きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

15年ぶりのM井さん

2013-03-30 | 今の会社
昨日税金関係の書類を持って、会計事務所に行ってみた。

ここの事務所で働くM井さんとは15年(私が一時期別の会社に居た時期を除いて)ずっと電話でやり取りしているとてもお世話になっている方だ。
一応「経理」に配属されながら、ほとんど他の用事ばかりやっていられるのは彼女のお陰なのである。

日々現金の出入りだけを伝票に立ち上げておき、他は通帳を見ながら後で時間が取れる時にまとめて伝票を起こす。通帳の数字は正確だけど、現金はたまに入るはずの金が出る方になっていたり、領収書の金額が合ってないこともままあり、最初の頃こそ反省して何度も見直していたのだが、今ではそれをチェックするのはM井さんである。

他にもうちは下請けさんから集めている会費みたいなものもあり、そちらのお金があまり無いもんだから会社から立て替えて払っていたり、それをまた戻したり、いろいろ面倒なやり取りがあるのだけど(会社でそれを把握しているのは私だけである。)、それにもちゃんと理解していただいているので安心してやっていける。

そして月に2~3回のやり取りとは言え、もう15年である。
1度どんな方なのかお会いしたいとずっと思っていたが、M井さん月~金まで午後5時にはピッタリ帰ってしまう方のようで(その後に電話しても誰も出ない)帰りに寄ることもできないし、仕事中は「どうしてわざわざ行くの?!」と社長に突っ込まれそうな気がして出れなかった。

今日はたまたま別件で外に出る用事があったので、M井さんを訪ねてみたのである。

ちょっとドキドキしながらピンポンを押して会社の名前を言うと、ドアは開いた。
M井さんである。

M井さんも驚いたようで「sakeさんですか!いつも電話で声だけでしたよね!」と喜んでくれた。
M井さんによると最初にBRさんに連れられて挨拶に来たそうで、そう言われてみればそんな気もしてきたゾ・・・最初は緊張して何もかも初めてだったのですっかり忘れていたが。

それにしても15年ぶり!
M井さんは「sakeさん、車に乗ってるのではないかと思ってました。」と言う。
私の電車代の伝票が前に比べて少なくなったからだと言う。

社長が帰りが遅いとブーブー怒る人で、しかもたまにカギを持ってない事があったり、いつかひどい目にあったので、早々に失礼することにした。

あー、M井さんってあんなしっかりした感じの方だったのかー。

私は会社に帰りながら考えた。
昨日は「たいてい自分の周りに起きたことはもう処理できる術を覚えた」なァんて書いてしまったけど、仕事にも人間関係にも恵まれていて、トラブルが起きないだけかもしれない。
きっともっと辛い職場やどうにも立ち回れない人間関係もいっぱいあるはず。。。
これもうまい具合に調整してくれてるんだろう。

会社に戻ると、社長はまだ戻ってなかった。
ホッとして、車も前突っ込みに入れて急いで事務所に戻った。
電話も特に来てない様だった。

まもなく社長は戻ってきて、「もう保険証取りに行ってきたのか」と言った。
平和な午後だった。

そこから先は

2013-03-29 | 息子keke
kekeがバイト代からお金を持ってきた。
今年に入ってから国民年金をバイト代から払うことにしたのだ。

あまり言いたくなかったけど、「正社員で働くことは考えないのかね?」と言った。
kekeは何も言わなかった。


これでいいとは思っていないのは分かるから、私も言いづらい。
このまま待ちましょう、黙って待ちましょうと言われれば、100万年でも待てるさ。
ただ待っているだけで済むのなら。

この後どうなろうとどうでもいいと思えたら。


片やうちの会社のように猫の手でもほしい場所だってある。
やる気さえあれば、どこでもどうなってもいいから、とにかく稼ぎたいと思えたら。

それには車にも乗れなければならないし、体力仕事の覚悟もせねばならないだろう。
そうする必要性を感じてないから、困るのだ。


仕事柄ときどき常識を逸脱した状態で壊されたものを直すって仕事があるんだよね。
そう言う請求書を作っていると、宛名を見て、名前を読んで、名前をつけた親御さんの気持を考える。

