きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

姉妹でケンカ

2005-03-31 | 父の記録と母の思い出

昨日は妹とケンカしてしまった。

足の患部も清潔にしなければならないのに父がシャワーを浴びようとしない事や、夕飯の前に布団を敷いて寝ている・・・etc。
妹に前に「もう少し父となるべく接した方が痴呆にもいいのではないか」と言ってしまったことも、妹を傷つけてしまったらしい。「ここでどうにか食い止めなければ」と必死の妹に対して、やはり私は危機感が薄く、心のどこかで「責任がないからまぁいいや」、と言う気持があったのも事実で、それを妹も感じていたのだと思う。

「姉は母子家庭で忙しい」と言うのも妹はわかっていて、だからこそ、今まで黙ってきた事もたくさんあったのだ。でも、「離婚したのは姉本人の選択で、父の問題は娘二人の問題なのに」と言う思いもあるのだろう。

それを言われるのは、一番痛い。
だからつい、「そんなに大変なら施設を考えようよ!お父さんだって構わないって言ってるんだから。」と言ってしまった。

そう言えば、私が離婚したての頃にもこんなケンカをした。あまりに私が年中「自分だけが不幸のカタマリ」と言う態度を取っていたので、最後に妹がブチ切れたのである。
その時も、私らは泣きあった。
そして、それから私は少しだけ愚痴らなくなった。

言い合いながら、最後には私達はおさまった。妹は「今日の電話は無かったことにして。」と謝っていた。
でも、最近妹が気を配って父と接しているのをいい事に、私が手抜きをし始めたのも事実だと思う。あの日曜の買い物(女子中学生の会話の盗み聞き)の後だって、本当は実家に寄ろうと思えば寄れたのだから。。。私の心の中に「まぁ、妹は旦那さんも居るし仕事もしてないんだから、少々いいだろう」と言うひがんでいる気持があったのも事実なのだろう。。。

でも、「いずれは施設を」と言うのは、私の本心。
子供には子供達の人生がある。父だってそれは判っていると思う。
私が年老いて同じ状況になったら(確実になるだろう)、やはり子供達は自分の家族を守ることが一番大切な事だと思う。もう相方も居ない私は誰の迷惑を掛けたくない。

今考えることは、そのゴール(?)に向かうまで、どう在って行くか・・・・。


TVを掛けると、TBS50周年と題して今までの歌謡曲を流していた。
「ダンシングオールナイト」「ルビーの指輪」・・みんな父がカラオケで歌っていた得意曲だ。懐かしい、本当にこの頃帰りたいと思って、泣いた。逆算すると父は50前後でこの歌を熱唱してたのか。若かったのか・・それとも当時の歌謡曲は年齢層が広かったのか。。。
それから90年代の曲に入った辺りで、私はチャンネルを切ってしまう。もはや私の中での古き良き時代は80年代までだったのか・・・。

そう言えば、この前kekeさんに「木村カエラの歌、今度借りて覚えようっと」と言ったら、ゲゲッと言う顔で「ほんとに歌うの?」と言われてしまった。

親がかつて歩いた同じ道

2005-03-30 | 日記

不動産のH田さんが会社にやってきた。
上司BRさんと仕事の話があったらしい。しかし、BRさんは1時間くらいは軽く人を待たせても平気な人なので、やはり今日も1時間くらい待つ羽目になった。しかし、H田さんはバリバリの不動産営業マンだ。そんなのは百も承知だった。

「sakeちゃん、会社入ってどのくらいになるんだっけ?」
「もうすぐ7年ですよ。^^」
「もう、そんなになるんだっけか?!息子は?
「今度中3です。」

(あれ?そう言えばH田さんって、何歳なんだろう?)尋ねてみると、ここで初めてH田さんは52歳で孫が二人居らっしゃる事が判明。

「え~~~!!◎◎もうお孫さんがいるんですか?!」
「そうだよ~ほんとに孫はいいよぉ~」
と言うH田さんのデレ~ンとした顔を、初めて見たような気がする。
「責任がなくて~本当にかわいいんだよ~」

