きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

掃除をしないかもしれない症候群

2014-04-29 | 日記
GWにOMさんをドライブする話があったのだが、私はテンションがちょい下がっていて出かける元気が無い。
特に何があったわけではなく、やはり更年期のせいではないかと思うことにしてる。

最近、あの手の軽い頭痛を何の脈略もなく感じることがあったり、かと言って日常生活に支障をきたすほどのことでもないので普通どおり生活をしているが、やはりどこかテンションが低い。単純に、年で無理がきかなくなったのを自覚し始めたのかもしれない。
普段が「あれやって」「これやって」「あれどうして」みたいなのにクルクル回らされているので、休日の朝に「今日はこれやらなきゃ!」って思うことがはっきり言って嫌なんだ。


カーテン越しに朝日をあびて、「今日こそ心行くまま気ままに暮そう」と自分に言い、そして相変わらず今日も掃除をしないかもしれない症候群。

ねぇ、この後の人生で、私がんばって掃除をしたりね、料理をしたりね、まぁ一時的にはやる日もあるのだろうけど、そういうことを定期的にがんばれるようになる日がくるのかしらね。そんな時がきたら、それはそれで本気でがんばるから、今はいいでしょう症候群。


そこでOMさんの話なのだった。

先日OMさんから「もらいものの菜っ葉(名前は忘れた、食べたことが無いもの)があるから少しどう?」と言う話があって、その時に「GWどうしましょうか」と言う話をしたら、それどころじゃなくなった大変なのよ、と言う。
何が大変なのかと思ったら、田舎の叔母からいただいた毛糸衣類の中に虫(幼虫系)が入っていて、知らずにタンスに入れたら、それが大発生してしまったそうである。バルサンを焚くにも、部屋が小さいので感知器が作動してしまうのが怖くてできないと言う。

とりあえず殺虫剤をスプレーしたり、あちこち拭いたりしてここのところ見かけていないそうであるが、「こんなこと初めてなのでどうしていいか分からない」と言う。GWは次々と洋服を洗濯する予定だそうである。

この話を聞いて、自分だったらどうするだろうと悩んでしまった。
私はこの手のイレギュラーな事態にめっぽう弱く、どうしていいか分からないのだ。やはり同じように殺虫剤や消毒液や、バルサンのお世話になるのだろうか。そうするしかないのだろうけど、それを想像するだけで生きた心地がしない。もともと掃除が好きでない人間である。バルサンもその後やりっぱなしでいいのだろうか。(実家も時々バルサンをしていたが、その後で雑巾で床を拭いていた。)

日頃、頼れる旦那もおらず子供もグータラしている不幸の身の上であるが、それより「タンスが虫だらけ」と言う事態の方が私に取ってはきついかもしれない。今までそういうことが起きなかった身の上にささやかに感謝しよう。


OMさんから頂いた葉物、そのまま炒められるらしいけど、ゆでてみて少しづつ使うことにしたら、独特のにおいがあって、まだ馴染めない。
「豚バラを乗せて蒸してポン酢で食べるとおいしいよ」と言うので、とりあえず後でやってみようと思う。

反省

2014-04-27 | 息子keke
昼に家に帰ると、kekeが寝ているのでやるせない。
午後1時である。

「この時間に寝てるのか」と私は言い、仕事は探しているのか?と尋ねると、ぼちぼちみたいなことを言う。
「今週ハローワークには行ったのか?」と言うと1日行った、と言う。
「それじゃ、他の平日は何をやっているのか。」と言っても答えが無い。

こんな時間に家に帰るんじゃなかった、正直にそう思った。
私は1年前から、2年前から、何も進歩していないと思う。

「そんな風に言うからまたやる気をなくす」とkekeは言う。

昨日上原さんの本を読んで、「あなたの好きな人は一生懸命やってもできていなかっただけ」と思おうと決めたのに、やっぱりできていない。人様の息子だったら、一生懸命やってできなかったことをこんな風に責めるだろうか。自分の子供には不安で言わなくていいことまで言ってしまう。
こんな自分がとても嫌だ。

1日だってハローワークに行ったのだから、kekeだってどうにかしようと思っているんだ。
そもそも、kekeはさぼる子ではない。
さぼる風に見えるとしたら、それをどうしてもやりたくない理由があるのだ。
どうしてそれを先に信じてあげられないのだろう。


いろんな事を思い出しては後悔してしまう。
大学のこと、進路のこと、野球よりもっとkekeが自信を持てるようなことがあったんじゃないかい?
もっと伸ばせるようなところがあったんじゃないかい?

