きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

ミートソース

2014-06-30 | 息子keke
今日こそ家の事をしようと思っていたのに、ゴロゴロだらだらして、机を片付けるのがやっと、と言う情けなさ。

人様にいちいち伝えることではないので、あくまで「記録」として書いておくのだが、五十肩はひどくなるばかりで、今は頭に鉢巻するのや、とうもろこしを半分に折ることすらイテテテとなっている。
前回の記録を読むと、「落ち着いていた四十肩が秋になって復活した。寒さのせいか?」みたいな事が書いてあるので、この時期どんどんこうなるのが不安になるが、もうしばらく様子を見てみよう。


ミートソースを作ろうと思ったが、こんなことやあんなことで、すっかりやる気がないのを「今日しなければいつするのか」とまた老体にムチ打つかのように、kekeに「ケンタロウレシピのミートソースにマッシュルーム缶が書いてあるが、マッシュルーム缶を入れてはだめか?」と尋ねると、「そんなの無くてもいいでしょう。」と言う。

「もしかしたら更年期うつかもしれない。ミートソースを作る意欲がわかない」と言うと、「自分が作ろうか?」と言う。

「え?!(☆o☆)ほんと?」と言うと、「今日は作れそうだから。意欲がわかない日は自分もやらないけど。」と言う。

買ってくるけど足りない材料は何か、と言うので、レシピを見ながら「ひき肉、ローリエ、トマト缶」と言い、ローリエとはどこに置いてあるのか?と言うので、香辛料売り場で、葉っぱみたいなものと言った。

せめて私はその間に皿を片付けて、汚れた皿を洗った。

kekeは帰ってくると、「これも買ってきた」ときのこの山をくれ、お米も買ってきてくれたようである。もちろんその分のお金は返す。
「kekeは優しいのぉ。きっといい旦那さんになるよ。」と私は言った。

そして台所からトントントンと音がして、しばらくすると出来上がった。
(写真撮るのは忘れる)

「おぉ~~~これぞまさしくミートソース~」と二人で食べるが、kekeは納得していないようだ。

「何か気に入らないのか?」と尋ねると、「これではアンタが作るのと変わらない」「水っぽい」と言う。
「どうしてカルボナーラはとろみがつくのか?」と言うので、「卵を入れるからじゃないのかな」と言い、「ルーミックの粉を入れれば今度はそれっぽくなるよ」と言うがあまり納得してないようである。
「トマト缶が安いものだからかな?」とかkekeは悩んでいたが、結局思うようにとろみがつかない理由は分からず、私はおいしいおいしいよと言って食べる。

父のとなりで

2014-06-29 | 父の記録と母の思い出
父の所に行った。

水分だけでも口から取れるようにしていきたいが、やはり熱が出てしまい、ずっと点滴が続いているそうである。
今日もほとんど寝ていた。
少し苦しそうに見える。

そんな中でも今日は比較的穏やかに寝ているように思う。
こうして状態と言うのは落ち着いたり悪くなったりを繰り返しながら進んでいくものなのだな、と改めて思う。

看護師さんは肩をゆすって声を掛ける。
「娘さんがいらしていますよ。」
そうすると、返事をするようである。
(声をかけるだけだから返事が出なかったのか。)

「昼にこのように眠ってしまうと夜起きてしまうことが多いので、こういう風に肩をゆすって声をかけてみてください。」と言われたが、体も弱ってやっと寝ている父の肩をゆすって起こすのが、私にはしのびなくてできなかった。

前に読んだ本で、「隣で本を読んでいるだけでもいいんですよ。一緒にいるだけで。」みたいなことが書いてあったのを思い出し、しばらく隣で本を読んでいたが、帰ることにした。


