きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

本を読んだ。

2025-01-20 | 読んだ本


金曜日のお弁当。



麻婆豆腐のお弁当。


牛肉でチャーハン。ガーリックをきかせてます。
コーンの甘みがおいしいです。


昨日のスープ。
緑黄色野菜多めです。(^^;


昨日は餃子や鶏のから揚げ、余ったごはんでチャーハン。
そして・・・・イチゴがいよいよ出てきました。^^
買っちゃった。
見えている所だけでなく、奥もイチゴがつまっているんですよ。
クリームは市販の絞るだけのクリーム。もっと多めにしぼっても良かったかも。

森永さんの本、最後の数ページを残してほとんど読んでしまった。
まだ出版されて間もない本なので内容は書かないけれど、これ、本当だったら中居クンどころの騒ぎではないだろう。
しかもその事件をきっかけに日本経済が大打撃を受けることが最後の章にあり、中居クンの問題もすごくショックだけど、それをはるかにしのぐ大事件になってくる・・・
最後の章は正直読めなかった。お金のことはよく分からないし、切なくて読む気になれなかった。この本を配ってくれた方は少しでも多くの人に読んでもらいたいと思って渡してくれたのだから、友達や知り合いに声をかけて誰かに渡したい。居なければ言われた通り図書館に寄付しよう。自分は(悲しいので)何度も読まないと思う。

まだテレビを見ていた頃、選挙の日の夜に池上さんの番組があって、そこで現在、時期総理候補とも言われるある若い政治家が特別にインタビューされていい感じに取り上げられていたことを思い出す。
その人のお父さんは、この国にいったい何をしてきたのだろう。今思えばあれも一つの印象操作だったのではないか。時期総理にするための。。。。
テレビを見ていても、この国を良くしようした政治家、外国に貢いだ政治家はまったく分からない。むしろ逆になっている。長く総理をやってきた政治家は、よそに都合がいいからやってこれた。国の為を考えた政治家は間もなく足をすくわれた。マスメディアは国のためではなく、よそのためにうまい具合に印象操作をする手伝いをした。

それでも30年ぐらい前はまだちゃんとした報道マンもいたし、そういう番組も稀にあった。たまにそういう番組の動画を目にすることがある。でも今はまったく・・・・なのでは・・・・。
たまに車で、テレビを見ると、正直半分は宣伝だなぁと思う。

グルメの番組はその店の宣伝だし、便利家電はその生産メーカーの宣伝だろうし。夜のカラオケ番組は素人を出せば製作費が安いからだろう・・・・そうやって裏読みをすると番組の半分以上は宣伝、都合のいい番組作りと思ってしまう。

そして正直、テレビ生活から足を洗えてよかったと思ってしまうのだ。(もちろん知り得てない情報もいっぱいあるだろうし、ある人から天災地異の時真っ先に死ぬ人だねと言われたが。)

 


水の記憶・・?

2025-01-14 | 読んだ本


1月も中旬になろうとしているけれど、昼間はまだそこまで寒くない?
15日の成人式と言えば東京でも雪が降るのが相場だったのに。

もっとも一番エアコンをつけたくなるのはこの後かな?
3月も日差しは強くなるけれど、逆に寒暖差が激しくて冷えるよね。
その時期のイメージが残って意外に暖かく感じているだけなのだろうか。。。


さて、昨日ネットをちらちら見ていたら、水の結晶の話があった。
https://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=139954

水に概念が記憶されるという話である。それを実際に証明?した方がいるのだとか・・・・?

水に「ありがとう」と言うときれいな結晶になる。恨み言を言うと結晶が乱れるという話は、小林正観さんの本にもあったけれど、半信半疑だった。(そう言えば私がいつも鉢植えの花を枯らすのは鉢植えに感謝の気持ちがないからかも。)

水に情報が遷る・・・という話は、これまたマドモアゼル・愛さんが時々語っている話で周波数の音を水に移すといろんな効果があるという話があったっけ。

上のリンク先には人間の体の70%が水ということも書いてある。

本当に水に情報や概念が移りそれが水に記憶されるのかは定かではないけれど、私らの体は水分が多いことを考えると、気持ちや思いが体内の水分をまろやかにしたり、ギザギザにしたりというのも、あながちインチキとは言えないかもしれない。そういうこともあるかもしれないなぁ、ぐらいに心に留めておこうかな。
何しろこれから「風の時代」になるらしいし、今までの「物質文明」がそれだけではない新しい価値観が生まれるらしいから。

