きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

カラオケで歌う春ソング

2014-01-31 | 歌謡曲・カラオケ
2月になる前から、今年は春の予感を感じさせる。
そのせいか分からないが、花粉のくしゃみまで出ているようだ。

このテンプレートも過ぎ去りし感がして、このまま今年は雪が降らずに終わるような気さえしてしまう。

そこで今日はカラオケで歌える「春の歌」特集、春シバリにしてみよう。


まずは、タイトルからして「春」がついた、春の定番曲。

●春一番(キャンディーズ)
●春よ来い(松任谷由実)
●春なのに(柏原芳恵)

もうちょっと新しくなると

●春~spring~(hysteric blue)
(タイトルが春で副タイトルがスプリングとはこれいかに。
この歌好きだったので、事件をきっかけに見なくなってしまったのが残念である。)

●春おぼろ(岩崎宏美)
(彼氏が娘さんをくださいと両親に挨拶に行くが、コテンパンに断られ、岩崎宏美が「私をぶってもいいのよ」とまで言う曲である。)私の中では春の定番曲。

次にタイトルに「桜」がつく曲。
これも春の定番と言えよう。

●サクラビト(Every Little Thing)
●花は桜 君は美し(いきものがかり)
●sakuraドロップス(宇多田ヒカル)
●sakura、i love you(西野カナ)
●桜の時(aiko)
●夜桜お七(坂本冬美)

いきものがかりは、もう1つ
●sakura(いきものがかり)
こちらもある。

それから男性曲はあまり詳しくないが

●桜坂(福山雅治)
こちらも大ヒットした春の曲であろう。
ちなみにコブクロの「桜」は、私が歌えないので割愛する。

あと春と言えば「卒業」である。
卒業ソングも幾つか挙げてみたい。

●YELL(いきものがかり)
曲調が寂しげで「秋」の雰囲気がなきにしもあらずだが、
歌詞からすると卒業を念頭にした歌のように思われる。

●卒業(渡辺美里)
「花は散るらん」と卒業プラス桜の散る様子が歌詞に現れ
春の3乗ぐらい春を感じさせる曲である。ちょっとせつない。

●Everlasting(BoA)
kekeが卒業の年にヒットしたBoAの曲である。
そのせいか卒業=旅立ちの印象が強く残る。

●卒業(菊池桃子)
菊池桃子の大ヒット曲。「卒業」と言えば斉藤由貴も歌っていたけど、
自分が知らないのでこちらは割愛した。

それから「春」と言えば聖子チャンであろう。

●チェリーブラッサム(松田聖子)
●赤いスイートピー(松田聖子)
●Strawberry Time (松田聖子)
聖子ちゃんならまだまだありそうだけど、この辺で止めておく。

さてその他、これも歌詞から言うと春の歌であろうと思われる曲。

●なごり雪(イルカ)
(季節外れの雪なので3月ぐらいであろう、汽車で旅出す恋人を見送ると思われる)

●いつかきっと(渡辺美里)
(前にも紹介したけれど雪が溶けかかってこれからこの街で
戦うぞーと元気になれそうな曲。)

●色ホワイトブレンド(中山美穂)
(歌詞は春のオンパレードである。竹内まりや作詞作曲。)

●美・サイレント(山口百恵)
(「○○○○」と百恵ちゃんが口パクで何と歌っているか
わからない意味深だった曲である。季節が変わって
女性が着飾って町に出るのだから、たぶん春。)

●ブラックアウト(東京事変)
(桜はもうとっくに散ってて急いで帰る気温はとっくに北へ、と言うので
春であろう。秘め事の曲である)

●都に雨の降るごとく(谷村新司)
(桜とは書いてないが、この曲を聞くとあの春の雨を思い出す。
たぶん桜であろう。何回聞いても彼女がなぜそんなに
悲しんでいるのか分からない謎の歌詞。)

●Time after time ~花舞う街で~(倉木舞衣)
(たぶん舞っているのは桜だと思われる。歌詞にはどこにもそんなことは
書いてないが、私はこれを京都の桜だと思っているのはなぜだろう。)