本人が死にたいと言うのも分かる。私自身も消滅できるものなら消えてしまいたい。素晴らしい人間だけが必要なら、そうでない人間は楽に殺される仕組みができれば良いのにと思う。
価値の無い人間は、生かすだけ生かしておいて見せしめになっているようにも見える。

私自身も意識しないままに、子供に付加価値をつけようつけようと、そればかり考えていたのかもしれない。心とか、命とか、本人とか、そういうものを置き去りにしてきたのかもしれない。でもたぶん、これからはもっとそういう人が増えるだろうと思う。息つく間もないぐらい「効率」というものが求められているからだ。人間よりも。


こう言う時はほんとに家事をするのがしんどい。
それでいて、昨日野菜をいろいろ買ってきてしまったので、しないでいると罪悪感が残るんだ。
家事なんてしなくたって、逮捕されないのに。

そう言えば昔kekeが小学生の頃、仕事が終わってからオリジン弁当を買っている姿を会社の同僚(MTさん)に見られて、「料理をしないsakeさんネタ」としばらく会社中で笑いの種になった。よく考えれば自分達だって仕事の後に毎日手料理なんてしてないのに、ヘラヘラ言われるままに笑われてしまっていた。

こんな時ふいにあれを思い出す。

「信じることのまほうのちから」/上原愛加さん

2014-04-26 | 読んだ本
昨日のことをブータラブータラAさんに言うと、「それは難しいなァ」と言い、「だって社長が1度折衝して金額を決めた箇所はそれ以上みないからね。nanu達は他の所を拾っていたんだよ。」と言う。

「気がつかないものですか。」と言うと、「そうだね」と言う。

まぁいいか、お客さんに出す前に気がついたのだから。。。
と言う事で、私の中ではクローズすることにした。


今日読んでいるのは「信じることのまほうのちから」上原愛加さんの本である。
私の年の人間が読む本でないのは百も承知なのであるが、私はこの人の本が好きなので、古本屋で105円(今は108円)で見つけると買うようにしている。(もうちょっと高くても買う時がある。)

今日もその中の一節を紹介すると、

  A「がんばってもできなかった。」
  B「そもそもがんばってなんていなくて、できなかった。」

  わたしたちは、つい”できなかった”という結果ばかりに目をうばわれてしまいがちですが、
  AとBとではその背景や過程に大きなちがいがあります。
  あなたのすきな人、あなたのことをすきな人は、いつもAであり、一生けんめいだけど、
  それでもできなかったのだーそのように理解を示すこと。
  (一部中略したがほぼ原文どおり)


この文章を読んで、私はこれができていないと反省する。
それはkekeへの態度である。

私はBだと信じて疑わないので、こういう態度になるのである。
さらに遡れば、元夫に対してもこういう態度だったと言える。(今なら言える。)

何故こうなるかと言うと、自分が頑張りすぎているからである。自分はこんなに頑張ってるのにあなたはそうでもない怠けている、とみなしているからである。それには「頑張らなければ成功しない」「頑張らなければいけない」と言う神話を信じ込んでいるからである。

こうして周りの人間をよく言えば叱咤激励、悪く言えば見下し、せきたてながら生きてきたのが今までの私の人生だ。そしてその半分は自分も責めて、さらに○○しなくては、と思って生きてきた。

もうこういう考えはなるべく捨てよう。
今すぐ全てを捨てる事は難しいけれど、自分が頑張るのはまだいいとして、人に頑張る事を求めることはやめたい。それを続けていると、エネルギーばかりが消耗して堂々巡りになる。

