King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

静かにアイドリングから起動する朝

2019年08月06日 09時22分29秒 | 珈琲

昨日お話した夕映えの話ですが、検索すると夕映えの丘とか夕映え公園というのが

関東にも数カ所存在するようです。

秩父では雲海を見処としてアピールしている人もいますが、これも山の上から盆地の

底にたまった雲を見れば雲海で一興ではあるでしょうが、その雲海の中はどうなって

いるかというとブロッケン現象の様に自身の影がその霧に映ったり、公園橋の上の

川霧を通る時にはまるで天国の門に通じる霧でできた入り口を通るようだったりします。

 

得意になって雲海の写真を挙げている人もその中で起きていることや現象を考えたり

しないでしょう。夕焼けを見ることを推奨していた私も雲の少ない日に真っ赤な夕日が

大きく見えた日に自身がその赤い日に染まっていることまで考えてみませんでした。

 

ベランダにいる当家の猫が真っ赤な猫になったのを見て自分がいつも見えない造形や

色彩に染まる風景になっていることを発見するという体験をしてまた何か面白い発見を

したように感じるのです。山でブロッケン現象で自身の影を霧に移して面白がっている

そんな経験をしてひとつ自分主観から抜け出すことであり、自身を俯瞰してみる視点を

発見して自然をいつも自分を置いて演出してみたり、自然を感じるのでなく演出することも

可能になるのではないでしょうか。

 

そんな意味で自然を感じるスクリーンを作り、それを夕映えの丘とするというのは江之浦測候所

を超える美的感覚になるのではと思います。ひとつには武甲山という巨大なスクリーンを既に

南斜面に持っていることから各地に定点スクリーンと定時カメラ映像をネット中継するもので

アピールしてみるとか作っては壊す屋台のようなスクリーンを各公園に置いて自然の持つ顔を

演出していくとかいくらでも方法はあり、何らかの意味をこれから通年通して訴えていく方策を

とれば過疎化していく秩父にももっと魅力と活力が生まれると感じます。

 

秩父の聖地の曼陀羅だったり、温泉の曼陀羅だったり、古代地層の曼陀羅なりいくらでも

スクリーンから考えられる秩父のシーンは考えられます。

 

夕映えというなんとも無責任な言葉のその先に秩父を愛する人の心が問われているかのような

夕焼けを眺めている自分も赤く染まっていることに気が付くそんな時秩父だけでなく、自身が

自然とシンクロしたような感覚と真っ赤に染ま心地よさを一度味わい感じてみていただきたいと

思います。

 

こんななにげないことが連綿と続いているなにかと一緒になった感じが何かを気付かせてくれ

今まで見えてない曼陀羅も感じさせてくれるのかもしれません。

 

そんなことを体中の筋肉痛とおいそれと動けない各部の痛みの中で珈琲とともに考えたのでした。


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