昨日は「真面目で正直」とほめられたことを思い出したよ。

これからそんな自分を誇りにして生きて行こうと思う。
父の言ったことだから間違いない、そう信じよう。

真面目で正直

2014-06-28 | 今の会社
取引先にいる若い子で、都合が悪くなるとウソをついているのでは?と噂になっている子がいる。

例えば、自分が原因で起きたトラブルを人がしたことにしてしまう。
最初のうちは「勘違いだったのかな?」で済んでいたのだが、何回もそう言う事が起きるとだんだん周りから信用されなくなる。

そうすると今度はその子の言動はウラを取られるようになる。
するとさらに細かいごまかしまであがるようになってしまい、ますます信用されなくなってしまうのだ。

ここで私が疑問に思うのは、彼が「ウソをついている」と言う自覚があってやっているのかどうかである。
例えば、叱られるのが怖くて人がしたことにしてしまう時に、記憶も一緒に塗り替えてしまう場合もあるように思う。そう言う時はウソをついているという自覚はないのだろう。
そうなると、もうこれは性格の領域に入るから、改善するのは難しいかもしれない。


家に帰ってからkekeに尋ねた。
「自分の言動が仕事で問題になって、上司から『keke君がそう言ったの?』と怒られそうになった時、何て答える?」

と言うと、kekeは「ハイという。」と言うので、「そうだよね!」と私は言った。
そして今日の↑の話を説明して、自分がやったことが間違っていたら、怒られてもいいから正直に報告するんだよそこでウソをついてはいけないよ、と説明した。
(まさかうちの子に限って)と思いたいが、やはり外で何をしているか自信がもてない。


そう言えば父が昔、[sakeは真面目で正直なのがとりえ」と年中言っていた。
これも私を怒らせた1つの要因で「それしか言えないのかよ」と内心思っていた。

それに比べて妹は「気がきいて友達も多い」とか、いつもまともに褒められてばっかりで、「真面目で正直」?はぁあ?何ですかそれは、自分にはそれしか言いようが無いですか、そうかよそうかよ・・・といつも思っていた。

でもこう言う事があると、「真面目で正直」も大切な財産のように思えてきた。
私がどんなに頑張っても「気を利かせて友達を増やす」ようなことはできないように、真面目で正直なのも備わった性質なのかもしれない。
こうして同僚の話を耳にしていると、「真面目で正直」なのがサラリーマンでは重要なことのように思う。例え失敗しても真面目に働いていれば許されることが多いし、正直に報告していれば上司がフォローできる。(会社組織とはそういう仕組みなのだ。)

父はそれを知ってて、ちゃんと褒めてくれていたのだろうか。

また今日も父に会いに行ってこよう。
そんなことも思い出して、また感謝を1つ報告しに行こう。


ちなみに真面目で正直なはずの私だが、このブログを100%正直に書いているわけではないことを、正直に断わっておく。

他人といっしょだよ

2014-06-27 | 息子keke
昨日、不幸を感じる根源は「人と比べること」と「将来への不安」だと気がついた。

そして自分は子供に対していつもそのような言動を取ってきたことにも気がついた。
よその友達の話をしたり、「~~しないと、こうなっちゃうよ」もさんざ言ってきた。

そういう言葉の一つ一つが、今まで子供を不幸にしてきたのではないだろうか。
自分だって「誰それは30万給料をもらっているよ」「誰それは再婚してるのにお前はどうした」そんなことを何回も言われたら、しまいにはイヤミにも聞こえるだろうし、「~~しないとこうなっちゃうよ」については、「じゃあやって、そうならなかったらどうするの?え!アンタに責任取れるのかよ!」とでも言いたくなる。

自分が言われたら、たしかにものすごく憤りを感じる。
本人は懸命に生きてきた50年である。それを真っ向から否定されたような気持になる。

それと同じなのではないだろうか。
自分の子供ということと責任がごっちゃになって、ちゃんと意思を持って生きてきたひとりの人間であることを忘れていた。


自分の人生の責任をとれるのは、自分ひとりしかいないのである。
あと強いてあげるとしたら配偶者か。

親はどちみち先に死んでしまう。最後の責任は引き受けられないのだ。
親の言った通りにして失敗(餓死)しても責任は取れない。
だったら、選ぶ自由も本人にあるのではないだろうか。
同じ結果になっても、本人が選んだ人生なら悔いもないだろう。


