きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

今日の夜ごはん(ソーセージ)

2013-01-31 | ぶきっちょさんの家事一般
5時を回ると夜のご飯を考える。

冷蔵庫には何が入っているかを思い出す。
たしか、前の日に見切りで買ったソーセージ(12本ぐらい入ってて80円)があった。
あれは早く使わなくてはならない。

幾ら安く買っても「早く使わなくてはならない」なんて本当に得だったろうか。
まぁいい。

とにかく早く使わなくては。。。


家に帰ると、kekeに「今日は見切のソーセージがたくさんあるから、「ポトフ」と「ソーセージパエリア」とどちらがいいかしら?」と尋ねてみると、「ケチャップチャーハンがいい」と言う返事が返ってきた。

kekeがパエリアを好んでないのは知っていたが、もう最後に作ってから3~4年は経っていて、「きらい」なのを忘れているかと思ったが、やはり覚えていたのである。
私はケチャップチャーハン・・・と繰り返しながら、えぇーみたいな雰囲気でいると、「どうしてパエリアは良くて、ケチャップチャーハンはダメなのか」と言うので、「パエリアは炊飯器に汁を入れてそのまま焚くだけだけど、チャーハンはその後炒めないとならないから。」と答えると、「なるほど」と妙に納得していた。

「それじゃ、間を取ってソーセージをゆでて、おつまみ形式の居酒屋メニューにしよう」と提案して、買い物に出かけた。
サンドイッチが半額で買えたらなと思ったが、5人ぐらい並んでいるから、もう好きなのは買えないと思ってスーパーに直行した。
買ったのは2割引きの餃子(170円ぐらい)。

帰りにまたサンドイッチ屋に寄ると、1個だけポテトサンドが残っていた。
残りものには福がある!(と亡き母はよく言っていた。)
kekeが好きなのでそれを買って今日は終了。


そしてこんな感じ。
(おでんは一昨日100円のイワシつみれで作ったおでん)

そして私は焼きそばを一人前、焼いた。(3人前で100円だった麺だ)
フライドポテトとナゲットを少し揚げてあとサンドイッチ。

ささやかながら、居酒屋メニュー。(と言うことにしよう。)
こんなメニューも楽しいね。(^○^)v

※ちなみに今日のお弁当は、このおでんの続きと、ソーセージと餃子と焼きそばの残りなのだ。
 夜はソーセージでトマト鍋にする予定である。

<この晩の予算>
・焼きそば1人前(肉・キャベツ少々入れて)70円
・おでん(生揚げ、大根・じゃがいも、卵入れてもあと3回食べれたから)130円ぐらい。
・ソーセージ(80円の半分) 40円
・付け合わせのサラダ(半額で買ったサラダの一部)40円
・ナゲット・ポテト(少しだけ揚げて添えてみた)50円
・餃子(170円)

合計500円。

どうだ!(^○^)
(サンドイッチは買ったけど、食べなかった。)

パソコンが重い時

2013-01-30 | 今の会社
昨日は、昼に社長がnanuさんとTUKAさんを連れてラーメンを食べに行った。
(今日もそうなんだけど。)

そして社長のおごりで食べて帰ってきて、ドカッとイスに座ってネットを見ながら「sakeさんお茶」と言われたら、すごく腹立たしくなって、お茶場で大きなため息を吐いた。

それが思いっきりnanuさんに聞こえたようだった。
ちょっと反省した。


私はまだまだ人間ができていない。
会社のPCも今、動きが遅いので、これにはちょっと困っている。
ネットは画像を映らなくして、早く動くようにしているけど、そうすると写真も見れなくなってしまう。
必要な時に「ツール」→「インターネットオプション」で切り変えればいいと思うのだけど、このタブを開くだけでも時間が掛かる。

メールを送ると途中でPCが固まる時がある。
お客さんに送ることも多いので、「途中でPCが凍りました」と書いて念のため、もう一度送っている。
(そんなんばっか)

文句を言う立場で無いのは承知しているが、他の人々は去年からスマホに切替え、また2年もしたら新しい機種にするのだろう。
車もちょっと具合が悪いと会社の金で直している。