世の中いろんな事情やいろんなことがあるから、上を見ても下を見てもキリがないけど、たいてい自分の周りに起きることは処理する方法を覚えた気がする。
仕事でも、人間関係でも、恋愛でも、折り合ってどうにかやってみる方法、無理はしないと言う方法、求めないと言う方法。
そしてその結果を受け止めることができるということ。

だから神様は、今度はこう来たのだろうか。
もうコイツは少々なことでは凹みそうにないから、直接手には届かないものでやってみるか。
(そこにうぬぼれがあることは承知ですが)そう思ってしまう。

でも私は鳥や魚を考えて、親はエサをあげてある程度に大きくするまでができることであって、そこから先は彼らも関与してない。
それが広い意味で生物の掟のような気もしてる。
死ぬ鳥は死ぬし、生き延びる魚は生き延びるのだろう。
そこから先どうなるかは、しょうがないのだ。


さて、また忙しい。
今日はこれから出ずっぱりだ。

スペシャルティーパックの心がけ

2013-03-27 | 今の会社
さて、今度の宅配の回収にきてくれる人は、まさにCM並の笑顔で荷物を取りに来てくれる。

前の担当の人も悪い人ではなかったんだけど、午前中頼んでも取りに来るのがいつも夕方で「ちゃんと連絡行ってるのかね」と心配になって電話することが何度もあった。
いつも夕方なのは、それより前に回収に来ても発送時間が一緒だし、個人宅と違って一度取りに行ってもまた電話が掛かってくる可能性があるから最後にまとめて回収すればいいだろ、って考えなのだと思う。

それで夕方に来てくれればいいのだが、その次の時間帯になることがあり、それは丁度私が帰る時間辺りなのだ。
つまり私は帰りたくても、その宅配が預けられないがために帰れない、と言う状態になるわけである。
そんな事が何回かあって私は4時過ぎに宅配を頼むのを止めた。それなら帰りに自分で運送屋に持ち込むことにしたのだ。たしかに時間も掛るし金額も高い。下手したら15分ボケーッと待っていた方が効率良いかもしれない。でも、気分が違う。

でも今度の人になってから、一度もトラブルが無い。
いつもニコニコしてて早く回収してくれる。やっぱり前の人とはどこかが違うのだ。
なので今ではまた何かとお願いするようになった。
本当だったら6時15分ぐらいの所をできるだけ早く来てくれる(6時ちょっと前とか)のが伝わってくるので、「それなら私も少々待っていてもいいや」と思うようになるから不思議なものだ。


それからもう1人見習いたいのは、父の病院でいつもニコニコして、お茶を入れてくれる年配の事務の人。
あのオーラはタダものではないと思うほど、ニコニコオーラが満載してる。
そう思って飲むと、お茶もおいしい。

私はどうなのだろう。
あの年配の事務員さんこそ私が追いかけるべき女性だと思っているのだけど、あの笑顔、あの声のかけ方、真似してできるものではない。
しかし心がけだけでも変えてみよう。

まずお茶だ。
いつも同じお茶と同じコーヒー粉を頼んでいるけれどいよいよマンネリ化してると思い、「スペシャルティーバッグ」と言う10種類のティーバッグ(ほうじ茶、玄米茶、ウーロン茶、ジャスミン茶等)が入っているパックを思い切って買ってみた。(もちろん値段も今までに比べて奮発している。)

そしてあくる日、nanuさんがお茶を入れてくれと言うので、待ってまいりました!とばかりに、「nanuさん、これを買ってみたんですよ、どのお茶がいいですか?(^O^)」と言ってみた。

すると「いつものお茶。」と言うので、私は「え。」一瞬たじろいだ。
が、nanuさんハッと気がついたようで、「それじゃ何があるんだ」と言い、無理して「ほうじ茶」などと言う。

それからもこれ見よがしに「スペシャルティーパック」をポットのすぐ隣に置いているのだが、見た所その後誰かが飲んでいる様子も無い。(もっとも忙しくてそれどころではない様子でもあるが。。。)

