きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

渋滞にはまる

2013-04-30 | 車の練習
Uちゃんとうみほたるに向かった。

前回もたしか渋滞が予想されていたが、朝早く出たせいもあって並ぶことはなかった。
なので、渋滞予想は出ていたのだが、朝早く出れば大丈夫だと思っていた。

しかし、実際はアクアラインに入る手前4キロぐらいから並んでしまった。
良く考えれば渋滞予想通りだったのだが、こんなに並ぶとは思わなかった。
その後駐車するまでも時間が掛かった。

そして帰り。
今度は事故渋滞に遭ってしまった。
これも表示が出ていたのだから、違うルートを選ぶ手もあったのだが、2キロぐらいならどうにかなるだろうと思って走らせてみたら、ある地点からまったく動かなくなった。
こんなに動かない渋滞は初めてだ。

ようやく多少動くようになっても、先ほどの状態がトラウマのようになり、すぐの出口から降りた。
下の道の方がすいていると思ったのだ。
実際、その判断は良かったのかもしれないが、ここで地図を見ながらのはずが道を間違えた。
逆の車線に入ってしまって、逆に曲がらざるを得なくなった。
慣れない道でUちゃんは地図自体ほとんど見たことがないので見方も分からない。(当然だ)
焦れば焦るほど分からなくなる。

その後もあえて正攻法を取らずに裏街道を選んだりしたのだが、そちらもスムーズには流れず、自分の考えが全て裏目に出ているように思われ、ほとほと情けなくなった。まだ1人だったらイラッとする程度だけど、隣に友達が乗っていると思うと、すっかりめげた。

どこから失敗したのだろう?

またいつものように遡って遡って、遡り果て、「そもそもこんな時期にうみほたるに誘った自分」が間違っているような気がしてきた。そして否定の無限ループに陥っていった。


でも、Uちゃんは「sakeチャン、ありがとう!この機会がなかったらここに来ることはなかったと思う!」と言ってくれた。
うみほたるはちょっと改装していて、お土産コーナーも今度はいくつかのブースみたいに広くなり、海に向かってベンチが幾つも置いてあり、のんびり海をみながら話すこともできる。

そうだ。
車に乗れなかった頃の私だったら来れなかった場所なんだ。
ここに来れてよかったとUちゃんが言うのは本当のはず。


ちょっと失敗もあったけど、もうめげるのはやめよう。

私はついついこう言う原因を追究して、勝手にめげることが多い。
原因追求は物理や化学の世界では大切なことなのだろうが、そもそも人の暮らしや生活にそれを持ちこんでも、自分を責めるか人の荒さがしになってしまう。

そんな無限ループを解くのは、なんだろう。
ちょっと照れ臭いけど、「愛情」なのかな。


男女の愛だけではなくて、親子、兄弟、友だち、隣に居る人の何気ない愛。
優しさ。
すんなり受け入れてもらえること。

原因追究が得意ならばその方向性を変えて、人の良い所も発見できるはず。
良い結果への原因追求だ。
もらうことができなくても、渡す方にはなれずはず。


しかし、次回はもっと近場でゆっくり楽しめるプランにしよう。。。

目を閉じて食事する父

2013-04-29 | 父の記録と母の思い出
今日は父の所に行くと、見慣れない看護婦さんに食事を食べさせてもらっていた。
よくよく話を聞いてみると別の棟から来られた看護婦さんで、元気な頃の父をご存知であった。
(父は叔母の面会にちょくちょく来ていたのである。)

父は元気だった頃、車椅子の叔母を連れ出して散歩に出ていたと言う。
そんな姿を想像しながら、もう一度父の顔を見る。

看護婦さんもそんな父を思い出しながら、スプーンを父に差し出していた。

「sakeだよ」と言うと、「sakeってなんだ?」と父は言うこともあるし、「sakeちゃんか」と言うこともある。
もうおそらく「娘」と言う概念もなく、考えると言う行動もないのではないだろうか。
食事が終ると、ほとんど目を閉じている。
食事をしている時でさえ、目を閉じている。