五木寛之さんの本によると、今この国で年間に自殺する人の数は3万人を超えるという。
ベトナム戦争で死んだアメリカ軍の人数が5万人。
日本は2年間で自殺で死んだ人の数がそれを上回るのである。
つまり、たった1日で100人である。この小さな国の中だけで。
自殺と断定できず事故死になっているものや、未遂で終わっているものを含めると10倍ぐらいになるのでは?という。

毎日のように人身事故で遅れる電車。

何を悩んで、何に行き詰って命を急ぐのか。
そういう次元の話ではないのかな。

心の問題なのかな、お金の問題なのかな。

でもケイベツなんてできない。
今生きている自分が強いから、頑張ってるから、正しいからだなんて思うものか。
みんないっしょだよ。


もっとのんびり優しい世の中になれないのかな。


そんなことを考えながら家に帰る。

家に帰ってジャージ姿の息子を見るとまたまた不安になるが、もうそういうことは言わない。
少なくてもしばらくは。

何も言わなければこのままずーっとグータラしてる。
そう思い込んだら、赤の他人といっしょだ。


五木さんの本には書いてあった。
「信じる」ということは、裏切られてもいいと思って信じることなんだと。

世間体なんてくそくらえ

2014-06-26 | 息子keke
ZENさんが電話で面接の打ち合わせをしている。

まさか会社で本人の面接の日程を打ち合わせることはないだろうから、息子さんの就職ではないだろうか。
息子さんは高校3年生だ。

これから自分の息子より6つも下の子達が就職をするのか・・と思うと、軽くめまいすら覚えそうだ。
だけど、ううんと首を振る。

こうして考えると私が不幸な気持になるのは、他人と比べてしまう時と、将来が不安になる時なのだ。
だから、この2つに私はこれから強くなろうと決意する。
そうすれば、常に幸福でいられるはず。

そもそも他人が幸せかどうかで、自分の力量は変わらない。
人と比べて、浮かれることも落ち込むことも、今後は「卑しい」としよう。


問題は将来への不安だ。
これは一生克服できない課題かもしれない。

例えばということで、片端から上げていくと
・年金があまりに少なくて生活できなかったらどうしよう。
・このまま子供が就職しなかったらどうしよう。
・会社がまた潰れたらどうしよう。
・貯金を使い果たしたらどうしよう。
・天災地異が起こったらどうしよう。
         :

こうして書き出していくと、不安のほとんどが「金」(生活資金)であることが判明した。
要するに、人と比べずに、生活できる保障さえあれば、私は一生幸せでいられそうだ。(毎日「車がなくなったら」と思うのは、いつかその日が来ても崩れないように今から心構えをしているのである。)

これはなかなかの発見であった。
という事は、本当に困ったら「生活保護」に頼ればいいからである。

そして最悪、それが許されなかったら、そのまま食わずに死ねばいいのである。

人からどう思われようと、今の生活に満足して許される時間をめいっぱい過し、一生を終える。
私の目指す生き方はこれだ。
なんてシンプルなんだろう。
でも充分だ!


昨日はスーパーでkekeの同級生のお父さんにバッタリ会い、「keke君はどうしてる?」と言われ、「たまにバイトに行ったりしながらブラブラしてますよ」と笑って別れた。
U君はどうしているのだろう?と思いながら、うちと同じ状況だったらと思うと訊けなかった。
そして、そんな風に堂々と答えられる自分に誇りを持った。

kekeに「人からお前の事を訊かれたら何て言えばいいのか?!」と文句を言ったのは、先週の事だ。
kekeは「別にバイトをしてるでいいじゃないか。」と答えた。
人の思惑で自分の人生を左右されてたまるか、そんなの関係ない、とでも言うようだった。


