きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

いいとこ取りかも

2004-12-31 | 父の記録と母の思い出
仕事から帰ると、父から何度も留守電が「今すぐ電話するなり来るなりしなさい」と入っていたのが何日前だったのか。もう曜日感覚や娘が日中仕事をしていると言う感覚がないようである。
それでも、昨日はkekeさんも出かけてしまったので、父の所に行った。

取り立てて急ぎの用もなく、世間話(と言っても毎回毎回同じ話なのであいづちを打っているだけ)をしばらくしていると、父が「カラオケにでも行こうか」と言い出した。「そうだね、たまには行こうか」と私も言った。

それで、妹の所に父とカラオケに行って来るよ、と断りに行ったのだが、妹は一家で大掃除をしていたのであった。
姪のミーちゃんがやってきて、「おじいちゃん!大掃除はしたの?朝、ママと一緒に掃除するって約束してたでしょ!」と言うのだった。

(しまった!今日はそういうシチュエーションだったのか)とカラオケは断念しようと思ったのだが、父はもうカラオケ以外は考えられないようだった。私は申し訳なさそうに溜まっている茶碗を洗いながら、状況の成行きを見守ろうと言う態度をとった。妹はやがて無言で父の部屋に掃除機を掛け始めた。

この状況でも、父は靴を履いて家を出ようとしていた。
もう一度姪は「おじいちゃん!掃除しないの?!」と言った。
「もうおじいちゃんはよく目が見えないからできないんだよ。」
「見えないって言ったって、できる事は何かあるはずだよ!パパだってママだってお掃除してるのに!」

私と父は、少し気まずい雰囲気で歩いた。
「今、老人ホームを探してるんだよ。」と父は言った。
もう何度もこの話は聞いていた。今までは全然相手にしていなかったのだが、いつかそういう選択もあるかもしれないと、この日初めて思った。想像したら、うるうる悲しくなってしまった。
雑用を妹に押し付けて、いいとこ取りをしている自分も情けなく。

    *************

今年1年どうもありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
明日から父と妹家族と温泉で楽しんできます。

これから起こるいろんな事

2004-12-29 | 父の記録と母の思い出
あれはまだ30歳の頃。
両親が遊びに来てたのか私が実家に遊びに行ったのか、お茶でも飲みながら、母が言った。
「sakeも30歳か。まだ、これからいろんな事があるね。」
「まさか?!もう結婚もして子供もいるんだよ。このまま子育てして年取って行くだけだよ。」

「まだまだ・・これからいろんな事があるよ。いろんな事がね・・。」
あの時母の言っている意味がよく判らなくて、私は首を傾げた。結婚して子供を産んで、子供が普通に育って、普通に年を取るつもりだったから。
それ以外の事なんて、何も予想できなかったから。

あの時母が言っていたこれからあるはずの
いろんな事の意味が、何となく判ってきたような気がする。

いつもゴールをめざしてた。いつも、いつも。

10代よりも20代、20代よりも30代、いろんな事があった。
今度こそもう何も無いって思いたいけれど、きっとこれからの10年はもっといろんな事があるんだろう。今まで以上にいろんな事があるんだろう。
離婚も大変だったけれど、あの時は両親が2人とも元気だったからなぁ。それほどたいした事でもなかったかもしれないな。今から思ったら。

たぶん、kekeさんが家を出ても終わらず、年金生活に入っても終わらない。
心のどこかで「それからsakeさんは幸せに暮らしました、めでたしめでたし」と言うゴールをいつも目指していたけれど。
いろんな事があって、いろんな風に越えて、でも、今日健康で生きててみんなで楽しくて良かったと思う。だから、来年もこんな風にみんなで元気で顔をあわせたいと願う。

母は続けていた。
「お母さんはね、sakeが高校受験に受かったらそれで終わりだと思ったの。その次はsakeがお嫁に行ったらそれで子育ては終わりだと思ったの。でも、心配って終わらないんだね。」