言霊という言葉もあるように、日頃の気持ちや思いが何かを運んだり連れてきたりすることもあると思う。
今は暗いニュースが多いけれど、たまにはそういうものから離れて、きれいなものを見たり、心地よい音(音楽)を聴くこともいいことなのではないか。
突き詰めていけば、自分のしたいことをして、もっと自由に生きていいのではなかろうか。

限りある命を大切にするということは、自分がしたいことを大切にする、自分が大切にしたい人と一緒に過ごす時間を作る、誰かに喜んでもらえるようなことをする(それは自分にとっても楽しいことだから。)それはきっと連鎖していくだろう。

ガンの本の中で必ず出てくるのが、「(治るためには)病気になった今までの暮らしを見直す」という考え方だ。今までの人生を見直したり、変えていくことで変わることがあると言う。
(懸命に血眼になって変えていくという意味ではないと思う。)

身体の70%が水分であり、血流も大切。
こういう流れのままにゆるく自然に生きていくことは病気を遠ざけることにもなるのではないか?
果たして水が情報を持つのかどうかはまだ分からないけれど、体内の水分が優しく整うように素直で自由でありたいと思う。


日帰り温泉の本

2024-12-22 | 読んだ本


昨日のラーメン弁当です。
スープの素を会社のポットのお湯で溶かし、この弁当箱をそのどんぶりに横滑りでドボンと落としました。味は変わらないと思いますが、見かけがかなりひどかった・・・面倒でも乗せる野菜は別のパックに入れた方が良いみたいです。


昨日の晩ご飯(つまみ)です。
ビールはお歳暮のビールが今年はいただけなくて・・・辞められた方が持って帰られなかったお中元のビールを代わりに持って帰ってもいいよ、と言われたので持って帰ってきました。賞味期限が近いので妹たちにもあげようかな~と思って持って帰ってきたのですが、この分だとお正月に会う前に全部飲んでいまいそうです。


ジャン。
そして買ってしまった・・「日帰り温泉」の本。
来年は日帰り旅を満喫すべく、温泉にも寄ろうかな~(^_^;)とたくらんでいます。
ちょっと贅沢かなぁ。。。

朝早く家を出て、ちょっと写真を撮ってから、温泉で一休みして・・・まだできるか分からないけど、温泉がどこにあるというのを知るだけでも楽しいような気がして、ついつい買ってしまったのです。

今日はスマホと格闘して、だいぶ時間を無駄にしました。
kekeに相談すると、「これから一生親の介護に費やさなければならないのか!」と怒ってましたよ。
これだけアナログの私ですから、どうしても分からないことが増えるんですよ。(-_-;)しょうがないじゃないですか。

これから一生親の介護って、まだ今なんか全然まともだと思うんですけどね。ちょっとスマホのことをきくだけでこれですから。
そういえば、母も祖母をできるだけ手伝わないようにしていたのを思い出します。助けるとすぐ自分でしなくなるからだそうです。
自分ももうその域になってきたのでしょうか。

こんなはずじゃなかった。
一生親の介護をしなきゃならなのか、って、ちょっと前までずっと世話になっていたのは誰なんでしょうね。自分一人でここまで育ってつもりなのでしょうか。しかしだんだん、家の中のことが回らなくなりました。特に片付けが、全然手に負えなくなりました。
明日は遅い時間から、カメラを持ってどこかに行こうと思っていますが、どこがいいのやら。。。
クリスマスシーズンも、都内は混んでいそうだし、悩むところです。

だいぶ遅くなってしまったので今日はもう寝るとします。



世界平和化計画

2024-12-15 | 読んだ本


昨日は横浜から帰ってきて、急遽冷蔵庫のお肉と野菜をいためました。


今晩はこちら。
餃子を焼いて、ご飯に乗せたのは餃子のタネの余りを焼いたものです。醤油をたらして食べるところ。
息子は作り置きのハンバーグにハッシュドビーフをかけて食べてもらうことにしました。

