きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

この夏のできごと

2013-08-31 | ぶきっちょさんの家事一般

この夏はおでんを何回か作った。

出し汁を濃い目に取ってしょうゆとみりんで味付け。ゆで卵と大根、ねりもの(これは中に枝豆も入っている)、それからあったらシイタケ、じゃがいも。

朝煮て、少し冷ましてから冷蔵庫で冷やしておき、夜はそれを取り出して食べる。
つゆも、すすってみる。
ちょっとしたツマミになって、これが一つあると、あとはちょっと肉を焼いて、生野菜でもつければ充分だ。^^



新しく買った靴。

少し歩かなきゃと思って、安いサンダルで歩いていたら、足の裏(足の人差し指の根元の下あたり)にタコができてしまった。
歩くとそこが当たって痛いので、底まめクッションと言う代物を買って、靴も買い換えることにした。

私は靴を何足も持っていない。
ほんとはバレエシューズみたいなのや、低めのパンプスも履いてみたいけれど、「さて靴を買いに行こう」と行ってみると、結局ラクチンなオバサン用の靴になってしまう。
どれか一つと言われると、必ずそうなってしまうのだ。

さて、このドクターショールの「底まめクッション」だが、使い捨てグッズが多い中で、洗えば何度もでも使えるそうなので、これを買ってみた。
使い心地はまあまあである。

本当のオシャレは靴で分かると言う人もいるが、私は靴は一番後回しである。
なんせ足元なんて、あまり目に付かないもの。。。
しかし、足は体を支える源である。これから靴は足に良いものを履こうと心に誓う。

kekeのきれいな足の裏には、こんなものができないようにと思い、「靴は安物を履かないで、いいものを履くようにしよう。」と忠告すると、「言われなくても分かってる」と言われる。

ちなみに、訓練校も合格して、秋からはkekeは通うことになったそうだ。

Uちゃんと偶然の再会

2013-08-30 | 日記
社長が午後になると会社を出てしまい、「もしや別荘に行ったのでは」と思って車を見に行った。
社長が仕事で使っている車と、プライベートで使っている車が違うのだ。

車を見に行こうとしたら、その手前に見慣れた車があり、運転席から一人の男がおり、車から出した大きな紙袋をポイと会社のゴミ箱に捨てているのが見えた。そして新聞も投げ入れていた。

「TUKAさん。」と私は柔らかめに声を出し、「それは現場のゴミですか?」と言うと、TUKAさんは少々バツが悪そうに「新聞です」等と言う。
しかし私も八方美人なのでそれ以上追い詰める事もせずにいると、TUKAさんはあまり反省した様子もなく、「また次回もやるだろうな。」と言う空気がただよっている。

そういう私だって時々、分別に困るゴミや、大きくて有料袋に入れるのがもったいないものは、ここにポイと捨てていたりする。しかし、私はあくまで社内の人間である。社員でもないくせに平気でここにポイと捨てられるTUKAさんの神経とはたぶん違う。

そして、社長の車は無い。
やはり別荘に行ってしまったのだ。

なので、今日は定時になり急ぎの仕事もなかったので、残っていた課長と早々に帰る事にした。

「最近、定時でカギをしめて帰ってるから秀クンがいじけるかなぁ」と言うと、課長は「そんなことないよ。」と言う。でも、私は秀クンがゼーハー帰ってきて「またこれだよ、みんな帰ってるよ」と事務所の灯りをつけている姿が目に浮かぶようだ。(と思ったところで帰る事には変わらないけど。)

だが今日はずいぶん早く帰れたので、図書館にギリギリ間に合いそうだ。
本もほとんど読んでしまったから、急いで向って、返してまた借りた。

そして、帰り道歩いていると、偶然にUちゃんにバッタリ会った。
二人で顔を合わせて「わっ!」と言い、ほぼ同時にお盆休みどうしてた?と言った。
私もUちゃんがどうしてるかなぁと思ったが、Uちゃんも同じように思ってくれていたそうだ。