亀のようだ、と今日は考えた。
でもそれでも生きている父。

もう私の事も分かっているようには見えず、けれども私が家に帰ってしまう寂しさもないように思う。
もしかしたら喜びと悲しみは対になっているのだろうか。

会える喜びがあれば別れる悲しみがある。
それがなければ、失うことも無い。

出会うこともなければケンカもない。
ケンカは残念だけど、もしかしたらもう一歩仲良くなれるきっかけになるかも。

男女の仲も、喜びがあれば悲しみが訪れる。

生きているという事は、悲しみがあっても喜びを知りたいとも思うけれど
そうでなければならない、とは思わない。
かろうじて、まだ今の私は喜びや悲しみを消化できるエネルギーがあるのかもしれない。

父は私を認識しないことで、会える楽しさもないけれど、別れる寂しさも無い。
それも良いのではなかろうか。


どうしてもいつか父と別れる日が来ることを考えずにはいられない。
私はその時泣かない、悲しまないつもりでいる。
これだけ覚悟して想定しているのだから、たぶんできるだろう。

うっかり悲しみモードに入ったら、とりとめなく後悔してしまいそうだからだ。
父が私にしてくれたことと、私が父にできたことがあまりに違いすぎる。
それを考えたくないから、ずるいかもしれないけれど、全てを放棄しようと思う。

そうでないと、帰ることがしのびなくなってしまうから。

予行練習

2013-04-27 | 車の練習
連休中に中学の友達のUちゃんと会うことになった。

私は思い切って「うみほたる」に誘った。
車で無ければいけないところだし、Uちゃんもまだ行ったことがないと言う。

そして誘ってみたのはいいけれど、まだ自分も2回しか行った事がなく、最近は首都高にも乗っていなかったので、今日はその予行練習をすることにした。

前回うみほたるに行ったのは、OMさんを隣に乗せてだった。
この時も心配だったので「予行演習」をすべく、その前の週にわざわざ首都高に乗ってここから先アクアライン方向ですよ、と言うところまで行ったはずなのに、本番では途中大黒埠頭のサービスエリアに寄るはずが、何故か大黒の出口で降りることになってしまい(間違えた)、そこからどうにか近くの入口を探して首都高に乗るが、何だか一回りしなきゃならなくなっちゃって、元に戻れるかどうかしばらくハラハラだったのだ。

今度はそんなことがないように。
そんな訳で首都高に向う。

しかし相変わらず運転が不安で、自分でも下手なのを改めて自覚するのは、多くの車が次々私を追いこし、私の車の前にみんな入り込んでくる。
この当たり前の光景も、今日はよくよく考えてみると「どうして私の前にみんな入ってくるのだろう、それは私が遅いからではないだろうか」と考えてみた。

それでも初心者の謙虚さで大黒ふ頭に向う。70キロで丁寧に運転すれば、あとは皆がうまいこと追い越してどうにかしてくれるのだから安心するがよい。

今回も大黒埠頭に入る分岐点でフラフラ迷ってしまい、後ろのスポーツカーが文句タラタラっぽいのが右ミラーで分かるが、次にこの前間違えた大黒の出口とパーキングの分かれ目で、またフラフラ迷っていると、後ろの車も呆れたようで、もう煽らなくなった。

その後も「浅田・羽田方面」と「空港中央方面」と二つ矢印があって、「あれ?どっちが羽田空港なんだろう?」と思ってまたフラフラしそうになってたら、「空港中央」の方にアクアラインの字が見えた。
よし。これで本番は迷わず行けそう。「空港中央」に行けばいいんだな。


その後調子こいて900円もったいないから元を取ろうと思って、都内方面に向って、またグルグル首都高を回っていたら、途中の東京高速道路(銀座の上辺り)で「ここで首都高は通行止めです。この後はどこそこの入口から入ってください」みたいな看板が見えて勝手に一般道路に下りてしまった。
「前の車についていけば、どこそこの入口に連れてってくれるかも」と思ってついていったが、そんな事もなく、いつしか東京のど真ん中。