そう言えば、母もそんな事言ってたな。
「責任がない」のは判るけど、それが何故デレ~ンとするほど可愛くなるんだろう?自分の子供でもないのに。
そして、「5歳のお孫さん?来年の春は学校ですね。」と私が言うと、またH田さんは天井を見て、デレ~ンとなるのだった。きっとランドセルを背負ったお孫さんの姿を想像しているのだろう。。。。

「ハハハ。sakeちゃんもそのうち判るよ。そうなると、又考えが変わるぞ。」
「え?考えが変わる?!何だか楽しみ!^^」
「だろ?楽しいぞ~!それまでが男の子は大変だけどな!」
男の子”は”大変なの??
「男の子は大変・・?ってどう言う意味ですか?」
「ほら、事故とか事件とか警察沙汰とか、まぁ男の子はいろいろあるからさ。これから友達によってガラッと変わるからね。^^」
「・・・・え。
ケイサツザタ・・


   ************************

(その後、実家にて)

sake「もう!H田さんったら、↑こんな事言うんだけど~そんなに男の子って、大変なのかね~?心配だな~><」
妹 「うちのパパは警察沙汰は無いみたいだよ?でも女の子だって心配だよ。いろんな事件多いし。」

うちの両親も厳しかった。
私が記憶にあるのは高校卒業式の日に、クラスメートとディスコに行こうと誘われたのに、うちの両親だけ行かせてもらえなかったこと!(それでも土壇場で行こうとしたら、母が会社に居る父にまで電話。絶対に行ってはいけないと言われる)
それから、社会人になった妹は、家に帰ってくるまで父が居間で待っていた(寝ないつもりがコタツで寝てしまっていたりする)これらの行為にどんなに私達姉妹が腹を立てていたか!

sake「うちの親、すごく厳しかったよね・・・。」
妹 「うん、でも、お母さんってそういうコトきちんと口で教える人じゃなかったでしょ?だから、そうやって厳しくガードするしかなかったんだよ、きっと。」
sake「子育てが一段落した後は、そっちの心配かぁ~><怖いなぁ。。。」
妹 「ほんとだよね。^^;」

私達、両親に守られていたんだ。
今になって、やっと判った。
親がかつて歩いていた同じ道を歩いている。

今に、孫を持つ気持も判るようになるのかな?^^;うー飛び越えて、早くそっちに行きたいな。

行列のできる相談所にマルシアさんが出る

2005-03-29 | 母子家庭だから思うこと
一昨日風呂から上がると、kekeさんが「行列のできる法律相談所」を観ていた。

ある不倫から略奪婚を成功させて娘と3人で幸せに暮らしている家庭がある。ある職場の女同僚(どうやら前の奥さんではないらしい)がそこの夫婦を妬み、その小学生くらいの娘に「アンタの両親は略奪婚なんだよ!」とチクってしまう。そして、その娘がそれを悲しみ精神的苦痛を受けたとして、このチクった女を両親が告訴する事が可能か?という御題だった。

この御題でシンスケが浮気をネタにした冗談を繰り広げ、他の男性ゲストとゲラゲラ笑っているのを、マルシアさんはひたすら耐えているように私には見えた。(但し、この時点でマルシアさんの顔のアップは一度もナシ、しかし座っている様子が明らかに不愉快だけどつきあってやるか、と言うポーズだ)

さて、判決。
「この程度の言葉は告訴に値しないでしょう。」と3人の男の弁護士が口を揃えて言う。そしてなおかつ「今はとても幸せに暮らしているんだから(過去に結婚してようが何であろうが)そんなのどうでも良いではないですか」と口を揃えて連呼したのである。
ここで、マルシアさんが「え~」と水を差す。

私はたぶん、マルシアさんは判決そのものに抗議したのではなく、「過去に何があろうと、今が幸せだからそんなのどうでもいいじゃないですか」の言葉にカチン!と来たのではないか、と勝手に想像する。この男の3人の弁護士はその略奪婚の裏に、前の奥さんや子供達がどんなに苦しんで泣いてきたのかを「過去に何があろうとどうでもいい」と中に全て含めてポイッと捨てたのだ。私は画面を観ながら、マルシアさん、もっと言ってくれ!と応援した。