昔、この会社に入った頃、「それじゃ姓名判断って当たらないんだね」と言われた。
私の名前は親が画数でつけてくれたのですごくいい画数なのである。それを知ったある人が言った言葉である。離婚して母子家庭で何がいい画数なのだ、と笑われたのである。

これは悔しくて、家に帰って泣いた。

でも今なら笑って答えてやる。
「あ、そうなんですか?私はすごく幸せですよ?子供も健康で、仕事もあって、毎日おいしいご飯もお腹いっぱい食べられるから。」

結婚しなければ幸せでないなんて言う奴は、ミジンコにして足で踏み潰せるほど器量が狭いヤツだったのだ。しかもそれを口にしてしまえる無能さ。(うちの子はそんなことゼッタイ言わない。)

世間体なんてくそくらえ。

仕事をしてようが、しなかろうが、誰に迷惑をかけているわけでもない。
そんな息子を恥じるなんて、親としていかに失礼だったか。

kekeは必要があれば働きに出るようになる。
本人がそう言うのだから、それを信じよう。

勤め先がなければ、学校に行く事もできる。
それが必要な日には応援しよう。

何もかもダメだったら、生活保護もよし、それがダメなら死ぬのもよし。

そう思えば何の一つ不安はなく、このままで充分しあわせ。

今の暮らしを楽しもう~(^o^)丿

2014-06-25 | 友人
負けてしまったか。。。orz

私のゴールデンタイム(?)だったこともあり、初めて通しでサッカーと言うものを見てみたが、残念ながら負けてもうた。
(途中、同点になった時はもしやと思ったが。)

なかなかスリリングなものである。
敵が攻めてきてあわや大ピンチの時の「あぁ~~~」
味方チームがどんどん攻めて行き、ゴールが入らなかった時の「あぁ~~~」
このスリリングが、人の好奇心を誘うのだろうか。
サッカー好きな人と一緒に見ると、さぞかし興奮を分かち合うことができるものなのだろうな、と言う感想を抱く。

そして今日はライブで映像を見たぞ!話も理解できるだろうエッヘン!と会社に行ってみると、周りの人たちは「起きたらPKやっていた」だの「2点目で消した」だの、サッカーではなく、「いつTVを見たか・消したか」と言う話題になっている。
今日は話題が理解できると思ったのになんてこっちゃ。。。。


それはさておき、G子から昨日は電話があった。

「先週で退社になった」と言う。
「sakeちゃん、仕事がないって不安なものだね。」と言う。

私も離婚して仕事もあてがなく、毎日のように妹にブータラブータラ言っていた当時を思い出した。
たしかに仕事がないのは辛い。

「M君は【辞めなきゃよかった】なんて言うなよ、と言われてる。」と言うので、「どうして?」と言うと、M君も職場でいろんなストレスがあるみたい。合わない人もいるし、眠れない夜もあるのに頑張っていて、だから私が辞めるのも反対してたから、と言う。

「でもG子は理由が違うでしょ。給料が遅れたりして見切りをつけたわけで、人間関係で辞めたわけじゃないもの。」と言うと、「そうだけど。」と言う。
引き継ごうとした派遣の人も辞めてしまって、あと1ヶ月引継ぎが決まるまで居てくれと言われたけど腹が立って、ほとんど引継ぎができないまま辞めることになって、今日も電話がきたの、相変わらず社長怒鳴ってるみたい、声を聞くだけでイヤ、とG子は言う。

「sakeちゃんの会社はどうにかやっていってるんでしょ、いいなぁ」とG子は言い、「次はもうちょっとちゃんとした所に就職したい」と言う。
「うちだって、いつどうなるか分からないよ、扱ってるお金の単位が違うから何かあれば状況は一転するから。」と私は言う。
そして、実際にそうなのだ。
私だって、本当にいつどうなるか分かりはしない。他人事ではない。