「どうしてるかな?と思ったけれど、じんましんが出ちゃってね、こんな時に誘うのもなんだなぁと思っているうちにお盆が終っちゃった。」とUちゃんは言う。

あの時は車で大変だったよね、ゴメンね、と言うので、「いやいや私が勝手に誘ったんだから」と言い、また近いうちにどこかに出かけよう、と約束した。

「keke君はどうしてる?」と心配してくれたので、「先月バイトを辞めたんだけど、これから職業訓練校に通おうと試験を受けたところなんだよ」と言った。
Uちゃんは「よかったね、きっと大丈夫だよ。」と言うので、「いやいや、今はだから家にずっといるだけなんだ。」と言うけど、「外に出ているから大丈夫だよ。」と言う。

私もそうなるといいな、と思う。

Uちゃんには近いうちまた連絡して会おうね、と手を振った。

こんな偶然にUちゃんに会うなんて思わなかった。
今日いつもより早く会社を出なかったら?
たまたま図書館に行かなかったら?


私は最近、このような偶然を「縁」だと思うことにした。
残りの人生の時間は、「縁」を愚痴らずよく受け入れ、味わいたいと思う。

それが悲しいことや辛いことになっても、それはその後飛躍する前触れのように思う。
悲しいことや辛いことは「結果」ではなくて、いつだって「経過」なのだ。
(ちなみに、今日TUKAさんのずるいゴミ捨てを見つけたのも縁(偶然)の一つなのだろうか。)

講習会で恥をかく

2013-08-29 | 今の会社
nanuさんが「申し込んでいた講習会に行けなくなった」と言う。

何の講習ですか?と尋ねると、工事が始まる申し込みをすると労基署から案内状が届いて、「こんな事故にならないように気をつけましょう」と言う講習会なのだそうだ。
「私でも代わりに行けるのかしら。」と言うと、「電話して訊いてみろ」と言うので、電話してみると「安全担当の人なら誰でも大丈夫です。」と言う返事。

nanuさんは「お前は経理と総務と安全担当だ。」等と言い、オレの代わりに行って来い、と言う。
「ただ座って話を聞いていればいいから。」と言う。

私は講習と言うより、仕事中車で移動できることが楽しみで楽しみでワクワクしてきた。
「仕事」と言う名目で、車の中で歌を聴くことができるし、運転練習もできるのだ。

「どのぐらいで着きますかねぇ。」と言うと、「片道1時間ぐらいだろう。」と言う。
私はグーグル地図で検索をかけて、どこに車を止められるか調べた。一応近くにも駐車場はあるが、台数はそれほどない。心配なので3ヶ所ぐらい駐車場をチェックしておいた。


翌日、「それでは行ってきます」と2時間も前に会社を出た。
ナビが無いので、一歩間違えると自分がどこに居るのか分からなくなってしまう。遅刻は許されないのだ、nanuさんは1時間と言うけれど、私のスピードだと1時間20分ぐらい掛かるだろうし、その上道に迷ったら10分20分は遅れてしまう。そういろいろ考えて、2時間あれば間に合うだろうと考えた。

そして行きは安全パイで迷わぬようなるべくシンプルな進路を選び、出かけた。
2~3回近辺を行った事があるので、重症に困ることはなかろうと思っている。


そして・・・
nanuさんの言う通りなんと1時間で到着してしまった。
信じられないぐらいスムーズに来てしまった。
途中、勘だけを頼りに曲がり角を曲がってみたのだが、それがドンピシャ思い通りの選択だったのだ。

1時間も早く着いてしまったので「昼飯を食おう」と思い、旅気分で近くのモスバーガーに入った。
ぜいたくなようだが、マックや牛丼屋が見当たらなかった。
お金を払って席につき、帰りのルートを考え地図をながめていると、トマト抜きモスバーガーが運ばれてきた。
「まだアツアツ・・(^o^)」
そう言えば、モスバーガーはいつも「お持ち帰り」なのでこんなできたてホヤホヤを食べたことがなかった。