今日は土曜だ。
いつかみたいに一方通行でどこで捕まるか分からないので、ひたすら前の車についていく。
やがて昭和通りにいることが地図で分かったので、やっと戻ってきた。

いつまで経ってもこんな感じ。
もう都内の道をマスターするのは不可能だと悟る。
道が多すぎるし、信号の名前も未だに覚えられない。

車を買って3年以上経った今、初めてそれに気付くとは。。。
今まで都内に通った回数とそこに費やした時間がヒラヒラ風に舞うのを感じつつ、更に900円払って首都高に上がるのももったいなくて、一般道路で帰った。。。

CDエラーにご用心

2013-04-27 | 歌謡曲・カラオケ
今、聴いているCDは荻野目洋子の「246コネクション」である。

これはヒット曲「湾岸太陽族」「さよならの果実たち」が収められている私が一番好きだった頃の荻野目ちゃんの時代である。

この「246コネクション」は20年前の記憶を掘り出すと、国道246号をコンセプトにしていて、「青山通り」「六本木」「渋谷」から、軽井沢(軽井沢に246が通っているのかどうか知らないけど)へと向かって行くのである。

私は大昔にこの(当時は)カセットを聴いて、「青山通り」「キラー通り」と言う言葉にワクワクして、246号にとっても憧れていたので、環八に乗れるようになったら、まっさきに246号に向った。
それはこのCDの影響である。

環八から246号に向う、そこから青山通りに向う辺りの道は首都高への乗り入れもあり、結構周りの車の運転が荒く、いつだかkekeが「とてもこんな所は運転できない」と言ったほどで、今にして思うとあの時点でよくあそこを運転する度胸があったものだと感心してしまう。
それは全てこの「246コネクション」の影響である。
これがなかったら、環八で終ってたかもしれず、首都高にも乗っていなかったかもしれない。

と言うより私は「周りの車の運転が荒い」と言うことさえ分からなかったのだが。。。


前置きはさておき、私はそのCDを入れて聴いてみたが、思ったほど感激がなかった。
意外に忘れていたのである。

あれほど青山通り、キラー通り、246号へ憧れてを募らせていたCDのはずだったのに、聴いてみたら案外覚えていなかったとは。。。ちょっと拍子抜け。

まぁいいやと思って、別のCDに取り替えたらエラーになってしまった。
あれどうしてだろう?と出してまた入れてを2回ほど繰り返していたら、CDと一緒にシールが出てきた。

なんと!図書館で借りたCDの資料番号を書いたラベルがはがれてしまったのだ。\◎◎/←今日の本題はこれ

たぶん熱さでシールがはがれて、CDデッキの中に入ってしまったのだろう。。
偶然、次のCDの出し入れで一緒に出てくれたけど、そうでなかったら修理をするようだった。


なので、図書館で借りたCDを直接車に入れて聴くのは、これからの時期は注意したい。
ちょっと残念だけど。。。

絶対

2013-04-26 | 日記
秀クンがゴソゴソ香典袋を探して「筆ペンかして」と言うので、ハイと渡しながら「誰か不幸があったんですか?」と尋ねると、「友達」と言う。
「友達って同じぐらいの年の?」と言うと「そう」と言い、「病気ですか?」と尋ねると「事故」と言う。

