きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

失恋

2013-11-30 | 息子keke
kekeと、本八幡駅の殺人事件のニュースを見ていた。

「へぇー」
と私は言い、「男の人の方が失恋のダメージが大きいのかな?女の人が男の人を殺すって言うのは聞かないよねぇ。」と言うとkekeが「そうらしい。」と言う。

kekeは「失恋は、男はまっすぐな道で、女は曲がり角らしい。」と言う。
男はまっすぐな道なので、時間が経っても振り返ればその地点がいつまでも見えてしまうけれど、女は曲がり角だから、過ぎてしまえば振り返ってももう(過去の恋は)見えない、と言う。

「なるほどねぇー」
そうかも、と私は言い、「男の人も気の毒だけど、恋愛は絶対こうって言うのはないよ、人の心は変わるものだからね、永遠の愛が当たり前だと思ったら大間違いだよ。」と言った。

kekeは「だから、金が一番だと思う。」と言うので、「金か・・金も大事だけど。」と私は言い、金が一番だと思うと金がなければ不幸せになってしまう。お金がなくても幸せになれる方法はあるよ。自分の気の持ちようで。」

でも、kekeは金しか信用しないと言う。

「自分の人生を追いかけていくことが大切なんじゃないかな」と私は言った。

関わる人達はその時その時で過ぎて行くものだと思って、自分の人生を見失わないこと。
それがしっかりしていれば、誰かが去って行っても、自分の人生は見失わないのではないか。
そんな話をした。

私は口下手で上手に説明できないので、うまくは伝えられなかった気がする。

去っていくものだから、「今」を大切にしたい。
今、ここにこうして一緒にいられることを大切にしたい。

去った後も歩き続ける勇気をもつために。

やっぱりうまく言えなかった。^^;


でも、私はkekeが世の中で一番お金が大切だと、心底思っているとは、思っていない。
kekeは本当は優しい子なのだ。

たぶん、父親が去っていったことが今でも哀しみになっているのだろうか。
私はここで反省してしまう。
父親が去って行ったとしても、それはおそらく「見捨てた」わけではないこと。
それを私ができることで、伝えさせてあげたかった。


まぁ過去の事を言っても始まらない。
物事にはなんだって、いいことと悪いことはあるのだから。
 
できなかったことは、今からすればいいのさ。
できる範囲で。

立派な竹ぼうき

2013-11-29 | 今の会社
うちの会社はめったに客が来ないのだが、たまに来ることがあって、社長が応接室にエアコンを入れていたので、私も出入口付近の落ち葉を掃くことにした。

アスクルで注文した室内用のホウキでエッチラオッチラ掃いていると、お隣の社長さんがアハハハ!と笑って、「そんなホウキじゃ掃けないでしょ。」と言う。
「うちにあるホウキを使っていいよ、あとでここに置いておけばいいから。」と竹ぼうきを貸してくれた。

それで掃いてみるとなんと!魔法のように落ち葉が移動してゆくではないか。
「おぉぉぉぉ、これは楽しい!」

私はさっさと掃いて、おおざっぱながらチリトリで取ってゴミ袋にまとめた。おしまい。


それから数日後、また前日の風で落ち葉が舞い、しかも雨で濡れていた。
しかし、かなりの落ち葉の量で見苦しいこと、この上ない状態である。

ぼんやり立ちつくしていると課長がやってきたので、「落ち葉、これは掃いた方がいいですよね。」と言うと、課長は「こんなに濡れていると掃けないよ、乾いてないと。」と言い、「それで乾いたら、風に吹かれて飛んで行っちゃうから。」ハイおしまい、と言う感じである。


そして翌日になると、やはりまだ湿っているものの落ち葉は吹かれず、そのまま残っていた。
私は事務員として、女性としてこのまま放置して良いものだろうかと思いあぐねて、誰も居ないのをいいことに掃いてみることにした。
うちの会社の駐車場のわきに、捨てられたような竹ぼうきがあるのを思い出し、それを持ってきて掃いてみた。

