きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

letters/宇多田ヒカル

2014-03-15 | 歌謡曲・カラオケ
宇多田ヒカル「letters」。
最近この歌が気になって仕方ない。最近と言うか、藤圭子さんが亡くなってからである。
藤圭子さんのことをチラホラ耳にして想像してから、この曲が気になって止まなくなったのだ。

この曲は10年前ころ「SAKURAドロップス」と両A面で発売されたそうだが、私のイメージではどちらかと言うとシングルは「SAKURAドロップス」、でそのB面みたいなイメージであった。あまり宣伝されていたイメージが無い。
私がちょっと関心を持ったのは、友達にこの曲が好きだと言われてからである。

最初に聞いた時は失恋の歌だと思っていた。
置手紙をして出て行ってしまった恋人。別れの歌だとずっと思っていた。
 ●→「letters」歌詞はこちらに

ところが藤圭子さんが亡くなってから、どうもこの曲がつかえるようになったのである。

と言うのも、私の母が祖母と二人暮らしだったのだが(母子家庭である)、いつも祖母が仕事でいないので、母に置手紙を残していたそうである。母はそれで祖母のぬくもりを感じ、私にも「kekeに置手紙をしておきなさい」と言っていた。

私は(そうかなるほど)と思い、小学校2年生のkekeに「おかえりなさい、今日は○○」みたいな置手紙をしておいたところ、kekeはそれをビリビリに破いて窓から捨てた・・・・。
(大きくなってから尋ねた所、母が家出をする置手紙と思ったそうである。)

そんな置手紙。
置手紙を残して去っていた恋人。。。。

・・いや、これ恋人ではないんじゃないの?!

いまどき、置手紙を残して去っていく恋人なんていないんじゃないの?!


これ、お母さんの置手紙じゃないの?!

ある日突如そんな思いにかられて、ググッてみると、やはりこの曲はお母さんへの思いをたどった曲だったのだ。

朝起きて窓際の置手紙。
君がいなくても太陽はのぼるよ/最後の一行は「必ず帰るよ」/
夢の中でも電話越しでも声を聴きたいよ

必ず帰るよって言う置手紙が、憶えているのだから、そういうことがあったのかな、とか。
電話したくても自分からはできなくて、たまに待っていても来なかったこともあったのかなとか。
そんなことを想像すると(もちろんあくまで歌詞の中ではありますが)お母さんのこととか想像してしまうことがあったりして、それでも娘って、お母さんを信じているし、決して離れることはないのだろうなとか。
いろんな思いがグルグル回り始める。

そして、自分の母と祖母のことを重ね合わせると、切なくなる。

「母ひとり子ひとり」
この言葉を母はよく口にしていた。
誇りでもあったし、悔しくもあった。
兄弟がいたら、例えお母さんが自分の人生を歩いていったとしても、そこには兄弟がいる。
でも、母ひとり子ひとりでは、そこには誰も居ない。


歌は宇多田さんらしくなかなか難易度が高く、でもコーラスも入っている(様な気がした)ので、これから練習してチャレンジしたい。最後にくるサビの繰り返しで盛り上げたいのでそこに合わせてキー変をすると、上手な方は聞かせる歌になるかと思う。
wikiによると、本当はプロモーションビデオを作る予定だったのが、宇多田さんの体調が悪くてできなかったそうです。

母は言った。
「反発した時はすごかったよ、髪も金髪にして(おばあちゃんに)恥をかかせた。でも忘れたことはなかった。結婚する人は絶対おばあちゃんの選んだ人にしようと決めていた。一緒に暮らすつもりだった。」

そんな言葉を思い出す。


5 コメント

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sakeさん (10kaki)
2014-03-15 12:06:00
コメントありがとうございました。

宇多田ヒカルは藤圭子の娘。

私は、藤圭子のフアンでしたがあんな死に方をしました。

人間は弱いものですね。(強い人もおりますが。)
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>10kakiさん (sake)
2014-03-15 19:13:43
10kakiさん、こちらこそありがとうございます。^^

10kakiさんは藤圭子さんのファンだったんですね。
宇多田ヒカルさんの詞は感性があると言うか、好きなんです。この曲は特にそう思います。

あのような感性と、精神力のもろさは紙一重のような気がするんですよね。
そういう意味では私もあまり精神力は強くないような気がします。どうにか踏ん張ってはいますが。(^_^;)
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藤圭子は、ポップスを唄いたかった。 (カメ漫だらだら石)
2014-03-16 19:45:33
ううむ、上手くいかないもんですねえ。

藤圭子が、娘を連れて、この子天才なんですよ、と売り込みに

一所懸命だった頃、その頃が一番の幸せな時期だったのでは?

のちに、宇多田ヒカルは、亭主や藤の夫らと一緒になって、

藤圭子と距離を置いた時、藤圭子は寂しかったろうなあ。


藤さんが歌いたかった、ポップスを聞いてぼくは不思議な思いをしました。

面白くないんですよ。


藤圭子の良さは、やっぱり歌謡曲に 演歌に全面的に出ていると思うのは、
彼女にとって辛い現実であることだったのだろうね。

宇多田ヒカルで言えば、デビューの曲だけがよくって、他は聴きません。

案外本人がやりたいものよりは、ファンが愛するものの方が、そのひとの良さとか
個性とか、その人らしさが出るもんだと思います。

ペギー葉山は、大ヒットの 南国土佐を後にして を歌うのが嫌で嫌で仕方がなかったそうです。
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2度投稿のミスを (また間違えて)
2014-03-16 21:15:22
失礼しました。

カメ漫だらだら石 より
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>カメ漫だらだらさん (sake)
2014-03-17 06:31:02
ペギー葉山さんの歌だったんですね。
「南国土佐を後にして」
叔母がよく歌っていた歌だそうです。
私はあまり知りませんが、有名な曲だったんでしょうね。

私が宇多田ヒカルで好きなのは、デビューのもう少し後でしょうか、デビュー曲は衝撃的でしたよね。
最初の結婚をしてからは、私はんー?と思ってます。でもこの「letters」は本来の宇多田さんの味が出てるように思います。

そうなんですか。
宇多田ヒカルさんはお父さんについて、藤圭子さんから距離を置いているのですね。
でももう1つお母さんに語りかけるように歌っている曲があって、そういうのを聴くと、親子が離れているようには思えなかったりします。

たしかにアーティストの歌いたい歌と、アーティストが輝く歌とは違うのかもしれません。
私は中森明菜ちゃんが好きなんですけどね、平成に入ってから、今ひとつヒットにつながらないのは、世論が求めている作品と、かけ離れてしまっているのもあるように思います。
もっとも自分の作る作品だから、売れる売れないは関係なく自分の主張で良いのだけど・・本当のファンはそこまで理解してついていきますからね。
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