しかし、信じられない。不倫の離婚裁判なんて今時やたらあるはずだから、この男性弁護士もたくさんの捨てられた女子供の涙を見てきたはずなのに。中には神経症に陥り食事や睡眠までできなくなった依頼人も居ただろうに、こんな風にそんなものとあっさり言いのけられるとは。

弁護士も政治家も、男性では所詮判らないのだろうか。

これはこれとして、最近マルシアさんがこういう切り口のバラエティに出ているのがどうも気になる。マルシアさんの怒りや悲しみが、マスコミにいいように利用されて面白おかしくウケ狙いで放映されているようで、私は笑えない。逆に悲しくなる。彼女は怒っているように見えるが、心は泣いてやしないだろうか。とても私は心配になる。それとも、これもまたバラエティ用の一つのキャラ作りなのだろうか。それならいいのだが。。。

いずれにせよ、嫉妬に狂った女同僚が娘に『アンタの両親は略奪婚』とチクっても、略奪婚は法律違反ではないから、親も子も正々堂々としていればいいだろう。陰では「あの人達って略奪婚なんだってさ」と言われた所で、本人達に指差して言う事はまずないのだから。(こんな嫉妬に狂った女同僚の話なんて、現実にあるもんか)

私達は「あの人、母子家庭なんだってさ」と陰で言われる事を知っていても、そんな中傷にへこたれていられない。それは事実なんだから。人の目と戦って自分とも戦って生きてるの。子供だって、クラスメートに『アンタの家は母子家庭』くらい、一度や二度は言われているだろう。「あそこのウチ、お父さん女作って出て行っちゃったんだって」もあるかもね。だから、それが一体何だって言うの?そんなもんでいちいち泣いてたら、母子家庭なんてやってられるかよ。

ほんとに、最近のこの系統の不倫ネタは現実離れしててうざい。(前にも書いたけど)無理な設定を無理矢理作って、どうにか番組を繋ごうとしているのがミエミエだ。こんなネタで視聴率が上がるなんて、世の中「うちに限ってそんな事にはならないわ」と思ってる好奇心を伴った高見の見物が、きっと多いんだろうと想像される。(我が家も観てるわけだけどさ)

タカアキからのメール

2005-03-28 | 日記

これから暖かくなるので、子供の服を買う。

薄手の長袖を買うつもりが、大きく飾られている半袖の襟つきシャツに目が釘付け。
「うん、このシャツ、真面目そうなのにダサくない!これkekeにピッタリだわ!」
新着モノなので少々値段は高いが、はずして買い物カゴに入れる。と言う訳でお目当ての長袖Tシャツはワゴンの500円コーナーから選ぶ。

「お客さま」と背中を叩かれて、(はぁ?)と言う顔で叩いた相手を見る。飾っているシャツは勝手にカゴに入れてはいけないのか?
「お客さま、防犯ブザーが鳴ってますので、外のワゴンを見る際には、買い物カゴはここの隅に置いてご覧ください。」

ゲゲっ。さっきからどこかでブーブーなっているこの音は自分が原因だったのか・・・と思うが、40過ぎるとこれがちっとも恥ずかしくなく、買い物カゴを置くと平気で品物を見定める辺りがスゴイと自分でも思う。

ともあれ、買い物は終わった。
駅で電車を待っていると、後ろで「エミ、パソコンのチャットって知ってる?」と言う声がする。
「パソコンのチャット?知ってるよ。」
「この前、〇〇子と私でパソコンのチャットをしたのよ~大学生と知り合ってさ~そしたらメアド訊かれちゃってさ~教えたわけ。」

これまた若い女子高校生二人組である。それがパソコンでチャットをして、大学生と知り合って、それからどうなるんだろう?フンフン。私は何もかも忘れて、全神経をこの二人の会話に集中した。

「それでね、アニキって言う方はマトモなの。全然フツウなのね、だけどさ~もう1人のタカアキって言うのがさぁ~・・・」
うんうん・・タカアキがどうした?
「見て見てよ、これ。」
タカアキからメールをもらった彼女が携帯を、友達に見せる。キャキャキャキャ~~~ッ!と言う二人の笑い声が半径5m内くらいにこだまする。