しかし、やはり違う。
思うように落ち葉がかき集まらない。

なぜだ?とよくよく考えてみたら、竹ぼうきの「柄」ではない「房」の方の丈がやたら短くてスカスカなのである。なので、落ち葉が気持良いように集まらないのだ。これでは今までの室内用のホウキとあまり変わらない。
お隣の社長さんは「いつでも使っていいよ」と言っていたので、拝借しようかとも思うが、そこの社員さんがうっかり見ていたらまるでコソ泥のようになってしまう。それもためらわれ、もういい加減に止めてしまった。


あとでnanuさんと秀クンが戻ってきた時に「竹ぼうきがほしいです。」と言ってみた。
「なんで?」「なんでだ?」と言うので、そこの周りの落ち葉を掃いていたら、隣の社長さんが竹ぼうきを貸してくれて、嘘のように簡単に掃けた話をした。

「うちの駐車場にあった竹ぼうきも使ってみましたが、うまく掃けません」と言うと、秀クンが「300円の安いのはああなんだよ」と言う。nanuさんは「金物屋に売ってるからそういうの買ってくれば?」と言う。


買ってくれば。



それがなかなか困難なのだ。
基本、sakeさんは事務所にいる人だと思われているので、私がフラフラ外に出ている時に社長が用事があったりすると、怒りだすのである。

なので私は外に出るたびに

「これから、銀行に行って参ります。」
「今日は、午後から年末調整説明会に行って参ります。」
「これから、謄本を取りに行って参ります。」
「明日は、朝イチに銀行に寄るので遅くなります。」

と、いちいち断っているのである。

そのノリで、

「これから、お高い竹ぼうきを買いに金物屋に行って参ります。」



なんて言えるかーーーーボケッ!!!

どう考えても、アンタらが現場の帰りに買ってくる方が一般的に普遍的にスムーズだろ!
そんなに「sakeさんのために」何かするのが面倒なのか!もう!!


・・・・とも言えず。


秀クンがそれじゃしょうがないなァと言う感じで「今度買ってきてあげるよ、ナイロンのでいいね。」と言ってくれた。

ナイロンの竹ぼうきとはどんなものだろう?と楽しみにしているが、3日過ぎた今、まだ買ってくれている気配はないので、お隣からこっそり借りている。

そしてスイスイ落ち葉を掃きながら、「この竹ぼうきは素晴らしい。2000円3000円掛かっても、これだけ労力が掛からないなら、かえって安上がりではなかろうか。」と私は思っている。
果たしてうちの現場では、どのような竹ぼうきを使っているのだろうか。

「さよなら」/西野カナ

2013-11-28 | 歌謡曲・カラオケ
今、西野カナちゃんの「さよなら」を何度も何度も聴いている。

最初に聴いた時から好きで、何回聴いてもはまる。
大好きな恋人が夢を追いかけるのについていけなくて、彼の方からさよならを告げられてしまう歌なのだが、「きっとまた会えるよ」「10年後も会えるよ」と彼を責めるでもなく自分を奮いたたせている歌詞が何ともせつない。


 >好きという気持ちだけじゃ
 >ダメなんて 信じたくないけど
 >もう どうしようもないの

ここから


 >君と出逢えた
 >君を愛した
 >その言葉には一つも嘘はないから

ここに至るところの伴奏がシーンと静まるところが、キュンと泣ける。

昔、キャンディキャンディと言う有名漫画で、主人公のキャンディが相思相愛のテリィと別れる時に、「生きていれば、きっと会える」と思いながら別れて行くのだが、あの場面の再来のように泣ける。

オバサンは、泣いてるよ。。。カナちゃん。。。。
この歌はいいわ。。これから覚えよう。歌えるかどうか分からないけど。。。



この前、Aさんに「息子はどうした?」と言われて、「あぁバイトや勉強をしていますよ。」と私は言い、「もう好きにしていいと思うんです。だって、したくないことを頑張ってして80歳まで生きるのと、好きなようにして40歳で死んでしまうのも変わらないと思うから。」