昨日は無敵と書いてみたけど、こんな悲しい出来事もある。
そう言う悲しみを背負って生きている人もたくさんいるのだ。

どこかの曲がり角を一つ変えていたら。


どうして私は今までそれを当たり前のことだと思っていたのだろう。
家族が壊れないこと、子供が普通に就職するものだと確信してたのだろう。

そのたびにへし折られてきたけれど、ハードルが高すぎたのか。
何を「絶対」と思ってきたのだろう。
頑張れば絶対、なんていう世界があると思ってきたのか。

これからも予想もつかない悲しみが降ってくるかもしれないけど
へし折られないでいたい。
今の持っている幸せに感謝しながら。。。

それに逆に考えれば、絶対悲しいできごともないのだ。
どんな悲しいできごとも永遠には続かない。

無敵な私たち

2013-04-25 | 友人
昨日G子からメールがきた。
遠慮っぽく一言「元気?」と書いてある。

私は元気だよ、と送った。
G子の会社では給料が下がったり、内部のゴタゴタがあったり、配属が変わったりしたけど、新しい部署も楽しい、仕事好きだから、と書いてある。
「私もそうなんだよね、仕事楽しいし、周りの人もいい人ばかりだよ」と書いて送った。

それから何回かやり取りをして、「もう無敵なんだよね、何が起こってもどうにかなるような気がするから。」と送ると、G子は「同じく(笑)」と書いてきた。

T男ともうまく行ってるらしい。
先月は仕事も忙しかったし、それどころじゃなくて久しぶりにサークルに行ってみると、そこでT男に会ったと言う。
T男が笑っていた、と言う。

「素直になったら、T男とも上手く行くようになった」と書いてある。
腹をくくったんだ、とG子は言う。
T男を好きなのは変えられないから、と言う。


そうさ。
どんなにもがいてもあがいても、変えられないなら、好きでいるしかないんだ。

何の見返りも無く、何の約束もあても無くていつかは別れるだろうけど、それでもいいんだ、その時までそばにいようっていう覚悟ができたら、もう大抵の事ではくじけないような気がする。
今までより2倍も3倍もたくましく成長したような気がする。

声を出しては言えないけれども。

大切なこと

2013-04-24 | 女だから思ったこと
このブログも今日が誕生日。
始めてから9年になる。

9年前の私がタイムマシンで今の自分を覗いたら愕然としただろう。
kekeは就職をしてないし、私は車を乗り回している。

何も変わってない積み重ねの9年だったけれど、人は川を流れるようにゆっくり、でも変わっているのだ。
そう言えば、社長とこんな風に働いているのもちょっと驚くかもしれないな。

でも、何より変わったことは、元旦那のことかもしれない。
昔は「浮気をする男なんて許せない」とかすごい怒っていたんだけど、今は「しょうがない事情があったんだろうな」とか、そんな風に考えてるんだ。


これから結婚する若い人に言いたいことは、「一番大切なことは相手をずっと同じように好きでいることだよ」ってことかな。
これが簡単なようで、難しいんだ。

私はそうだったけど、結婚生活が始まると家事を頑張ったり、子育てに頑張ったりする。
そっちに力が入ってしまって、旦那が置き去りになることがあるんだ。
今から思うと、私が頑張っていたことと、旦那がほしかったものが、ズレていたような気がする。

そう言うズレが小さいうちに「何か変じゃない? 」話してお互い修正していければいいけれど、表現するのが苦手だったり、「こっちはこんなに頑張ってるのに」なんて思ってたりすると、どんどんズレて行くんだよね。
そうすると、人の心はだんだん離れていくんだ。
相手の事を「給料さえもらってくればいい」と思い始めたりしていたら、かなり危ない状況であると思う。それは「彼が好き」ではなくて「給料をもらってきてくれる彼が」になっているからだ。

こう言うひずみは二人で解決していく問題なのだけど、「言ってもケンカになるだけ、判ってはもらえない。」と思うと、面倒くさくなってしまう。それに相手が頑張っているように見えると、何か言っても正論で論破されるような気もするんだろう。だから余計言えなくなってしまう。

でも心は正直だから、よその方向に向いてしまうんだろう。その一つが浮気だったりするのかな、って今は考えている。(もちろん全てがこうとは言わない。)
そう思うと、自分にも至らない所があったような気がする。私はずっと変わらず彼を大切にはできていなかったんじゃないか、って思うのだ。

