きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

「東京あたふた族」/益田ミリさん

2024-05-19 | 読んだ本


昨日は焼きそばにした。ビールもおいしそう~に撮ってみた。


今日は餃子を焼いた。
kekeに「足りなかったら冷蔵庫にあるものでもいい?」と言うと「買ってくる」と言っていた。

今日の朝は益田ミリさんのエッセイを読んだ。
「東京あたふた族」と言うタイトルの本である。


この前に「しあわせしりとり」と言うエッセイを読んで、似た表紙のこの本を勝手に続編だと思って読んだわけである。
本によると、益田さんは私より数年後生まれであり、世間的には同じ世代なのかもしれないが、やはりちょっと違うと思う。

私は昭和43年辺りで、世代の太い罫線が引かれていると言う説を立てていて、その前に生まれたか、後に生まれたかで感覚が違うのでは?と思っている。

・前者は青春時代が80年代で、後者は80年代末~90年代になる。
何が言いたいかと言うと、私ら(その前生まれ)は青春時代にポケベルとか携帯がない。カラオケボックスも学生時代はなかった。トレンディドラマの流行りも学生時代を卒業してからである。
何よりも育児休暇制度がなかった。
ユーミンも私らの時代はその後ほど神格化はしていなかったように思う。

いや、ただ単に80年代は実家でゴロゴロしていた自分が、90年代は育児に振り回されていた・・・・だから何となく時代が変わったように思うのかもしれないが。。。

益田さんは、たぶん学生時代に友達たちとカラオケボックスで歌を歌いあったり、恋愛もユーミン風のドラマティックな恋愛をしたり、遅刻しそうな時はポケベルで連絡を取り合うことができたのではないかな。つまり私らの世代よりも感覚がスマートで垢抜けしているようにも思う。

この二つのエッセイを読んで、お子さんがいないことは分かったが、彼氏や旦那さんのことは全く書かれていない。いないとも書いていないのだから、もしかしたら彼氏や旦那に近い存在はいらっしゃるのかもしれない。
「います」とすると、別れた時に報告をしなければならないから、あえて居るとも居ないとも書いていないのではなかろうか。。。と言うのは私の勝手な想像です。

私はアホでまっさらなので、エッセイを書く立場だったら、自分の手の内をみんな最初から広げるだろう、今こういう家族が家に居て、こんなことをしていて、今日はこんなことがありました。
でもそうすると、家族がもめるとか、別れるとか、そう言う時もいちいち報告をしなければならなくなる。まぁ私はアホでまっさらなので、そういうことも厭わず報告するだろう。「エー、昨日家族の1人がこうなりまして、今はどこそこに住んでいます」とか。

・・・想像すると確かに面倒くさいや。

それだったら最初から「いない」「ふれない」方が良いかもしれない。



全然話は変わって、いつか茅ヶ崎に行った時のお祭りの光景写真です。(バスの前でおみこしが見えました。)


小池龍之介さん「しない生活」を振り返る

2024-05-13 | 読んだ本

以前、小池龍之介さんの「しない生活」という本の内容を紹介したことがあり、そしてそれを読んだ方がいたようで、「当時何を書いたのだろう?」と思って読んでみた。

34番 どんな犯罪も災害も裏切りもありえるもの 
83番 人は生きている限り「満足しない」という苦を味わう
86番 目の前にいても「愛しい相手」は絶えず失われている
101番 人に誉められたいと思う気持は自慢と同じでいやらしい

なるほど・・・・。
恐らく神様が「そなたにたった一つだけ一生に一度の願いをかなえてあげましょう」と言って一生に一度の願いが叶ったとしても、たいていの人はその喜びを一生胸にとどめておくのは難しいのではなかろうか。(もちろんそうでない人も、わずかながら居るとは思う。亡くなった人を生き返らせたいとか。)

本当に人の心は変わる。
私の気持も変わるではないか。

どうして人は、欲望を持ち、もがくように生きていかなければならないんだろう。

あのブッタさんは弟子に「愛着のある相手を作らないように」と説いたという。本当にその通りだと思う。
だからブッタさんは妻子を置いてどこかに行ってしまったのだろうか。
たまに会えて近況を報告できるぐらいの距離がちょうどいいのかもしれない。

でも常識は逆のことを教える。
恋愛を推奨するような歌やドラマを流し、恋愛結婚で永遠の愛を持ち続けることを幸せだと思わせる。
でも「永遠の愛」を貫いている人を周りで見たことがない。