(見たい!見たい~タカアキのメールが~~~)
しかし、ここで振り向いたら彼女達はもう話題を変えてしまうだろう・・私は必死で次の会話から想像するしかない。
「なにこれ~~エロメールじゃん~」
「でしょ~?もうタカアキは拒否拒否!」
また二人はキャキャキャ~~と笑った。

電車が来た。ドアが開いた。
私はその話の続きを聞くべく耳をダンポにしながら、あたかもフツウの乗客を装い、彼女達の隣の席をキープした。
「それで居るって書いたのよ~そしたらね、居た方がいいって。」
「え~~~やだ~」
「それから、〇〇子なんかこんなメールもらったらしいよ~」
また電車内にキャ~~~と言う声が走る。
「なにこれ、エンコー?中学生って知らないの?」
「知ってるよ、中1だよん♪って最初に書いたもん。」

ち・・ちゅうがく1ねんせい??
kekeさんより1個下?・・・。しかし、この男子女子の成熟度の違いは何なんだ・・?

私が中学生の頃だったら、エロメールが自分の携帯に来たら、寝込んでしまう位のショックを受けそうなものだが、今時の中学生は「キャハハハ、拒否拒否」と笑ってしまえるのだろうか・・・。やっぱり女は強い。。どの世代も。

私は電車から降りる一瞬のチャンス狙って改めて彼女達を眺めた。やっぱりフツウの女子中学生だ。遠い空のどこかに居るタカアキは、中学生とメール交換した事を今頃友達に自慢しているのだろうか。

kekeさん・・・キミはそんな大人にならないでほしい・・・。

塾と部活はどっちが大事なのか?

2005-03-27 | 息子keke

休日の朝、部活のためにkekeさんを起こす。(8時半)
何度も声を掛けて、どうにか起きた。

これから出かけるかと思いきや、玄関の前で立ちすくんでいる。
「8時半△×〇・・・」

今日は相当眠いのか、かなり辛そうだ。

「グズグズしてる間があったら、とっとと行けよ!!遅れても自分が寝てたんだろ!」と叫んでしまう。
するとkekeさんは、(この親は俺の事を・・・)と言う顔をして、
「〇×☆△×!!!」と何か叫んで、思いっきり靴べらと玄関に叩きつけて出て行った。
「家を壊すんじゃないよー!ばかもん!!」

  ↑昨日の朝の我が家の光景です。^^;

喧嘩しながらも、kekeさんが出て行った後、部屋に散らかっている部活スケジュール表を見る。「8時半集合」と書いてある。
(30分遅刻だったのか~だから行きたくなかったんだ。><)
でも、昨日「何時に起こせ」とは言われてなかったもんな。起きなかったのはやはり自己責任だろう。。。

塾通いが始まって、そちらは楽しく勉強しているようだ。宿題もちょこちょこは、やっている様子。そちらは順調でホッとする反面、部活の朝練も始まり、「朝練→授業→部活→塾→(宿題?ゲーム?)」と言うハードな日々が続いている。ここで春休みに入って助かったと言うのが正直な気持。
とにかく睡眠が足りないようで、軽く夕飯を取ってから塾に行く間の30分も家で寝ている。(寝る気はなくても横になるとすぐに眠ってしまう状態)朝も起こすのが、大変になった。週の終わりになるほど寝が足りない様子がよく判る。

週の半分塾通いと、野球部を両立させるのは難しいのかな~ーー;
・・・悩む。

そう言えば、この前の塾の春期講習も・・・

(春期講習のパンフレットを見ながら)
sake「おー!すごい!塾で一週間午後でみっちりやってくれるんだ。^o^もちろん、行くんでしょ?」
keke「うん・・だけど、部活と半分重なってる。ーー;」
sake「え?!時間帯も?◎◎」
keke「うん・・・ーー;」
sake「どうするの?」
keke「どうしよう~」
sake「友達はみんなどうするのさ?」
keke「部活に出るらしい。あと4ヶ月で終わりだし。」
sake「じゃ、kekeもそうする?」
keke「うん・・でも、12000円が~><」←受講料を日にちで割ったらしい

こんな事もあったっけ・・・ーー;