「頑張らなくてはいけない」と思うと、もっと頑張らない自分で無いと愛せないのである。だからずっと頑張り続けないとならなくなってしまう。その価値を保つために、頑張らない人をケイベツせずにはいられなくなるのだ。

そんなことはないんだよ。
ありのままの自分でいいんだよ。

これ以上を求めるよりも、今あるものを大切にしよう。
また今日もそんなことを思ってみる。


ちなみに本には

「すべては、ほうっておけば"よりよいほう"へと向かう」と書いてある。
そのようにして、人は成長をとげていくものなのだそうである。

大失敗

2014-04-25 | 今の会社
大失敗してしまった。

見積を打つのに、ある業種で他の現場の見積を打ってしまったのだ。本当はもっとお金が掛かるのに、そうでない見積になってしまっている。あとは社長が提出するばかりになっていたのだ。それでなくても、予算を切り詰めていたものだったので、とんでもないことになってしまった。

それでも提出する前だったので、nanuさんに相談すると、「そこの業者に図面を送ったのか?オレは送れと言ったぞ」と言う。メールボックスを見ると、それをしていなかったのか、よその現場の図面を送っていたのかどちらかである。いずれにしても金額は今分からない。
慌てて送るが、すぐには金額が出ず明日になると言う。

nanuさんに言っても「オレは送れと言った、オレは悪くない」の一点張りである。

「こんなことを言うのもなんですけど、私が打った後にnanuさんも秀クンも見積をしているのに、その時に二人とも数字がおかしいのに気がつかないものですか?」と言うと、「社長が先に予算を組んで合わせろと言うから、気がつくわけが無い。」みたいなことを言う。逆上振りを想像しながら、どんなに怒られても最悪クビになればいいんだから、と思って電話する。

受話器を持ちながら棒立ちで、しどろもどろで説明すると、バタバタ帰ってきてもう一度見直して、どうにかなった(らしい)のだけど、これって私が1人で報告することなの????

社長に怒られる事よりも、そういう風に上の人間に突き放された事がとてもショックだった一日。

「父の生きる」/伊藤 比呂美 さん

2014-04-23 | 読んだ本
今の私がもっとも好きな作家かもしれない伊藤比呂美さん。
新しい本が出たと知って、図書館で借りてみた。

熊本に住んでいるお父様がだんだん弱られてていく様子が日記風に綴られているようである。ブログの抜粋・加筆のようである。伊藤さんは本拠がカルフォニアであり、お父さんに会いに熊本とカルフォニアを何度も何度も往復する。お父様の様子や、時に思うように介護ができないいらだち、アメリカの残された旦那のこと、親を見つめ生きることを考える。そのような記録である。

まだ半分も読めていない。
これは新刊なので、延滞することができず、たぶん読みきれずに返してしまうことになると思う。私の父の状態からすると、今読んでいる箇所の伊藤さんのお父様は元気である。思考が働いている。TVが観れる。電話ができる。今読んでいるのはその会話の記録なのである。おそらく読み続けるうちにこのお父様は亡くなられてしまうと思われ、それを念頭に置くと切ない。しかし、私はそれ以上に今の自分の父親の方がそちらへ突っ込んでいるので、どこか他人事のように読んでいる。

同じ「残された父親」を見つめているのに関わらず、伊藤さんのお父様へのひたむきな気持と、私のそれは温度差があるような気がする。つまり、私はそこまで熱心ではないのである。

たぶん、妹がいるからだと思う。(伊藤さんは一人っ子)
妹もやってくれてるから、まぁいいわと腹のどこかで思っているのである。妹もこの程度ならこれでいいわという気持もあるし、妹がやってくれているから私はいいわ、と言う気持もある。いずれにしてもどこかで「まぁいいわ」と構えている自分がいるのである。