私が予期せぬ離婚したのはそれから2年後。
まったくその通り最後まで心配かけていたんですね。。。

昭和52年と言う時代

2004-12-28 | 歌謡曲・カラオケ
先週の金曜の『金スマ』をたまたま観ると、ピンクレディーが出てきたので、嬉しかった。
それもヒットメドレーだよ、何曲も。『透明人間』や『カルメン77』なんて、過去のVTRでも今じゃなかなか出て来ないし、イントロが始まるだけで、そうそうそうそう!!これこれこれ!!って一人盛り上がりでしたよ。
そうかと思うと、昨日はフジTV系列のモノマネ番組で太田裕美が登場。私は大ファンでお年玉や小遣いを太田裕美のLPにほとんどつぎ込んだくらい。

私の中で昭和52年ブームが沸いて来た。
遅ればせながら、この頃からやっと歌謡曲を聴き始めたんですよ。(それまではもっぱらアニソンで友達にバカにされたので歌謡曲を聴くようになった)
だから、いろんな思い出があるんですよね。^^

ピンクレディが好きになったきっかけは、中1の時に隣の男の子がピンクレディのファンで、私が「え?ウォンテッド?何それ」って言ったら、「え!!まだ聞いたことも無い奴いるの?信じられない・・レコード貸してやるよ」と言って、家でフンフンと聴いたのがきっかけ。
太田裕美は、この後の席替えで一緒に班になった男の子3人がみんな太田裕美のファンで、学校で「九月の雨」をさんざ騒いでいて、「フムフムどんな歌だろう」って聴いたのが、「恋人達の100の偽り」と言う歌(新曲が出てた)。これでたちまち太田裕美のファンになってしまったのでした。

あと好きだったのは、キャンディーズ。(この後間もなく解散してしまうけど)「見ごろ食べごろ笑いごろ」観まくりましたよ。その番組でランちゃんが主演?のミニドラマがあって、(キャンディーズがバレー部と言う設定の学園ドラマで、ランちゃんがたいてい途中で不治の病で死んでしまう)その主題歌を妹とハモりたくて練習してました。

アリスの「冬の稲妻」とか、八神純子の「思い出は美しすぎて」、渡辺真知子の「迷い道」・・思い出すとキリがない。
くんくん、あの頃の匂いがする。

今なんであの頃がこんなに懐かしいのだろう?
今、kekeさんが丁度同じくらいの年頃だからなのかな?

なんだか、あの子を見ているとあの頃に戻れそうな気がするよ。
・・・戻れたら、いいのになぁ。
学校もたいして好きじゃなかったんだ。いつももやもや悩んでいたような気がするけれど、どうしてあんな頃を特別思い出すのだろう?

初めて買ったレコードは父と一緒にキャンディーズのベストアルバムだったっけ。父がこっそりその後でピンクレディのテープを作ってくれたんだ。ドライブでいきなり作ったピンクレディのテープかけて、私と妹は「わぁ~~!!」って驚いたの。(思い出すと父も優しかったんだ、仕事も忙しかったのに、そんなことまでしてたんだもの)

今の私、kekeさんのほしいゲームを知らない。好きなCDも知らない。
あの頃の父と母。今のkekeさんから見える私の姿。
気が付けば、あの頃うざかった母の口ぐせ、「勉強しなさい」「やればできるんだから」って同じ事言って、子供に嫌われてる。
「sakeのような親には絶対にならないから」私もいつもそう思ってたんだよ。

あの頃、父も母もすごく元気だったんだな。
そう思うと、せつない。

父への心配

2004-12-28 | 父の記録と母の思い出
クリスマスにはいろいろ楽しい出来事もあったのだけど、何よりも私の中で大きかったのは、父がとうとう『老人性痴呆症』の診断を受けてしまった事。

この数ヶ月(半年くらい?)、たしかに「おかしいな」と言うような事は何度もあったのだ。友達との待ち合わせの日時がズレている事は何度もあった。でも、「何か行き違いがあったのだろう」「まったく、最近のおじいちゃんったら」で終わってしまったのだ。

しかし、あの旅行の待ち合わせ場所の新宿が小田原にズレていた件も、ゆくゆく問い詰めて事実を照らし合わせてみると、父が待ち合わせ場所を勝手に一人合点で途中で変えてしまったことが判る。
病名を言われて、初めて「そうだったのか」となった訳である。病名を知らなかったら、あの小田原の件も「まったくしょうがないんだから」で終わっていただろう。

今までは自覚がなかったから、『父は最近物忘れがひどくボケてしまったのだ』なんてフザケタ書き方をしていた。事実を知ったら、もう、そんな書き方はできない。
私以上にショックを受けたのは妹。これからは父に毎日薬を飲ませて、進行を遅らせるしか方法はないらしい。