こうして私は今日も1人で静岡茶でも飲んでみる。
昔、家族でよく熱海に旅行に行ったが、そこで飲んだお茶に似ているような気がする。

ティーバックは1回で使いきるのがもったいないので、3回ぐらいは出して飲んでいる。
明日はジャスミン茶の日にしよう。

その後の水槽

2013-03-26 | 今の会社
月曜日。
仕事が片付いたと思ったけど、また山のようになっていた。

そして水槽のスイッチを入れると、また魚が死んでいた。
死んで浮き上がった魚を始末するのも、いつしか私の仕事となっていた。


水槽のその後を語ると、年末ZENさんが水槽も掃除してくれたのだが、年明けてからみるみる藻が増えてしまった。丁度中国PM2.5のニュースが始まった頃で、私はあのニュースを見ながら「うちの水槽そっくり」と思った記憶がある。
エンゼルがいなくなってエサのあげ過ぎかしら、と思ってエサを減らしてみたり、いろいろ考えたが水槽の藻は増え続ける一方で、やがて中国どころではなくなり、一歩先の魚も見えない泥沼と化した。さすがの社長も「これはみっともない」と思ったようで、ZENさんにまたきれいしてくれと言ったのだった。

そしてまたまたZENさんが掃除してくれて、新しいモーターの水が出る位置を下げたりして(これが藻の大量発生の原因と言われる)きれいな水槽が再オープンした。
私はわーきれいきれい、と喜ぶと、ZENさんは魚も買って来てくれた。

ZENさんが魚を水槽に入れ、二人で見ているや否や、今では水槽に慣れきったシルバーシャークが買ってきたテトラを頭からバクバク食べ始めたのである。
「あっ!」と言うと、ZENさんは「こいつも死刑だな」と言って、網を持ってきてサッサとシルバーシャークをすくい始めた。

「えーーっ、また殺しちゃうんですか?!」と言うと、「もう食べ始めたらダメよ。」と言い、「何の為にこの前買ってきたんですか~?」と言うと、「見てみなよ」とZENさんは言い、見ているそばから1匹のテトラが頭半分食いちぎられて後半分の姿になった。「こうなったら、もうダメよ。」

「エサを増やしますから、そしたら食べなくなりますよ。」と言ってもZENさんは聞かず、せっかく買ってきたのにとか言いながら全部すくってさっさとどこかに消えてしまう。

そしてまた違う種類の魚(ZENさん曰くおとなしい種類の)を入れたが、そのうちのフグみたいな形の小さい魚がどうも弱いようで、どんどん死んでいく。
それを私は今日も拾って始末するのだった。

こうして2年が経ち、最初から居続けているのは、グラスキャットの2匹と、プレコ1匹である。
グラスキャットは最初遠慮して草の陰に隠れてヒラヒラしてるばかりで、エサを食べている様子がなかった。
それがまさか一番最後まで残るとは思わなかった。
今では水槽に慣れ、エサになれ、水面でいつも泳いでいることが多い。

欲張って他の魚まで食べようとせず、淡々と生きてきた人畜無害のコイツらが最後まで残っていることが、私の希望につながる。

国敗れて山河あり

2013-03-25 | 母子家庭だから思うこと
いつ頃からだろう?
明菜の昔のアルバムを探している。

あまりに古くてレンタル屋にはなく、近くの図書館も昭和時代のはない。
ネットで調べたら、車で1時間ぐらいの図書館にあることが分かり借りることもできそうだ。
ネットレンタルとかオークションとか、たぶんもっと他に方法がありそうなものだけど、あまりお金を掛けてまで手に入れる気がなかったのと、ただ車を動かしたかっただけなのかもしれない。

桜は日に日に広がって行く。

そう言えばもうじき母の命日。
「母の法事の時に桜が咲いてたっけ」と言うのを思い出し、ブログから引っ張ってみた。
それが「桜咲く母の法事で」である。
これを読んで私は、そう言えばそうだったそうだったと現実に引き戻された。

記憶とは時間が経つにつれ、美しい記憶だけを残していくものだったのか・・。
もちろん尊敬している部分、今だから「すげー」って思っているのは事実なんだけど。

そんなことも思い出しつつ、今こうして根っこを張ってしっかり生きていけるのも両親のおかげだと感謝していこう。

一時期は男に裏切られたとか母子家庭で卑屈になっていて、子供だけはちゃんと育ててアイツらを見返してやろうと思っていたけど、今になったら見返すって何だったんだろう。
ほかに持っているものはたくさんあるのに。
枠や物で心を満たす必要はなかったのだ。