介護と言うのは兄弟で分け合えるものなのだ。
手間だけではなく気持も。それをこの本で知った。


同じことが子育てでも言えるのかもしれない。
子供が2人3人いれば、親の期待やプレッシャーも等分することができるのではなかろうか。うちの場合は1人しか息子がいないので、一挙一動目についてしまうし、そこにどっぷりはまりこんでしまっているのだろう。このひたむきな気持は責任感(と言うプレッシャー)から来るのかもしれない。

この本では(今の所)まったく存在感のない旦那である。父の介護への邪魔者みたいな風にも読める。しかしこの後でおそらく今度はご主人との生きることについて見つめる時が来るのかもしれない。

そんなことを考えて、本当の夫婦は片方が死んで初めて生まれるのかもしれない、なんて考えた。16年も旦那の居ない自分のことだから、勝手に言うだけなのだけれども。
いなくなって初めて、安心して人に語れる気がする。

こんな素敵な人だったのよ、と不動に思えるような気がする。

家に帰って大切なこと

2014-04-22 | ぶきっちょさんの家事一般
状況は去年から、一昨年から、どこも変わって無いように思うのに最近やたら虚しい。何をしても意味が無いように思うし、この先のことを考えると救いようの無い絶望感がある。

それを全てひっくるめて「更年期」のせいにしてみる。
これが正しい、正常な成長過程なのだ、私の。


消費税値上がりの対抗手段として毎日惣菜を作ってみたものの、やはり予想通り、もういい加減疲れてきた。先週辺りからグロッキー気味で、だんだん楽な方楽な方へ移行しつつあるが、今日冷蔵庫を開けると、キャベツがほぼ丸ごと残っているのでどうにか使わねばと、老体にムチ打つかのように台所に立つ。

kekeが買い物に行きたかったようなので1,000円を渡し、自分のおかず何か1品、と合挽きを買ってきてくれと言ったら、おかずを買わず安くなってたスモークサーモンを買ってきた。フライはもう無かったと言う。

「あとは野菜炒めだけど、あまり食べないでしょ?」と言うと、それを食べると言う。
冷蔵庫をあさると、チキンナゲットが出てきたので、それも揚げる。
サーモンサラダも、レタスもいい加減しなっていて早く使えて助かった。

惣菜は作るなら作る。作らないなら作らない。
それを中途半端にしていると、こうして野菜はどんどん悪くなっていき、一番無駄になるのだと思い知る。


kekeは味噌汁にすると大抵のものを食べてくれるので、味噌汁はなるべく毎晩作るようにしているがそれもここ1~2年のことである。いかにズボラで怠けものの母親なのだろう、と言う事で全国のお母さん、安心してほしい。

先日賞味期限数年過ぎた(恥かしいけど事実)カツオブシが出てきて、それも昆布と一緒に出しを取ったら、おいしかった。(まだいけるようだ)これならだし入り味噌でなくてもよいなぁと思う。次回買うときはだし入りでない味噌をかってみよう、しかもちょっと高いのを。
カツオブシは、お茶パックの袋だけ売っているものにカツオブシを詰めて、昆布と入れると手間が無くて簡単にだしが取れるからお勧めだ。でも今パックの袋だけって売ってるのか分からないけど。

それからほうれん草のごまあえ。kekeはごまあえだったら食べるかなぁと思ったけど、やはり食べなかった。
「これが終わったらビールがある」それだけで、ここまでやった。

一応自分の記録として偉そうに書いてみたけれど、明日は分からない。
料理や掃除って、無理してやらなくていいと思う。
家に帰って一番大切なことは自分をリセットできることだ。
また明日頑張れるように休むこと。
だから、やれそうな時にやればいいんだよ。

本当は違う事を書こうと思ったのに、夕飯で終わっちゃった。

父のポケット

2014-04-21 | 父の記録と母の思い出
車の中は泣くのに便利だ。

そこではどれだけ泣いても、すれ違う車の誰もが気がつかなくて、もし気がついたとしてもそれは私には関係なくて、さらに外には関係の無いいろんな人が流れていて、この適度な他人感がなんともマイルドでよい。そして案外1人で運転している人が多いんだ。