そして・・・

こちらのビール。
あるショッピングモールで見知らぬ男性がいっぱいまとめて買っていました。見たことがないビールだけどおいしいのかしら?と、1本だけ残っていたビールを買ってみたのです。甘みがあっておいしかった。どこの国のだろう?と思ったら、国産でした。三重県伊勢市の会社でそこで作られているようです。また今度見つけたら買ってみよう。たしか何種類かあったように思います。’天正三年(1575年)と書いてあります。


さて、今日は特に予定もなく、変な夢(車がコントロールきかなくなる)を見てしまって(あぁ夢でよかった~^^;)と思って、タブレットでマドモアゼル・愛さんの動画を見ていたら「お勧め動画」としてあがってきたものがこちらでした。


瀬戸内寂聴さんと美輪明宏さんの対談の動画です。
お二人とも本を何冊か読んでいてとても興味深かったので、何を話されるのだろうと見てみました。50分もとても見ていられないと思い、最初の5分10分だけのつもりだったのですが・・・あっという間に50何分?最後まで見てしまいました。
全然飽きなかったです。

瀬戸内さんは真っ正直であっけらかんと明るい方。美輪さんは落ち着いていて理論的という感じという対照的な雰囲気と言い、お二人とも確固たるものがありながら、正しい・間違いでモノを切らない、やわらかさがある所、それでさりげないユーモアで会場を笑わせる上品で飽きさせない話術。笑いあり、涙ありの講演でした。

それである若い女性から「結婚相手の見定め方を教えてください」なる相談があり、瀬戸内さんは「条件なんてないのよ、好きな人と結婚するのよ」と瀬戸内さんらしい回答をした後に美輪さんが「私は結婚がいいものだとは思わないわ」と言い、「ウエディングドレスは死に装束、そうでしょ皆さん?」と会場の笑いを取っていました。

たしかにそうかも。。。
この前は遺族年金で文句を言ってしまったけど、遺族年金でももらわなきゃやってられない部分もありますよね。。。私だって今頼れる相手がいないから、「いるだけで幸せじゃん」と思うけれど、いたらいたらで、必ずブーブー言っていたと思います。やっぱり(親子ではない)他人と一緒に暮らしていくって大変ですよね。美輪さんは鋭いと思い、またそれをジョークでオブラートにくるむセンスいいですよね。^^こういう笑いは好きです。

あと、美輪さんは「羨ましいと思う人は一人もいない」という話をして、「自分が一番というのではなくて、大金持ちやいろんな人を知っていて、大金持ちで幸せになる人があまりいない」と言っておられました。正負の法則とは美輪さんがよく本でも書かれているのですが、何かに恵まれすぎてしまうと、どこかでその代償を払うことになるそうです。そして「だから皆さんは安心ですね」とまた会場の笑いを取っていました。^^

そして最後はやはりお二人そろって「戦争に反対」を強く語っていました。お二人とも戦前のお生まれで冒頭で「今の国内の雰囲気が当時に似てきている」とも語り、最後に美輪さんが「皆さん、見抜いてください」と言っておられました。美輪さんの涙ながらに語った実際見た話(二度と戻らなかった息子さんを兵隊に送り出すお母さんの話)もありました。
瀬戸内さんは、あっけらかんと「私まだ経験していないのは刑務所に入ることなんですよ。」と言い「でもまたあの時代になった時は刑務所に入っても戦争に反対するつもりでいます。」と語られました。

この動画は9年前のものです。
コメント欄は「この動画、どうしてこんなに悪評価が多いのだろう」と書かれた方がいて、当時のyoutubeはBAD評価も数が書かれていて評価が分かれていたようです。当時はまだ安倍政権で「改憲して戦争できる国にしないと侵略される」という言論が幅を利かせていました。私もそう思っていたし、「改憲反対するのは反日」という空気が強かった頃です。プロパガンダもたぶんあったのではないかなと私個人的には思っています。

でも今冷静に考えて、戦争になったとしてどうするのでしょう?
中国がロシアと組むのは間違いなく、ロシアの今の戦力はウクライナ戦争で明らかです。数の上でも中国にかなうものはない。そして、アメリカやNATOが日本のためにどこまで自国の兵隊を犠牲にするのも、ウクライナを見れば明らかです。ほとんど助けはしませんよ、それどころか武器を売って儲けるために戦争だけはいつまでも続けさせるでしょう。(それもウクライナ戦争を見れば明らか。)