なのに私のPCは稟議書をいちいち出さないとならない。
それも立場的に本人から言えるような雰囲気ではない。
「たかが事務員のPC」と言う認識なのだ。
奴の物で何万も掛けられるか、と言う認識である。
そのくせ何でもかんでも「sake君送って」と言ってくる。

「送って」と言うから送れば、相手の返事はみんなこのPCに来る。
それもいろんな図面や資料がくっついてくる。
それでもかなりの量になると思わないのか。

いつかドタマに来て、中身(受信フォルダに来たメールを)使われてない古いPCに入れ替えてやった。
それでしばらくきれいサッパリしたが、もうあれから半年以上たち、また重くなった。
またドタマに来て、削除フォルダをカラにしようと思ったら、それだけで凍りつき、しょうがないから4回に分けて少しづつ削除して、この世から消し去ってやった。
送信済みフォルダも頭に来て消しまくり(3ヶ月以上たったのだけ/ちゃんと送った証拠になるから)、受信フォルダだけを残して古いPCにうつそうとしたら、(途中マニュアルを横着してやろうとしたため、どこかの作業がおかしかったらしく)移せなくなった。何度やってもダメだった。

だから仕方なく、重いまま毎日PCで過ごしている。

たぶん、それだろう。
本来の原因はそれなのだ。
(一番困るのは、ブログを書いていて急に人が来ても画面が切り替わらない。)


今日はnanuさんに八つ当たりをしてしまった。

見切のスーパーにて会ったオッサン

2013-01-29 | 今の会社
夕方5時半を回っても、仕事が片づかないなー。

Aさんからの見積はそれなりにボリュームがあり、社長からも回ってきた見積があるし、それから支払もそろそろ回さないといけないな。

少し残って片付けて行こうかな、と思ったら課長が帰ってきた。
「明日地祭りだけど、酒頼んであったっけ?」

あぁ~~~頼んでなかった。

「すみません、今すぐ買って来ますー◎◎」
「明日、11時からだよ。」

でもここの近くのスーパー、時々日本酒、紙でくるんであるのが2本揃わない時があるんだよね。

「最悪、明日の朝までに持ってこれればいいですか?(それなら帰ってからうちの近くのスーパーでも。)」
「これから車に積んで直接行きたいんだよねー」

じゃ、今しかないじゃんないじゃん。
「それじゃ行って来ますー」

運転しながら、「課長が家の近くの酒屋で帰り際に買えば済む話じゃんねー」その方が時間的にもロスが少ないし、と思ったのだが、それを言っては情が無い。
ここはとりあえず飛び出しておいて、買えなかったら「課長~買えませんでした~どうしましょう~~><もし何だったら、課長のおうちの近くの酒屋さんで。。。」と泣きついた方が「それなら分かった~!」となるよね♪^^

そんな計算もしながら車を走らせる。^^♪

最悪の事態は取り越し苦労で、スーパーには紙で包まれた日本酒が何本もあった。
そして、何事もなかったように私は買って帰る。

社長に怒られる前に発覚してよかったよかった。^^;


その日は遅くなってしまい、皮膚科に薬をもらって見切スーパーについたのが8時。
見切ベストタイムに半額値札のついた弁当を私は次々カゴに入れる。

そして100円の値札のついた(半額以下)イワシのつみれ(明日用のおでんにするため)に手を伸ばすと、後ろでリアクションの声がする。
「ん?」と私は振り向くとオッサンがいるので、「あーいいですよ、どうぞどうぞ」と一度譲ってみた。

するとオッサンは「いいよいいよ、ただ笑っただけ」と言うので、私はもう一度親切風を装って「どうぞどうぞ(今日の分はゲットしてるし)」と言ってみるが「いいよいいよお取りなさい」と言うので遠慮なくカゴに入れた。

そしてレジに向かうとたまたまそのオッサンもレジにやってきて、「また会ったねー」と言うので「会いましたねー」と返事をしてみると、オッサンはいろいろ話し始めた。

「もう今リタイア生活なの。」
「そうですか。^^」
「現役時代は部長まで昇進したのよ。」
「そうなんですねー」
「今は、孫と遊んでいるの。」
「それはいいですねー」
「いいのよー安いの買って。オジサンはほら、もう飲んできてるから。」