父の所に行くのが遅くなってしまい、今日はお茶の時間だった。

いつものように車椅子に座ったまま寝ている。
お昼にベッドから起きて、昼食の後こうして車椅子で寝ているのが父の毎日の生活らしい。

「娘さんがいらっしゃいましたよ」と看護師さんが言うと目をあけて返事をするので、寝てると言っても頭の中は起きているようである。ぐっすり寝ている時は起きもせず返事もしない。お茶をスプーンであげるとよく食べた。
そして、また目を閉じて軽く寝ている風。一日のうちのほとんどがこの状態で、いわゆるこれが「寝たきり」と言う状態なのだ。父の頭の中はどうなっているのだろう?「娘」と言う概念はもうとっくに失くしていると思われ、声を掛けて一瞬目を開けてハイなんて返事をさせるより、もうこのままゆっくり休ませてあげて良いのでは・・・毎回そんなことを思ってしまう。やはり今日もそうである。
隣でぼんやり座っている。

そしてこの5年間、「生きること」「命」そんなことを見続けてきた気がする。

すると担当の先生が来てくれた。「このところ状態は安定していますね」と言うので、「一時期のほとんど食べれなかった頃から比べると嘘のようです。」と答えると、あの頃は足に床ずれのキズがあって、そこから体全体に悪さをしていたのです、と言うような返事であった。

ここに入ってからも骨折したり、そんな傷が起こったり、本当にぐったりしていた時期も何度もありながら、こうして元気で(寝たきりではあるが)食事も取れるようになって、まだ生きているのである。

私は最近このホールに長らくいるのも違和感がなく、最初は頭のおかしいじいさんばあさんを見るのに耐えられなかった、そんな頃もあったのだなぁなんて思う。同じ患者さんが少しづつ入れ替わり、当初は誰より元気に見えた父だが、今は逆である。


看護婦さんが父のズボンを持ってきてくれた。ポケットがずいぶん破れてしまい処分するかどうかの相談である。ポケットを取ってしまえばまだ履ける状態なのだが、そちらで判断してほしいとのこと。それでは妹に相談してみます、と持ち帰ってきた。
そんなズボンだったら新しく買い替えるかなぁと思って電話してみると、「ポケットを取れば履けるのならそうしよう」と言うので、ポケットの糸をハサミで切ってみると、布地に穴があいてしまった。

それをチクチク縫いながら、こんなことができるのも今だけなんだろうなァなんて思っている。

やがては父も死んでしまうのだろう。
でも驚かないし、平然と受け入れるような気がする。
他の人には突然でも、私の中では5年間少しづつ始まっていて、もう突然のことではないからだ。

そういうお別れの仕方でいられることに感謝する。

手さぐりの幸せ/浅香光代さん

2014-04-20 | 読んだ本
さっそく浅香光代さんの「手さぐりの幸せ」を読む。

昔の本らしく小さい文字でなかなかボリュームがあるので、関心があるところから読む。
もちろん、噂の元彼、Sさんが出てくるところからである。

噂されるとおり、国会キス事件の泉山さんをかばう発言から議員さんとの縁ができ、その先生がたの中にSさんとの出会いがあったと言う。家に帰り電話を待ち、会える時間があると聞けば飛ぶように会いに行くけれど、そこにいるのはたくさんの議員の先生達。もちろん二人きりで話すことも許されず、大好きなイカの刺身をSさんは自分の分をそそっと浅香サンの前に差し出す。せっかくの京都旅行のお出かけも会えたのはたった1時間だけ。(がっかりした悲しい気持を、浅香サンは「こんな忙しいのに時間を空けてくれたんだ」と思いなおす。)