そして、中森明菜で「春の歌」を探してみるが、
これがなかなか思い付かない。

スローモーションも「春」より「初夏」と言う感じがしないでもないので、うーんと思いながら
挙げてみた。

●二人静(中森明菜)
(これは「夜桜がさわぐ」とあるので紛れも無く春の曲であろう。
春爛漫ではなく、静かにキリリと春を表現する明菜のヒット曲。)

●AprilStar(中森明菜)
「Bitter&Sweet」と言う私の大好きなアルバムの最後の曲である。
相当なファンでないと知らないであろう、メリハリがなくて短い曲であるが、
マッチとの映画を思い出してしまいそうな明菜の幸せソングである。

●桜(びゃく)(中森明菜)
実はこの曲は私はあまり知らない。
たしか桜ってタイトルがあったなぁと思って調べてみたらあった。
今度聴いてみようと思う。


だだだと思い浮かべるとこんな感じであろうか。

まだ春までしばらく時間があるので、もう少し考えて第二弾を送ろうと思うが、ここまで書いてしまうと、もうネタギレかもしれない。
とりあえずおしまい。

いってらっしゃい

2014-01-30 | 息子keke
kekeが明日はスーツを着ていくと言う。

あぁそうかいと私は言った。

6時半に出て行くと言う。

翌朝は5時に目覚ましが鳴り、私はその音が夢なのか本当に鳴ったのかよく分からなかったが
やはり本当に鳴っていた様で、またしばらくすると鳴るのだった。

そんなことが3回ぐらい繰り返された後、kekeが起きてきて、リクルートスーツに着替えて出て行った。
まだ6時だった。

お昼代を渡した。
いつの間にか買っていたカバンを置いて、靴を履いていた。


いったいどこまで遠くに行くのだろう。

前に1人暮らしをする時は、どこかイケイケ、行かなければならないモードがあったけど
ある日、こんな風にkekeが居なくなるんだろうなと思ったら、今はとても淋しい。

しかし、私は先に死んでしまうから、そうでなければ困るんだ。

これからもいろんなことがあるだろう。
すぐにみつかるかどうか分からないし、みつかってもまたいろいろあるだろう。

でも私はずっと限りない応援を続ける。
「いってらっしゃい」と送り出す。

酢豚弁当

2014-01-29 | 息子keke
kekeのジャージ姿に疲れ、帰りに弁当を買って帰ることにした。

運よく半額の酢豚弁当と麻婆豆腐弁当が買え、パン屋の横を通り過ぎるとチョコレートのパイ生地パンが98円で売られていた。
「kekeがきっと好きそうなパンだ」と思いながら、弁当を買ってしまったので買うのを止めた。


家に帰って「今日は弁当買ってきたよ」と言うと、kekeが出てきた。
「そう言えば要るって言ってた交通費はいつ要るのか?」と尋ねると、「もうほしい」と手を出す。

「今日のジャージ姿を見たら。あっと言う間に使って無くなるのではないかと心配になってきた。」と言うと、kekeはそんなことはない、と言う。
そしてまた、10日なればこの前のバイト代が入るからと言う。

このセリフは倒産する前の会社の決まり文句である。
自転車操業だったので「いつになってお金が入ったら返す」と言って借りていたので、その日になると返済がついて回りいつもお金がなかったことを思い出す。

「頼むから冷凍食品の人のようなことにはならないでくれ。」
そう言うと、kekeは「そんなに信用が無いのか」と苦笑する。
今日も出かけるようなことを言いながら、一日ジャージじゃないか、と私は言う。

しかしkekeは「仕事は探しているんだけど。」と言う。
若干笑顔さえ見せている。

「それなら昼に仕事を探して、夜にバイトをすることはできないのか?」と尋ねると、「夜はバイトがないものなんだ」とkekeは言うので、「向かいの居酒屋でもバイトを募集してるよ」と言うと、「ああ言うバイトは急に辞められないから。」と言う。

そしてやはり若干笑顔を見せている。

弁当はどっちにするか?とkekeに尋ねると酢豚弁当がいいと言うので、今日は、たまには一緒にお酒でも飲もう、と私は言う。
kekeは冷蔵庫からカシスオレンジの安い缶チュウハイを持ってきた。