そう言えばマドモアゼル・愛さんが、ライブだかの対談で「あきらかに仲良さそうな家族や夫婦はかえって嘘っぽい」と言っていた。どうだか何とも言えないけれど私はそういうものを求めたがる人で、さんざ失敗しているので本当にそうかもしれないなぁと思うことがありますね。

いや、私の両親もそのまま仲が良かったし、自然に仲が良い家族やご夫婦もあると思うけど、・・でも仲良し家族を演じている訳ではなくても、それが正しい姿だと思って頑張っている人もいると思う・・・昔の私がそうだったから。


ふと、写真もそうかもしれないなぁ・・と思ったりして。

インスタを開くとどんどん美しい写真を紹介してくれて、だからどうしても誘導されていくのでしょうね。意外にだから、今の人の価値観ってメディアやSNSで作られている部分が否めない。そのメディアやSNSがAIも含めて、ある基準を持って動かされているのだから、私たちは選んでいるようで、やはり選ばされているのですよね。

それでどんどん時間ばかり浪費してしまう。
自由に考えることより、何かに向かって頑張るように仕向けられるというか。

8年前は人に褒められたいと思ったっていいじゃない、と思いましたが、確かに突き詰めて考えていくと自慢と同じかもしれない。結局あの手この手で褒めたがられやの人であふれている世界かもしれない。人として生まれた以上、そういうものを否定して生きていくことはできないのでしょうが。。。

もっと自由でいたいです。


「たそがれゆく子さん」/伊藤比呂美さん著

2024-03-02 | 読んだ本

朝、早くに目が覚めて(でも、今日は予定がなかったんだっけ)と思いながら、伊藤比呂美さんの「たそがれゆく子さん」を読む。

こんなに活字がたくさんあって読みきれるかなぁと思いながら、瞬く間に6割方読んでしまった。ついつい指が次のページをめくってしまう。これだけ惹かれるのは、伊藤さんが正直で自分の生体験をリアルに綴っているからなのだと思う。

この「たそがれゆく子さん」の前半は、伊藤さんは60歳で、旦那さんが息を引き取るまでの介護生活、そして亡くなってからの無性の寂寥感、そしてその後の生活が綴られている。
周りの女友達が旦那が亡くなって(それまではそれほどでもなかったのに)寂しい寂しいと言っていたが、本当にそのとおりだった、という内容がある。私の数少ない女友達も、今はいろいろ言っているが(何故ならこの年代は旦那さんがもう定年退職していることもあり、お荷物になりつつあるようなのだ)、やがてこの道を進むに違いない。大変そうだ。。。

私も離婚した時は大変だったよ。。。特にkekeの父親の方は嫌いで離婚した訳じゃないし、子供のためにも形だけでも居た方がいいと希望していたので、あれは大変だった。振り返られないために写真も7~8割は破いて捨ててしまったし、せめて、思い出を思い出させてくれるような別れ方をしたかった。

でも別れはみんな大変なのかもしれない。私は妹に、友人達に、そういう別れが来たらどうすればいいのだろう?
分かりません。分かり得ません。何も言えません。
ただ立ちすくむしかできません。

それと衝撃的だったのが、伊藤さんがもう残り少ないと思われるご主人に(今まで母の時も父の時もどうしても訊けなかった)質問をするシーンがある。「まだ生きていたいのか?楽になりたいのか?」という内容の質問だけど、ご主人は「ノー!(生きていたい!!)」と言い、「オレが戦っているのは不自由な自分の体で、死とは戦っていない!まだ絵も描きたい!!」と答えるシーンである。(原文どおりではなく私の解釈ぎみな言葉ですみません、もう読み返す時間がなくて・・)

え!!@@


ということは、私も今はこんな風に生も死もどうでもいい風でいますが、いざそうなったら、死にたくなくなるのか??
できれば子供に迷惑を掛けたくない等とほざいているのも、所詮未経験のたわ言なのだろうか。。。

今、周りにいる女友達の旦那感や、自分の生死に対する雑念、みんな亡くなったことを想像しない戯言なのかもしれません。
思い知らされる訳です。

今ある命も、生きていける、自由に動ける喜びも、もっと感じていなければいけないようです。
伊藤さんの本は、いつも影響力が大きくて読んだ後必ず何か書きたくなりますね。