私は思わず「いいなぁー」と心底からつぶやいた。
部長まで出世して、今では現役をリタイヤして、孫と遊んでいると言う。
と言うことは、子供も順調に結婚して普通のレールに乗っかった人生を歩んでいるのであろう。
しかもこれから人がご飯を用意する時間に、酒屋でいっぱい飲んできて見切を見定めていると言う。

しかし、私の人生も捨てたもんじゃないぞ。
仕事はやりがいがある程度にたまってるし、少ない給料でもこうしてニコニコ暮らしているんだから。息子も真面目だし。

オッサンは150円のブリやらタラやらのパックを2個レジに通すと、レジの兄ちゃんに「おにいさんは、もう子供はいるの?奥さんは?まだ?」と言って、去って行った。

この程度なら大丈夫

2013-01-27 | 健康とか病院とか
朝から何だかかったるい。

怠け病なのかなぁ。
仕事に行くと言ったって2時間程度だし、疲れるようなこと大してしてないんだけど。

うとうとしてると、電話が鳴ったような気がして空耳だったみたい。
時計を見ると、これから出れば丁度父の昼食の時間。
久しぶりに病院に向った。

バックで駐車してみた。
やっぱりまだ首が回ってない。
最近首を回さない動作に慣れているので意識してないだけで、こうして車をバックで入れてみると昔のように首が回ってないのがはっきり分かる、くそぉ。

しばらく父の所に行ってなかったから、「ちゃんと1人で食事できてるのかなぁ」とか「ますます弱っているのかなぁ」と内心思っていたのだけど、そんな事はなかった。
いつもの茶碗だと重くて持てないかなぁなんて心配もしたけれど、そんな事はなく、バクバク箸で食べ始めた。父は目がよく見えないので、茶碗を口につけて箸で掛け込むようにして食べるのだが、ほんの1回だけだけど、箸でご飯をつまんで食べているのを見た。たった1度だけだけれども。
少なくても、ここ数ヶ月で一番元気な食べっぷりであった。

新しく来たであろう介護士さんが「ご飯おいしいですかー?」と食事をしてる父に言うと「ご飯って何?」と聞き返す。介護士さんはちょっと苦笑い。

(フン、元気だった頃の父の貫禄を見たら、アナタだってハハァとひれ伏してしまうのにサ)、なんて娘として思うのだけど、今の父を見ると、しょうがないかな、ははぁ。。。

何か今日は体が動かないなぁ。
ぼんやり横になりながら、Aさんの会話を思い出した。

「sakeさん首はどう?」と言うので、今はこれこれこんな感じですよ、と答えると、「オレねぇ、もう示談しようかと思ってるんだ。」と言う。

Aさんは後ろから車をぶつけられて、ムチウチで病院に通っていたのである。
それで私が「首だけじゃなくて肩が張るー頭痛ひどくて眠れないー痛くて目が覚めるー」と言ってた頃「オレも最初そうだったよ」と言っていた。

「どのぐらいで治まりましたか?」
「2ヶ月ぐらいだったかなー」
「辛かったら頭痛薬飲みましょうと言われてるけど飲んでないんです。」
「オレも。何かああ言うの副作用がありそうだからねぇ。」

えぇーAさんといっしょなの~じゃこれでも、がんばる~
(と思ってきたのだ。)

「示談って、治ったんですか?」
「完全には治ってないんだけどね今、病院に行く時間がないでしょ、保険屋は治ってるからだろうって。それに、難癖つけて引き伸ばしてるみたいに思われるのが気分悪いから。」

えぇーー治ってないなら、当然の権利じゃないですか!
と私は言いたいのだけど、そう言った所でAさんが気持を覆すわけが無い。その手の権利みたいなのがキライだし、今までずっと考えた結論だろうから。


しかし私、どうしてこんなムチウチっぽくなったんだろう。

昨日も接骨院で「ここまで来れば、あとは(完全に治るまでは)時間の問題ですかねぇ」とつぶやいてみたら、先生は「時間で治っているなら、とっくに自然に治っていますよ。これは治療しないと治らない状態です。」等と言う。