TVではさんま御殿で夫婦のノロケ話ばかりで、「お前はこう言う夫婦ネタが好きなんだね」と私は初めて言った。kekeははっと気がついて、「好きなチャンネルにしていいよ」と言う。
いろいろ変えてみたけど演歌番組にしてしまった。つまらないかなぁと思ったけど、kekeは歌が好きなので聴いていたようだ。

力尽きる昼

2014-01-28 | 息子keke
今日は財布を忘れてしまった。
お金はなくても良かったのだが、免許証が入っているのだ。
今すぐにでも引き返したかったが、もう時間が無い。

会社に着くと課長が「sakeさん、このジャンバーは業者さんが現場に忘れてしまったものなんだけど、後で取りに来るからよろしくね。」と言う。

「今日は昼休み家に1度帰りたいけれど大丈夫ですか?」と私は訊く。「財布を忘れてその中に免許証が入っているんです。」と言う。

課長は「いいけど免許なんて無くても大丈夫だよ。取りに行く時に事故ることもあるからね。」と言われて半ば諦めていたのだが、Aさんが午後イチに書類を取りに行く用事を作ってくれて、昼休みに家に帰れることになった。


私は早めに出て家に帰った。
ジャンバーの人にも夕方来てもらうことにした。
家に帰る途中で銀行で給料もおろした。


家に帰ると、kekeが寝巻き同様ジャージ姿のままうろうろしている。
まさか私が帰ってくるとは思わなかったのだ。


力尽きる。
いつも私が仕事に行っている間、kekeはこうして着替えもせず家でダラリンコ過しているのだろうか。
これを知ると、本当に力尽きる。

でも、何を言っても何もなさないことをもう充分知りつくしていたので、「今日はどこにも行かないのか?」と一言だけ言い、kekeはこれから行く、とも言う。

朝もそう言っていたような気がする。
もうどこからホントで、どこからウソだか分からない。

責めたらまた死にたくなるだけ。
kekeが死んだら、私も生きている意味が無い。
大学を出ている、体育会系の、元気な人が、正社員になって長生きすればいいさ。

私達は極めてシンプルに、仕事が見つかればするし、見つからなければ食べられない、ただそれだけ。
そして、私はkekeが生きている限り、頑張って仕事を探すのだろう。
本人の意思無きところでは動かない。
死にたいか、生きたいのか、そんなことさえ本人の意思がなければ動かない。


夜食べようと作っておいたカレーを食べてしまったので、今日の夜はどうしようか。

今日の夕飯

2014-01-27 | 今の会社
今日はいろいろ疲れてしまった。

家に帰るとkekeが部屋から出てきて、あーあと寝転がって「交通費がほしい」と言う。
どこまで行くんだい?と言うと、A駅までと言い、バイトなのかい?就活なのかい?と訊いてもはっきりとはあまり言わない。

幾らほしいのかい?と訊くと往復2,000円ぐらい掛かるらしいけれど、もう少し多めにほしいそうで、今日は通帳を忘れて給料をおろせなかった、明日の夜かあさってでもいいかいと訊くと、それでいいと言う。
kekeのお金のことは信頼してるから、別にかまわないけれど、この先いったいいつまで続くのだろう。

「今日は何を食べよう」あまり詰まってない冷蔵庫を見ながら、明日は給料おろせるし久しぶりにピザでも食べようかと言うと、kekeはマックなら携帯代払うついでに買ってくる、と言う。

何がいいんだろう?そう言えば最近全然食べてなかったよね、チーズバーガーかな、最近マックポークってあるんだっけ?と訊くと、ベーコンレタスなら190円だよって言い、あとは昨日の残りの鍋を食べるから私はそれだけでいいよと言うと、あの鍋、昼食べたらヤバかった、味は変わらないけれど、野菜が煮詰まりすぎてドロドロだったとkekeが言う。
kekeは冷蔵庫を見ながら、自分もレタスバーガーとこの煮込みラーメンでいい、と言い、「それじゃ私はラーメンに入れる野菜を買ってくるね」と家を出る。