そう言って、少し身構えた。
Aさんが「何言ってるんだ、そんなんじゃダメじゃないか」と言うと思ったからだ。

でも、Aさんは「そうだね。」と言った。


Aさんは朝から晩まで仕事や、慈善事業の手伝いやら、頼まれごとであちこち動いていた。

「5年で完治と言うけれど、8年経って再発することもあるんだ。それは検査をすればすぐに分かるんだって。再発か、新しいものかが。」
「自分の葬式を見てみたい。いったいどのぐらいの人が集まるのか。」
それが自分の生きて来た証だから、とAさんは言った。

Aさんはもう残された時間がたくさんはないと思ってるんだ。
「あんなことになって体を大切にしないのかと言われていることも分かってるよ、でもそれは病気になったことがないから言えるんだ。」

せめてAさんが動きやすいように環境を作って行こう。
それが今の私ができることなんだから。

そして、それができなくなった時からは、誰かに何かしてもらうことより、誰かに何かできることを考えていこう。
目の前に居る人、縁のあった人に自分ができること。

そして、自分のために自分が生きててよかった、と思えるためにできること。
そんなことを考えて行こう。
 


・・・とカナちゃんの歌を聴きながら銀行に行ったら、通帳を忘れてまた出直しになってしまった。(トホホ)

T男のイライラ

2013-11-27 | 友人
G子から夜に着信があったようだ。
「何かあったの?」とメールを送ると、さっそく昼休みに電話が掛かってきた。

またT男(G子の彼)の悩みである。
ヤキモチでいつもケンカを吹っかけていたG子だったが、最近はT男とケンカにならないように、あまり怒らないようにしている。

だけど、最近T男がイライラしていると言う。
一昨日も二人でハイキングに出かけたが、T男は「ここからどこに行けばいいんだ」とG子を怒ると言う。
G子だって初めて来た場所だから、どの方向かなんて分からない。
間違えてしまえば、それも怒る。
グループの他の人と親しく話していても怒っていると言う。
こんなんじゃ一緒に居てもビクビクしてるだけ、もう別れようかな・・・と言う。

「G子からの話を聞いていると、T男もわがままみたいだね」と私は言い、「ちょっとしたことでいつも怒っているのなら、もう続けられないと正直に言ってみてもいいんじゃないかな」と私は言ってみた。

「最近のG子はT男の気持も考えていろいろ気をつけているんだよね。今度はT男も考える番じゃないの?言っても何も変わらないような人なら、それまでだよ。言えば何でもきくと思われると、この先も振り回されるから。」と私は言い、「違う人間同士が何も考えずにピッタリ合うわけないんだ。合うと思うのは相手が合わせてくれてるだけ。そんな我慢はいつまでも続かないよ。お互いのクセを見直して話し合って、相手が居心地よくなるように努力しあって、カップルはうまく行くんだと思うよ。それを怠る人とやっていくのは難しい。」

G子はまだまだ「このとき私はこうしたら、T男は怒った」「あの時もああだった」「それからああだった」と言う話をするので、「T男はあまりごちゃごちゃ言われるのはキライそうだから、あれこれ言わずシンプルにした方がいいね。これこれこうで、こう言う所を直してもらえないと、もう続けられない。そんな感じでサラッと言った方がいいと思う。」と私は言う。

「昔みたいにムリに別れようとして、携帯電話の電源を切ったり、やっぱり掛けなおしたり・・みたいなことは、これからはだんだん無くなっていくと思うよ。だから、何となくイヤだなと思ったら「嫌」なんだよ。不利益な方向に心は傾かない。」

G子はそうしようかな・・・と言い、もう一つ話があると言うので、「何の?」と言うと、またあのバスの運転手にくどかれるの、と言う話だった。

なので最近、別のバスに乗るようにしていたが、この前また乗ってしまったと言う。
そして「このごろこの時間では会いませんね」と言われ、今度(G子の趣味の)ハイキングに一緒に行きましょう」と言われたと言う。

