左足は、なった所は薬を塗って徐々に終息しつつあるのだが、新しく菌がうつって悪さをするようである。
「かゆいなぁ」と思うところが、たまたま靴のヘリとかで擦れてしまうと、水ぶくれが大きくなってしまうような気もする。(違うかもしれないけど)
そう思うと、あまり歩きたくないし、靴がすれると嫌だし、それでなくてもかゆいだけでドキッとしてしまう。
昨日は食事を作る意欲もなく、kekeに自分はラーメン作るから、自分の分だけ何か買ってきて、と言うと、もうお惣菜もなかったそうで、肉ともやしを買ってきたので、二人でラーメンを食べた。
スープは市販のスープを買ってきてもらった。
スープを作る意欲もないまま、昨日は布団カバーのシーツを洗ってみた。
もしかしたらここから移るのかな?とか考えた。
自分はもうともあれ、kekeにまで移らないことを祈る次第である。
今まで料理をしたり、散歩をする、風呂に入る、ビールを飲む・・・この全てがどんなに幸せだったかと、(今だけかもしれないが)思う。この気持、来年の今日も思い出しますように。
誰の歌だか忘れたけれど、日々の気持はその瞬間だけでと言う歌詞があったけど(aikoだ)、凹む気持ちもまた過ぎていくはず。
来るものを受け入れ、背負うべきものを背負ってこれからも生きていくのだ。
そう思っているうちに、見知らぬ人から急にラインが入った。
名前からしてG子かな?
でも同じ名前の違う人かもしれないと思い、G子の携帯メールに「ライン送った?」と送ったが、送信できず戻ってきたので、G子がスマホに変えたのか?!と思い「失礼ですが、どちらさまですか?」とラインで返事を送ると、「初心者なので操作を間違えたかもしれません。sakeさんですか?}と送られてきたので、G子だとわかった。
それからちょっと前にバリスタがおかしいおかしい、と騒いだが、やはりコーヒータンクの掃除をしたら、治った。
今は何もなかったように使えている。
(先日の記事も直さないと!)
昨日見たTVは、昭和の歌謡曲特集の番組。
50歳前後の裕次郎を見た。
昔は、裕次郎=父の歌、と言うイメージだったけど、今自分が同じぐらいの年になってみると、ちょっとお茶目な人だったんだなぁと思う。そんな所が心なし、マッチに似てる気がする。
「かゆいなぁ」と思うところが、たまたま靴のヘリとかで擦れてしまうと、水ぶくれが大きくなってしまうような気もする。(違うかもしれないけど)
そう思うと、あまり歩きたくないし、靴がすれると嫌だし、それでなくてもかゆいだけでドキッとしてしまう。
昨日は食事を作る意欲もなく、kekeに自分はラーメン作るから、自分の分だけ何か買ってきて、と言うと、もうお惣菜もなかったそうで、肉ともやしを買ってきたので、二人でラーメンを食べた。
スープは市販のスープを買ってきてもらった。
スープを作る意欲もないまま、昨日は布団カバーのシーツを洗ってみた。
もしかしたらここから移るのかな?とか考えた。
自分はもうともあれ、kekeにまで移らないことを祈る次第である。
今まで料理をしたり、散歩をする、風呂に入る、ビールを飲む・・・この全てがどんなに幸せだったかと、(今だけかもしれないが)思う。この気持、来年の今日も思い出しますように。
誰の歌だか忘れたけれど、日々の気持はその瞬間だけでと言う歌詞があったけど(aikoだ)、凹む気持ちもまた過ぎていくはず。
来るものを受け入れ、背負うべきものを背負ってこれからも生きていくのだ。
そう思っているうちに、見知らぬ人から急にラインが入った。
名前からしてG子かな?
でも同じ名前の違う人かもしれないと思い、G子の携帯メールに「ライン送った?」と送ったが、送信できず戻ってきたので、G子がスマホに変えたのか?!と思い「失礼ですが、どちらさまですか?」とラインで返事を送ると、「初心者なので操作を間違えたかもしれません。sakeさんですか?}と送られてきたので、G子だとわかった。
それからちょっと前にバリスタがおかしいおかしい、と騒いだが、やはりコーヒータンクの掃除をしたら、治った。
今は何もなかったように使えている。
(先日の記事も直さないと!)
昨日見たTVは、昭和の歌謡曲特集の番組。
50歳前後の裕次郎を見た。
昔は、裕次郎=父の歌、と言うイメージだったけど、今自分が同じぐらいの年になってみると、ちょっとお茶目な人だったんだなぁと思う。そんな所が心なし、マッチに似てる気がする。