King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

新年度最初の季節のブレンドは『雲雀』です。

2018年04月02日 09時13分42秒 | 珈琲
新年度ということで、色々と変化がありマスコミでも値上げとか
制度が変わることを色々と報道していました。
不思議なのは、何度も繰り返された日銀のデフレ脱却目標の物価上昇率が
いつも不達成と言い続けていますが、電気やら食料品やらトイレットペーパー
などの日常品が季節の変わり目ごとに値上げされとっくに物価は上がっている
のではと思われます。

つまり、日銀の言う物価上昇は正しいもので、ニュースに言われる値上げは悪
の所業のように言われています。いずれにしろ我々庶民の生活が良い方向でない
のは確かで、景気拡大とか有効求人倍率が上がるなど経済は好調という報道も
俄かに我々の生活には感じないことでちっとも景気の良いことも感じません。

珈琲豆も値上がりが激しく、今月に入ってコーヒーの値上げが言われましたが、
ビールや納豆とともに流通コストの値上がりで上がるというもので、原材料費
があがることとは関係ないのです。

しかし、実際の相場的には珈琲豆もアラビカ種の値上がりよりロブスタの方が
需要が高く値上がりもしています。アラビカがそれに引かれて上がるなど世界的
需要では我々が普段飲んでいる豆というより高いものと質の悪いものの差が広がり
良い珈琲豆の値上がりは極端に激しくなり、アラビカでもスペシャルティ以外は
安値に放置されるような状況です。

問題なのは味は良いけれど人気がないというものが最近は多く、大手のコーヒーチェーン
などが買いに入るとそれが争奪戦となり世界中から買い占められ、その他は
かつての高値が嘘のように安値になったりしているという現象が激しく、かつては
入ってこなかった豆などびっくりするような味の発見もあります。

そうかと思えば、中米の豆などスペシャルティグレードの豆の選択が極端に少なく
良い豆が買い占められているという状況は依然続いています。商社からの案内でも
予約販売のため既に完売というものが届いていないのに先行予約だけで売り切れて
しまうケースが最近は目立ちます。

しかし、消費者に届けられるのは話題先行、ブランド価値だけで本来の味で選ばれて
いる状況からは程遠く、こんなものにこんな値段という状況です。

レギュラー品などは最近目もくれないという消費者も多く、特定農園とか有名農園
ものばかりをありがたがるのもよいですが、そもそもの味についてどれだけの知識が
あるのかという消費者も実は多いのです。

当店の季節のブレンドはスペシャルティの豆を使いさらに今飲みたい味を追求し
毎月作られています。今の季節を感じ、この季節に飲みたい味をイメージし
ブレンドしています。よくあるブレンドイコール安物や大量仕入れの粗末な豆と
いうものと違い、季節を感じ味を知る人にこたえるために珈琲の今を伝えるべく
ブレンドいたしました。

今月はこの太陽の光にこたえるように一斉に花が咲き物事が動き出す感じに
珈琲でもこれだけの開放感と風味の刺激があるというところを前面に出し
鮮烈なイメージを大事にしました。珈琲の味について何を飲めばいいのか
迷ったら試飲に訪れてみませんか。
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『土の記』読了

2018年04月01日 23時44分58秒 | 読書

今年のスキーと温泉の旅のお供です。

多くの人が新聞やラジオで推奨していて今更ながらに髙村薫がまた

新作を出したのだという思いで手に取った本です。実に読み出しは

昨年の九月です。これは読むのがつらいとかつまらないから進まないのでなく

もったいなくて大事に大事に自分の一番の時間に取っておいたものだから

スキーの温泉宿で一人でテレビもつけず読み継いだのです。

そして、物語はよいよ震災という未曽有の事件に遭遇し、主人公の脳細胞にも

病が襲うなど果たしてこの先の待ち受けるものはどんな結末になるのかという

これはドストエフスキーのカラマーゾフ的な話に感じられてきます。

日本に数多ある中山間地域に生きるお年寄りたちが何を考え何を思い、

生きているのか。それを綴るのに土を愛し、実験の様な農業をし、土と

ともに生き、そして最後はどこにでも起こりうることが起きると暗示して

いるかのような結末です。別にそれが起きても起きなくても終わりとは

こんなものだろうということで本当は終わりにしたくないのだけどという

作者のつぶやきが聞こえてきそうなペンの置き方でざわざわとした胸の

高鳴りがずっとこの山の中山間地の事を思い漂い日本人とはこういう

ものだなと思い出した時にはこれはやはりカラマーゾフ的だとまた

思います。

カラマーゾフのゾシマ長老の言葉と死が宗教と人の生と深く格調深く

物語をつつんだのと同じように別に仏教を真実のものとして深く信仰し

宗教に生きるでもなく、ただ生活としてお墓を守り、お盆の行事をし

死者を思うというありふれた日本人の宗教観がこの作品にはあり、

日本人のそういう宗教への思いとか祖先とかすべてが土とともに生きる

ということに結実しているさまをさりげなく描かれているもののこれは

正にカラマーゾフのゾシマ長老の語りと信仰の姿のように感じるのです。

今に生きるすべての日本人に大きな災害を経験し、未だ収まらない原発を

抱えながら、突如と襲う災害は各地に起きていつそれが身近なこととして

起こるかわからないそんな現状に平凡な日本人像を問えばこんな形という

ものがこの土の記となるのではないでしょうか。

 

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