「その人、たしか指輪してるんでしょ?」
「そうだよ。」
「離婚してからにしてください、以上。」
「ねー。」
「話にならんわ。」
「やだね、男って。」
「ったく。」

そんな話をしながら、G子は「やっぱりsakeちゃんだ」と言って電話が切れた。

家事ロボット

2013-11-26 | 息子keke
渡辺雄二さんの「買ってはいけない××」シリーズの本を、数冊図書館で借りる。
(××には「飲み物」「お弁当」等の文字が並ぶ)
体によくない保存料等を使っている食品を品名つきで掲載している本である。

とは言ったって、安いもん食べるしかないからなァ・・・と思ったが、この手のものを読むと、すぐに影響されやすい私は昨日から、手作り三昧をしている。
夜はハンバーグとポテトの炒め物、サラダ。あさりとキャベツの蒸し煮。
翌朝も早く起きて、レンコンのキンピラを作ってみた。

「よし・・・二人のお弁当がそれぞれできたぞ。」
時間もいつもより全然余裕がある。
そしていつものように化粧っぽいことをしていると、kekeが「今日はお弁当要らないから。」と言う

「どうして?」と訊くと、「どうしてマスクをして弁当を作らないのだ。」と言う。


そうなのだ、前の日に私が咳をしていると、kekeがマスクを持ってきた。
「試験が近いから、風邪をうつさないでほしい。」と言う。


「あぁ、でももう咳は出てないから大丈夫だよ。」と言うと、「大丈夫じゃない、さっき咳をしながら弁当を詰めていた。」とkekeは言う。

もしかしたら、多少はしてたかもしれないが、ちょっとノドがいがらっぽくて、咳払いをしていた程度である。
マスクをするほどのことではないと思ったのだ。
しかし、kekeは風邪がうつると言うので、「それじゃ帰って来てから私が食べるから、冷蔵庫にしまってよ。」と言うと、パタン!としまう。

こんなに早くから起きて、手作りしたのにガックリだ。


夜は夜で帰って来ると、もう疲れてしまう。
いつものようにスーパーに行くが、もう今から作るなんて。。。。

「私は今日の弁当を食べるけど、kekeは何が食べたい?」と言うと、「東京チカラメシでいい」と言う。

何気にいつものスーパーでビールを買うことにした。
弁当コーナーの弁当を見ると「原材料は裏面にあります」とあり、下からのぞくと、いろんな乳化剤だの何とか剤だの使っているようだ。

「ふぅ。。。」

とは言っても今の生活ではなぁ、全て手作りなんて。。。

いや、やろうと思えばできるのかもしれない。
体にムチを打ってこれからご飯を手作りしたり、休日は作り置き料理をたくさん作っておくとか。

「でもそれじゃ、家事ロボットだよ。」


kekeが中学や高校の時に「おかず作り家事ロボット」でいられたのは、夢があったのだろう。
この子を大学に出して、立派な企業で働いて、いいお嫁さんをもらって・・・・
そんな夢があったのだろう。
だから、ああやって年中ご飯を作ることができたのだ。