逆に考えると、毎日毎日を大切に、今日の自分に相手に感謝できていたら、結婚生活ってうまく行くんじゃないかな、すごく楽しいんじゃないかな、って思う。お互いがそう言う気持を忘れないで、ちょっとのズレを調整しながら相談しながら進められたら、必ずうまく行くような気がする。

そんな風に思っているのが今の私なんだ。
「まだまだsakeさんケツが青いなぁ」と言う人もいるかもしれない。
でも、自分が変わらず相手を好きでいられたら、また相手も変わってくるような気がする。
少しづつ時間を掛けてでも、相手を優しく変えていくような気がする。

だから「変わらず好きでいる」ことって、何より大切だと思う。
毎日意識してそれを今日も明日も続けていくことが。

今の私はそんな風に考えているんだよ。

代車はcube

2013-04-22 | 車の練習
昨日は雨。
外を見ながら「今日は家で1日寝る日」にしようと思う。

しかし約束がある。
タイヤ交換をすることになっていたのだ。
しかも雨だ。
どうして私が洗車してもらえる日はいつも雨なのだろう。。。

よっこらしょ、と体を起こし車屋に向うとN浦さんが出迎えてくれた。
「今日はcubeと言う車を用意しています。」
「そうですか・・でもこの雨ですからねぇ、近所の買い物をちょっと済ます程度ですよ。」

と力なく勧められた車に乗り込むと・・・

なんと!新車(に近いような感じ)。

N浦さんはまず座席の直し方を教えてくれて、ここのボタンを押すとエンジンが入ります、と教えてくれて、ハザードのボタンやギアの直し方も教えてくれた。
後ろ座席の頭の所や、日差しをよこぎる頭上の板にはまだビニールがかかってて、クンクンクンと新車の匂いがする。

「cubeの方が座席も長距離向きですよ。」とN浦さんは言う。

「長距離向き!」ここを乗らずにどうしてスルーできるか。
家で寝ている場合ではない。

試しに近くのミスドに寄ってkekeにドーナツを買ってみよう。
お~~~アクセルがなんてなめらかなんだ。
あ、バックミラー直すの忘れてた、サイドミラーはモコの方が面積大きくない?
たしかにお尻もどっしり座れるかも。

ドーナツ屋では駐車が大変だった。
モコよりひと回り大きいので、いつも右に合わせて入れるのだけど、左側が迫ってて怖い。
しかもハンドルの回り方もモコより回りすぎるような気がする。

後ろの人に大いなる迷惑を掛けながら、どうにか入れる。
エンジンを切ったのに、切ってから頭上のライトが光るので、どこのスイッチだろうと慌てて探してしまったが、これはこの車の仕様で、エンジンを切った後数分ライトが光ってくれるらしい。
気が利くではないか。

その後私は用も大してないのに、図書館に向かい(時間が早ければこのままもっと遠出をしたい気分であった。)その他グルグル回って約束の時間に戻ってきた。
トンネルに入ると、パッとメーターが光るカッコよさに感動したり、いつもと反対側のひじをつきながら運転してみたり、冒険をしながら。

ただ一つ難を言うと、この車は信号で止まって動き出す時にブレーキを離して、アクセルを踏まないと動き出さないような気がする。(モコはブレーキを離すとすぐに前に進みだす。)だからどうしても動き出すタイミングが遅くなるのだ。
いつも坂の真ん中で止まっているような感じで、ちょっと怖い。

そして私はピカピカになったモコを引き取りに行った。
もう雨もすっかりあがった。

自分の手足のように慣れたモコに乗り込んで、それでも既存のモノを覆すのには相当容易ではないものなんだ、と改めて考える自分に苦笑。

炊飯器ひとつでたちまちCooking

2013-04-21 | ぶきっちょさんの家事一般

「炊飯器ひとつでたちまちCooking」

「炊飯器が勝手にやってくれるのかぁ・・便利そうだけどその間ご飯炊けないからなぁ。。」と思ったが、ちょっと待てよ?