悪くなる事はあっても、今以上良くなる事は無い。
この事実を受け止める事は辛い。

そんな父が旅行から帰ってきて、急に明日病院に行きたいと病院に予約(?)してしまい、急遽私が付き添うことに。(一昨日も書いたけど)
しかし、次の日になるとすっかり忘れているようで、一応病院にも行ってみたけれど、先生の前では「寝起きに妄想が始まる」などと言って(本当にそうと言うよりも辻褄合わせのようにも思う)具合が悪い時だけ服用するお薬を処方してもらう。
家に戻ってからは、妹にメールで簡単に状況を説明して、「やれやれ」と思ったのだが、妹の話では見てない間に全く違う昔の薬を飲もうとしたと言う話。これでまた一悶着になったのだが、小田原の時と言い、この薬の件と言い、こう言う時に周りがどんなに「それは違うんだよ」と言ってもガン!と譲らない。

これも全て病気から来ていたのだ。そう言われて初めて父の行動をよくよく観察するようになって、いろんな事が見えてきたと言う感じである。
父も心配だけれど、妹の気持も心配。
子供も手が離れてきた所で、私もちょくちょく父を散歩に連れ出そうとは思うけれど・・・。

今日から会社も片付けモードに入ります。
実は処理するはずの伝票もたまっているし、新年会の領収書も時間を見て作っておかないと。あとは納会(本当は取りやめだったのに、また社長のツルの一言でやることになる)のお金も用意して・・頭がグルグル回りそう。

たまごっちが生まれない

2004-12-27 | 日記
あまりにも仕事がたまりすぎて、会社の方は全く自分の席の周りが片付けられません。

もう他のみんなはどんどん机を片付けて(今年はなぜかみんな早い?)机が散らかっているのは、私とBRさんだけ。(T_T)

ブログも
・23日にお台場に行った時の話
・クリスマスイブはモスバーガーのハンバーガーを食べた話
・kekeさんのクリスマスプレゼントは、半年前から決めていた自転車をやめて、ラジカセを買った話
         :
などなど、いろいろ書こうと思っていたのですが・・・

しかし、未だにたまごっちは生まれてこないのです。(リセットしたのは昨日の午後4時頃)
これは故障なのだろうか?
とっても気になってます。

今日はどうにか仕事をやっつけて、明日から机を片付けよう~!
(自分だけ汚いと社長に怒られそうだわ)

大掃除をする

2004-12-26 | ぶきっちょさんの家事一般
今日は、掃除が終わるまではPCを開けないことにしたんですよ。

私は朝から午前中にかけてエネルギーを使い果たす性質があるみたいで、朝の一番に気合を入れてやらないと、掃除のような(心身ともにエネルギーを必要とすること)はできないような気がしたから。

重い重い腰がやっと上がったのは、ココの所の休日(木土日と続いた)と、昨日の父の通院に付き添ったら、昼食は父がおごってくれて、夕食は妹が作ってくれて、昨日は一度も台所に立たずに済んだこと。(^o^)丿しかし、皿もおとといのままシンクにつかっていたし、もっと悲惨なのは3日前に炊いたご飯がそのまま炊飯器に保温状態残っていて、ちょっとカチカチになってしまった。(でも、今日の昼に食べましたよ、kekeさんはこのご飯なに?って驚いていたけど)

でも、昨日台所でエネルギーを使わなかったから、今日、掃除ができたんだと思う。やっぱり家事も休日が必要なんだわ。

せっかくなので、今日した作業を記録しようと思います。

たまった洗濯物を洗う(と言っても洗濯機で)
山となっていた数日分の洗濯物をたたむ。
出しっぱなしの台所の調味料類を片付ける。
台所にたまっていた使うか使わないかビミョウで捨てられない割引券やチラシの整理。
たまったシンクの中の皿を洗う。
換気扇が汚れているのに気付く。
出しっぱなしになっている居間の物全て、どこか見えない引き出しに片付ける。この時に文房具のぐじゃぐじゃな中からたまごっちをみつける。小さいドライバーをずっと探すがみつからズ。
こんどはコタツのカバーも洗濯機にかける。
たまごっちがやりたくなって、ドライバーと電池を買いに行く。
外に出るついでに空き缶とか発泡スチロールの分別。→リサイクルへ
ついでに換気扇のカバー(使い捨ての)を買ってくる。
ついでにスーパーで昼食の惣菜を買う。
掃除機をかける。
電気のかさの埃を落とす。(なぜか掃除機を掛けた後になってしまう)
換気扇の掃除(だんだん疲れてきておおまか)
ガスレンジの掃除(かなりおおまか)
窓を拭く。(疲れたので一部だけ、しかも室内から見るといまいち汚れがおちきってないようだ)
トイレの掃除(これもやった気分だけでおおまか)
たまごっちがいつまで経っても卵のままなので、リセットボタンを押してみる。