でも、間違っていた。
息子に自分の夢を託すのが、間違っていたのだ。
自分が我慢して、そこで元をとろう(?)と言う考えが浅はかだったのだ。

私も自由でいい。
息子の自由を認めるためには、まず自分が自由で楽しくおおらかでいられなければ。

そう思いながら、kekeの牛丼を買って帰った。


家に帰ると、皿が全部洗われていた。
「あぁありがとう」と私は言い、これがkekeの牛丼と渡し、自分は冷蔵庫をあけて朝の弁当を食べることにした。


冷蔵庫のフックにはマスクが3つも掛かっていた。

ブログ総集編「資金繰りに爆走」

2013-11-25 | あとから選んだ総集編
ある読者の方からメールをいただいた。

「今日ヒマな時間にsakeさんのブログの『あとから選んだ総集編』のカテゴリーを読んでみたら、お腹が痛いほど笑えました。」
と言うお褒めの言葉であった。

私はこう言う事を言われてしまうと、すぐに調子に乗って木に登ってしまうサルなのである。
なので、今日は超久しぶりに『あとから選んだ総集編』の記事を更新したい。

タイトルは『資金繰りに爆走編』とでもしておこう。
今から数年前、会社の資金繰りがヒジョウに大変だった頃の記事を総集編としてまとめてみた。
経理の内容なので、分かりにくい箇所も多いと思われるが、「昔はこんなにsakeさんは大変だったんだなァ」と思っていただけたら幸いである。

それでは、そのある読者サンのために綴る総集編。
文字数、リンク先が多数あるため、時間があって気が向いた時に読んでいただきたい。そうでないと時間がもったいないので。


●「初めてマイナスの残高に」(2004年10月1日)

この日初めて銀行の当座の残高がマイナスになるのに気づく。これはこの後のてんてこまいの序幕である。ちなみにこの記事に登場しているnanuさんが、結婚のお祝いのサラダボールを買ったnanuさんである。

●「しょうがねぇだろ」(2004年10月2日)

Aさんが下請けさんに支払いを約束していた工事代の入金を返済に引き落とされてしまい、Aさんと私が社長の目の前で口論をしている。こんなこともあったっけか、と今振り返ると懐かしい。
今ならもうこんなことでケンカはしないだろう。私達も大人になったものだ。

●「つなぎ融資をつなぐ」(2004年9月30日)

ダジャレみたいなタイトルになっているが、中を読むとまさにその通りである。これが当時の状況だった。この記事を読むと、現在の資金繰りの平和さに両手を合わせたくなる&この平和が永遠に続く事を願って止まない。今の私ではここまでできる自信が無い。

●「給料日ももめる」(2006年7月25日)

お金が無いので私は上司の給料を止めてしまう許可をもらうが、当日になって彼が手のひらを返すかのように私を責める場面である。しかし確定申告の還付で思わぬ入金があって「助かった・・・」とつぶやく当時の自分がせつない記事。

●「いつもの事だが毎回困る」(2006年11月14日)

まったくもってこんな感じであった。私は何の決裁権もないのに、銀行もそれを知りつつ尋ねてくる。上司BRさんと銀行の間にはさまれて正直者の私がウソをつかねばならない苦しい場面もあったっけ。

●慌てふためいた支払日(2004年11月25日)

あてにしていた銀行融資がおりず、急遽その日入る工事代から支払いをするために、何十社ある振込用紙を、別の銀行からの振込みに変更した。そして50万足りないのを、別の銀行からの支払いに変更。
よくこんなコトができたと思う。当時の自分を心からほめてあげたい。

●言語尽くしがたし。(2006年11月30日)

あまり記述が無いので想像でしかないが、おそらく月末の支払いがまったくできない状況だったのだろう。言語尽くしがたしなほど、悲惨な状況だったと思われる。
下請けのOROの会社もうちからのお金がないと支払いができず、お袋さんがATMの前で待っている状態であった。とにかく涙涙・・・というよりヒサンヒサンな状況である。


このあと、間も無く会社は運営ができなくなる。
あまりのショックで私は寝込んでしまったため、当時のブログ記事は無い。
例え残ってたとしても、今の私ですら読む気になれない。

もう二度とあんな思いはしたくない。



できることならば。。。。。

サラダボール

2013-11-24 | 私の倹約術
私はしょうがなく、・・・でもないが、nanuさんにお祝いのプレゼントを用意することにした。

幾らまでだったら快くお祝いできるかと考えると、2,000円だなと思う。
でも彼は私の倍は稼いでいて、入れ替わり立ち替わり女性が出入りしているとは言え、ここしばらく独身である。2,000円で買えるようなものは大抵持っているだろうと思われる。