「今日も一歩も外に出なかったけどいい一日だった。」/なおにゃんさん著

2024-02-23 | 読んだ本

「何もしないでダラ~ンと過ごすぞ」と決めた3連休の最初はまず寝っ転がって本を読んだ。

「今日も一歩も外に出なかったけどいい一日だった。」/なおにゃんさん著

イラストもふんわりしてるし、軽いノリで読んでみたが、(良い意味で)考えさせられることが多くて愕然とした・・・。というのも、私自身の10代20代がこの本の著者さんとそっくりだった。
すごく傷つきやすくて、自分の悪口なんかを知ったりしたらショックで1週間ぐらい立ち直れなかった。自己肯定がすごく低いくせにやたらプライドが高いので、不満ばかり持っていた。「謙遜ばかりしているクセ」とか、本当にその通りだった。

20代の頃勤めていた会社は今に比べると全然条件もよく安定していて、「何故あそこから踏み外れてしまったのだろう」と時々思う。だがしかし、それでも当時の私はその職場がしんどくて、早く辞めたいと思っていた。何がそんなに辛かったのかは、仕事というよりも(そりゃやる気がないから仕事もできないけれども)、周りにいる人の言葉やちょっとした態度が自分の心に突き刺さるのであった。

ならばそんなにひどい人間関係だったのかと言われると、そんなことはなく、むしろ今よりも多くの人からは良くされていて辞める時に部長に「社内で一番人気者だった」と言わしめた程だった(お世辞かもしれないが)。。何があんなに辛かったのか良くわからないが、ある日電車に乗りながら涙を流して、男性から声を掛けられたことがあった。(結局それに乗らなかったのでナンパか何かの勧誘かは良く分からず)
声を掛けられたのはその時だけだったけれど、年中そんな毎日だった。

そして今の私は誰が見ても都落ちのような状況になっている。(今の状況を「都落ち」と言うのは今の周りの人に申し訳ないがそれが一番わかりやすい表現なので採用)ところがどっこい、この本を読んで「まてよ?」と私は思った。
あのまま当時の会社で働き続けていたら、私はこの著者さんのように「うつ病」になっていたかもしれない。周りとか環境ではなく、自分の心が感じやすく、傷つきやすく、些細なことで大きく心が震えるから。。。。

当時の私は頑なに「謙遜は美徳」だと思っていた。自分は相手の気持ちを汲み取らず自分の気持ちだけでガーガー言うような人間にはなるまいと心に誓っていた。だからいつも強く出れなくて「ごめんなさい」「すみません」と言っていた。それでいつも相手から舐めきられてコバカにされ、いつも大切にされなかった。そして「誰からも大切にされていない」といつも思っていた。

だが、待てよ?
私の中の「大切にする」と言う概念が、世間一般とズレているのかもしれない。

というのは、この本によるとそういう「感受性や刺激を感じやすい人」と言うのはHSPと言う言葉があり、世間一般とズレがあるようなのだ。今まで「自分だったらこういうことを言われると傷つくから、そんなことは言わない」とか「どうしてそんな相手が傷つくような言い方をするのだろう?もっと気を遣えばいいのに。」と言う場面が、度々あった。

でもそもそも、彼ら(例えばHSPではない人々)は、「自分がそう言われても傷つかないから、平気で誰にでもそう言える」のかもしれない。私は「誰からも大切にされないし」と言うけれど、そもそも彼らは「誰も大切に」はしていないのかもしれない。(何を持って相手を大切にしているかは、その人その人によって基準も違うだろう。例えば食事を奢ることが相手を大切にしていると考える人もいるだろう。)

それに気がついて、この本を読んで愕然としたのである。
今まで私は「私の気持を想像しない(大切にしてない)から、こういう言い方ができるんだ」と思ってきたけれど、もともとそういう想像ができない人にとっては、それってハードルが高いことだったのかもしれない。それを「どうしてそんな言い方ができるの??」と考えて「私は大切になんてされてない」と思えば、そりゃいろんな人間関係が破綻するはずである。

「自分は誰からも大切にされていない」のではなく、世間一般に「そんなに他人に気遣いをしていない」のではなかろうか。。。。

自分が勝手に感じやすく、人の顔色ばかりをうかがい、勝手に解釈し、時に振り回され疲弊しているだけだったのだ。それはすなわち自分がHSPだったから・・・・(か、どうかは分からないけれど、そう解釈するとここでは全て解決。)


それでHSPで検索したら、「光や音の刺激を感じやすい」と言うのがあって、これも本当にその通りで今、会社でもブラインドの争奪戦をしている。というのは、私は窓の向こうの車の窓ガラスの光の反射が目に飛び込むのが嫌いで、10時過ぎるとなるべくブラインドを閉めるのだけど、明るいのが好きな人が戻ってきてすぐブラインドを開けるのだ。私は内心「そんなの嫌がる人に合わせればいいのに・・暗くたって仕事はできるんだから」と思っているけれど、そういう刺激が分からない人にしてみれば理解できない・・・(一度思い切って口に出して伝えたけれど変わらず・・・)