自分ではこんなにしたつもりでも、羅列すると、これは世間一般ではただの普通の掃除じゃないだろうか。。。でも、朝の8時からもう4時になってしまった・・。
私の場合は、これでも半年に一度あるかないかくらいの大作業だったのだ。
(毎日こまめにやっていれば何てことはないのに・・)←今日得た結論

世間ズレ

2004-12-24 | その前の会社

給料日の朝。銀行から「当座の残金が10万ほど足りなくて振り込みできません。」との電話。うちの会社担当の窓口の人からであった。

今日は給料と現金引き出しを依頼していた。担当者が先に現金を引き出してしまったため、給料が振り込めなくなってしまったのだ。いずれにせよ、私のチョンボだ。残高をちゃんと確認するのを怠っていた。毎月この時期は残高確認を毎日しながら、遅れている業者さんへの支払いと給料の振込みをしているのだが、今月は資金が潤っているので、すっかり当座の残高を油断してしまった。今月は年末調整もあって、給料もいつもより多かったのもすっかり忘れていた。

この連絡受けた時に上司BRさんがいたので、ハンコを押してもらってサッサと銀行に行けば良いだけの話だったのだが、そのお金が足りませんの連絡をしてきた担当者の言い方が、「私も忙しいし、オタクが悪いんだから今日中に振り込めなくてもしょうがないですね」くらいの言い方だったので、逆切れしてしまう。
(私もこの1年でかなりお局化したもんだ)

言ってから
シマッタ!と思ったものの、もう出た言葉は引っ込みがつかない。思えば3~4年前、よく上司BRさんが銀行の担当に対して理不尽な怒り方をしていて、「いいんだよ、俺たちは高い利息払って奴らを食わせているなんだから(俺達だって客には頭を下げてお金をもらっているんだから)」と言う言い方をしていた。
(私はあぁは決してなるまい・・・)と思っていたのだが、最近自分が怖くなる。あぁなるまい、と思っていても、傍にいるとだんだん似てくるのだろうか。。。

でも、やっぱりモノは言いようだ。
たまたまうちの担当の人がそうなだけかもしれないけれど、振込料が値上りする、両替するだけで小銭が何十枚以上になると手数料か掛かる、何々の手数料がこの度値上りしました、どんどんお客が負担を強いられるような取り決めに一方的に変えて行って、「そういう取り決めだからしょうがないでしょ」と言うニュアンスをたびたび感じているから、ある日プチッと切れてしまったのだ。。。

言っちゃなんだけど、どうせ破綻しそうになっても税金で救ってもらえるだろう人達に『お客さん』と言う概念は無いのかもしれない・・・心の何処かでそんな風に思っているから、いざ何かの時に言葉で出てしまうのだ。

NHKの事、大阪で1人1着3万円のスーツが税金で制服として支給されていたとか、税金を何十億もタクシー代で何処かの組織が使っていたとか税金で旅行してたとか、税金がどこどこでこう使われていました、と言う話を聞く度に、何だかムカツク。
そういう放漫経営をしてて潰れていつか自業自得になるのなら(例えばうちの会社が放漫な経営をしたらやがては倒産して誰もその時救ってはくれないのサ)ともかく、どんな放漫な事をしても、決してアノ人達は潰れる事が無い組織だと言う意識があるからだろう。

みんなが誰もが豊かだったら、そう言う放漫な事実があっても、もっと寛大だったのだ。こんな苦しい世の中で、勝手に税金を値上げして、社会保険料を値上げして、お金が無いから税金上ってもしょうがないのですと言いながら、そういう遣い方を今でもできていると言う所の感覚が
世間ズレしているのだ。本当に運営が悪くてお金の入りが悪いのならボーナスなんて払えないはず。(中小企業はそうなの)