「ここまでほぐせるといいですね」と私の首の根っこをクイクイと押す。
しかし、まだその前の表面に近い所の筋肉が張りすぎてるので、そちらを先に軟らかくしていただいているようである。
でも幾らほぐしてもらっても、帰りにこの寒さ。
ちょっと肩をすくめて歩くだけ、又はちょっと荷物を肩に掛けただけで、また肩がパンパンに張ってくる。
このまま首の根っこに治療が到達するのはいつなんだろう。

いったい、いつになったら治るんだよぉ~

と言いたいところをグッとこらえて、Aさんの痛み分けかもしれないと勝手に思うことにしよう。
来るならこちらへどうぞ。
私は接骨院に通う時間もあるし、この程度ならだいじょう(^o^)vぶぃ。

土曜に会社に行ったこと

2013-01-27 | 今の会社
休日だったが私は会社に向った。

Aさんの話によると、みんな疲れているようだった。
私はよそを知らないので、今の状態が「今までが暇なので忙しく感じる」のか、「本当に忙しい」のかどちらなのか分からないけど、人々の話では間違いなく後者だと言う。

自分の仕事は少々遅れてはいるけれど、来週の詰め込み次第ではまだまだ取り戻せる状態。
でも、そんなだからやれる事は少しでもやっておこうと思うし、昼からは歯医者があるから、本当にちょろっと行ってみるだけ。。。

会社に行くと、nanuさんと課長が居て「sakeさん来たの?!」などと言う。
「そうなんです、エヘヘ」と言うと、nanuさんが「さっそく魚にエサをやってくれ」などと言う。(土曜はnanuさんがエサをあげているらしい。)
「それじゃオレは客に呼ばれてるから行ってくる」と出て行った。

やがて社長も来て「sake君来てるんだ」と言う。
そしてこれをコピーしてくれ、誰それさんにこの文章をメールで送ってくれとメモを持ってくる。

そして人々があちこちに去って行った後、秀クンの所の図面が届いたので、それをスマホに送って社長にもプリントアウトして見てもらった方がいいですか?とメールを送ると早速電話が来て「sakeさん出てるんだ」と言い、「社長にも、それから○○さんと○○さんと○○さんに送って」と言われたので、そのようにする。

その後ちょろっと12月の伝票をチェックして、そろそろ歯医者の時間。

それではとエアコンを切って、ポットも抜いて、魚の電気も消して、事務所の鍵を掛けていると、TUKAさんが来た。

「あらま、誰もいないですよ、鍵ないですよね?待ち合わせか何かですか?」
「社長とお昼に待ち合わせているんです。」
「それなら社長が鍵を持っているから、どうぞ。私歯医者なので帰らないとならないんです。」
「そうですか、それでは。」

私は車に乗って、「あまり自分の仕事は進まなかったなー」と思った。
でも、人の役に立っているようで、必要とされているようで、うれしかった。

これにて給料が上がるわけでも、ボーナスが出るわけでもないのだが、お金じゃなくても、人々の笑顔が私をもっと満たしてくれるんだ、と知った。
ずっと長い付き合いなので、家族感覚で私は会社に行っている。
そして、みんなが喜んでくれている。

なんて幸せなんだろう、毎日が。


また来週も行こうかな、午前中だけでも。

はじめての接骨院

2013-01-25 | 健康とか病院とか
そして「首」のその後だが、耐え切れずTUKAさんに相談すると、「自分はギックリ腰になりますが、接骨院でマッサージしてもらってますよ」と言う。

そこでやっと接骨院に行くことにしたのが先週末。
先生も「これはこり固まってますねぇ」と言い、筋肉は何層にもなっていて、手前の筋肉から奥の筋肉まであるのだけども、その奥の筋肉までこってます、まずは手前からほぐして行きましょう、と言う話だった。

そしてマッサージや電気を当ててもらうと、その日はよく眠ることができた。
今までの苦痛を「9」とか「10」とするならば、これが「5」になったと言う感じである。
そして今では車の駐車も窓を開けてどうにかできるようになった。(しかしまだ完全に首が回るわけではない。)
私は動くようになったので、会社でラジオ体操みたいに腕や腰を回すようになっていった。