せっかく塾が面白くなった所だから、ここで怠け癖をつけたくないし~かと言って野球部も4月、5月、6月、7月で引退。どうにかここを乗り越えて、「最後まで部活を続けた」と言う達成感を味わってほしい。
(考えれば贅沢な悩みなのですが・・)

前にも書いたけど部活の顧問の先生が父兄に「3年生で『もう受験に向けて部活を辞めたい』と言うご家庭がありますが、もう少しなので野球も頑張ってください」と言った言葉の意味がよく判る。いや、『もう受験に向けて部活を辞めたい』と言い出す保護者の気持がよく判るのだ。

受験が大切なのか、部活が大切なのか・・両方とも大切だけど、本人の健康が一番大切。本当に4月~7月この調子で乗り切れるのだろうか。。。ーー;すごい不安だ。

春期講習と部活は、どっちに行くつもりなのかな?

類は友をよぶ

2005-03-26 | その前の会社

nanuさんと二人で事務所に居た時の話。

Nさんと言う人の机の上に『今週、妻が浮気します 』と言う本があったので、「あぁ~!!!これはあの例の本!」と叫んでしまった。
sake「へ~~!Nさん、この本買ったんだ~」
nanu「でも、俺はよ『鬼嫁』のが好きだけどな。N君のカミサンとアレ似てるんだって。」
sake「そうなんですか~^^ハハハ」
nanu「お?『鬼嫁』も知ってるんだ?何て言ったっけ?ほら。」
sake「ブログって奴のことですか?」
nanu「そうそう、それよそれ。」
実は私密かに、ここでやってるんですよ。へへへ。

nanu「俺もよ、久しぶりにHP更新したんだ。」
sake「どれどれ、覗いてみよー^^」
    ・・・・・・
sake「また同棲相手が変わったんですか・・?ーー;」
nanu「前の奴は、正月明けに実家に帰っちまってよー^^;」
sake「それから昔の女が深夜に飲みにきたんですか・・ーー;」
nanu「なんだか知らねーけど、子連れで飲み明かして明け方帰ったよ。^^;」
sake「別の女友達は不倫中・・・ーー;」
nanu「相手の男もウチに来ちゃって、ありゃ不思議な宴会だったな~^^;」
sake「数年前のカノジョは借金ジゴク・・・」
nanu「男に貢いじゃったらしくてよ~^^;」
sake「で、前同棲相手とは吉〇家で涙のお別れ・・・」
nanu「あれも泣けたよー^^;」
sake「いいですね、軽いノリで非常に有意義な独身ライフだと思います。」
   (半分お世辞で半分イヤミ)
nanu「おいおいおい。。俺は軽い男じゃないってば。^^;」

sake「今度はゲストの掲示板見てるんですけど・・書き込んでる男友達が離婚したようですよ!◎◎」
nanu「そうそうそう、俺と同じバツイチでよー^^;」

続きを読んでハッとしてしまった。。。

子供ができてかまっているうちに、カミサンが女から母に変わってしまった・・・男女の間柄には戻れなくなった・・・。このカキコミ・・・。

(この思考回路!元旦那とクリソツ!!)女から母ってか?!お前は何に変わったんだよ。人間から悪魔じゃないか。変わったのはカミサンだけ?さんざなじって罵倒して根こそぎ蹴落として、外面だけ愛だの男だの女だの綺麗ゴトほざいてんじゃねーよ!
奴の台詞がよみがえる。「子供?俺を反面教師にすればいいだろ。」「生活?母子家庭になればいいだろ。」あれだけほざいて、俺達は男女を忘れてしまったから、また再出発しますかよ!子供に会えなくて淋しいです、とほざくかよ!ザケンじゃねー

