昨日、夢バトンを書いてみたけど、よく考えてみると、これって夢じゃないような?(コメントもつけられないようなネクラな発想なのかな)
考えたら夢なんて見た事ないかもね。
子供の頃から作文大好きだったけど、どうしても書けない苦手なタイトルは「将来何になりたいか(つまり夢)」と「読書感想文」だった。この手の課題の時は、どうしても原稿用紙が埋まらなかった!
なりたいと言うより、なれるかどうかをまず考えて、なれそうもなければ、必要以上になりたいと思わない。
私はそんな風に生きてきました。
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なぁんて事を口にすると、また周りから「それは違うよsakeさん」と叩かれるので、私は貝のように口を閉ざします。そして、あたかもちょっぴり上昇志向であるかのようなフリをする。
なぜ、人はそんなに夢を見るのでしょう。
課長になりたいとか、もっと収入を増やしたいとか、よりイイ男と結婚したいとか?それから何?
私は、今より生活が苦しくなるのは怖い。でも、頑張って頑張って何かを変えようと言う気持もない。頑張った頑張った行く先にあるものを見るのが怖い。頑張った頑張った行き先には、そこからまた頑張る事しかないような気がしてしまうから。
”ヒーローなんかにはなれないもの”
子供の頃からずっとそう思ってた。そしてこれからも、ずっとそう思うだろう。
上昇志向を持つ人は「それは努力の仕方」だと言うけれど、そう言う魔法を信じられない性格なんだからしょうがない。むやみに高いハードルを自分が飛べると信じる事を許さない性格なんだ。どうしてもそう思えないんだから、しょうがない。
そう言えば、飛び箱もかなり苦手だった。
あれは飛べると思わなければ飛べないものなのかもしれない。
うちの子もこう言う性格を割と持っている。
それでも、今は高校に受かろうと頑張ってる。
それは私には眩しくて、こわい。
どうか、上手く行ってほしい。
そして、夢を見ることを覚えてほしい。