「じゃ、侵略されたらどうすんの?」とコメントされた方がいて、私もしばらく(侵略されたらどうするんだろう?)と考えたのですが、やっぱりそういう武力で侵略する・されるじゃない世界、そういう考えを上塗りさせるようなみんながニコニコする平和が巣晴らしいという価値観に世界を導くことが、日本の役目だと考えたんです。
あちこちに神様がいて、ゆるい価値観で神様がいっぱいいてもケンカせず暮らせるとか、落としたサイフが交番に届いて持ち主に戻ってくるとか、他に例が思いつかないけど、みんながニコニコしてwin-winというのが本当の平和で素晴らしい、という日本的に価値観、みんな違ってみんな良いを積極的に日本から世界に広げるのはどうでしょう?
ある人は戦争の悲惨な経験を世界に発進してもよいし、アニメとか、観光業のおもてなし文化もいいと思います。そういう日本らしい穏やかなモノの見方をひとりひとりがSNSとかで伝えて、ハッピーな地球を作っていくのが日本人の使命だと考えるのはどうだろうか?
ただ単にひとりひとりが、自分の今日起きた楽しかったことを発信する。そう思えば外国人観光者や留学生が増える今もチャンスかもしれません。この日本的なモノの見方を勉強して自国に帰っていただければ最高なのに。。。

と思ったのは、あのジョン・レノンがオノ・ヨーコさんと出会って、日本の文化(そういうモノの見方)に感動して作ったのが、あの「イマジン」という名曲だったと言う逸話があり、ジョン・レノンがそうなのなら、気がつく人が気がついてきて、その世界の価値観はだんだん変わっていく・・というのも不可能ではない。
これぞ名づけて「♯世界平和化計画」だな。←「♯世界クロミ化計画」のマネ

侵略されたらどうする、じゃなくて、そんなことのない平和な世界に日本から発信して変えていくのだ。(^o^)


アイミタガイ観てきた^^

2024-11-14 | 読んだ本

今日は遅くまで夜遊び・・・・
さっそく映画「アイミタガイ」を見てきました。^^;

ほのぼの・・・というか、しみじみというか・・・じんわり来る映画ですね。派手なアクションとかハラハラはあまり無いのに、じんわりうるっと来る映画でした。映画部屋に私以外の観客がおらず、今から思えばもっと後ろから見ればよかったですが・・・ほかに誰もいないというのも不安なものですね。^^;

ストーリーはネタバレになってしまうので省略して、私は実家でドラマとかほとんど見ていないので、草笛光子さんを拝見たことがなくて、ずっと中尾ミエさんだと勘違いしていて(中尾ミエさんって演技迫力あるなぁ~)とずっと見ていたら、最後に草笛さんの名前があり、(あぁこの方が草笛光子さん!)と思いました。演技がすごいのか、たまたまキャラがはまっていたのか、すごいオーラのある方ですね。この方の存在がなかったら、映画が全然変わってしまったように思います。

そして、映画の景色をいっぱい目に焼き付けて帰ってきました。どなたかが「東京でやったらみんなわざとらしく見える」と書かれていたけど、たしかにそうかも。このロケ地(桑名の町)の雰囲気とかテンポが合っているのかもしれません。さりげなく桑名駅の看板が写っていたり、今は無き桑栄メイトという看板?が復活していたそうで、桑名駅に向かう電車のアナウンスも2回か3回出ていたように思います。それを生で聞くのも楽しみだなぁ~^^;
てらまち広場という所が、たぶん主人公が待ち合わせしている場所っぽいです。(そこのトイレから主人公の彼が出てくる)

今だったら「あ、これがここ!」とワーワーキャーキャーになるんだろうけど、何ヶ月も先だともうたぶんその時はもうその光景を忘れてしまいそう。。。

名古屋もロケ地があるけれど、基本は桑名の町で、地元のプリンとか、食品サンプルのお店のグッズ(アクセサリ?)とかも映画に出てくるのです。あと歴史を語る公園?の橋?も何回か出てきて、いや~考えるだけですごく楽しみ。。。。。。^^;
行きたいところたくさんあり過ぎて困るなぁ~^^


映画「アイミタガイ」

2024-11-13 | 読んだ本

この前のブログで頂いたコメントで「アイミタガイ」という言葉があったので、何だろう?と思って調べてみると映画のタイトルとのことで、(どんな映画なんだろう?)とお返事を書いてから更に調べてみると・・・・

な、な、なんと!