「できたてがこんなにおいしいなんて。。。」
まるで「旅気分番組」のレポーターの心境であった。


そして私は、紙に書いてある講習の部屋に行った。
見知らぬ男どもが作業着を着て、既に何人か座っていた。
席の配置が普通の横並びではなく、小学校の班活動のように4人一組で真向かいになっている。

「まぁ別に聞いているだけでよいのだ」と思うが、始まる前に涙がつたって流れてきた。
あまりに退屈であくびが出て、涙まで出てきたのである。
渡された資料も読もうとしてみたが、退屈か、用語の意味が分からないかどちらかである。

それは話が始まっても変わることは無い。
普通の横並びの席だったら、とっくに寝ていただろう。
しかし今回は真向かいに人がいるのである。
寝てないフリをしなくてはならない・・・が、たぶん寝ていたと思われる。

そんなこんなで前半が過ぎて行き、後半になると講習の先生が「ここからの時間は話を聞いているだけではありません。これから各班ごとに、皆さんどんな風に安全に工夫しているか、お互いに経験を話し合いましょう。」と言う。

え~~・・・そんなの言われたって私は何も分からないヨ。。。しょうがないから、皆の意見を紙に書く書記を務める事にした。
それも日頃字を書いていないもので、漢字が思い浮かばなかったり間違えたり、氷は左か右かどっちに点があったか分からなくなったから、上にコオリとルビを振ったりしながら、どうにか班のアイデアを報告書に書いていくのだが、それがだんだん仕上がってくる事に、またまた講習の先生が「それでは、各班まとめたアイデアをこの教室で発表してもらいます。代表の人を選びましょう。」等と言い出す。

しかし、私の班の男の人達は皆消極的で、誰一人自分が発表者になろうとはしない。
女子がいるのだから、「それじゃオレが」みたいな人が一人ぐらい居てもおかしくないと思うのだが、みんながみんな「今出なければ誰かが出るに違いない」と他力本願キャラの人ばかりである。

見るに見かねた講習の先生が「こちらの班は・・それでは書記さんに発表していただきましょう」と言い始め、そこでムリに否定するのも大人気ないので、「何故私が・・?」と思いつつも、自分の書いた情けない文章を、教室の中で発表するのであった。。。
こんな姿は小学校以来ではなかろうか。。。(トホホすぎる)


帰ってから翌日、nanuさんに「もう!」と言い、かくかくしかじか、あの情けないコオリのルビがついた報告書を見せながら、「私にはムリでした」と言うと、「分かったよ、出れる時はちゃんと出るよ、恥かかせてゴメン」とnanuさんも謝ったのだった。(おわり)

kekeとカラオケ

2013-08-28 | 息子keke
その日仕事から帰って来ると、ちょうどkekeがゴミを捨てに行く所であった。
自分の部屋を片付けたようである。

片付けてさっぱりした心境を察しつつ、カラオケに行かないか?と誘ってみた。
何故なら、今月まで有効のピール1杯券(人数分)があるからである。

この券をもらってから、何回も誘ってみた。
低く見積もっても5回は誘ったと思うが、そのたびに「1人で行って来れば」と言われる。
1人で行ってきても良いのだけど、ビールと言うのは「今日一日お疲れ様、また明日」と言う心境で飲むものである。
その最初の一杯をカラオケ屋の個室で1人飲む(しかもタダで)と言うのが何となくわびしく思えて、使えないでいたのだった。

たぶん今日もダメだろう、ダメなら今日こそ1人ビールを飲もうと思って、kekeにカラオケ行かないか?もうこのタダ券が今週いっぱいで使えなくなってしまうから、と言うと、「行く。」と言う。

「え!ほんと?!」と私は言い、さっそく出かけることにした。

そしてしばらく二人で歩くと、「あ!」と私は言い、「ビールのタダ券がかばんに無い。机の上に置きっぱなしのまま出てしまった。」と言った。そして戻ろう、と言うことになった。

