぎ見て庭の木々に訪れる鳥たちの

様々な姿に季節を感じたり秩父の冬の寒さを感じたりという自然が身近な環境が今相生で暮らしながらもその

リビングからの風景を懐かしんだりしてしまいます。

 

膨大な作業はまだ終わりが見えずやることはまだ山積みです。そんな中、新年を迎えいつも新しい年で

今一番新しい考え方とか世の中の動き的なものを特集する動きがありますが、その年の本というのもこの時期

取り上げられ昨年はホモデウスであり、その前は遺伝子でその前がジャレドダイヤモンドでした。そのように

最新の世界的ヒットというのがありますが今年は今のトレンドとして示されたのが、世界で起きていることは

皆幼児化ということばであらわせるということでした。軍拡や覇権主義、自国第一主義や移民排斥、EU離脱も

みんな幼児化だというのです。

 

確かに世界が幼児化したと片付けるのは簡単でそれではどうすればいいという人はいないというのが、問題です。

そうみるのならどうしたらいいのか。つまり元の大人に戻ってもらう処方箋はないのか。そもそもなぜ幼児化が

起きたのか。これは簡単に思いつきます。つまり、人々がみなスマホを持ちなんでも簡単に検索出来て簡単に

情報を共有できる便利な時代になり、みんな即物的にインスタ映えするものを愛し、数値で現れるものに信を

置くことに流れてしまい、昔から言葉では表せないものや数値化できないものを信じたり愛してきた日本国民は

感性豊かで肌で感じるものや数値や公式では伝わらない現地の空気でしか伝わらないものがあるのは知っていたのです。

 

今はそういうものはとりあえず後でいいという風潮になり、AIで自動化しより便利で洗練された世の中になると

信じています。ところが現実に世界が幼児化していると言葉で表したときにやはり気が付かなければならないのは

そんな数値や公式やら0と1では表現できないものもあるんだという当たり前のことを理解することです。

 

人の立場やら言葉や数値にできない気持ちを理解する、思いやることこそ世界が一つになり発展していくのに

必要なことでしょう。これが今年の初頭に感じたトレンドに対する私の処方箋です。


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