いろいろ書いてしまったけれど、結局今自分が30年近くも働いていられたのは、この環境(ブラインドとかエアコンの温度とかある程度自分で動かせる)が幸いしているのだろう。大きな会社で大勢の人や後輩が生まれ、ましてや気の利く女の人が何人もいるような環境で自分が果たしてストレスなく働けただろうか・・・。
そう考えると、運に恵まれうまく収まるべき場所で働かせていただいているのかもしれない。
そして、最後には「結局この人生でよかったんだ、kekeと巡り合えたから。」と言う結論で終わる。(子供がいるということは、その最強の切り札がいつでも使えることでもある。)


本とはかけ離れてしまうけれど、最近「親ガチャ」なる言葉がある。我が家でも息子の口から何度も出てきている言葉である。我が家は親ガチャでハズレらしい。

そんな私が言うと言い訳がましいけれど、そういう人は親ガチャに外れた分、違うツキを持っていて、それがこの後の人生のどこかで出てくるように思えて仕方ない。というのは、私の知り合いで借金で首が回らなくなり最終的には自己破産に至る・・と言う人がいる。
私は何を持ってもこういう人生だけは歩みたくないと思っていた。だがある日、そのような「この人だけにはなりたくない人」でさえ、奥様がいることに気がついた。それも離婚もしてないし家庭内離婚もしていないようで普通に暮らしている。自分が「これだけはなりたくない」と思う人でさえも、自分には居ない生涯連れあうパートナーがいるのである。もしかしたら彼らこそ私のような寂しい人生は送りたくないと考えているかもしれない。

つまり、どっちが上か下かなんて言えないのだ。今のところ生活保護なる制度もあるし、ある意味お金の心配より、夫婦や友人関係を豊かにするほうが「恵まれた人生」とも言える。(私は人間関係が苦手なのでお金の方を優先するけどね。)

「親ガチャに外れた分、違うツキがあるのでは?」と考えるのは、世代でも人でも、とことん運に見放されている世代や人を見たことがないから。私の両親は子供時代戦争で大変だったけれど、その後の好景気で中年~晩年は恵まれて暮らせた。私らの時代は若い頃までは良かったが、今や国も傾いてどんどん税金で吸い取られつつある。もっと若い人たちは更に待遇でも苦労をしている分、そのうちどこかの時代から恵まれてくる運を持っているのではなかろうか・・・と思うんだけど。
今まで巡り合った人達で、中には稀に非の打ち所も無い良き人生を歩いているような人もいるけれど、本当に気の毒すぎる人はいなくて、誰だって何かしら恵まれたツキを持って、ほとんどの人は、手に入らなかった部分と、恵まれた部分と両方を合わせ持っているように見えるから。


ちなみにこの表題の本によると、HSPの人は「直観力が優れていると言われている」そうである。

だから、やがてこの国はまた良くなってくる。今の若い人が喜べる時代がこの後どこかで来るのではないか・・・・・と思うのだけど。。。それともまだ私は本当のどん底の時代を知らないだけなのだろうか。。。。(前者であると思いたい)

 


「60代一人暮らし年金7万円で楽しく幸せに暮らす」/鈴木よう子さん著

2024-02-09 | 読んだ本


今日のお弁当はドライカレー弁当です。息子には焼いた鮭も入れました。焼き鮭以外の魚はあまり食べない息子です。私も魚料理のレバートリーがあまりありません。最近・・・いや今に始まったことではないかもしれません。朝も夜も行動がスローモーになりました。「あれやらなきゃ」「これやらなきゃ」というのに疲れて「いいよいいよ、できなければ明日やればいいや」と自分に声をかけています。その結果・・・洗濯物はいつも山になっている訳です。

今日、S君とトイレの窓という話になって、彼は休みの日に(几帳面なので)トイレの窓枠も拭くそうです。。。。私の休日の生活を見たらドン引くに違いありません。・・・いや、うすうす気がついているだろうな。。。

今日は久しぶりに昼休み散歩にカメラを持ち出しました。^^

誰かが作った雪だるま。そこそこ大きい。


先日読んだ本。「60代一人暮らし年金7万円で楽しく幸せに暮らす」/鈴木よう子さん著。

何か節約のヒントになるかな?と読んでみました。
外食しないとか、私の暮らしと似ています。食費は大きいですね。少しづつ多めに作れば、3日に1日は残り物をかき集めて食事ができます。カレーとかグラタンとか、冷蔵庫にあるもので作ってしまったりできると、ますます節約になります。^^