歩きながら私は「ラッキーだったなァ」と言い、店のカウンターで気がついてももう引き返せなかった。今気がついたのは幸運のお告げだ。」と言う。

kekeは「また宗教か。」と言うので、「いやいや、ホントだよ。いつもいいこと、いいことを考えていると、本当にツキがツキを呼んでくるんだ、ほんとだって。」と言うと、「そんなわけない。」と言う。

「これは理論的にちゃんと説明できるんだよ。いつもいいことばかり見ていると、だんだん自信がついてきて、どんどんツキを引き寄せるんだよ。」
「自信がつく所までは分かるけど、その後はつながらない。」
「この前読んだ脳科学の本に書いてあった。人は相手の表情を見て自然に同じ表情にするクセがあるんだって。」
「それは知ってる。」
「だからたぶんね、たぶんだけど、いつもいいことばかり考えて自信がついてくると、自然に笑顔になるでしょ、だから周りの人にもその笑顔がうつって、そのそばに居る人がみんな笑顔になって行って、自分もその笑顔から笑顔がうつって楽しくなるんじゃないかって思うんだよ。」

私は階段を上がりながら「kekeもあと20年したら分かるだろう、私もkekeの頃は分からなかったし、ニコニコせずふてくされていた。」と言うと、kekeは「ふてくされてない」と言う。

そして、タダ券を取って、もう一度カラオケ屋に行った。
そして受付してもらい、ビール1杯と焼きうどんを頼んだ。

部屋に入ると私もkekeも歌好き&もったいない精神なので、さっそく入れよう入れようと言うことになり、ランバトにして、歌を入れた。

kekeが歌い終わって、私は「もうそろそろ歌ってる時にビール持って来るかなぁ」と言った。
「ああ言うのって、なんか気まずいよね」と言う意味である。でも歌を途中で辞めてしまうと、ランバトの点数が下がってしまうのだ。
まあええわと言って歌って、歌い終わった。

歌い終わったと思った瞬間、ビールを持ってくる人が入ってきた。
私はkekeの顔を見て、「ほらね、ついてるでしょ?ツキがツキを呼ぶんだよ。」と言った。


私はとっても楽しかった。
帰りに楽しかった楽しかったと何度もkekeに言った。

「なぜか人に好かれる人」の共通点/齋藤茂太さん

2013-08-27 | 読んだ本

図書館では心理学系の棚に行くことが多いので、この方の本がたくさん並んでいたのは知っていた。
そして、初めて読んでみたのがこの本である。

タイトルのごとく、こう心がけると人に好かれていきますよ、と言うことが書いてある。
2ページで一つの見出しがついており、どこから読んでも大丈夫そう。

見出しだけでも

●その「もっともっと」に心が疲れてゆく

●人を変えようとするのはちょっと図々しい

●「よくないこと」が将来を展いてくれる

など、「なるほどなるほど」と言うお題目が並んでいる。

その中の39番「先回りの助言がやる気をそいでいく」と言うのがあった。
うっ!そうなのだ、私はまたまたやってしまったのだ。

職業訓練校の試験が終ったkekeに「そろそろ短期でバイトでもどうなのかねぇ~」と一言言ってしまったのだ。
すると、kekeの表情はみるみる暗くなっていった。

そうだ、あの1年半前、2年前の表情だ。
まさしく「先回りの助言」でやる気を削いでいったのだった。

私は食い入るようにそのページを読んでみた。
そういう風に余計な一言を言う人はそういう習癖なのである、と書かれている。
言わずにはいられない、それは何故か。
それによって自分が安心したいからである、と書いてある。

なるほど!
そうなのだ、私は自分が安心したいがために、kekeに口やかましかったか!