kekeが1人暮らししていた頃のミニ炊飯器(最高3合まで)がしまってあるはず。

私は天袋から炊飯器を取り出して、パカッと開けてみた。
二人分ぐらいの煮込み系ならできそうな気が。。。。


試しに牛肉、じゃがいも、ニンジン、玉ねぎなどを入れて水を注いでスイッチを入れてみた。
パセリの茎もだしパックに入れて一緒に乗せてみた。

     (そして他のことをしながら約40分)

炊き上がりのブザーが鳴ったのでパカッと開けてみると、思い通りに煮えてる。
じゃがいも(くし切り)もニンジンも火が通っている。

そこで別の鍋に移して火を入れながらビーフシチューのルーを入れた。
(炊飯器からルーを入れるのは、湯気の出る穴をふさぎそうで怖かったのだ。)

できるじゃん!!


それから私は炊飯器でエビと玉ねぎのみじんきりを煮込んでカレーにしたり、ポトフも煮込んでみた。
カレーにしても、また鍋に移してからルーを溶かしたりしているのだから、便利になっているのかどうか分からないが、煮込んでいる間買い物に行って、帰ってくると1品できていると言う楽しみがある。もう1人助手がいるみたいだ。

本によると、具材をアルミ箔にくるんで、ご飯や水と炊飯器に入れておくと「蒸し煮」もできるそうである。
そのうちやってみることがある・・・かもしれない。

専用駐車場での話

2013-04-20 | 今の会社
今日は頼まれて某会社に書類を取りに行く。

基本、車をつかっての頼まれごとは何でも初めてのお使い=ワクワクドキドキしてうれしい。
しかし、常にリスクと恥がつきまとう。

こう言うお使いの課題は、まずどこに駐車するかである。
しかしそこは幸い、前にもこの近辺に来たことがあるので、「その時と同じ駐車場にしよう、ちょっと歩くけど。」と心に決めての出発だ。

♪心のまずしい女だわ、あぁあぁ~あたし♪と百恵ちゃん風の流し目で歌いながら、「なんか満車のランプが多いなぁ」と思いながら、目的の駐車場を見ると、何と2台の車がまさに入れようとして、ゲートの前で並んでいるが、そのうちの1台が入ったところで【満車】のランプがついてしまった。

しまった満車か。。。(並ぶ前に見えて良かった。。)
うーん、どうしよう。ここで更に先に行くべきか、しかし目的の会社を過ぎてしまって、駐車場が見当たらなかった場合、どんどん私は目的地から遠くなるしかなくなってしまって、途中で止まることもできず何だか怖い。

ので、そこらをグルグル回りながら駐車場を探してみると、やたらガラ空きのコインパーキングが見つかった。
良く見ると「(仮名)○○会員様専用駐車場」と書かれていたが、よそのやたら狭い駐車場には入れられないし、これ以上グルグル探しているうちに一通や通行止めになったら怖いので、「金さえ払えばどうにかなるだろう」と何も気づかなかったことにして止めてしまった。

そしてさっさと某会社に行って、預る書類をもらってきた。
(しかもここで結構歩いたんだわ、他の近くの駐車場に入れられたのに。)

さて、問題の駐車場はコインパーキングなので、車庫ナンバーを入れてみると、ウンともスンとも言わない。それであちこちボタンを押してみると駐車券が出てきてしまって、「あぁこれを入れればいいのね」と思って、ナンバーとか入れてみたが、「これでは出庫できません」と音声を繰り返すばかりである。

ここでやっと事の重大さに気付いて、もう観念するしかないと思って、「すみましぇーん」ゴメンナサイゴメンナサイみたいな感じで、気がつかないで車を入れてしまいました、二度としませんから、と○○会員様の所の受付の人に駐車券を差し出すと、「気をつけてくださいね」と笑って許してくれた。

ありがたい。
そして私は車を出しながら、いつか機会があったら、ここのお客になることがあるかもしれない、と心に軽く誓う。