そちらのロケ地が私が来年旅行する予定の三重と名古屋だとは!!@@

偶然と流すよりも、これも何かの縁かもと考えて、近々映画を見に行こうかと思いました
映画の内容も、いかにも私が好きそう~な感じだし、しばらく映画見てないからたまにはいいかも。

息子がアマゾンプライムを解約してしまったので、映画館でないと見れないし、ロードショーって結構早く終わってしまうから、さっそく予定を作るつもりです^^



一度映画を見たくらいで、「そうそう、あのシーンここだ~!」とはならないと思うけど(何しろ忘れるのが早くて)、1か所2か所でも行けるとちょっと楽しいかも。。

またひとつ楽しみが増えました。
あづままさん、ありがとうございます


「このプリン、いま食べるか?ガマンするか?」/柿内尚文さん著

2024-09-21 | 読んだ本


今週は準備が足りずお弁当も同じものばかりになってしまった。(-_-;)


カレーの残りと共に開封。^^
みかんのお酒は前にも飲んだことがあるけれど、こちらは微炭酸。昔懐かし缶詰のみかんの味がします。
甘くておいしい、お酒が入っている感じがしないので飲みすぎ注意。炭酸は注目しないとほとんど感じない程度。
もったいないから半分はまた後日飲むことにした。(ビールと違ってとっておけるのでコスパよし♪)

今日は朝方涼しくて気持ちいいですね^^これからはまた暑くなりそうだけど。。。
この3連休は彼岸花で忙しいと思いきや、暑すぎてまだ満開になってないところが多いようです。来週は来週で行きたい場所があったので、どっちにするかなぁ・・・・。今年は、今月最初に撮った彼岸花で終わってしまうかもしれません。

花は天気もあるので、その時撮っておかないと撮れない・・・後でいいやと思ってもその「後で」撮れるかどうか分からないものだな、と今回気がつきました。最近昼休みに少しだけ散歩を始めて、足元の花をみながら「明日はカメラ持ってこようかな」と思うのですが、放置したまま金曜日を過ぎてしまいました。たぶん来週は無理でしょう。。。そういうことが多々あるんですね。


そんな今朝読んでいた本です。
「このプリン、いま食べるか?ガマンするか?」/柿内尚文さん著



今、時間が足りない、もっとあれもこれもしなきゃいけないのに・・・そのような方のために時間の使い方を解いた本です。^^
ここでは時間を4つの時間(幸福・投資・役割・浪費)に分けます。
幸福の時間、或いは投資(資格所得など将来のための)の時間にすると満足感が高まるが、一般的に役割の時間(母として妻としてなどやらなきゃならない時間)が多いので満足できない。(浪費はゴロゴロしたり無意味に過ごす時間のこと。←幸せに感じられればそれなりに意味はある。)

役割の時間をいかに減らして、(他人ができることは仕事を振ったり、やらなくていいことはやらない等)、幸福の時間を増やす。
たとえ役割の時間であっても、それが幸福の時間や、投資の時間に変わるように自分の受け止め方を変える。
             :
そのようなことが理路整然と書かれているという印象です。(^_^;)


この本の中で(本の本筋とはそれると思うのですが)、長続きする幸せと、長続きしない幸せというのがあると書いてあり、周りの人と地位や名誉、成功とかを比較して得られる幸せは長続きしない、長続きする幸せとは自分が評価できる幸せな状態にいるということだそうです。

そう言えばたしかに、大金持ちで車でも何でもすごく高いものを買う人はそのゲットした幸福は長くは続かず、また次に何かを買い求めないと気がすまない・・・というのがありますね。頑張っている努力屋さんの友人もいたけれど、何かそれと似ているように思います。

私自身がナマケモノだから、そういう頑張り屋さんに共感できないのだろうとずっと思っていました。頑張りすぎる人って「努力してるから評価されるのが当然よ」という雰囲気があって、どこかナマケモノに対して上から目線的なムードを感じてしまうというか・・私が言うのはおこがましいけれど感謝の気持ちが薄いような気がするのです。(私自身が頑張ることができないネタミももちろんあるでしょうが・・・)