と思った瞬間、
「これ、言い訳臭っ!!!」と声に出してしまった。

しまった、職場で馬脚を表してしまった。。。また傷口をえぐられないようにしなくては。さぁこの次に何の言葉が来る?「こうなったのもお前のせい」か?「浮気は男の甲斐性」か?さぁ、どんな言葉で叩きつけてくるか?どんな言葉がこの次に来ても、倒れないように私は身構えた。

nanu「俺もそう思う。言い訳だよな。コイツ、女作って離婚したんだ。」
sake「・・・へ?」
nanu「悪いと思うよ、いつまでも女でいてほしければ、女を大切にしないとな。でないと女は変わっちまう、当たり前だ。」
sake「・・アラ、そう?」
nanu「そう思う。離婚はみんな自分が悪いのさ!そう思うだろ?」
sake「いいえ、私はみんな男が悪いと思ってますから~(笑)」
nanu「お前なぁ~・・・女だって不倫する奴いるだろがっ~~」

nanuさんは事情があって子供が出産する前に離婚したらしい。養育費は払っていない。子供とお母さんが今、どこでどのように暮らしているかも判らない。時々、同じ位の子供を見て切なくなったりしてる。私はずっと心のどこかで、彼はあちらさんサイドの人だと思っていたのかもしれない。

・・・だけど「俺もそう思う」のか。

nanu「それにしてもよ~俺の周りの奴ってどうしてみんなこう、ドロヌマだったり訳アリだったりするんだろうなぁ~」
それはですね・・・・それが今日のタイトルですよ。

今にみておれ

2005-03-25 | その前の会社
昨日の朝、社長と私の二人だった。

「sakeクン」と社長に呼ばれ、一瞬不思議な沈黙。
「何ですか?」
「あぁ、社員の給料明細を見せてくれ。」

今年は昇給があるのかしら?と思っている時に上司BRさんが来た。(BRさんも経営者側の人間である)
社長「sakeクン、住宅手当が1万と1万5千円の人間が居るのは何が違うの?」
sake「扶養者が居るかどうかです。」
社長「それじゃ、扶養手当が5千円3千円1千円と居るのは?」
sake「奥さんを養うと3千円で子供は1人1千円だからです。」
(ちなみに、これら↑は全て社内規則の通りである)
社長「見直しが必要だと思わないか?」とBRさんに声を掛ける。
BR「そうですね、今時1千円では少ないですね。」
社長「住宅手当と扶養手当は要するに
かぶってるんだな。」

どうやら、社長の『見直しが必要だな』と上司BRさんのそれとはニュアンスが違ったようである。BRさんはそれ以上は何も言わなかった。
そして、社長は給料明細の項目を一つ一つチェックし始めた。そしておもむろにこう言った。「うちの会社には一級資格を取ってる社員は居ないのかよ、バカばっかりだな。遊んでいる暇があったら勉強でもしたらどうだ。俺は(駆け出しの)社員の頃は日曜も学校に通って勉強して資格を取ったぞ。資格手当がつけば、年に12万給料が増えるのにな。」

去年の今頃も、似たシーンがあった。
私は給料支給の1週間前にこっそりBRさんに「昇給はどうなってますか?」と尋ねた。その時社長がちょうど現れたので、BRさんが「社長、昇給はどうしますか?」と尋ねたのだ。

「昇給はナシ!」社長は一言言った。
社長「今の状態を考えてみろよ、景気悪いし、奴ら(社員)もブラブラしてるだけじゃないか。こんなので昇給させられるか。」
BR「会社も今は苦しい時ですからね。」(たしかに当時は苦しかった)
社長「(ここで、あいつはあーでこいつはこーでと言う話をしながら)俺もよ、またこれから状態が上向けば、また考えるしよ。」
BR「アメとムチですからね、アメばかりじゃ奴らも引き締まらない。」

去年のあの会話は、他の誰にも言えなかった。
(この会社でこれからも働き続けて行くの?この人達は私を何だと思っているの?)何度も思った。どうして私の目の前でこの二人はこういう会話ができるのだろう?それよりも、来月から社長は給料体制を変えるつもりなのか・・・私はこれからどうなるのだろう・・・。


      *******************

本当は↑ここで記事は終わる予定だった。

しかし、偶然その後に、ママンさんのブログを読んだのですよ。ママンさんの甥っ子さんの話を読んでいくうちに、離婚してから数年の自分の事をたくさん思い出したのだ。
特に母との会話。