でもsakeちゃん、いいなぁとG子は繰り返す。
私は娘の内定が決まっているG子がうらやましいよ、たまにそう言うけど、面倒くさいので毎回は言わない。

たぶんいいところもあるし、そうでないこともあるのだろう。
私は私で今のいいところを探そう。

こうして住む所があること。
仕事があること。
仕事仲間とうまくいっていること。
子供が健康なこと。
ご飯がおいしく食べられること。


昨日あるお友達のブログを読んでいたら「(この生活を)楽しもう~!」みたいな文章があって、ハッとした。
そう、私も今のこのkekeの暮らしを楽しめばいいのか。。

これも今しか味わえない生活。めいっぱい楽しもう。

そういう考え方があったか。(今のG子には嫌味みたいになりそうで言えなかったが。)

肯定メッセージ

2014-06-24 | 父の記録と母の思い出
石原加受子さんの”「どうして私ばっかり」と思ったとき読む本”を読んでいたら、次のようなことが書いてあった。

お母さんが「大丈夫、就職先は探せばきっと見つかるよ」と言う同じセリフを言った場合、「たしかに諦めるのはまだ早いな」と前向きになる子供と、何かと腹を立てる子供がいると言う。
後者の子供の場合は、それまでの親子関係に問題があると言う。

事をするたびに、親から否定的なメッセージを受け取っていた子供は、同じ言葉も全て否定的に受け止める、と言うのである。


それを読んで、私はあることを思い出した。

それは自分がまだ子供の頃である。中学生ぐらいだろうか。
当時、自分は毎晩皿洗いをしなければならない決まりがあった。
ある日父から「妹に皿洗いを教えたいから、sakeがここで洗ってみせなさい。」と言ったのである。
私は、そうかと思い、いつも通りに皿を洗ったところ、父は妹にこう言った。

「今のは悪い見本だよ、本当はこう洗うんだ。」
そして父は皿を洗ってみせたのだ。

私は心の中で強く訴えた。
「だったら、最初から父が自分で洗えばよかったじゃないか!」

でも私はそれを口に出すことはなかった。よく言えば相手を傷つけたくなかったし、悪く言えば気が弱かったのだ。本当だったら、そこで抗議することで親子関係を修復するというのが正しい方法だったのかもしれないが、頭も悪かったので思いつかなかった。

ここまで分かりやすい例もあまりないが、私の扱いは常にこんな感じで、だから親が大っキライだった。
いつかこの家を出て行ってやる、と呪文のように唱え続けていたが、魔力のように吸い寄せられ、結婚を決めるまで家が出れなかった。

そんな調子だったので、親の言う事なす事全てに腹を立てた。
この本によると、そういう風に育ってしまった大人は、自分の子供にもそういう態度を取ってしまうそうである。何故なら、自分が受けた親の態度しか知らないからだそうである。
だから私も息子に対して、肯定的なメッセージを与えることができなかったのだろう。

なるほど、そう言われてみればそうかもしれない。

今までずっと「損か得か」の世界で生きてきたのは、心から安心できる場所がなかったのだろう。
たぶん、kekeもそうに違いない。


でも私と両親の関係は、その後でだんだん変わっていった。
両親もこうして「はた」と考えたこともあったのかもしれない。

親子関係は、手遅れと言うことはないように思う。

大切なことは、自分を肯定的にとらえられようにすることらしい。
自分の感性を受け入れること。それを否定しないこと。
相手の領域に立ち入らず、自分の気持を表現すること。
だから、私はこれから好きなものは好き、不快なものは不快、と認識することにした。