比較競争して育ってきた方にありがちなのですが、競争に勝つことが目的になっていて、いつも人と自分を比べている。人生が競争の場になってしまっている。私もそういう風に育ってきたから、人生が競争の場になっていて、いつも周りと比べてはへこんでいました。今でもそれが完全に無くなった訳ではないけれど、あの頃は「とても生きるのが辛かった」です。(byあみん)
自分がそういう部分を持っているので、頑張っている人を見ると(自分も頑張らなきゃいけないのでは)という気持ちがむくむく起きてきて辛くなるんです。

そういうことにだんだん気がついて、インスタもやめようかと思ったことが何度もあり、その理由でフューチャー系のハッシュタグは今はお休みしています。選ばれてうれしいということは、選ばれなきゃいけないというメッセージを自分に無意識に与えてしまうことになり、写真を撮ることがどんどんつまらなくなってしまうからです。私の性格に合わないように思ったのですよね。

それからこの本に「グチが多い人は他人軸で生きている」という内容があり、これもその通りだなと思いました。
この本の例として、例えば電車の中で隣の人のイヤホンの音が気になる場合。
「なんでこんなに音漏れさせるのだ?」と考えるのが、他人軸で生きている人。
「この状況で自分がイヤな思いをしないようにはどうしようか」と考えるのが自分軸で生きている人なのだそうです。

これらは一つにつながっていて、他人軸(他人の評価)で生きている人は、努力が成果として出なければグチになりやすく、努力が成果として出ても(また他人と比べて勝ち上がることを目的とするので)、その勝ち得て得た幸せは長くは続かないように思います。
幸せの青い鳥ではないけれど、案外自分の近くに幸せは転がっているのではないのかなぁ・・・・。

結局、この本でプリンをいま食べるか、ガマンするかの答えは最後になっても出ていません。
今食べて幸福の時間を持つか、ダイエットのためにガマンする(投資の時間)に変えるのかは本人の価値観だからです。



最近、自分は「勘に頼る」ということをよくしています。
今日どこへ行こうか、何をしようか、カーテンを開けて空を見て決めたりしています。
理詰めで、こうだろうああだろうと考えると(その通りにいかなかった場合)グチになりやすいけれど、「勘で決めた」ことならば運任せで、その先にラッキーなことなど起こりでもしたら、神様が味方してくれた!とまで思いが発展します。うまく行かなかったとしても、ただその日は勘が働かなかっただけ。誰のせいでもありません。

例え「やらなきゃなー」と思っていたことができなかったとしても、勘でそうなったのならOKなのです。^^
ということで、今日はまた、うだうだ過ごすことにしましょう。^^


「がんばらない、がんばらない」/ひろさちやさん

2024-08-31 | 読んだ本

昨日は腹が立って夜の写真もない。
でも作った。昨日は初めてたけのこの代わりに、じゃがいもでチンジャオロースを作った。「おうち中華」という本に「じゃがいもで作ったら孫が喜んだ」と書いてあり、レシピはメモしていなかったが、いつもの水煮のタケノコの代わりにじゃがいもで作ってみると、たしかにこれはいい。じゃがいもはつい買ってしまい冷蔵庫に余りがちなので、その消費にもなる。

何に腹を立てるかというと、会社でことあるごとに「こうすればいいのに」とケチをつけてくる人がいるからだ。それが1日に1回2回とかで的を得た意見なら「これから気をつけなきゃ」と思うのだが、逆にしても、結局はケチをつけてくる。つまり私が気に入らないから、あれもこれもケチをつけてくるのだ。

昨日も契約が保留になってしまった案件があって、私は一度作った請求書のファイルを残しておくと、一度出したものだと間違える可能性があると思って消した。それを「消さなきゃいいのに。」
もう全てこんな感じ。これ、例えそう思ったとしてもわざわざ口に出して言うことだろうか?
そして、それを他の人がいても平気で言うから、他の人からもコバカにされる雰囲気になっている。

「消さなきゃいいのに」というけど、消さないで間違いがが起きたら「そんなの残しておくからだ」と言うのは火を見るより明らか。本人は自分が頭がいいと思っているけれど、頭がいい人がこんな発言をするだろうか。
ほんとにやってらんねーよ、と思ってブログに書こうと思ったが、その前に眠くなってしまった。