これ以上言ってもしょうがないから、これまで。

年末調整も最後の給料と同時にしたのだが、まだ若干一名だけ生命保険の証明書をはじめ必要書類を出していないため、できなかった。上司BRさんである。今月年末調整ができなかったので、BRさんだけは年明けて来月の給料で年末調整をする事にして、その旨報告した。

「あぁ、しょうがないよね、なるべく早く出すからごめんね。」と言ってくれて、今日、生命保険の証明書を「これで」と言って持ってきてくれた。
さてさて、と思って、しばらくしてからそのBRさんの証明書をのりづけの部分を開いてみると、
「口座にお金が無いのでこの用紙で振り込んでください」と言う催促状ではないか!!びっくり!しかも二通とも!!◎◎

と言うわけで、皆さん、生命保険の控除証明書も、一度ちゃんと開封してから総務に提出しましょう~!

クリスマス in お台場☆

2004-12-23 | 父の記録と母の思い出
父が昨日友達と旅行にでかけたのだが、新宿で待ち合わせるはずが、いつまでたっても父が現れないと言う。(待ち合わせた友達から妹に電話があったそうだ)

時間的にはもうとっくに着いているはずなのに、なぜ?

途中で何かトラブルがあったのではないか、と気を揉んで、妹は駅に問い合わせたり、父の携帯にも何度も電話したようだ。(父は一年前に携帯を買ったが、いつまで経っても使い方をのみこめず、ほとんど役をなしてなかった)
もしかして、待ち合わせ場所が違っているのか・・と父のデスクを開けると、その友達からのFAXがパラリと出たきた。

たしかに、新宿で待ち合わせとハッキリ書いてある。

気を揉んで気を揉んで待ちつづけて2時間後、やっと小田原に居る父から「待ち合わせ場所に友達が現れない!」と電話が来たとの話。「なんで、友達からのFAXをちゃんと持っていかないの!新宿って書いてあるでしょ!」と妹は怒ったそう。
考えてみれば、新宿から小田急ロマンスカーで箱根まで行くのに、小田原で待ち合わせるはずがないのだが・・・。

「その○○さん(父の友達)がいい人だから良かったけど・・私だったら、そんな人と二度と旅行になんて行かないよね」と私。
「そうでしょ!もう人には迷惑かけないでほしいよ・・FAXだってちゃんと持っていけばそんな間違いないのに。」と妹。

妹は、それからも無事に箱根で二人が会えたのかどうかずっと気にしていたが、それからはさっぱり連絡が来なかったそうだ。どうしても気になってFAXに書いてある旅館に電話したところ、無事に二名様で泊まっているらしい。
(結果的にはFAXが机にあったからこそ、彼らの無事がわかった事になるが)

「明日、旦那さんお休み?」
「ううん、仕事なんだ」
「kekeも明日友達と約束してて居ないんだ。明日、お台場に行ってみない?おじいちゃんも居ないし夕飯も急がなくていいでしょ?きれいだよ!クリスマス」

そんな訳で、今日はこれからお台場に行ってきま~す。(^^ゞ
いっぱい遊んで帰りには姪たちにクリスマスプレゼントを選んでもらうつもりです。
クリスマスイリュミネーションも楽しんできますよ。

年賀を書くのを忘れずに!

2004-12-22 | ぶきっちょさんの家事一般

どうやら、私の書いた年賀状の一部は既に先方に届いているそうです。

第一報を聞いたのは、友達からのメッセ。「もう年賀状届いてるよ」
うそぉ~~~~!!(☆o☆)
なんでもう届いちゃってるの?
クリスマスもまだなのに。。
ポストの入れる方を間違えたのかな?