kekeはまだ私よりはマトモかもしれない。
自分の思うことがちゃんと言葉に出せているからである。

それだけでも、誇りに思うことにしよう。

老体にギョウザ

2014-06-23 | 健康とか病院とか
今日は午後から家にいられる。
それでは私がギョウザを作ろうと思って、材料は用意してあった。

なのにどうしたことだろう?!
その段階で体が動かないのである。
体は何故かギョウザと真逆の方向へ、本を読みながらゴロゴロしてしまうのである。

明らかに私はギョウザが作りたくないまま、刻一刻と時間は過ぎていった。

kekeに「やっぱりギョウザむりかも。」と言い、ジャージャー麺やミートソースだったらできるかも、と思うが今度は麺やトマト缶を買いに行かなくてはならない。最終的に私をギョウザに向かわせたのは、昨日168円(税別)で買った『もち粉入り餃子の皮』である。賞味期限はせいぜい2週間ぐらいではなかったっけ?今日作らずにして、いったいいつ作れると言うのか。あれをそのまま捨てるのか。

「本当にやる気がしない。どうしよう、机の上も片付けるつもりだったのに。」と嘆くとkekeは「机は重要度が低いから、いいんじゃないの?」と言う。
皿だけ洗ってくれないか?と頼むと、えぇ~と言いながらも洗ってくれそうである。

風呂でも入れば気分が変わるかもと風呂に入ってみたが、気分は一向に晴れず、一緒にギョウザ作る?と誘うが、そこはハッキリ断わられ、しかし老体にムチ打つみたいにやってみると、どうにかできる。



特にひどかったが、最近この手の無力感を感じることが多々ある。

きれいな景色を見たり、おいしいものを食べる時、人の優しさに触れている時、「あぁしあわせだな~」と感じられる時と、今日みたいな「もう何ンにもしたくない」と言う時との落差の激しさに我ながら驚いてしまう。

そう言えば自分がkekeくらいの年の頃、母親に対して「一日家にいたら、もう少し片付けとかできないのかね」と思った事があったが、今から思えば母親もこういう状態だったのではなかろうか。生きていたら話したい事が山ほどある。

kekeが小さい頃は毎日掃除してたし、ブログの当初は料理も作っていたんだっけ。
同じ事がたぶん、今はやろうとしてもできない。30代は周りに文句こそブーブー言っていたが、体は動いていたんだなと振り返る。

それから最近の物忘れ、ハンパではない。
「何しにここに来たんだっけ?」「何しようと思ったんだっけ?」と言うのが年中あるのだが、リストラされるのが怖いので会社の人間には口が裂けても言えない。年寄りは「昔の記憶の方がしっかりしてる」と言うが、今は「そうだろうな」と大いにうなずいてしまう。自分もそうだからである。

気がつけば、次の誕生日は50である。
自分的にはもう老いたなと思うが、周りの60歳の方々はもっと元気だ。

更年期?とも思うが、治療費が掛かるので、病院に相談することは一切考えていない。

大根サラダ

2014-06-22 | 息子keke
昨日は帰ると、kekeが大根を切っていた。
「大根が太くなった。」と言う。

何をしているのかと思ったら、大根サラダだ。
しかし、大根が全部拍子切りになっている。

「ここからどうやって細切りにするか分からない。」と言うので、もうちょっと細く切ろうか?と言ったが、たしかにこの拍子切りの大根を今から細切りにするには、かなりの時間と根気がいるであろう。
大根は生で食べられるからこれでいいよ、と言うことになった。

「どうやって切ればよかったのか」と言うので、そうだなぁ~と私はいい、「その方法が正しいかどうか分からないけれど、大根をこの角度でナナメに楕円形に薄く何枚も切って、それを5~6枚づつ重ねて、細切りにするかなぁ、私だったら。」と説明した。

それからkekeは、寿司飯にカツオのタタキを乗せて、薬味(シソや細ネギ、かいわれ等)を上からパラパラ散らせる「カツオのタタキちらし寿司」を用意していた。そして更に揚げ物も買ってあった。