今日は会社で帰り間際、nanuさんと秀クンは夕飯の品数が少ないと言う話になっていた。秀クンは「それで夕飯これだけ?」と言うと怒られるというので、「それだったら、帰りに何か買って帰ろうか?と電話するのはどうでしょうか。」と言うと、「小遣いから出すから買えないよ」と言う。
「それでお弁当が無い日にもらえるのは400円」と言い、「小遣いも月に5,000円なんだからね。」と言う。

月に5,000円?!と私は言い、nanuさんは「5,000円じゃ何も買えないな」と言った。
秀クンは「最初は3万円だったのに子供が生まれて貯金するのに減って、家を買うのにまた減って今5,000円だよ。」と言う。
私は、「でもこれから新しいおうち、楽しみですよね。これから間取り考えたりいろいろするんでしょう?」と言うと、「家具なんて何も買えないよ、今あるのだけ。せめてダイニングテーブルぐらい買いたいんだけどね。」と言う。

そんな会話を思い出しながら、それでも秀クンは連れ合いがいて、保険もいろいろ入っているし、娘も生まれて家も買ってこれから明るい未来に向かっているのだろう、あれはいつもの愚痴ノロケなのだわ、と思い出して、ニラとかもやしとか、豚肉、青梗菜をカゴに入れて、今日はリンゴやナッツも買うことにした。
ハーゲンダッツのアイスクリームが安いそうなので、めったに買わないけれどそれもカゴに入れた。

そして食料品だけは何でも買える幸せを、心行くままに味わうことにした。
この先ひとりで心細くて不安なことばかりだけど、私にはまだ好きなものをカゴに入れる自由がある。


家に帰ると、もうkekeはマックでハンバーガーを買ったと言う。

二人でベーコンレタスバーガーを食べた。
kekeは「やっぱりラーメン要らない」と言い、ポテトとシャカシャカチキンを買ったから、と言う。

ハーゲンダッツのアイスクリーム、全部いらないけどちょっとだけ食べてみたいと言うと、kekeは「全部食べないなら口をつけないで、手で割るかして食べてくれ」と言うので、ナイフで切る。

旦那さんがいたら、やっぱり「これだけ?」って言われるのかもしれない、私も。
そう思って、kekeの夜食のラーメン用に野菜を切ることにする。

ヒザの痛み

2014-01-26 | 今の会社
nanuさんが何日か前から「ひざが痛いひざが痛い」と言うので、「そう言う時はサポーターをすると楽になりますよ、母からもらったのがありますから」と言って、翌日家から持っていくと、その日はいよいよ歩けなくなるほど痛いそうで、ひきずって歩いていた。

そして病院に行ったのだが、レントゲンでは見つからず1週間様子を見て、変わらなければMRIをしましょう、と言われたそうである。

課長は「ひざに水がたまったんじゃないの?」と言い、お兄さんがそのようになってヒザの手術をしたそうである。
ZENさんは「通風じゃないの?」と言い、「オレも通風なのよ」と言う。本当はちゃんと薬を飲んで治療を続けないとならないのだがバアサン(ZENさん母)が亡くなった時に行かなくなってしまって、それきりになっちゃった、と言う。「オレはくるぶしだけど、ヒザにも来るのよ通風は」と言う。

私は神経が細いので、そういう体の悪い話を聞いているだけで、だんだん足がおかしくなりそうである。眉間にしわを寄せて思わず痛そうな顔をしていると、「sakeさんどうしたの?」と言うので、私も痛くなりそうです、と言うと「女は痛風にはならないから平気だよ」とZENさんは言い、「その代わりリューマチになるけどね」と言う。

「何が原因ですか?」と言うと、「プリン体よ、エビとかイカとかビール。」と言い、「だから最近プリン体ゼロってビールが出てるでしょ、ぜいたく病とも言うけど、贅沢なものは食べてないね。」と言う。

「ビールも止めて焼酎にしてる。焼酎はプリン体がないのよ。ウィスキーも角にしてる、角はプリン体がないから。」と言う。

うぅ~と私は言い、プリン体怖いですね、と言う。

話を聞いていると、課長も去年からメタボでひっかかり、nanuさんは家系的にドロドロ血の家系だそうである。(数値で血糖値だか血圧だかが身内みんなで高いらしい。)
私は今現在、とても健康な体でいられることに感謝しよう。