今日は土曜日で、寝っ転がりながら「がんばらない、がんばらない」という本を読んでいたら、阿修羅という話が書いてあった。この阿修羅とは、本来は正義の神様だが、あまりに正義にこだわりすぎて魔物と認定されてしまったそうである。そして著者のひろさちやさんによると、阿修羅ではなく人間になる方法は相手に少しだけいたわりの気持ちを持つことだ、と書いてある。

そうだ、相手にいたわりの気持ちがないから、あんな言い方になるのだろう。
そして、私もそれを非難しかしなかったら、彼と同じだ。私はちょっとだけ、いたわりと思いやりの心を持ってみようと思う。
この本には「怒りを消し去ることは所詮不可能」と書いてあり、怒りはあってもいいけれど、ほんのちょっと思いやりをもつことがコツのようだ。

気がつくと、うちの人ってお客様とか上司とか上の人には気遣いするけれど、下の人には横柄なのだ。あれはずっと前からおかしいと密かに思っていた。
上の人を大切にできるのなら下の人にも気配りできるはずだし、例え立場は上下関係でもちょっとした言葉や態度で思いやりを表現できるのに、とずっと思っていた。下の人間に優しくすると「なめられる」と思い込んでいるみたいだ。
男性社会特有の現象かなぁと思っていたけれど、そうでない人もいるみたい。

ま、私はちょっとのいたわりや、思いやりを持ってみようと思う。
怨憎会苦という言葉もあるぐらいなのだから、この程度のこたぁしょうがねぇ・・・・。


「あなた次第でこの世界は素晴らしい場所になる」/ひすいこたろうさん

2024-08-24 | 読んだ本

あ~~、やっと土曜日になった~\(^o^)/
本当は「やらなきゃならないこと」が考えるとたくさんあるのですが・・・「息をしなきゃ」「食べなきゃ」「トイレいかなきゃ」以外はどうしてもやらなきゃいけないことはない・・・また明日考えよう!

今日は今まで本を読んでいました。
「あなた次第でこの世界は素晴らしい場所になる」/ひすいこたろうさんの本はもう3~4冊目ぐらいになると思います。私は一時期、小林正観さんの本にはまっていましたが、ひすいさんの本には小林正観さんの話が必ずと言っていいほど登場するのです。だから余計同士のような感覚になってしまうのです。

最近、お米のことを始め、総裁選とか鬱々するようなニュースが多いですが、とりあえずこの小さな世界(親子やお友達)の世界で今まで通りに生きてこうと思う私です。kekeいわく、お米不足もだんだん解消ぎみという見方もあるとかで、まだまだ捨てたものではないのかもしれません。

で、こちらのひすいさんの本に「この人はしんどがるのが趣味なのだと思う」というのがあり、つくづく「その通りだな」と思いましたよ。

身近な人で、ここしばらく大変な仕事がなかったのです。そういうプロジェクトが入るとそれこそ、休日も仕事しなければならなかったり、帰るのが遅くなる日が続いたり大変なのだそうです。だから最近は「帰れるうちに早く帰る」とその人は言い、社長がいない時は30分1時間と早めに切り上げて帰っていました。
そして、また大きな仕事をすることになり、「今まで早く帰っていたから、これから頑張るぞ」となるかと思いきや、今まで早く帰っていたのがいつの間にか基準となり、起こること起こること全て不満な態度。。。
「本当は~時に帰るのが当たり前なのに、自分は損してる」みたいな気持ちばかり。(しかも私の居る時間には帰ってくるのに)
そうなってしまうと、始まって目に見えることがみんな不満になってしまうようです。


私自身もそうです。
人と比べて、不満だらけな考え方もしていました。いつも自分は苦労ばかりだと思っていました。
ある日、小林正観さんの本で「ありがとうと何万回(数字はもう忘れた)言うと言うだけで、やがていいことが降ってくる」と言うようなことが書いてあって、当時息子のことで悩んでいた私は「無料でできることだし、やってみよう」と思って、あることあること全て「ありがとう」と思うようにしたのです。