そして昨日2回目の診療に行った。
その日はマッサージは女の子がやってくれるそうである。

彼女は肩をもみながら言う。
「お子さんいらっしゃいますかー?」
「いますよー」
「○○中学(kekeの出身校)ですかー?」
「そうですよー」
「そしてもしかして○○高校ですかぁー?」
「そうですよ!よくご存知で。」
「私も同じ高校だったんです。」
「おやまぁそれは。あれ?どうして私が親だと分かったんですか?顔が似てるとか。」
「前からお母さんの顔を知っていたんです。」

しかしこの会話、私は完全うつぶせで、彼女の顔は全く見えない状態なのである。
彼女は何年も前から私の顔を知っているのに、私はまったく知らなかった。大変申し訳ないような不釣り合いな妙な気分でこの会話は続く。

「失礼ですが、お名前は?」
「M村と言いますー」
「あぁ、たしか1年生の時同じクラスだった。」
「そうですねー」
「中学も一緒でしたよね」
「そうですー、keke君、時々朝会いますよー」
「あら、そうなんですか。」
「それからkeke君、成人の日の集まりでも会いましたー」
「そうとはまったく知らずに。」
「keke君は今、大学生ですかー?」

ウソもつけないので「バイトしてますよ、これからどうするんだか」と軽く流した。
そしてマッサージの後電気を流してもらうのだが、私はうっかりジャンバースカートを履いてきてしまい「しまった」と思うのだが、「大丈夫です大丈夫です」と言われ、長く裾から引っ張って入れてもらう。
(あぁ恥ずかしい、毛玉だらけのズボン下まで履いて。。)

そして、電気が終わり、診察が終わった後、やっと顔を起こして帰り支度をするのだが、その時もう誰が彼女の顔なのか分からなくなっていた。

そして「よくなると急に動き出す人が多いですが、まだ今の状態で動くのは危ないです。私達はまだ安静にしててくださいと言う段階です。」と言うので、今週一人でボーリングでもしてみようかと思った計画は、しばらく後に延ばすことにした。
それからラジオ体操もさっそく取り止めた。

徐々に良くなったとは言え完全には治らず、数日するとまた元に戻るような感じである。
もともと肩こり体質だし、これまた「終わり」と言う日が来るのだろうか。。。

インフル接近中

2013-01-23 | 今の会社
ちなみに今日はZENさんがマスクをしていた。

私は反射的に「インフルですか?!」と言うと、「風邪じゃないの~?」と言い、そばに居た社長は
「インフルだったら、こんなに普通に動けねぇよ、オレが2年前に掛かった時はすげぇ大変だったんだから」
と言う。

いや。。。

他の皆さん、インフルで仕事してますけど。
(ウィルス飛散しまくってますけど)

とも言えず。。。(ーー;)


それから「あなたがインフルに掛かったのは4年前ですけど
(その後にノロウィルスもあり。)

とも言えず。。。(ーー;)


nanuさんについては昨日「A型だった」と言い、「でも熱が出たのは二日間だけであとは平気!」と言い、最初にノドがすごく痛くなって、それからものすごく悪寒がしてきて、その翌日に熱がうんと出て、二日すれば治る(食事もけっこう取れる)」と言っていた。

だんだん自分の席に近い人がマスクをするようになった。

なので、私はなるべく鼻呼吸を心がけている。
(口より鼻で呼吸した方が、ウィルスとか鼻の粘膜でブロックしてくれると聞いたことがある。)

それからノド飴も懸命に舐めている。

それから、お風呂もゆっくり入っている。
(体温があがると、ウィルスも発病する前に死んでくれればいいのになと言う願いをこめて。)

インフル上陸中

2013-01-22 | 健康とか病院とか
月曜日、nanuさんがマスクをしているので「もしかしてインフルとか?」と尋ねると「午後から病院に行ってくる」と言う。

「いや、今からでも行って今日は休んでほしい。。」と思うがそうとも言わないでいると、nanuさん曰く「Aさんもひいてたし、潜伏期間を考えればもうここらはみんな感染してるハズ、今更のことではないな」と言い、さらに「ピークは昨日だったけど日曜で病院が休みだったから行けなかった。」と言い、今日は少しは良くなったそうである。