夢破れて山河あり。(※)
明菜の歌を聴くと、あの頃の風が一瞬入ってきたような気がした。


※正確には「国敗れて山河あり」だそうで、タイトルはそちらにしました。

サクラ咲く頃

2013-03-24 | 父の記録と母の思い出
父の所に行った。

今日は寝ていたままご飯を食べると言う状態である。
2~3口食べるとそのまま寝てしまい、3分ぐらい経つとまた口が動き出して2~3口食べる。
何回もかんでいるので、いっこうに食事が進まない。

ぼんやり窓の外を見る。
前にあるのは桜の木の様だが日当たりが悪いのか、まだあまり咲いてない。
あのシアワセばあさんと一緒に歌を歌ってた頃とか、裕次郎の歌を一緒に歌った頃は元気だったのだ、と今になって分かった。

今は歌どころか、食事で噛むことすら体力を消耗するように見える。

介護士さんの話では、夜起きていたので今どうしても寝てしまっているとのことだ。
ちゃんと起きていれば、もっとご飯も進んでいるそうなのだが。


レンタルしているのは百恵ちゃんのベストアルバムだ。

久しぶりに聴くと、イントロがアレンジが昭和で懐かしい。
そう、家族で出かける時に百恵ちゃんのテープもよく掛けたものだった。
父も笑って、母も笑ってた。
そして何かと仏頂面だった私は、今のkekeとよく似ていたのだった。


最近、青い空がとってもきれいに見えて、桜も今まで以上に見入ってしまう。
亡き母が、花とか季節とか天気とかそう言うのをよく話題にしてた。

若い頃は「何て刺激の無い毎日なんだ」「何て頭使わない人なんだ」と冷めた目で見ていたけれど、父や母は、そう言う考え方に持って行っていたのかもしれない。
よく行くパチンコやカラオケも、子供心に「自己啓発もせずお気楽な人たち」と思っていたが、よくドラマにありがちなストレスを晴らすみたいなものじゃなくて、ラテン系感覚であった。

その時その時楽しくていつもニコニコ。
そして子供が困っていると、とっさに現れる。
今、自分が親になって、「あの人たちってすげー」と思う。

今になって、その姿を追いかける。

OROの軽トラ

2013-03-23 | 今の会社
nanuさんから電話が掛かってきて「なんですか?」と言うと、「(オレのデジカメの)メモリーカードがそっちに刺さってない?」と言う。

あぁ~~~~◎◎
昨日nanuさんの写真を印刷してPCにさしっぱなしだった。

「いや、オレのデジカメ本体でも保存できる機能があるらしくて撮れてるんだけど、それって保存できるんだっけ?」と言うので「いやー、あのつなぐケーブルが無いとダメですよねぇ・・・あれそう言えばずっと見てないですねぇ・・・・」
「たぶんダメかも」と言い終わる前に、「現場戻ってもう一度携帯で撮ってくる」と言って電話は切れた。

しまった。。でも、もうキリがないから、そんな事でいちいち凹まない。
申し訳ないフリと反省だけして、頭からハイ消去。


誰もいないし、仕事もケリがついた所で「Aさんの振込と、自分の給料をおろしてこよ。」と鍵を掛けて出ようとすると、メーカーのWさんが車から降りて来るところだった。

出掛けた後ではなくてちょうど良かったです、と書類を受け取って机に置いて、今度こそ出ようとするとトラックみたいな車が入ってきた。見るとOROだ。
車から降りてくると「これ、おたくの課長さんから運んでくれだって。」と言い、お知らせ看板を貼る大きな板を抱えて「倉庫のドア開けて。」と言う。

荷物を一通り運び終えると、「sakeさん、どっか遊びに行くの?」と言うので「違います。銀行です。(-"-)」と言うと「ちょうど良かった、これついでに振り込んで。」と振込先の書いた紙と金を出してきた。
「振込料も掛かりますからね」と言うと、「おつりはあげる」と1000円札をくれた。

そしてOROは「これ、sakeさんよりちょっと若い48年。」とトラックを指さすのでムッとし、「私と一緒でしょ!」と微々たる違いを逆手に取ろうとすると、「違うよ、48年式だよ。」とOROは言う。「sakeさんよりちょっと若いでしょ。オレの生まれる前。」と言う。