光熱費は私はあまり節約しなくなりました。光熱費を気にしているとキリがなくて暮らしが楽しめなくなるんですよね。光熱費ぐらい遠慮せずに快適な暮らしをしようよ、と思うようになったのです。(でもまだエアコン入れずにコタツとお風呂で頑張っています。。。)

「病院にいくとお金が掛かるから健康に気をつける」というのも、同じです。健康をかねて散歩するというのも同じだし。散歩も季節の移り変わりを楽しめると楽しいですよね。・・・それを「楽しく幸せ」と呼ぶのは負け惜しみみたいに聞こえるかな・・・宇多田ヒカルさんの「あなた」という曲に「神様お願い 代わり映えのない明日をください」というのがあります。
若い頃は30代以降は、ハンコのような変わらない日々が続くんだろうな・・・と思っていました。何が楽しいのだろうと思っていました。
でも、当時よりも今の方が楽しさは増していたりして。

年をとってエネルギーが無くなったのか、代わり映えのない生活をありがたいと思えるのは、割と最近なのかも。車ももうあまり行ったことがない場所(特に山道)は行きたくないです。行ける時にグルグル運転しておいてよかった。。。


若い頃は夢を見る楽しさがありました。未来を想像する楽しさが。
それはもろくも崩れて、まったく違い現実になっているけれど・・・・その失望の後には春が訪れるのかも。


お昼休みに撮った梅です。


なんで昔の人は桜よりも梅なの?と思います。でも今年は特に梅がうれしいな。


かぶを焼いただけ、と。ひき肉が傷む前にチャーハン。コンソメ多目でケチャップ少な目。
もう両方とも傷みそうなので慌てて作って食べることに。
kekeが来て「ネギトロが残っている」と言うけれど、もうご飯全部チャーハンにしてしまいました。


「ものの見方検定」/ひすいこたろうさん著

2024-01-25 | 読んだ本


昨日のお弁当はソーセージチャーハン(ケチャップ味)です。ポテトサラダは朝自作したもの。
他のものは作れなくて、前に焼いた餃子で隙間を埋めました。。。


今日はハンバーグや、肉じゃがなど。かぼちゃの炒め物はこれ以上置いておくと危険なので早く炒めて食べてしまいたかった。
最近、かぼちゃも放置しすぎると・・・黒いカビが生えるんですね!@@ほんのちょっと(米粒ほど)なら、そこだけ切り取って食べてしまいますが・・・その前に食べるようにしたいです。レバートリーが少ないから難しい。。。。

昨日読んでいたのは。。。。「ものの見方検定」/ひすいこたろう さん著

前に私は一時期、小林正観さんの本にはまっていた時期があるのですが、ひすいこたろうさんも、小林正観さんが大好きなようで、ひすいさんの本にはたびたび正観さんが登場するのです。

スピュリチアルな「サイン」という本(ひすいさんの書いた本ではありません)の中の話で、「この世で一番運気があがるアイテム」として巾着袋が紹介されているそうです。
その巾着袋は、道端のゴミを拾っていれる巾着袋にするそうです。すると運気があがるそうで、ひすいさんは、早速それを実行したそうです。
そして道端のゴミを拾って巾着袋に入れてみました・・・すると、運気が上がったかはともかく、「とんでもなく気持ちがいい」だったそうで、自分が好きになれて、上機嫌になれるそうです。「こんな気持ちだったら運気も上がるにちがいない」と感じるのだとか。

「ゴミを拾って巾着袋に入れると運気が上がる」だけだと、そうなのかな・・・??と思いますが、「とんでもなく気持ちが良くなって自分を好きになれる」というのは、本当にそうなれそうですよね。(^o^)
ひすいさんは、1日ひとつ拾えばいいというのをマイルールにしているそうです。
今はまだ「明日からやろう」という所まではテンションが上がりませんが心の片隅に「そんな方法もあるよ」と覚えておこうと思います。

こんな話がいっぱい書いてある本です。
物事は常に、良い見方と、そうでない見方があり、良い方に見方を変えていくと何かが変わっていくかもしれないとも・・・・私の人生では、「運がいい」と思う出来事と、「こんなカウンターパンチを食らったか」という出来事と、同じ時期に来たことが何回かあります。
幸運と不運は、対になって訪れるような気がしています。

不運であった故に幸運も訪れる・・・たとえば、息子は大学はやめてしまったけれど、そのお陰で今の会社に勤めることができました。今、離婚して独り身の人がいても、5年後にはすばらしい人と再婚しているかもしれません。(とは言うものの再婚が必ずしも良い結果になるとは限らない。)