そして二人のお子さんを産むも、別れはあっけなく訪れる。
浅香サンの自宅にいたお客さんがゴロゴロ寝ているのを「男」だと思い、それきり足が途絶えるのだ。

しかし浅香サンはその後も、いろんな男に言い寄られる。いや男だけではない、いろんな魔の手が襲い掛かるのである。ある時はバクチ話に騙されたり、何かの権利書を持っていかれたり、一本気な人なので舞台を降りてしまったり・・・一時はお金も何もなくなり夜逃げ状態で男の人に助けてもらう。そこでその人とデキてしまったりするのである。
まるで平安時代の二条さんの「とわずがたり」状態である。
ある時は近所が火事だから、と急に奥さんの元に帰る彼氏にショックを受け、仕事にも身が入らなくなり、服毒とガスで自殺を試みるも幸い助かる。「死ぬなんて卑怯だよ」と言う医者に事の次第をすべて話すと、ヨシヨシと言いながら医者は言う。

「ものは考えよう。二号だの思うから腹が立つんだ。男妾でも囲っている気になってごらん。」
それから浅香サンは仕事に、舞台に燃えていくのである。

私の祖母も母子家庭で母を育てながら、いろんな男に騙されてあれこれ持っていかれたと聞いたことがあったので、一昔前はそんなものなのだと思う。女1人で劇団を背負って行くとなれば、スポンサーは大切にしなければならないし、そんな男女関係のうねりで泳いでいかなければならないこともあるだろう。何人もの社長さんにせまられる中、それこそ切った張ったで交わしたり受け入れたり助けが表れたり・・・・

こうしていろんな男達が出入りする中で、またSさんと再会。
浅香サンは選挙も気が気ではない。表立って応援する事もできず「自分の寿命をひきかえ」に当選を祈り続ける。劇団から女優へ・・仕事も駆け上がる中で、Sさんとの歩みは続く。

浅香サン、今のイメージでは女傑みたいな感じがあるが、この本を読むとむしろ「普通の女の子」、ごく普通に亭主を持ち、普通の主婦を望んでいたことが伺えて泣けてくる。
「三日でいいから、天下晴れてうちの人と呼んでみたい・・・」
この文章が何回も何回も出てくる。

Sさんの愛情を感じながらも、最後は結婚できる可能性のある(離婚しそうな?)人を選び、お別れをする浅香サン。「その男は君を裏切るぞ(考え直してくれ!)」と言うSさんの言葉どおり、裏切られ泣くことになってしまう。最後はまったく違う方と幸せになって終わっているようだが、困難とピンチの連続の半生記。

他の彼はたいていスポンサー的でお金や物で助けてくれる存在だが、このSさんだけは議員でありながら、がめつく金儲けする人ではないので、むしろ浅香サンの方がお金を出しているぐらいだと書いてある。そのぐらい清い、潔い方だったのだろうと思われる。


そして結局のところ、Sさんだが、先日コメントでいただいたとおり、椎名さんが最有力かな?と言う気がする。
生まれ年代もほぼそのように思うし、最初のお子さんは本当に自分ひとりだけで産むと決めて、Sさんにもナイショにした浅香サンが、Sさんご健在な時にこの内容の本を世に出すとはちょっと思えない。
Sさん「人形町で育ち、赤坂で遊んで・・」とあるので、小学生で上京している椎名さんともとりあえず合うような?(人形町かどうか分からないが)

「どう転んでもいい男の部類には入らないが、演説すると長谷川一夫」と書いてあるので、そんなブサイクなのか?と思って写真を見るとそうでもないところで疑問にはなるのだが。。。

歓迎会

2014-04-19 | 今の会社
昨日はWADA君の歓迎会だった。

Aさんは他に行く所があって二次会には行けないようで、何となく二次会は各々ばらけそうな雰囲気で、また課長とタクシーで帰ろうかしらと思っていたところ、某解体の社長さんと出口で話しているうちに、何となく行く流れに乗ってしまって、nanuさんに「お金持ってないです」と言うと平気だ平気だ、と言うのでついていく。

某社長さんはここから家が遠いし、電車も早くなくなってしまう場所なので「帰りはどうやって帰るんだろう?」と気になり尋ねると、「タクシーです。」と答え、「一応自分、社長なんで・・・」と言う。