私は1人で子供を育てるのに、不安でその気持を子供にぶつけていたのだ。
子供を責める事で安心しようとしていたのだ。
原因がわかれば方向性も見えてくる。

改めて「子供をひとりで育てる」と言う大変さを思う。
誰か共に船に乗ってくれる人がいれば、嵐がやってきて片方が心配しても「なに大丈夫だよ」と声を掛けられる。
人間とは、近くに不安がっている人がいれば、誰だって「なに大丈夫だよ」と言ってしまう性質があるのだ。私だって目の前に不安がっている人がいれば、ありきたりの言葉かもしれないが励ますことはできる。

でも一人で航海する場合は、嵐が来ても自分で歯を食いしばってどうにかするしかないのである。
この違いはかなり大きいのではないだろうか。


よくやってきたよ、私!
誰にも言ってもらえないなら、自分で言おう。

いろいろ失敗もあったけど、でもここまでよく頑張ってきたよ!

そして、一人の航海は、嵐を乗り越えどこかにたどり着いた時の達成感は、並みならぬものがあるに違いない。(と思いたい。)
いつかきっと、そんな日が。。。。

keke、今までごめんね。
ありがとう。

秋ものの服

2013-08-26 | 私の倹約術
今日は久しぶりに服でもみようかな、と思う。

そしてわざわざ電車に乗って、服屋がたくさんある某駅前まで行ってみた。
私は端から服を見てみたけれど歩いているうちに「ひょっとして秋物の服って要らないんじゃないか?」と気がついた。

涼しくなったら冬物を着始めても「季節感先取り」みたいで格好悪くないからである。
まだ暑いうちは半袖の上に何か羽織ってごまかしごまかし過すことができる。
(だから春に買う服はベージュや茶系にして、秋にも着れるように必ず考える。)

そして見れば見るほど、この時期に売られている服の色の地味さ加減・生地の薄さ加減が、他の季節に回しにくく、着る時期が限られてしまうなぁと思う。
お金がもっとあれば、秋のオシャレも楽しむ所なのだが、ここで何か買うぐらいだったら、もう少し寒くなってから上下組み合わせで新規購入を計った方が効率が良いかもしれない。
今の時期みたいに生地がペラペラじゃないから、着れる時期が長いはずだ。
それが本日の新しい発見だ。

それからまだこれは先の話になるが、私は休日もある程度カチッとした服で出かけるようにしようかな、と思っている。
服を見ていると、最近ドテッとした幅広の服ばかり売られているが、ああ言うルーズっぽいスタイルではなくて、ちょっとくだけたブレザーっぽい上着にスカートみたいな、そういうまじめな服装に統一しようかと思っている。

よく考えると自分はスポーツをしないので、出かけるとしても誰かと食事するとか、買い物するとか、そんな感じである。それだったらブレザーにスカートにして、出勤もそれで押し通す。
そうすれば、今より更に服の枚数を減らせる。

服の枚数を減らすことにこだわるのは、服には流行があるからだ。何枚も買ったところで、時期が過ぎると何となく違和感があり、着れなくなってしまう。

6年ぐらい前に北澤の結婚式で着るような服がなかったので、半袖の黒いワンピースを買った。
喪服にも使えます、とあったので、自分としてはよい買い物をしたつもりだった。
そして今回叔母の葬儀で着てみようと思って、鏡の前に立ってみると、何だかおかしい。
何か変だぞ?と思って、喪服を検索してみると、袖の長さがやたら短くてどうも不自然なのだ。

私はその上に羽織るものを買いに行くことにした。
喪服コーナーに行って、「何年か前に買った冠婚葬祭両用の服がなんか袖が短くて変なのです。」と説明すると、「その当時はそういう袖だったんですね」と言う返事。

つまりあの喪服にすら、流行があるのだ。
5~6年すると、買い換えたくなるようにできているのである。
その事を知って、愕然とした。

私達は服を買うことで、自分を満たしていくように脳内回路を作られてしまっている気がする。
高校生や20代の若者は、横の友達づきあいもあるから、安い服を数多く持つことも必要だと思う。
だが、私のような年齢になってもそうなのだろうか。