「え~~~そんな昔のが走るの???」「壊れないの??」「どうして新しいのにしないの??」と矢継ぎ早に質問するも、OROは「これカワイイでしょ。」「ほらこれ車検証48年。」「まだ9万キロ。」「sakeさんが動いてるぐらいだから、この車も動くでしょ」と言い、挙句の果てに「もう1台これと同じのまだあるんだ、そっちは3万キロ。」と言う。

しかもエアコンではなく風が吹いてくるだけで、その風も車が止まると止まるのだと言う。「それじゃ夏はどうするの???」と言うと、窓を開けて走ると言う。(ホントにそこまでするのかね。)
更にOROはナンバープレートを見て、と言い、「軽だけど白いプレート。sakeさんのは黄色でしょ。」と言い、「あの黄色のは少しサイズが大きいからこれには入らないんだよね。」と言い、sakeさんの車よりこの車の方が車幅が狭いんだよ、と言う。

OROはこうして得意げに説明するのだが、私はこれを2台購入と言う衝撃的な金の使い方にポカーンと口を開けるばかりであった。そしてOROは「前見て。目(ライトのこと)が4つあるでしょ。」と言い残し、「はぁ。」と言う私を置いて去って行った。


そして私も銀行に出かけた。
したら何たることよ、人の振込みばかりして自分の給料おろすのを忘れて帰って来てしまった。(T_T)くそぉ

一歩前進

2013-03-22 | 今の会社
やっと仕事がひと段落した!

天気もいいし、窓から見える桜をのんびり見て、数年前の自分は何をしていたんだろう?なんて考えた。
そしてブログを開けてみると結構情けなくて正視に堪えられないようなものもある。結婚したらオワリではなく、子供が育ったらオワリでもなく、私はその後もその後も悩み(認めたくないが)苦しみもし、進化し続けているのだった。


今日はAさんが検査の日だと言うのでお休みかと思っていたら、朝突如現れ、私とnanuさんは(それぞれに口には出さなかったが)驚いているのを通り過ぎ、バタバタバタと仕事を手配していた。
そして出て行った。

私は命の大切さとか、あまり自覚が無い方だと思うけど、Aさんを見ていると(さすがに自分の命と引き換えにとは言えないけど)、少々の悲しみがあっても良いからAさんが1年でも2年でも、いや10年でも20年でも長く生きていられるように、今日の検査が無事に済みますように、と思ってしまう。
それは私が特別そう思うのではなく、たぶんこの人の周りにいる人の多くがそう思うのではないだろうか。

いつもニコニコして幸せって言っている人の近くにいると、自然に自分もそう思えるようになると「幸せマニュアル」みたいなのにはよく書いてあるけど、同じようにその人の生き様が、生きる姿勢が、周りを変えていくのだろう。今日を精一杯生きていこうと言う人を見ていると、それ以下の、自分の私利私欲が情けなく見えてくる。

私は一生懸命「しつけ本」を読んで、ああだろうこうだろうと言いながら子育てをしてきた。
でも何より大切だったのは、子供へのしつけより「自分が親になる心構え」だったのではなかろうか。
私は周りから固めて入っていくタイプなので、その芯の部分がぽっかり抜けていたように思う。
そういう子育ての考え方をずっと今までしてきたのだ。


反省もさることながら、こうしてまた今日も一歩前進だ。

もう少し頑張って

2013-03-21 | 父の記録と母の思い出
休日はドライブできるようにガソリンは満タンに入れとくんだけど、最近遠出してないな。
kekeがバイトに出てから洗濯機を回して掃除機をかけると、すぐにホースの関節みたいな所から外れてしまう。

しかしこの掃除機、kekeが2歳の時だからもう20年だ。
その当時「ぜんそく」で入院を繰り返して、検査の結果ダニアレルギーですと言われ、「毎日掃除機をかけて、お布団もちゃんと干してダニを掃除機で吸い取りましょう。」と医者に言われたか本に書いてあったか何かで、私は朝晩に渡って吸入器で薬を吸わせ、必死に部屋に掃除機を掛けまくり、書いてある通り布団を毎日太陽に向って干し、午後にそれをはたきで叩き(そうすることでダニが布団の表面に浮いてくると言う←当時は)、そしてその後掃除機で見えないダニを吸い取っていた。すると布団カバーまで吸い付いてしまうので「布団のダニ吸い取り用」ノズルがついてる掃除機を父と買った。