つまり、よいも悪いも、その人の考え方次第で交互に訪れる・・・・イヤ、さらにいうなら、「良い出来事」も「悪い出来事」も、戦後の教育が作り出した偏見な部分がありますね。
何がいいか悪いかなんて、その人の人生の終わりまでわからないし、人生の終わりになったって見る人によって評価は違うでしょう。
そう思うと、何を持って「良し」とするかは・・・バカバカしいですね。そんな偏見を持った目で見られること自体がバカバカしいのです。しかも一面しか見えてない他人に評価されるなんて。

でも私も普通に結婚して、普通に子供を授かって、何の問題もなくすくすく育ったら、同じように「結婚しないのはおかしい」「子供がいないなんてかわいそう」・・・そんな価値観に染まっていたと思います。それで人様を評価していたことでしょう。(そう思えなくなったのは今の環境のたまもの)

そう思うと、人をうらやましがったり、ねたんだり、同情したりするのもあまり意味がないというか・・・・その先にまた状況はいろいろ変わるのだから、やっぱり本人の考え方次第だと思うのです。


「50歳を超えてもガンにならない生き方」/土橋重隆さん

2024-01-16 | 読んだ本

今、読んでいる本は
「50歳を超えてもガンにならない生き方」/土橋重隆さん

こちらの本である。
マドモアゼル・愛さんの動画にも時々名前が出てくるお医者様で、かつては年間ものすごい数の手術を行い、副院長にまで上り詰めた先生だが、ある日西洋医学に限界を感じるようになり、大勢の反対を押し切ってその座を降りる・・・と言う経歴の先生である。

この本を読むと、今までいろんな例を挙げながら、「病気は心のストレスを深いつながりがあるのでは」と語る。抗がん剤や西洋医療を否定する訳ではない。(それで治っている患者さんもいるそうである。)この本によると「この方法は絶対に正しい」と言うことはないそうなのだ。

医者が言うからではなく、誰が言うからではなく、あらゆる方向を考えて、最後は自分で決める・・・医学を否定はしないけれど、医者の言う通りにするのではなく、これからの人生をどうするのか自分で考えてほしい、と言う本なのだ。

たまに何も医療をほどこすことなく、ガンが治る患者さんがいるそうである。共通するのは「悟りを開く」。(←私が作ったイメージです)もう病気に抵抗することもなく、残りの人生を(忙しい日々を離れて)ゆっくり過ごすうちに何故だかガンが消えてしまった・・・と言う例があるらしい。(どうも病気を通じて、今までの生活を見直しリセットすると言うことが大切らしい。)

その心につながっているというのは、がんに限らず他の病気にも言えるそうで、ストレスをなくす事で糖尿病や高血圧の数値が変わるケースもあるのだとか。

そう言えば私は最近、自然を見たり、水や波の音を聞くことが好きなのだけれど、これももしかしたら体が自然に良いものを求めていく現象なのかもしれない。心と体は密接につながっている・・・・


「日本の風景が織りなす美しい季節のことば365」

2023-12-18 | 読んだ本


今日のお弁当。煮卵にプルコギ、肉じゃがのじゃがいも、甘酢きゅうり。


息子のお弁当はプルコギをたくさん入れています。(野菜も入っているし)

そしてお昼休みには・・・

サザンカを明るく撮ってみました。
(手書き風なので、葉書の片隅にプリントするのもいいかな)


先週はツボミだったアネモネです。向きがこっちだと障害物があってカメラが近づけず、ちょっと遠めに撮る事になりました。

そして・・・・今読んでいる本がこちら。

「日本の風景が織りなす美しい季節のことば365」

こちらは季節の言葉(天候の季語が中心)で、それに見合った写真が1つの言葉に一つづつ掲載されて、365日分が1冊にまとめられています。
写真は有名観光地もありますが、いつもの「お決まり」の写真ではなく、ちょっとハズしている所が興味深いです。それから都道府県は書いてあっても、場所が書かれていない写真もあったり(無名な場所なのかな?)、中には場所すら書いていない写真もあります。

私はてっきり観光地の写真が中心の写真集のつもりで借りたのですが、季語の言葉が中心でそれにピッタリの風景写真が添えられていると言う本です。(この場所でこんな写真が撮れるんだ)と言うような新しい発見もあったり・・・このような写真を見ていると「もっと身近で撮れる被写体があるのでは・・・」と思えてきます。