はっ!そうでした、すみませんすみません、と言うも、それぐらい腰の低い丁寧な社長さんなのであった。


私は本当にサイフに小銭しかなかったので(ジバラで行く事を想定していないから)、エレベーターにギューギュー詰めで乗りながらもお金が心配で、北澤に「sakeさんと飲むの久しぶりっすよね」と言われても、「うーん・・・・でもぉ・・・」とじーっと顔を見ていると、「sakeさん、顔近すぎです」と言われる。

某社長さんは「みんな若いから自分がここに居ていいのかなぁ」と言うので、私がいますよ!と言うも、実はこのメンツの中で私がダントツ年上なのだった。

今は北澤、秀クン、nanuさんも結婚して子供もポンポン生まれ、一人残されたOROにみんなして嫁を探そうともっぱらその話題であった。先月も先々月も女を紹介してやったのにどうたら、Aさんが会わせてくれたのに一緒についてきたオンナの方をお前は気に入ってどうたら、あさって、あさってこそちゃんとモノにしろよお前、どうたら、やっぱり今回もこのような話ばかりだったので、いつもながらに「ここにも女がいるのになァ、まったく眼中にされずか。」と感心していると、某社長さんが「こんな事を訊いては失礼ですがsakeさんだってそのぐらいの年でしょう?」みたいなことを言うので、「実は某社長さんは私の妹と同じ年、それぐらい年上なんです。」と答えると、社長さんはえっ!と驚いて、うそでしょう?と言うので、「ありがたいお言葉ですがほんとですよ、だからこの人たちから見れば用無しオバサンなのです」、と言うと、そのまま引っ込むわけにはいかなかったのか、「まだsakeさん、大丈夫ですよ、全然大丈夫です。」と言ってもらえる。(その優しさに泣ける)

こうなったら私も自分を褒め称えてくれる人優先に時間を使いたいと思い、合コン三昧連中を相手にせず、もっぱら某社長さんと会話を進めて行くと、この社長さんは競馬が大好きなそうである。

「私も父が競馬好きで大学時代はTVを観てました。好きだったのはミスターシービーです。」と言うと、「そこで年が分かりましたね。私はシンボリルドルフからです。」と言って二人で笑う。

「あれから25年競馬ですよ、血統があるんです。お父さんがあの馬でお母さんがあの馬で、その子供だから、それで追いかけていくんです。楽しいです。」
「分かります、分かります。いいですよね、馬を見るの。しばらくご無沙汰してますが、そういうの分かります。」

そこで合コン連中の話題は、大工のDBさんの話題になり、「あの人にイイ人いないですかね」とその弟子(名前知らない)が言い、「DBさんって幾つだっけ」「48です。」と言う。

48!

それを訊いた途端、ヤツラは私の顔を見る。
(こう言う時だけかよ!)

それとなく、それはお断りします的なニュアンスをかもしだすと、「アンタ、マジな話、結婚する気あんの?」とnanuさんが言う。

け、けっこん?

私は面喰い、「な、ないわけじゃないですけど、好きな人でないと一緒になんて。。。。@@」と言うと、「sakeさんのタイプって何よ?」と言う。

「好きなタイプ・・・?」

「例えば業者さんだったら誰よ?」と秀クンも言う。

業者さんだったら・・・・誰だろう???

「誰だろう??全然考えたことがない、ほんとに分からない・・・@@」
「だって、YKさんじゃダメなんだろ?」とnanuさんが言う。

そうなのだ、結局そうなのだ。
この年になると、DBさんとかYKさんとか(私が人の事を言える立場ではないのは重々承知してだが)、真面目かもしれないが全くモテない、休日はパチンコが趣味みたいな男しか独身で残っていないのだ。さらにこの年になるまで何も(結婚や同棲)無いままきてしまっている男は、他人と一緒に暮らすのがとても窮屈なことにまだ気づいていない。姑との確執、女の執着や怨念、そういうものを知り、もがき、悟りつくしてからでなければ、穏やかな老夫婦にはたどりつけない。そこまで(彼らを育て上げるのに)この先何年掛かるか。
(ごめんなさいDBさん、YKさん。私も休日はヒトカラが趣味なのであなたたちと同類ですが分かりやすく解説致しました。)