「関節とか痛いですか?」と尋ねると「イタイイタイ、節々が痛かった」と言うので、ますますインフルではないかと疑わずにはいられない。
しかし普通のように仕事をして、他の人達もそれがあたかも当たり前のようであった。。。


午後になり、今日は取引先で亡くなった方がいるので、みんな葬儀に行くのかなぁ、私が1人で鍵をしめて事務所を出るようかしらと思っていたら、割と早い時間に秀クンが帰ってきた。

しばらく二人で何も言わず語らず各々の仕事をやっていたが、私が「請求書の査定回してよいですか?」と尋ねると、「今日はそのつもりじゃなかったから」と言い、やろうと思えばできるけど、今日はゆっくりしたいと言う。

「たぶん今日は○○さんのお通夜だから誰も帰ってこないかも。」
「今日だったんだ」
「nanuさんはインフルで午後から医者に行くと帰りました。」
「え~っ?!」
「Aさんは木曜にインフルになってもう治ったみたいですよ。」
「そうなの?来なくてよかった、これでなっても這って現場に行くようだからね。」

「最近、亡くなった人の年をみてしまうんです、○○さん60前ぐらいでしたよね。」
「息子がオレの3つか4つ上ぐらいだもの、オレの親と変わらないよ。」

「ね、最近年をみると、私あと何年生きてるんだろう?って考えてしまうんです。」

実はこんな本音を秀クンにもらしたのは、おそらく今日は初めてなのではないかと思うのだが、彼はざっくりスルーして、「みんな誰でも年を取ってるよ、オレもこの会社にきて7年だよ、手帳がもうほら6冊。」と手帳の束を上げた。

うぅー・・思いきって告白したけど私のこの終末観と何か違うオチ。
そして秀クンは「医療費の還付って年末調整じゃできないんだっけ?予定日より出産が遅れたから、2回チケット無しでジバラで受診してるんだよ。」と言う。


6時になって早速帰ると、皮膚科に行く。

「どうですか」と言われたので、こんなによくなりました、とペロッとおでこを出すと、「良くなりましたね、それではつける方の薬はこれで止めましょう、飲み薬はまだしばらく飲んでください、これからは窓口で薬をもらうだけでいいです。」と言うので、「だいたいあとどのぐらい飲めば良いですか?」と尋ねると、先生は「しばらく飲みましょう、止めるとまた出ますから。」と言うばかりで、私もしつこく「このオデコが完璧に治ったらよいですか?」とか「せめてあと2ヶ月とか半年とかおおかたでも目安を」と尋ねるのだが、先生は「ストレスと過労が続く限りは出ます。薬を飲んでいれば大丈夫だと思いますが。」と言うばかり。

そしてまた1週間分のビタミン剤をいただく。

久しぶりにネットカフェで漫画を読む

2013-01-20 | 読んだ本
川上未映子さんのエッセーを読む。

川上さんは「食に関するエッセー」を書くはずなのが、手間のかかる料理に関心がないし、お取り寄せ分野も詳しく知らない。
しかし料理って言えば、どうしてそんなに家事ばかりやってられる人がいるんだろう?とちょっと罪悪感を感じている川上さんに、同じ家事の苦手な女友達が言う。

「家事ができないことの何が問題なのか、そんなの男だったら山のようにいるじゃん!」
(原文通りではないが、私の解釈ではこんな感じ。)

「そうなんだよ!!」
と私は激しく同意した。
「男と同じように朝から晩まで働いて、その上更に主婦のように家事ができるわけないじゃんね!」

とは言うものの、朝から夕方まで働いてその上料理や菓子作りまでしていた時代もあった。
今は、焼くだけ、煮こむだけ、或いは買うだけ。


某Aさんは「どうして、こんなになっちゃったの?」と言った。

私だって分からない。
子供が成人して魔法の解けた感あり、あと父に会うたびに人生の限界とむなしさを覚え、今どうしてもこの時を好きなように使いたい、ただそれだけ。

いえいえ、その時はそうは言わずにこう答えました。
「自分の胸に聞いてみたら。」


何年かの年月の間に、いろんなことがあちこちでほつれたり、とがったり、からまったりしてこうなった。
いったい人は、自分の内なる声を振り切って何かの「役割」に忠実に生きていくことをどの程度までしていられるのでしょう。そしてどこから自分を許す事ができるのか。その境界線はどこにあるのか。