最近、お決まりの観光地は撮影する人も多くて、一昨日出かけた花菜ガーデンも、天気が良い翌日は大勢の人が来られたという話です。最近、たぶん写真を撮る人の人口が増えていますよね。(自分もそのうちの一人ですが)
たまたま5年前のイルミの写真を見ていたら、東京駅前の人の少なさに驚きました。いくらクリスマスから1週間以上も前だとしても、今はもっと人が多いと思うんですよね。河口湖とかも外国人観光客がレンタカーの前で列をなしている光景を目にしたり・・・

だからちょっとした観光地は、人が多くて写真もなかなか撮れないのが現状です。
もうちょっと新しい場所を開拓するのも良いかもしれません。。。1冊読みきる自信がないけれど、もうちょっと読み進めていこうと思います。(^o^)丿



「薬の9割はやめられる」/松田医院の松田史彦さん著

2023-09-21 | 読んだ本


今日はちょっとメニューを変えてみました。
焼肉は「ペッパーランチ風」です。
と言っても「ペッパーランチ」なるお店に行ったことがないのですが、ペッパーランチ風と言うレシピがあったので真似てみました。
ニンニクと玉ねぎはみじん切りにして、牛肉と一緒にバターで炒めて塩コショウします。(コショウは黒コショウをきかせてみました。)そして冷凍しておいたコーンを散らして、醤油を全体に降って完成!

私的にはこれで十分おいしかったけれど、お弁当屋さんにするにはもう一工夫いるのかもしれません。
あとは良く作ってる定番の副菜です。

この前読んだ本は「薬の9割はやめられる」/松田医院の松田史彦さんが書かれた本です。

タイトルでだいたいの内容は想像できると思いますが「なるほど」と読んでいました。amazonレビューでこの本の内容を詳しく書かれている方がいらして、そちらを読まれて参考にされるのも良いかと思います。(リンク先めちゃくちゃ詳しく書かれてますので(^^;)

それででは薬を止めて健康でいられる工夫ということで、いくつか提案があるのですが、その中の一つで「本を読んで心を癒す」の所で小林正観さんの本がお勧めと書かれていました。

小林正観さん!私が一時期はまって何冊も読んでいたんですよね。息子が部屋から出てこなかった頃だと思いますが。。。まさか小林正観さんの本がブックセラピー、心の癒しにつながり健康にもつながっているとは!

そうそう「ありがとうをたくさん思う(感じる)とある所で幸せが降りてくる」というのがありました。そう言うの好きな人そうでない人いらっしゃると思うけれど、私は「そうなったらいいな」「思うだけで幸せが降るならやってみよう!」と思って、ありがとうをたくさん思うようにしたのです。

そしたら、10年後本当に今、幸せ・・・客観的にはそうではないのかもしれないけれど、毎日がありがたく思えてきたんです。本人が幸せだと思うのならこれでいいんだよね。

たしかに今まで、健康=健康診断、数値、お薬、手術・・・みんな物的考えでしたよね。
でもやっぱり心と身体ってつながっていると思うのです。
癒される音楽を聴いたり、たっぷり睡眠をとったり、ちょっと息抜きしたり・・・そして小林正観さんの本を読んで「ありがとう」と思ってみたり。。。。それってきっと体にも良いんじゃないのかな?!

理屈ではなく、感覚としてそういう風に思うのですよ。
昔、「第6感」と言う言葉があったように、見る聞く触るみたいな感覚と同じように「第6感」ってあるのかもしれませんね。地震の前に動物が移動したりする話も聞くし。。。

自然なものを食べて、自然の風を感じて、大地と一体になるような感じになれたら、第6感もだんだん研ぎ澄まされてくるかもしれませんぞ。^^と思ったりして。

だから、自分が「気持ちいい」「楽しい」ってことに素直になるのはいいような気がするんです。(幾ら楽しくても人工的で神様に逆らうようなものはもちろんダメだと思いますが。。)

その他、私が注目している安保徹さんのことも引用があったり、あの靴下重ね履きのこともあったり、この本を読んで自分がしていたことが肯定されている気がして、何だかとてもうれしくなって、今日はご報告したかったのでした。


アニメ 「ゆるキャン△」と「推しの子」

2023-08-14 | 読んだ本

病院に行ってきました。

お医者様に見ていただいて、レントゲンも撮って、とりあえず「異常ナシ」です。まだたまに痛くなるので、あまり歩かないようにしています。病院に行った所で安静にして治るのを待つしかないのでしょうが、見ていただくと気持ちが全然変わります。
大したことがなくてよかった。。。。

