帰りの車の中で叔母さんの話をkekeとした。
でもそのうち話は尽きてしまった。
もっといろんな話を聞いておけばよかったなぁと思う。
父が元気な時にもっといろんなことを。
話が尽きてしまったので、不謹慎だとは思いながらも、「自分の時もささやかでいいから」と言う話をした。
kekeは「そういうものを信じないから、自分はしなくてもいい」と言い、「私もしなくてもいいぐらいに思うけど、キミの対外的問題もあるかもしれないから、キミに任せるよ、でも私自身はいらない意思だから。」と言った。
「そういうのはともかく、kekeが1人になってしまってがっくりするのが心配だな。」と言うと、「アンタの存在は自分の中で0.1ぐらいしかないから平気。」とkekeは言う。
「私いなくなってもホントに大丈夫かしら。」と言うと、「今も存在感ないから。」とkekeは言う。
でも、私はそれを聞いて安心もし、うれしくも思った。
赤信号で止まって、「だって人はいずれ死ぬんだから。」と私は言った。
死に対する考え方が、どこか人とズレていることは気がついていた。
でもkekeは私と同じ感覚のようだ。
「私が居ても居なくても変わらないなら、kekeは誰?何?を励みに生きてるの?」
「それが分からないから、生きていたくない。」とkekeは言い、アンタは何が楽しいのか?と言うので、「毎日ご飯を食べる時かなぁ」等と言う。
「あとカラオケとか、ピアノとか。うまくないけど楽しいって言えば楽しいのかな。」
「うまくないのに、虚しくないの?」
「好きだからかしら。あと最近はドライブとか。」
「40過ぎてからだよ」と私は言い、「それまでまさか車なんて運転するなんて思わなかった。分からないもんだ。40過ぎてからでもやれるんだから。」等と言う。
「あとはお前の仕事だけだ。」
「何が?」
「40になっていても、このままだと心配だ。」
と言うと、「それはないでしょう」とkekeは言い、「お金好きだから働かないわけがないでしょう。」と言う。
「それは安心した。」と私は言い、「別にたくさん稼ぐ必要なんてないんだ。少なくても、その中で暮らす能力があればいいんだよ。kekeにはその力がある。」と言う。
「少なくても稼げるかどうかが問題だ」とkekeは言うので、「少なくてよければいくらでも仕事なんて見つかる。うちの業界はどこもそうだから。」と私は言う。
二人で車をおりて並んで歩いた。
少しだけ、kekeがたくましく思えた。