そして出かけたのは、久しぶりのネットカフェ。
ネットカフェは、まだ我が家にPC(インターネット)が無かった頃、ものの試しに行って以来だ。kekeが小4ぐらいの頃だっただろうか。

入口から入って、「初めてです」と言うと、懇切丁寧に説明してくれた。
どんなイス(座敷)のブースがいいか?と言われたので、コレと指を差すと、さっそく案内してくれる。
ひざかけの毛布・スリッパも無料である。ソフトドリンクも込みの料金である。

そして私はうーんとうなって、コーラをコップに入れ、某コミックの全10巻を抱えて、割り当てられたブースに入り、さっそく読んだ。
んんーーー(息つく間もないほど真剣に読む)

夢中になって5冊読み終えて時間を見ると、1時間以上経っている。◎◎ビックリ。
そこで帰る事にしたのは、このままずっと同じ姿勢を続けていると、また首が肩が腰が心配になったからである。(1時間で4冊ぐらいか。)

しかし、全10冊のうちの5冊しか読んでいない。
私はひたすらその続きを思いめぐり、悶々とずっと考え込み、いやどうでもいい、最後にはどうしてもハッピーエンドになってくれないとどうしても困るんだ!!と思って、1度家に帰ってから、再びコミックの続きをレンタル屋に借りに行った。(この事も想定して、レンタル屋にある漫画を選んどいて良かった。)

そして10冊以上借りると1週間借りれるので、他の漫画もまた借りた。


それで今日もまた焼くだけの料理と豚汁。。。
休日にこれでは、いったいいつになったら「料理」が作れるのだろう。
「女が」「母が」、良心が傷む。

まだしばらくコミックは封印しておこう。

見送り

2013-01-19 | 父の記録と母の思い出
kekeがバイト先の飲み会に出かけた。

kekeはこの先どうするつもりなのだろう。
でも、私はその言葉を飲み込む。

2年経ったら3年経ったら。

会社も求人を募集していて、履歴書が送られてくることもある。
さまざまな理由で断わってしまう人もいるわけだけど、ああだこうだ言われるその履歴書1枚1枚にいろんな思いも歴史もこめられているわけで、採用を断わる事と、それを冒涜することは一緒にしてはいけないように思う。

誰を雇うかより、その人を会社がどう育てるかじゃないかな。。。?


ところで、kekeがバイトに出かける時はほとんど必ず玄関先まで「頑張っておいで」と送り出す私なのだけど、今日みたいな飲み会はどうなのかな。

自分の母親の事を思い出すと、たぶんあの人だったら、学校や会社に出かける私に「頑張っておいで」と送り出していたような気もするし(知らん振りでは無い性格のような気がする)、でも当時の私はそう言うまどろっこしいことがキライだったから、こっそりいつの間にか出て行ってたんだろう。

それで、母が玄関から門まで出てきて見送ってくれたことがあって、それは私が駆け落ち同然で家を出た日のことだった。
飛行機に乗らねば行けないような相手の実家や、長男であることで、両親はもともと反対で、相手の親に会いに行くのも反対で絶対許さなかったのを、私は「やっぱり行けない」と言うがために待ち合わせ場所に行くのだが、飛行機のチケット2枚買っていた彼が可哀想で、やっぱりドタンバで飛行機に乗って行ってしまったことがあった。

そして、水面下でアパートを借りて、突然家を出ることにしたのだ。(それしかなかった。)

あの時、どうして母は体を張って反対をせず、見送ったのだろう。
これから寒くなる季節だったから、私は上着の上にコートを二重に着てた。
「体には気をつけるんだよ」みたいな感じだったっけ。

電車で泣いた。

私、23歳。
当時の母とも一つしか違わない。


見送る自分を見るたびに思い出す。