節約と言うとすぐに光熱費とか食費が浮かぶが、服は1着買うのをやめると、光熱費の無駄なんて吹っ飛んでしまう。
買って似合わなくて、組み合わせられなくて着ない、と言うのが一番もったいない。
そういう無駄をできるだけ少なくしよう。

プリンセスダイアリーやろうとしただけでも

2013-08-25 | 読んだ本
久しぶりに上原愛加さんの本を読んだ。

最近巷では「こうしたら幸せな考え方になりますよ」的な前向き本がたくさんあるが、私が好きなのは、上原愛加さんと、小林正観さんである。
二人に共通しているのは「ムリに頑張る必要はありません。幸せは自分で発見するものなのです。」と言う話なのである。周りに感謝したり、愚痴をこぼさないで毎日幸せをを感じてニコニコしていると、どんどんいいことに気がつき、いいことがいいことを引き寄せるそうなのだ。(掃除をするとさらに良いらしい。)

上原さんの本の中では「プリンセスダイアリー」と言うのがあって、うれしいこと、幸せなことが見つかったら、どんんどん手帳に書きましょう、と言うのがある。そうすると、思考スイッチが幸せに敏感に反応するようになって、どんどんついてくるのだとか。。。

そう言えば、しばらくやってないなぁ。。。。と思いつつ、私は風呂の中でこの本を読んで、「またやってみようー」と思っていた。


そして接骨院に行き、帰りに歩いていると、Aさんの車が通り過ぎて行った。
「もしや・・・(@_@;)まだダイアリーに書いてなくてやろうかなと思うだけでこの効果?」
(もちろんAさんには接骨院に行く話などしていない。)

と思いながら、たまにしか洗わない布団カバーを洗い、洗面所を片付けて、洗濯物もたたんだ。
トイレ掃除まではできなかったが、掃除をするのも幸せを呼ぶらしいから。


そして父の所に行き、帰りに図書館に寄って本を返しながら、「あ、この前ブログに書いた日笠雅水さんの言葉の乗ってる本をもう一回借りて読もう、と探す。
手に入れるまで少々時間が掛かる。
そのあとハンバーガーを買って食べる。

そして、帰りに(もしかしたら布団カバーが乾ききっていないかも。。。)と思い、買うためにいつもと違うルートで帰る事にした。

そしたら、またしてもAさんの車が、国道を出ようとしているところを発見する。
私は2車線道路の向こう車線ををすっと通り過ぎた。
ほんとに一瞬の出来事である。

父の病院の時間、図書館の時間、ハンバーガーの時間、それから布団カバーを買おうと思わなかったら、いつもの道で帰っていたのに。。。
そのどれかがちょっと変わっただけで、こんな風にはすれ違うことはなかった。。。

(しかも2度もなんてさすがプリンセス効果だわ。。。(^o^))←布団カバー買わずに帰る。


そして家に帰ってから日笠さんの本を開く。

借りる本には、次回の返却日が書いてあるレシートみたいな紙を図書館の人が本に挟んでくれるので、何気にそのページを開いてみると、あの私の好きな言葉が書いてあるページだったのだ。

プリンセスダイアリーを書こうとするだけで、こんなにいろいろな偶然が重なるなんて。。。
Aさんがどうこうより、この偶然の重なり具合がうれしい。

ちなみにこの後、Aさんと話をしたが、何も言われなかったので、この日2回もすれ違った事は気がついてないのかもしれない。言われても返事が面倒くさいだろうなァと思って、私も何も言わなかった。

親世代・子世代

2013-08-24 | 父の記録と母の思い出
そばにいるだけでいい、と言うのを聞いてから、今日は父のベッドの脇で本でも読んでいようかな、と思ったんだけど、父は点滴もはずれ、食事が終っていた。
のんびり行ってしまったので、食事に間に合わなかった。

