毎日暑くどこで水難事故とか熱中症アラートとか暑さがニュースになり、昨日走るときには星が出ているのに東の方は雷が光るといった普段見ない光景でした。
今秩父のあちこちでは祭りのポスターが貼られ祭りのシーズンです。
これは長年秩父に住んでいても夏越しという観点でとらえてみなかったものに今年は思い至ったのです。
というのはいつもはあめ薬師の梅雨の中のお祭りとか夏休みが始まる川瀬祭りとかそれぞれが季節の顔で馴染みの祭りですが、その周りの地域でも祇園祭というのはあちこちあり、祇園信仰というもので見ると先月の茅の輪くぐりから続いた一連の夏越しという行事で平安時代から疫病やら夏で体力を落として死んでしまうことのないよう人々が何をすべきかという知恵や警報としてこの時期は田植えも終わり暑くなり体調を崩したり、疫病という災厄に意味もなく自分だけはかからないと思いたいそんな思いがスサノオウノミコト
という神を頼りに各地で今も残っているものだと思います。もともと暴れん坊で素行が悪く、天界を追い出されアマデラスが岩戸に隠れるのも彼の暴挙が原因です。天界を追い出された彼がヤマタノオロチを退治して姫を得るのですが、ヤマタノオロチから出てきた剣が草薙の剣で後にヤマトタケルが東征のみぎり持たされたのがこの剣で草薙の剣と呼ばれるようになります。しかし、この剣は檀の浦の戦いで天皇と共に瀬戸内海に沈んでしまいます。しかし、現代草薙の剣はふたふり存在し、ひとつは熱田神宮のご神体としてありもうひとつは天皇の持つ三種の神器としてどちらも現代では人の目に触れたことがないものとなっています。実際ヤマタノオロチから出てきた剣がどれなのかコピーでも性能が発揮されるのかにわかに何をどう信じていいはなしなのかといったところです。
しかし、そんな神話由来のはなしでも現実の社会に影響を及ぼしていて第二次世界大戦下では宮内庁職員の手で疎開された記録があり本来なら人が目にしてはいけない品を手に取りものを確認した事が戦後その職員の回顧録で触れられて大騒ぎになったことがあります。
現代では憲法との整合性から天皇家の個人事業なのか国家行事なのか国の宝なのか個人的資産なのかといったことが議論に上がりましたが誰も不利益は被ってないと裁判には至っておらず結論も出ていません。平成天皇の譲位の際には各行事が憲法違反とか国の予算でやることに何も話題にもならなかったのです。
ただ想像するに剣璽等承継の儀で当の天皇は剣やたまや鏡を自分の目で見ていい存在になり実際にそうしていると思うとその特別さが神話由来による神格化という効果はひしひし感じるわけです。
草薙の剣は熱田神宮にありスサノオウノミコトを祀る神社は八坂神社や氷川神社がありますが、京都の祇園祭やちまきは文字通りスサノオウノミコトの祭りですが、秩父でお祇園様などと昔からよんではいますがもともと秩父は妙見信仰の地で秩父神社となったのも明治期からです。
6月から茅の輪を潜り川瀬祭りをやるのも平安の時代の疫病を避ける夏を越す行事として神として祀ってないスサノオノミコトの故事を
踏襲するのはどうしてなのか。八坂神社も秩父神社同様祇園精舎という仏教との習合があり、明治期に神仏分離という明治政府の都合で始まったことは学校でも習いました。しかし、これが国際社会からどう見なされどう影響がありその後の戦争に至る教育にどうかかわったかなどは全く教育現場では語られていません。現世ではコロナの蔓延で人々が信仰したのはアマビエ様という妖怪でした。これは役場やら公の機関でもマスコットのように各町内に貼られて瞬く間に全国区のアイドルとして広まりました。
そんなこころの信仰はなんでもよくなんでも頼りにしたい人の心がスサノオノミコトの故事を引きずり出し今に至るのでしょう。江戸時代平賀源内の案で始まった土用に鰻を食うのと一緒です。
私は今さら祇園祭が茅の輪くぐりから続く一連の流れを思い知りますが、知ったとて私の行動に何ら変化なく今日も今日とて熱い珈琲を何杯も飲むのでした。
とりわけインドネシアの豆が今はお気に入りで、1800円を越える豆が増え珈琲も二倍ほどに値上がりするも他の物価からすれば輸入品で円安の影響をもろに受け、珈琲相場はいっこうに下がらないことを見れば仕方ない状況なのでしょう。当店などは安い品を多く揃える方だと思います。
今スーパーやホームセンターなどでもアイスコーヒーやベットボトルのコーヒーは高くなっており、原料のロブスタはアラビカを抜く高騰になっており安売りの目玉として扱われることもないようです。
その点、当店の水だし珈琲は昨年より安くして提供しておりこれはお買い得かと思います。
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