いつだったか、ZENさんが焼酎4リットルのカラのペットボトルを持ってきてくれた。
4リットルのペットボトルは、熱帯魚の水槽の水がすぐに蒸発して減ってしまうので、水を入れて水槽に注ぐ時に私が使わせてもらっている。

その時「これを1週間で(1人で)飲んじゃうのよ」とZENさんが言っていたので、プリン体の話が出た時に「例え焼酎でも量を控えましょう」と言おうかと思ったが、何となく悪いような気がして言えなかった。
本人のためにはちゃんと言ってみた方が良かったのだろうか。

それから、ヒザに水がたまって・・・と言う話になった時に母の事を思い出した。
実は私の母も1度水がたまってヒザの手術をしているのである。

当時私が住んでいた団地はエレベーターがなくて階段で昇らなければならなかった。
ヒザが痛い痛いと言っていたけれど、歩くのもままならないほど痛かったのだろうか。
それでも会いに来てくれたんだな、と今思う。

最近何かと涙腺ゆるみすぎ。
更年期かな。^^;

私のタオル

2014-01-25 | 父の記録と母の思い出
今日の父は散髪も済んでいて、血色もよく、一瞬昔と変わらないようにさえ見えた。
しかし、やはり今日もほとんどうつらうつら寝て過している。

食事の時間に遅れてしまい、私が着いた時はもうデザートを食べさせてもらっている。
ゼリーやプリンはよく食べる。
こんなに甘いものが好きな人だったとは思わなかった。

隣の大きなテーブルでは、最近入って来たおばあさんが前の人に向かって話している。
前の人が持っているタオルを見て「それは普通に洗濯できないのよ。」と話している。

言われる方のおばあさんの方は、黙ってタオルを持っている。
「あなたね、それは洗濯できないの。」しゃべる方のばあさんはしゃべり続ける。

「それは洗濯できないの、なんだっけ洗濯じゃなくって。普通にはできないのよ。」
ばあさんはしゃべり続ける。
洗濯できない特別タオルは、いつしかデパートで買ってきたタオルになっていき、しゃべるばあさんは、更に話を続け、ついに自分のタオルだと言い出した。

「これは私のタオルなんだよ。私がデパートで買ってあなたにあげたの。」
タオルを持ったおばあさんは黙っている。

「私のタオルなんだよ、どこかに名前が書いてあるだろう?私があなたにあげたタオルなんだよ。」
どんどん話はすり替わっていく。

私は幼稚園の頃を思い出した。
私は毎日いじめられていたので、幼稚園が好きでなかった。
たぶん好きでなかったと思う。もう記憶が無い。
よく考えてみたら行きたくないと言う答えが出たのだと思う。でも行かなければいけない所だと思っていたから「行きたくない」と言う感情がわかなかった。そういう思考回路にならなかったのだ。

私はロボットのようだった。
あのタオルを持ったおばあさんのように、誰に何を言われても何一つ言い返せないままぼんやりいつも座っていた。そして、強い子はいつも強く、自分の都合の良いように話をすり替えていった。
子供はまだ自分を客観的に見る力が無いから、言いたいままにやる子と何もできない子に極端に別れてしまうのかもしれない。

そして年を取ってボケてくると、また同じようになっていくのかな。

父はデザートを食べるとまた眠ってしまい、今日は長居をせず、帰ることにした。
また来週だ。

「生きることば あなたへ」/瀬戸内寂聴さん

2014-01-24 | 女だから思ったこと
瀬戸内寂聴さんの「生きることば あなたへ」を読む。
冒頭に「あなたの悩み、苦しみを、どうかわたくしに話して下さい。そうしてこの本の中から、わたくしの答えを探して下さい。」とあり、それだけの自信を持ったことばとはどんなものであろうか、と開いてみた。

読んでみると本当にその通りで、どの頁を開いても正座して聞き行ってしまいそうなことばが並んでいる。魂を磨きながら長く生きているということはそういうことなのだろうか。「殊玉の」と言ったら失礼になるのだろうか。