そして、いつものホールにいると、おじいさんおばあさんの声やフラフラのなか、介護士さんの慌しく動くさなかに、本を読んでいるのは誠に場にそぐわないような気がして、かと言って父に何を話してよいか分からず、「sakeだよ」と時間をあけて繰り返すだけである。

「ご飯おいしかった?」と言うと「おいしかった。」と言う。
でも、おそらくもう食べたことも忘れているだろうと思う。
「おいしい」と言う単語が通じているかどうかも怪しい。

そして父は表情の無いままボンヤリしており、私は手をさすったり「sakeだよ」とたまに言ってみるけど、ボンヤリ座っている時に限って、干しっぱなしの洗濯物が気になったり、今日ぐらいちゃんと何か料理したいな、とガラにもないようなことを考えてしまい、「こんなにずっとこうしてボンヤリしてていいのだろうか。」と言う気持になる。
毎週こうである。

来週はもう少し早く家を出て、ご飯の介助をしたい。
「そばにいるだけでいいんですよ」と読んでいても、父の隣でボンヤリしているのがしんどい。
会いたいから会いにくるのに、会えば帰りたくなる。
浮気男はこんな心境なのだろうか。(とまで考えてしまう。)


久しぶりにイオンモールに行くことにした。腹がへった。
マクドナルドは最近あまり食べていない。
2時だしハンバーガー1個ぐらいが丁度いいだろうと思って買ったら、ハンバーガーの無料券がついてきた。
何だかラッキー気分である。

イオンモールのフードコーナーはとてもにぎやかで、何となくカウンター席だよな、と思って窓際までずっと歩いて行くと、粉ミルクを溶かすためのお湯があるようだ。
何て至れり尽くせりなのだろう。
最近、どこでも「赤ちゃんと一緒用トイレ」があり、それだけでも「へぇーkekeの時あったっけ?」なんて思うのだけど、粉ミルク用のお湯まであるとは思わなかった。そしてその隣には小さい子連れ用イスとテーブルもある。

そして子供たちはやかましく、やかましく、誠にやかましい。
一昔前は自分もこのやかましさのドツボにおり、「だって子育てしてるんだもん、しょうがないじゃん。」とそのやかましさを「さも当然の権利」と思っていたが、子育てが終ると、やはり異次元の世界になる。

その中でもkekeはぼんやり座っていた。

心配になるぐらいその中でぼんやりしている子であった。
他の子が騒いでいる中で、ぼんやり地面や車を見ているような子であった。
なので、そのうちイジメに遭うかもしれない、引きこもりになるかもしれないと思っていたら、本当に引きこもりになった。想定どおりと言えば想定どおりであった。

そして、当時独身のオバサマ方によく褒められた。
ちょこんと座っていて、騒がないから「いいこ」といつも言われた。
親からすれば静かでおとなしいのが悩みのタネだったのだが、オバサマ方からはほめられた。
まだふてくされてもいなかったし、ニコニコしてちょこんとどこに行っても動かず座っていた。
生意気なことも言わず、静かに座ってニコニコしていたのはワンちゃんやネコちゃんのカワイイ写真のようだった。

でも親は心配だった。

でも本当に「いいこ」だったのかもしれない。
元気なのが「いいこ」だと思っていたけれど、あの子はいいこだったのかもしれない。

ショッピングモールで大多数である子育て世代から離れて、今そんな風に思う。

すきな言葉

2013-08-23 | 女だから思ったこと
「愛されることを求める以上に、愛そうとすること、愛する人を守ろうとすること、
責めたり騒いだりしないで、自分の愛に責任を持つこと。
愛を信じて、あたたかな心で待てたなら、解決の光が、さしこんでくる日も、来るかもしれない。」