病院ではマスクをしないとならないようです。
テレビではCMが流れていました。
グーグルや、世界の何とか機構みたいなところもCMがあるのか・・・。
番組では「人気のある麺特集」で、大手メーカーの麺類を見ながら、「これもスポンサー取引で大手メーカーのお勧めの麺が紹介されているのだろう」と思ってしまう自分がいます。

素直に安倍総理やアベノマスクを信じていた頃の自分の方が幸せだったのかもしれません。
がん検診のポスターの下には、協賛企業ということで有名カメラメーカーや、乳業社の名前があったり(ただお金を出して協賛しているということなのだろうか)こういう細かい事ですら、今では疑ってしまう自分がいます。

安倍元総理のことは、私は肯定も否定もしていないのです。
「国益を守ろうとして殺された」と言う説と、その逆の説があり、謎に包まれています。
政策は今思っても100%国益に沿う形ではなかったと思う。でも、あえてそうしていたのか、それともそうせざるを得なかったのか・・どんな事情があったのか。統一教会とそんなに深い関係にあったことは、それまでどうして表に出ていなかったのか。

この世界はいったいどういう仕組みになっていたのだろう・・・?



昨日は歩きたくなくて、一日ゴロゴロしていました。
「ゆるキャン△」の、また昔のや昨年の映画を観ていたのですが、あの世界観は世界中の人に伝えたい気がします。昨日も映画を見ながら、誰一人悪い人がおらず、恋愛が一切なく、みんな仲良しで、周りの人がみんな協力してくれて、何かトラブルが起きても争わず融合して解決するんです。それでみんないつもニコニコしているんですよ。
これって、日本人独特の価値観のような気がするけど・・違うのかなぁ。
世界のみんながこういう価値観で、征服とか相手を従わせるではなく、平等で仲良く暮らしていつも楽しい世界を目指して実現する事はできると思うんですけどね。それには自然を大切に敬う気持ちは不可欠でしょ。
目に見える景色を「きれい」と思う気持ちとか。

・・もっともいきなり「映画」を見ても、それぞれのキャラクターとかを知らないで見ても面白さはちょっと落ちるかもしれません。


それで観るものが無くなってしまったので、最近話題の「推しの子」と言うTVアニメを観てみました。
こちらも夜中まで起きて、放映終わった所まで見てしまいました。
さすが、話題になるだけ合って面白いアニメでした。でもハラハラの刺激が今の私にはちょっとキツすぎるかなぁ。10年前ぐらいだったら全然平気だと思うけれど。
その中にSNSですごく悪口を書かれてしまって女の子がすごく傷ついてしまうシーンがあるのですが、こういうネットの世界も確か恐いなぁと思いました。

病院やスーパーでもそうだけど、従業員さんがみんな「名札」をつけていて、いつどこで誰に何を書かれるか分からないような世界に実はいるんですよね。私は個人的にあの名札はなくていいのではといつも思うのです。(ビジネス相手に交換する名刺で充分だと)不特定多数の人に個人情報をさらすのって恐いなと思うのです。(勘ぐりすぎかもしれないけれど、でもどんな人が見ていて何をやるか分からないから。)

スーパーも会計が終わった後の「ありがとうございました」の挨拶が最近丁寧になりましたが、あれも客がそうしないとクレームを入れるのかなと思ったり。
感謝を忘れて、みんなが周りの人を批判や評価しあう時代になってしまった。。。。
「年功序列」ってある時期(ホリエモンが出てきた頃)から軽んじられているけれど、年功序列は大切だったと思う。実力で評価と言っても、人間が人間を評価するなんておこがましいことだよね。
それぞれみんな違ってみんないい、そこに基準なんて設ける方がおかしい。

だから「年功序列」にしておけば、争わなくて済むし、この先の未来は自分が上に行く訳だから夢がある。
気持ちが楽しければ、ストレスがなければ、ずっと努力できるし、自然といいものができる。
今の日本はそういう良い所がどんどん無くなって、マニュアルと評価ばかりで動かされている。

名札なんてつけないで、気持ちよく働けるようなみんなニコニコの雰囲気の会社にする方が、本当だと思うのだけど・・・管理管理の社会になっている。

「推しの子」はストーリー性もあり、ハラハラドキドキで面白いけれど、出てくる人が何かを背負っている人が多くて(キメツの刃もそうだったけど)、ちょっと私は切ないんだよね。。。(-_-;)
みんな最後は人を信じて愛せて幸せになってほしいものだ。(と私が言うのもなんだけど)



お昼は煮込みハンバーグにしてみたよ。
(実は味が薄くて、慌ててコンソメを足したもの)