つたない記憶であるが、瀬戸内さんが仏門に入ったのはたしか52歳ぐらいであったのではないかと思う。
その前は小説家一本であった。

これもつたない記憶なのだが、当時瀬戸内さんは不倫をしていて、相手の男性は瀬戸内さんと奥さんの間を週に半々で過ごされていた状態だった。(とどこかで聞いた。)
そして、52歳のある日、エイヤー!と尼さんになってしまうのである。

これもいつかどこかで見たか読んだかしたのだが、インタビューで「あの時に何故出家されたのですか?」と訊かれて瀬戸内さんは「なんでかしら?更年期だったんでしょうかねぇ~勢いで出家しちゃったのよ」とカラカラカラと笑って答えていた。


とは言うものの、そんな簡単な答えではないと私は図々しくも勝手に推測する。

当時はさらに頑なな世の中である。不倫をしそれを小説として世に出すなんて、並大抵のことではない。
相当な世間からの批難もあったと思うし、それ以上にその恋愛を貫く厳しさがあったと想像する。それでも書いて書いて書き続けたのは、当時の瀬戸内さんなりの正義感ではないかと思う。

恋愛は決して生易しいものでないのは、そのことばにも現れる。
「男女の間の渇愛は、水を飲んでも飲んでものどの渇きが止まらない状態」とこの本のどこだったかで書かれている。飲めば飲むほどノドが渇くのだと言う。

それから逃れるためには一度死ななければならなかった。
「仏門に入ったことで一度私は死んだのです」みたいな言葉もここにはある。

単純に、どっちが悪い、どっちが得か損か、相手の欠点、あんな相手だったら、など、そんなものが見えて計算がたっているうちは別れるのは難しくない。それを理由にすれば済むからである。
そうでなくなってくると別れる理由がなくなってくる。相手が一方的に言ってくれれば済むが、自分からは言えなくなってくる。

苦しい恋愛、辛い世間体、しかし別れても後の後悔や辛さもおそらくそれ相当のものだと想像される。だから、どちらかが死なねば、もう絶対届かない遠い所にいかなければ、これは終わらないと判断されたのではないだろうか。
(実際にどこかの本で、こうしなければこのままこの状態がずっと続くと思いました、と書かれている。)

瀬戸内さんが仏門に入った時の世間の声を私は幼すぎて知らないが、ほれざまあみろ的なものもあったと想像される。そう思う人はそう思っていくしかない。


最近うすうす感じていたけれど、この本を読んで、人は所詮1人で寂しいものなのだ、と確信した。
男女の愛情なんて、その時その時のものでしかなく、例えいっとき捕まえたって、どんなに思っても、何をしても、永遠に100%手には入らない。むしろ少し距離をおいて、求めず放っておかないと続かないものなのだろう。

だとしたら、いったい何の意味があるのだろう。
結婚もしない、共に築きあげるものが何もない男女の中なんて。
いつか別れるしんどさを味わうためなのか。
そう思うと、結婚届と言う紙きれ一枚がとても重要なものだと思うのである。


先のことは何の約束も約束はできないけれど、私はたぶんこの先、もう誰かを好きになることはないと思う。
ひとりを、自分だけを見つめて安心したいから。
ひとりにならなければ、いつも傷ついていなければならないから。

kekeのバイト

2014-01-23 | 息子keke
朝、kekeが「バイトが決まったけれど昨日眠れなかったから行きたくなくなった」と言う。

「行きたくなくなった?!」と私は言い、「約束したものは絶対に行かなきゃダメだ」と言う。
kekeは「T駅だ」と言うので、私は瞬間的に「そんな所まで!電車代は?!」と言う。

「少し出る」とkekeは言い、「400円出る」と言う。

またか!と私は言い、「1日7時間だか8時間だか働いて、2,000円だか何だかジバラで電車代を払う!なんだそれは。そういうのは断われないのか。」

そう言うとkekeは「そう言うことを言うから行きたくなくなる」と言う。

私は「行きたくなくなる」にキレ、「言われたくなければそういう話を耳に入れないでくれ。」と言うと、「バイトの報告をしたのに」とkekeは言う。


私は無性に腹が立った。
うちだってハケンの人間を雇っている。そのハケン会社に月に何十万払っているか。
kekeの斡旋会社がそれで幾らもらっているのか、自分で直接働き口を見つければそんな日雇い労働みたいな、しかも交通費もろくに出ないなんて、バカにしてる。