今の会社に採用が決まってから、「事務員は一生働ける仕事じゃない、まして建設なんてもっての他。男と同じように給料をもらって働ける仕事を選びなさい。」と言った父。でも、母はこの時ばかりは断固反対して譲らなかった。
「子供にとって親は1人しか居ない。仕事より子供が優先できる方が大事。残業がない近くの職場ほどありがたいものはない。」

もう少し私はここで頑張るか。。。。残業がない近くの職場はお金には代えられない。
あと4年は給料が多少減っても扶養手当が補助してくれるし、その後だったら子供は自立してるから、今度こそ時間を気にせず働ける。その時に事務員の求人がもう無ければ、他の職種で働けばいい。うんと先まで考えたら、生きてられない。いざとなったら、タンポポだって食べられるんだ。

子育ても一人で満足にできない男どもに私の価値がわかるはずが無い。経営者の査定なんて気にするのはやめよう。

TVの前で1人で笑う

2005-03-24 | 日記

この前、kekeさんと二人で食事を終えた頃、番組「行列のできる法律相談所」に『エンタの神様』のレギュラー陣が出て来て、(キャ~これは面白そう!>o<)とワクワクしながらTVを観ていた。
いつもなら食事が終わるとサッサと自分の部屋にこもってしまうkekeさんも、珍しくその場にとどまってTVを観ている。

前に妹の旦那さんに指摘されたのだが、kekeさんは鼻筋が立って鼻が高くなった。これは私サイドの遺伝ではないような気がする。元旦那もそんなではない。元旦那のお父さんがたしかこうだった。隔世遺伝なのかもしれない。

でも、これからどんどんイイ男になるんだろうな~この時期を待っていたのよ。役得役得・・・^^と思い、ジーっとながめていると、子供と目が合ってしまう。
「にこっ
「・・・・きもっ。
途端にkekeさんはこう言って、自分の部屋に行ってしまった。(子供にとってはこのシチュエーションはかなりキツイらしい)
「まってよ~一緒にTV観た方が面白いよ~電気代もその分浮くよ~」と今回は子供に初めてすがるが、「俺は1人で観た方が面白い、笑いがズレてるから。」と去って行ってしまった。

最近、こういうシーンが多くて、寂しいのぉ。。
どうもバラエティを1人で観るのが苦手なんだよ。。。

そう言えば、母が一時期私に
「親子のダンゼツ」と言う単語を盛んに連呼していた時期があったっけ。私が食事が終わるとすぐ部屋にこもってしまうので、その度に母が「親子のダンゼツだ」と連呼してたのである。
今思うと、こういう心境だったのね。。。(ちなみにこの『親子のダンゼツ』と母が連呼していたのを、妹は覚えていない。)

いつもなら「ちっ」と思って本を読み始めたりしてしまう所を、面白そうなので番組を観続ける。
いつの間にか、1人VSテレビで「あはははは」と声出して笑っている自分を発見する。1人でTV観ながら声を出して笑えるなんて!なんだかすごい!

今まで誰かと一緒に観ているから笑っているのかと思ってたが、1人で観ててもバラエティって笑えるんだ。お笑いの人もシンスケもキリコも東野もすごい!こんな遠くで観てる人をも単純に笑わす事ができるなんて。(しかも滅多に笑う方じゃないのに!)

これなら1人で暮らすようになっても、大丈夫だぞ。

父の昔の食事の話

2005-03-22 | 父の記録と母の思い出

昨日は父と食事に行く約束だったので、実家へ。
(その途中横断歩道の上でけっ躓いて腹ばい状態。こんな場所で人から注目されるとは!)

やはり覚えていないようだった。
出かける事もなく、そのままお茶を飲む。

父の介護認定は『2』がおりたよう。これからケアマネージャーさんを決めて相談する事になるのだが、まだ妹も父に介護認定がおりた事が言えないまま。
父の姉が認知症になった時に、さんざ役所や病院にも相談して手続きをして、最終的には叔母さんのために施設を探して動いたのは父。(叔母さんは兄弟しか身寄りがなかった)「介護2」と言う認定の意味も(たぶん)知っている父が、今度は自分が同じ認定を受けたと知ったら、どう思うだろう?