日笠雅水さんの手相の本にあった文章だ。


私はこのことばが大好きで時々読み返す。

そして飲み込んでみる。


人に言うのはかんたんだ
友達に言ったことも

その言葉をもう一度自分にいってみる

長い夜に
静かな夜に
もう一度いってみる

心のせまい自分は、大勢の人の幸せまでは想像つかないが
ごくごく近くにいる人の幸せなら精一杯願ってみる

それでいいと
素直に胸をはってみる

明日をまた積みあげる

他人の結婚式

2013-08-22 | 今の会社
nanuさんが結婚することになったらしい。

「おめでとうございます。」と言ってみたものの、本心は大してめでたいと思っていない。
たぶんおそらくもっと近い間柄とか、今まで不遇を抱えて来た同性の友達ならば、「よかったね!!」と思うかもしれないが、日頃自分に関心のない人が結婚しようが幸せになろうが、興味がもてない。

非常識とも思うが、興味がないのだから仕方ない。
あるとしたら結婚式に招待されるかもしれないと言う恐怖だが、それも今回はない。
何故なら、数年前の秀くんの結婚式の招待を断ると言う不義理を犯しているからである。

それにはいろんな事情があったのだけど、一番分かりやすく言うと、「ここで出席したら、これから社員が結婚する度に毎回毎回披露宴で祝い金を包まなければならないではないか」と思って断ったのだ。うちの会社はボーナスがないから、家電の買い替えや冠婚葬祭などのワンポイントの出費は全部貯金をおろしてまかなっており、ここで出席したら、のちのちまで「たかられ」てしまうと思ったのである。

秀クンは私の断りに対して、当然のごとく「非常識だ!」と思ったようで、Aさんやnanuさんにブースカブースカ文句を言っていただろうことは顔を見るとよく分かった。そして私との間は不自然なギクシャクした空気が流れたのだが、今では(たぶん)何事もなく水に流してもらっている。

そしてその渦中にnanuさんがボソッとつぶやいた。
「それぐらい行ってやればいいのに。」と。



何日か前にTVを見ていたら、アンガールズのおかっぱじゃない方の人が、TVで騒いでいた。
その番組では実のお兄さんと一緒に出ていたのだが、お兄さんの子供達(3人)はアンガールズの(以下略)から、一度もお年玉をもらったことがないそうで、「え~」と会場の女子からブーイングが起きたのだ。

その時にアンガールズ(以下略)はこう言った。

「どうして私があげなければならないんですか!私にはもうお金しかないんです。合コンも帰れ呼ばわりの私にはもう結婚がないんです!あとはお金しかないんです!それをどうして幸せそうな人達に毎年振舞わなければならないんですか!私にはもうお金だけが最後の砦なんです。それでもしかしたらいつか女性が結婚してくれるかもしれませんからぁ!」
(原文通りではないけど、こんなイメージ)


心境としてはまさにそんな感じ。

私がもしも結婚したとしてその時に招待しておいて自分は行かなかったのならまさしく不義理であるが、私がもうそんなことは無いと明らかに秀クンは当時見下していて、それで自分は一方的に祝ってもらえるのが当然!と思いこむのは、思いあがりではないだろうか。

でもnanuさんを見ていても、これから結婚しようとする人達はおしならべてどこか舞い上がっており(私のヒガミ妄想も充分入っているが)、誘えば祝ってもらえるのが当然と思っているようだ。
せめて、お祝い返しをナシにして、お祝い金も半額でいいことにしたら、もっとずっと皆心から祝福できるだろう。
少なくても17万の手取りの人間に3万円は高すぎる。


と思ってしまう私は了見が超狭いのだろう。
両親が元気だったら「祝っておあげなさい、そうすればきっといいことがあるよ」と言っただろう。
父は「お祝い金なら心配しなくていいから」ぐらいのことは言うかもしれない。
あぁ、なんて不義理な奴なんだろう。

でも、私だって例えば姪っ子の結婚だったら心から祝福するだろうし、祝い金も貯金をおろしても包みたいと思う。
日頃、用事だけ言いつけて、「ディズニーシー行ったこと無いの?行って来れば、1人で。」なんて事を言うから(by秀クン)「めでたい」と言う気になれなかったのかもしれない。

と、何気なく最後に言い訳がましく書いてみる。