友達の指摘によると、表に
年賀と赤く書くのを忘れているそうです。

そうか・・・表に
年賀って書いてなかったんだ、年賀状を最後に書いたのも、はるか一年近く前の話だから、そんな事すっかり忘れてたよ。。。

次に報告が入ったのは、うちの会社の社長から。
「sakeクン、年賀状届いたんだけど。あけましておめでとうって、年明けてないぜ。笑えたぜ~ガハハハ~~」 

ガーン。  
もっとも行ってほしくない所にも届いてたか・・ZANNEN

と言う訳で、私からクリスマス前に年賀状が届いてしまった皆さん、申しわけありませんでした。m(__)m
ココを見ているかどうかわかりませんが・・。

ちなみに鶏柄の干支の年賀状で出した御宅の分は、表に年賀と書かれていたので、まだ届いていないようです。(でも、鶏柄の年賀状はデザインがユニークだったから、律儀に改まって書いた年賀状に限って干支ものではなくて、既に届いていると言う悲惨な結果になってます。。><)

今年も最後の最後まで、やっちまった~と言う所です。
前社長(BRの父)さんにももう届いているハズ・・あぁ~~~
社長には改めて、「再びあけましておめでとうございます」ともう一度年賀状を書く予定。

都落ち的芸人路線

2004-12-21 | 母子家庭だから思うこと
ちょっと古い話だけど、『子供に見せたくない番組』でロンドンハーツの番組が選ばれたと聞いて、なるほどなぁと思った。
最近、あの番組は10人くらいの女性ゲストを招いて、「この中で尻が一番汚そうな女性は?」とか「この中で一番男の前で豹変しそうな女性は?」とか、そういう
下品なアンケートを世間の人に無責任にさせて、証拠も何も無い結果を、公表して面白がっているからである。タイトルも『格付けし合う女達』みたいなそのまんまのタイトルだったように思う。

kekeさんは毎週この番組を喜んで観ていたので、「こんな番組つまらない。女を格付けなんてサイテーだよね、kekeだって、人から格付けされたらイヤでしょ」と言ってみた。
(と言いながら、この『格付けし合う女達』が一番最初にオンエアされた特番で喜んで笑って観ていたのは他ならぬ自分であったので、あまり説得力は無い)

そしたら、「何言ってんの?(芸能人は)それで給料もらっているんだよ、あれで話題になって売れるのがイイんだよ。今の若者にはこれがウケてるんだよ。」とkekeさんに言われた。

(そうかぁ~たしかにそうだな、イヤだったら他の仕事をすればいいんだし )と逆に説得されて、うちではまた親子揃って、あの手の番組を笑いながら観ることになった。

しかし、当時男性にカリスマ的人気を誇ったアイドルタレントやセクシータレントさんが、今、芸人と並んでお茶の間で笑われていると言う現実は、当時を知る人間からすると、
「やっぱりなんだかなぁ~」と感じてしまわないこともない。今で言うと、あややとか藤原ノリカが40近くになって、芸人と女を滑稽に競り合ってお茶の間で笑われていると言う現象なのだから。

でも、これは新しい売り込み方なんだね。きっと。
20代はアイドル路線やセクシー路線で金を稼いで、30代後半からは今度はバラエティ路線で笑いを取って稼ぎまくる。そして、40代半ばからは、それまでさんざ稼いだ金で悠悠自適の生活を送るのだ。よく観ると、たしかに旦那さんにちゃっかり養ってもらっているような芸能人は、このコーナーには登場しないもの。
女が一人で生きて行く事は、どの世界においても決して甘い事ではないのだ。

ちなみに、この都落ち的芸人路線を最初に始めたのは、石田純一サンのような気がするけれど、如何なもんだろうか。そして、その売り込み路線を確立したのが、杉田かおるサン。
石田サンはたしか昔には『結婚したい男性』に選ばれるような人気を誇っていた時代もあったような記憶があるが、それは記憶違いだっただろうか。それが女性スキャンダルと『不倫は文化』発言であれよあれよとイメージが崩れ、いつしか
バラエティ専属タレントのようになってしまった。それでもバラエティで(笑)を取り続ける石田サンを観て、「あぁ、養育費を払い続けるのってきっと大変なんだな」と他人事ながら同情していたのだが。

しかし、元奥さんはすぐに再婚なさったので、考えてみたら養育費のためにバラエティ番組に出ている訳ではなかったんだよね。今度3億円の家を建てただか建てるだかと言う噂もあるし、
やっぱりすごい、稼いでいたんだわ~と思う。

そう、kekeさんの言うように、あのコーナーに出てくるタレントさんは、ああ言う売り込み方をしているだけなのだ。みんなガンガン稼いでいるバリバリの現役タレントだったのだ。

私も一生稼いでいかないとな。
笑われようが、けなされようが。
それで生きて行けたら、いいんだよ。