それが功を奏したのかどうかは分かりませんが・・・・・・なぜか息子が気がついたら立派な青年になっていました。親バカかもしれませんが、私よりずっと常識的でマトモな息子です。「ありがとう」と毎日言っていただけなのに、本当にそうなってしまったのでした。
(もっとも今の息子が正しくて昔の息子が間違いだというのも固定概念です。)


私は理屈好きなので考えます。
結局「ありがとう」と常に思うことで、不平不満が消え、私が不平不満の発想をしなくなったこと(頑張って成果を挙げるのではなくその人なりに進めばいいと言う発想)で、息子が生き易くなったのかもしれません。

不平不満ということは、成果主義的発想なのです。
私が思い出しても、不平不満を持つ人は「努力家で優秀な人」が多いです。共通するのが「自分はこんなに努力して優秀なのに報われていない」という気持ちなのです。それが不満につながっていきます。

それはたぶん「ありがとう」と言う感謝の気持ちとは相容れぬものかもしれません。
自分の目の前に起こった出来事を不満に感じるのか、それを裏返してでも「ありがとう」と思うところを見つけるのか。
たったそれだけでも、その後の展開は変わって行くかもしれません。
ひすいさんの本にもありましたが、「不機嫌は(伝染することで)最大の罪になる」すなわち、「自分がご機嫌でいることは人類に最大に貢献している」ことになるそうです。

私が至らないこともありますが、「努力して頑張っていた」結果の賞賛は永遠には続きません。また更に努力をして頑張らないとそのポジションは続かないからです。自分がご機嫌でいることは、無理して頑張ることではなく、自分の内なる声を聞き、それを許し肯定することではないでしょうか。。。

最近はそう思うこともあって、頑張ることや、努力することとも少し距離を置いています。


「平気であなたを傷つけてくる人から自分を守る本」/石原加受子さん著

2024-08-22 | 読んだ本

昨日は肉を焼いていれる。トンテキ弁当である。

「あんな言い方あるのかね」ということがあって、つくづく仕事をするのがイヤになる。
それは「~~~すればいいのに」という言い方である。
これは相手がしたことに対してマウントを取りたくて、言わなくてもいいのに、あえて口にする言葉だと昨日は確信した。それで、Aという行動を取れば「Bをすればいいのに」と言うけれど、Bという行動を取れば「Aにすればいいのに」と言うのが私は見てわかったんだよ。

要するに私がどんな行動をとっても、そういう言い方をするんだよね。
それも相手を選んでそういう言い方をするんだよ。

こういう風にされて、ある日若者は電車に飛び込むんじゃなかろうか、と昨日はつくづく思ったよ。
何をやってもダメだしされれば、それをみんな「自分が悪いから」と思い込んだら、死んでしまうしかないって思うかもしれない。
いったいどうして、そういう言い方になるのかなと思うが、いじめられ体質な自分に原因があるのだろう。

相手の気持ちも考えないで暴言を繰り返す人と付き合っていくのは疲れますな。



図書館に寄ってたまたま見つけた本。
「平気であなたを傷つけてくる人から自分を守る本」/石原加受子さん著
まさに今の自分にピッタリだと思って借りた。たぶん昔読んだと思うけど。

このタイトルを見るだけで「私にも味方がいるんだなぁ」と言う気持ちになる。
パッと開いてみると
「自分中心に生きるスキルが身についてくると、(中略)どんなに支配的高圧的な人であっても、どんなに怒鳴ったり押しつけたりする人であっても、相手に対する認識が変化していきます。」と言う文章が現れる。

私は古くからスポンジのように、そういう相手の暴言を吸収してしまうタイプだった。
「いじめる方がひどい」と思うのは簡単だけど、ここまで関わる人、関わる人がそういう風になっていくのは、やはり自分に原因があると思う。
それは「悪い」のではなく、「自分中心に生きるスキル」が無いからなのではないのか。

常に相手を気にして合わせようとするヘコヘコする態度が、相手がどんどん王様化してしまう原因になっているのだと思う。
そして支配的・威圧的に変わっていく。
見方によっては「いじめ」のようになっていく。
ちょっと見、鈍感そうだし、こいつなら何を言っても平気だと思うのだろう。
私の人生は振り返ると、そういうことばっかりだった。

さてさて、平気で私を傷つけてくる人からどうやって自分の身を守りましょうか。