しかし、好きなタイプ好きなタイプ、・・・いったい誰なんだろう、どう答えればいいんだろう、と困っていると、新人WADA君が「それでは、ここにいる男性で一番タイプなのは誰ですか?」と言う。

一瞬、シーンとなり、nanuさんと秀クンが口々に「やめろよ」「やめろよ」と言う。
万が一自分とでも言われたら(迷惑で)どう返して良いか分からず、どっちらけっけになるからである。ほんと!どこまでもどこまでも失礼な人達だよ。

nanuさんが「大学生のノリとは違うんだぞ」ととどめを差し、それじゃ今までの合コンノリは何なのよと私に思わせながら、二次会は終わる。
当然、一銭も払うことなく帰る。

石の上にも3年

2014-04-18 | 息子keke
家に帰ると、kekeの靴を見る。

朝、kekeの靴を直しているので、そのままの向きの時は家から出ていない。
家から出た時は靴の向きが逆になるはずなのである。

今日はまた家にずっといたのだな。
・・・・そういう日はガックリする。
外に出ていても、出ていなくても、たぶん変わりはないのだが、家にこもることはあまりに非生産的だ、と思ってしまう。

久しぶりに妹に電話した。
「どうしたの?」と言うので、かくかくしかじか、kekeが仕事を探しているのか、探してもみつからないのか分からないけれど、この数ヶ月で面接に行ったのは2回きり。あとは何をしているのかよく分からん、いったい私は何をすればいいのか、と言うと、「親ができることはもう無いのでは」と言う。

バイトはしないの?と言うので、たまに小遣いは稼いでいるようだよ、と言うと「家にお金を入れてもらえば?」と言う。

「そんなことを言ったら、ご飯要らないとか死ぬからいいとか言うよ。」と私は言い、「ほんとに死ぬ気があるなら、もう死んでいるのでは?」と妹も言うのだが、これはさすがに私も悩む。それで死んでしまった場合、いったい誰がその責任を取れるか、と言うところにあるのだ。
そう言う時の取り返しのつかない後悔を背負う自信が無い。
他人は所詮他人だと思うし、悲しむのは、たぶん私。でも最近余り想像できない。
たぶんきっと、とても悲しいのだろう。でも生きているのがそれ以上に辛かったら?


妹の所だったら新聞の求人広告があるからもらってきたらどうか?スーパーでも求人誌とかあるのでは?と言ったんだけど、「そういうのは専門学校卒の条件がある」と言ってたよ、やっぱり専門学校でもこれから行かせないといけないのかな、と言うと、妹は「そんなこと絶対提案しない方がいいよ!」と言う。

「そしたら高卒の私は仕事が見つからないことになるでしょ?私の友達もみんなちゃんと働いてるよ。」と妹は言う。「お姉ちゃんからそんなことを言ったら、また何かあったらお姉ちゃんのせいになるよ。」と言う。

でも妹が、今の私の立場にあったら、本当にそんな風に突き放せるのだろうか。
私はそんな風にも考えられるようになった。

そしてすぐに変われることじゃない、きっと時間が掛かるから、そんな話をして適当に電話を切ったと思う。


石の上にも3年。

「本当はこうであればいいのに」と思うことは私には幾らでもあるけれど、そのほとんどが今の自分では解決しないことであることを、身を持って知る。20代30代はそうではなかった。子育てでも仕事でも、自分が動くことで幾らでも変わることができた。今はそういう年まわりではないのである。

いつか、今抱えている全ての問題が時間が経てば解決する日がくるのだろうか。
五十肩は言う、そんなものだと。

谷村新司の歌にもある。

涙濡らして落ちる 雨がやがて春を呼ぶ
都に雨の降るごとく今は静かに時を待て、だ。