父が「これが新しい掃除機だよ、ダニ吸取用なんだって」とニコニコしながら母に報告している姿をまだ覚えている。父と二人で買いに行ったと言うことは、たぶんこの季節だったのだろう。母は花粉症がひどくてこの時期は外に出なかったから。

あの時もダニ退治に疲れ果てめげている私を見て、両親がスーパーマンのように現れたのだった。
離乳食でめげ、ぜんそくでめげ、そしてとどめは離婚でめげた。
その度にスーパーマンのように現れた両親だった。

そして今度はkekeの引きこもりにめげた。
もう親は来れない。
来れる状態にはない。

でも、何を言ってるんだ。
今度は私がスーパーマンになる番だったんだ。

秀クンのお嫁さんみたいに、kekeやお嫁さん(仮に居たとして)が育児で疲れ果てることもあるかもしれない。
そしたら、今度は私がスーパーマンのように登場する番だったのか。。。



掃除機は3年目ぐらいで調子が悪くなった。
時々「シューーーー・・・」っと動かなくなるのである。(電気が切れる)

しかし、掃除機本体の向きを変えたりすると、またシューと動き始める。
「保障期間は終わっちゃったし、そのうち替えるようだな」と思いながら、ごまかしごまかし使っているうちに、気がついたら20年になっていた。

去年だか一昨年kekeが「サイクロンの掃除機にしたい、そしたら吸引力もいいし掃除もまめにできそう」なんて言って、ちょっとその気になったけどOMさんが「紙パックのが交換するだけで楽よ」と言ってたので、ここでも買うのを止めた。

ホースの関節は最悪ガムテープでしばればいいし、もうしばらくまだ頑張っててね。

MEGUちゃんが「ルンバを買ったら今まで使ってた掃除機が急に壊れちゃったの」と言ってたので、私はそう言ってみる。
もうしばらく頑張ってね。

あの頃のように

2013-03-20 | 今の会社
秀クンが事務所に帰ってきた。

「社長は?」と言うので「現場見るって出てきましたよ。」と言うと、「仕事の打ち合わせをすることになってたのに。」と言う。

「現場見てくるって軽い言い方でしたから、間も無く帰ってくると思いますけどね。明日はお休み取れそうですか?」と言うと、秀クンは「明日は取るよ」と言い、「娘に会いに行かなきゃ」と言う。

「会いに行くって、家にいないんですか?」
「カミさん実家に帰っちゃったから。」

え!なんで?と言うと、「オレの帰りが遅いから。」と言う。

「遅いって言ってもねぇ。。あちらの親御さんはどう思うのかな?」

秀クンは「もう疲れたよ。」と言い、「昨日も家に帰ったの9時半だよ。6時前に家を出て家に帰るのが9時半だよ、何時間働いてるんだろう。」と言う。
私は指を折って数えて、そうですねぇなどと言う。

「でも・・他の仕事だと・・私の元旦那は仕事で帰ってくるのいつも真夜中でしたよ。ほら、T社のNさんもFAX送ってくるのが真夜中だったりするじゃないですか。」
秀クンは「あー知ってるよ。」と言い、それから黙った。
私も余計なこと言ったかもと思って仕事に戻った。


それにしても、あの子育てが大変な頃。
でも、両親も元気でたまに遊びにきてくれて、赤ちゃん(keke)もいつもニコニコしていたっけ。
今から振り返ると楽しかったなぁー。

いつからkekeはこんな仏頂面になったのだろう。
やる気をなくしたのだろう。

両親と会えることや、夜中まで働いてくれる旦那のことを思って、もっとニコニコしていたらよかった。

今だからそう思えるようになったんだよな!
これからはもう、自分が率先してニコニコ幸せしてしよう。
毎日が楽しい、その姿を見てもらおう。

そしたらいつかkekeもまた笑顔が戻る・・・かもよ?
(なんてね。)

いつか秀クンも、秀クンのお嫁さんも、今が幸せだと気付くはず。

でもいいなー!
ちょっと怒ったりメソメソすると、かまってくれる旦那さんがいて。

私は今度はそんな人をみつけて、しあわせに暮らしたい。
生まれ変わってからでもいいよ。