と思うそばから、父の話はいつもの通り進行していく。
また、少年飛行学校(特攻隊)の話になってしまった。このままだと2週間で終戦になったこと、士族出身だったこと・・etcが続いてしまう。

(今日はここで私が積極的に質問をして、話題のバリエーションをつけよう。)と思い、咄嗟に思いついた質問は、「その時、どんな物食べてたの?」と言うものだった。それしか思いつかなかったのだ。
「そうねえ、タンポポ。タンポポはまだ良い方だった。」
「タンポポ?黄色い花も食べるの?」
「もちろん。」
「それじゃ、悪い方は?」
「そうねえ・・・・まずーい粉。」
「粉ァ?!」
「そう、配給の粉。あれはまずかった。何の粉か判りゃしない。」

父の口から「まずい」と言う言葉が出たのは、今まで記憶に無い。うちの実家は誰もが食い意地が張っていて、食事を「まずい」と表現する事はあまりなかったからだ。 その父が「まずーい」と言うのは、よほどまずかったのだろう。
どうやら父の話では、そのまずーい粉を弁当箱いっぱいに(ふかす?ふくらます?等して)持ってくるのが当時の子供のポピュラーな弁当だったそうだ。
「あと、ひどい弁当だと芋のツルとか。」
「え?!ご飯とツル?!」
「ツルだけだよ。」
芋のツルだけが弁当・・・?!それが白米のオカズならまだ判るのだが・・。

やっぱり次元が違う。毎度毎度私がブログで「職もなくて生活保護を受けても食べられなかったら餓死してやる」と吼えている『餓死』と言う表現が、いかに薄っペラペラなものだか。それはあたかも「奥さんに悪いから、もう別れるわ」と言いながら一向に別れようとしない、道ならぬ恋のごとくである。
私は決して、餓死する事はないであろう。今の世の中で支えられている限り。「死ぬかも」と言って同情を請いたいだけなのだ。

だけど、今日の朝御飯の記憶も定かでない父の話。
当時の記憶も正確かどうかは定かではない。

祖母から伝わるキモチ

2005-03-21 | 父の記録と母の思い出

福岡の地震ぴっくりしました。「1万年に一度起きるかどうかの日本でも地震が起きにくい場所」だったとTVで聞きました。その地域で地震が起きるなんて。

さすがに年と共に神経図太くなってきて、少々の事では凹まないつもりの自分。でも、天災地異と戦争はこわい・・どうしようも防ぎようが無い。><そこで子供が大怪我したらどうやって病院に連れて行くんだろう?車も無いし、救急車も忙しいだろうし・・こう言う時に男手が無いのはやっぱり不安になってしまう。

考えてみたら、私の祖母(母の母)関東大震災と戦争と両方体験してるんだなぁ。。。

祖母は終戦の年に、旦那を戦争で亡くし空襲で全て家が焼け、そのショックもあったのか同居していた祖母の両親は次々に亡くなったそうです。それまで両親と祖父母に囲まれてスクスク育った私の母は、それから一気に母子家庭になりました。
その時のショックやその後も祖母も生きるのに必死だったり、いろんな出来事(人にも男にも騙されたり、夜遅くまで寂しかった)があって、母は祖母から愛情を感じられなかった。それが後に母がココロの病気で苦しむ原因になったと、母や父は思ってます。

その時代を思い出す事は母にはとても辛い事だったので、私はその多くを知りません。ただ、地震と戦争を乗り越えた祖母への敬意は、母子家庭で年月を重ねる度に強くなります。

そんな祖母がどうしてそんなに母を泣かせてしまったのか。
私の子供への気持は↑これがスタートになっているのかもしれません。

とにかく騙される事は何度もあったそうです。欠陥品を買わされたり、土地を取られてしまったり。今の私の年齢だと、祖母は戦争が終わって3年後。想像するだけで足が震えてしまいそう。どんな気持でどんな風に生きていったのだろう?私が今こうしている事を知っていたら、おばあちゃんは何を私に伝えるのだろう?それは遺伝子のどこかで私に流れているのだろうか。

今、こうして母子家庭・シングルマザーがここまで増えていられるのは、なにあれ世の中が平和な証拠なんですね。
それにしても地震はこわい・・早くkekeさんが立派な大人になってくれますように!