そしてそれ以上に情けなくなった。

それでも一生懸命仕事を探してきたkekeに対する自分の言葉である。
とっさとは言え、何て言葉をつきつけたのだろう。
冷静に考える余裕があれば、絶対に「なんだそれは」なんて言えるわけが無い。

とっさだから、とっさに出たから、それが本心なのだ。
私は何冊ひきこもりの本を読んでも、心理学の本を読んでも、息子の心を逆撫でするようなことしか言えない。
息子を認められない、価値観を押しつけてしまう親なのだ。
それでもkekeは着替えてバイトに出かけた。


kekeが帰ってきて、私は謝った。
「朝はすまなかった、でも考えてごらん、1日幾ら稼いで、電車代をひいたものを時間で割ってごらん。その時給でお前が納得するならそれでいいんだよ。」

kekeはひとこと「お金じゃないから。」と言って、部屋に入っていった。

翌日もバイトに行った。
帰りにスーパーの袋いっぱいお菓子やカップヌードルを買って帰ってきた。

今日はバイトは休みだと言う。

お金持ちごっこ

2014-01-21 | 今の会社
週もあけて出勤すると、nanuさんと課長がブルブル震えながら立っている。

エアコンをつけたばかりで、部屋の中がまだ寒いのだ。
座ることすらままならずエアコンの前で立っている。
毎年冬はこうである。

私は隅っこにポン!と無造作に置かれた大きな袋を眺めた。
中を開けると、いっぱい使用済みの紙袋(手提げ付き)が入っている。
よく見ると、しっかり丈夫な紙で作られた紙袋である。

ハハアと私は思う。
「これは社長が置いて行ったんですね」と言うと、後から来た秀クンが「土曜日の朝来てたからそうみたい」、と言う。

なんで社長の置いて行ったものかと分かったかと言うと、紙袋がやたらブランド品っぽかったからである。
こんなに豪勢な買い物ができるのは社長しかいないからだ。

たまに書類を運ぶのに「sake君、紙袋は?!」みたいなことになるので、社長が家にある要らない紙袋をいっぱい会社に持ってきてくれたのだろう。そのありがたい紙袋を私は丹念にあれこれとあさって、2枚ほどいただいた。
1つは見ると「GUCCI」と書いてある。モコと同じチョコレート色なので、これをしばし毎日通勤に使わせていただくことにした。

もう1つの紙袋は何たらかたらと横文字が書いてあるので、同じ綴りをネットで検索してみると、イタリヤブランドのようである。試しにメッセンジャーバッグをクリックしてみると、20万と書いてある。そしてよく見ると、そのバッグの外面が社長が最近持ち歩いているバッグと同じなのであった。あのじゃばらみたいなバッグは何十万もする代物だったのか。。。。(そしてこの小さな紙袋は、奥さんかお子さんにサイフでも買ってあげたのだろうか。)
この紙袋はグッチが破れたら使わせてもらおうと思う。


夕方になり、社長が帰ってしまうと、nanuさんも秀クンもそろそろ帰ろうと言う雰囲気になった。

私はグッチの紙袋にカラの弁当箱などを入れ、「あそこにあったグッチの紙袋です。しばらくこれでお金持ち気分を味わいますよ、ハハハ」と自虐ギャグを披露した。
秀クンは「sakeさん、どういう意味だか分かる?」と言い、「オレ達みんなで稼いだお金が、これに変わってるんだよ。」と言い、nanuさんは苦笑いをしていた。


私はお金持ちごっこをしながら、でも何十万のイタリアンバッグより、自分が今使ってるバックの方が、「私はこんなに偉いのよ!」みたいな主張がなくて、でも軽くてやわらかくて、いろいろ入って、温かみがあってずっと気に入っているのだった。