「今日はずいぶん豪華だね」と言っているそばから、拍子切りの大根に直接ごま油をかけていた。

「それは違うんじゃないの?」と私はほがらかに言い、ドレッシングは最初にみんな混ぜて、そこに大根を入れてあえるんだよ、と教えると、kekeはレシピを見て「ほんとだ、そう書いてある」と言う。
「そうしないと、うまく味が平均しないからね。」

「最近気がついたんだ。」と私は言い、「○○してあげるって、よくない言葉だなって。例えばここまで育ててあげたのにとか、大学のお金を出してあげたのにとか、そう言う事を言ってはいけないなって思ったんだ。」

そう言うとkekeは「今頃わかったの?」と言った。

そして二人でご飯を食べたのは昨日のこと。

今日は私がこれから作ろうと思う。
何にしようかな。

サッカーはワールドカップ

2014-06-21 | 巷の話題
秀クンが、今日は仕事をする気になれないなれないとボヤいて、何でかな?そうだ、ワールドカップのせいだ、と言う。
「どこそかの国が負けてくれないとダメみたいですね」と言うと、そうだよ!!と言い、「(国名)がボロクソに負けて、日本が(勝つだか引き分けだか)しないといけないんだよ」みたいなことを言って、その後延々と、得点率がウンタラ、得点差がウンタラ、といろんな事を教えてくれたが、何一つ覚えられなかった。

「でも、3試合あれば1つぐらい勝つんじゃないんですかねぇ」と言うと、「それが素人の考えだよ」と言う。
次のコロンビアはもっと強いんだよ、とまたいろんな説明してくれたがやはり覚えられなかった。

「私はサッカーに夢中になっている人を見ると見る気になれないんです。TVに2時間も貼りつけになった挙句に、負けると仕事ができないほど落ち込むなんて怖いんです。ところで次はいつやるんですか?」「25日の5時だよ」とわざわざ調べてまでして教えてくれた。


kekeも毎日見ているので「次に日本が勝って、何とかって国が負ければいいんだろ?それがそんなに難しいことなのか?」と言うと、「そうなるのは2%の確率らしいよ。」と言う。
「もっと簡単そうだがのぉ。。」と言うと、「サッカーは1点を取るのが大変なんだよ」と言う。

「3つ試合があれば、1つぐらいは勝つだろうと思うがのぉ。。」と言うと、「相手のコロンビアはもう決まっているから、強い選手はケガを避けて控えになる可能性もある。」と言う。

「お前、サッカーに詳しくなったな。」
「にわかだけどね。」
「それじゃなんで、この前は日曜の10時からだったんだ?ブラジルは日本の真裏だろ?向こうは夜の10時じゃないのか?商業くさい臭いがプンプンするぞ。時差ボケで調子が出なかったとかじゃないの?」
「夜の10時からのサッカーなんて普通にあるよ。」
「このサッカーを観なければ非国民みたいなノリが面白くない。」
「サッカーというより、みんなで1つになりたいから見てる人も多いよ。」
「ふん。何がそんな時だけ。」

前にも書いたが、私は高校時代から「クラス1つになって○○○(文化祭や体育祭)を成功させましょう」というノリが嫌いなのである。それで同じTシャツを着て、日頃コソコソ噂したり妬んだりのクラスメートがその日だけ一緒に笑ったり泣いたりしているのを「しらじらしくて背中がかゆい」と思いながら冷ややかに見ているタイプだったのだ。
(一種の反抗期だったのだろうか?)

そして、こういう時のサッカーに何故かそれと同じ匂いを感じてしまうのである。

でも朝の5時と言えば、ひねくれものの自分は「見てもいいかな」と思う。でも積極的に目覚ましをかけて観ようとは思わん。
でも、そんなに負けているなら、見てもいいかな。でもやっぱり寝てしまったままかもしれない。

例え見ても「あそこのあのゴールがすごかったよね~」とワイワイ盛り上がるようなことは決してしない。見ない振りして人が見てなさそうな時に陰ながら応援するのが私流なのである。(でも睡眠が最優先)