そして私はプレゼントはサラダボール(木製)にすることにした。料理教室で知り合った二人なので、台所グッズにすることにしたのだ。

サ・ラ・ダ・ボール。
綴りに忌みっぽいものもない。
それに落としても割れないではないか。

何年も前から自分がほしかったのだが、100均で売ってないので持っていない。
要らなければ返してもらおう。
常識が無い自分なのでサラダボールが適切であるかどうか判断ができないが、nanuさんも常識がないからいいや。それにサラダボールだったら、お菓子を入れたり、インテリアに使うこともできるので、幾つあっても困らない(はず)。

そして無印良品に行くと、あった。サラダボールが。
ひっくり返して値段を見ると2,200円とあるので、それよりひと回り小さいのを探すと1,500円。

予算内だ、と思って両手に取ってしばらく眺めると、会社のお菓子を入れている器に色つや形がそっくりなのに気がついた。
(う~ん。。。。)と思い、トングでもつけたらもうちょっと見栄えがするかも、と思い探すが1,000円以上するようだ。もっと安いサラダボールを探そうと、店を出る。

そしてふらふら雑貨屋さんを探すと、閉店セール2割引、と言う店があり、入ってみるとなんと、木製の大きなフォークとスプーンが合わせて380円の値札で売られていた。
これでいいじゃんと思い、プレゼント用で包んでもらう。(2割引なので300円ちょっとで買えた。)
ここでは、300円の木製のフォークとスプーンだけをプレゼント用に包んでもらう謎の女になってしまい、何気に店員さんが笑っているように見えた。

そして無印良品に戻り、1,500円のサラダボールをプレゼント用に包んでもらう。ラッピングは有料と無料があると言うので、無料の方でお願いする。

そして店員さんが封をしている時、「ちょっとすみません~~~」とダメモトで声をかけてみた。

「もう一つその中に入れたいものがあるので、封はしないで、その(封を止める)シールを別にいただけませんか?」
と尋ねると、店員さんが快く応じてくれて、サラダボールを入れる袋もひと回り大きいのをお願いしたら、それも快く応じてくれた。シールのリボンも別にしてくれた。

そして、家に帰ってから、先ほどプレゼント用に包んでもらったフォークとスプーンのリボンをほどいて、サラダボールの袋の中に入れて封をした。いっけん両方とも無印良品で買ったように見えるが、フォークとスプーンには雑貨屋のタグがついてしまっている。気がついた所で、「あぁsakeさんケチだから、これは別の店で買ったんだろうな」と驚きもせず、思われるだけであろう。

いずれにしても、気持はこもってるつもり。
ずっと前から自分がほしいサラダボールだから。

結婚式

2013-11-23 | 母子家庭だから思うこと
もうすぐnanuさんの結婚式の日だ。

私は呼ばれていない。
何年か前に秀クンの結婚式の招待状が来たが、断わってしまったのだ。

常識はずれで申し訳ないが、どーしても行く気になれず、行って一生後悔するよりは、その時恥をかいても、断わってスッキリしたほうが互いのために(?)良いと思ったのである。

なんで行く気がなかったと言うと、金が掛かるからである。
それから自分が今後結婚するつもりがないからである。
百歩譲って結婚したとしても、式は絶対挙げないつもりだし(もうじき50ではウエディングドレスも物笑いになりそうで怖い。)、最悪結婚式を挙げたとしても、そんな男ばっかどうして呼べるか。
だから、私は自分も誰にも祝ってもらわない代わり、この会社の人間を誰も祝わないことにしたのでした。

公にはしていないが、私も最初の結婚では実は式を挙げた。
25年経った今(既に離婚)、ウェディングドレスも記憶にないし、写真など一枚も残ってないし、結婚指輪も今は亡き母に預けたままどこにあるか分からない、あれは一体何のから騒ぎだったのだろう、そんな感じ。
祝い金を出していただいた親類や友達、本当に申し訳ない気持でいっぱいである。しかも親に金も出させているのだ。本当に心底無駄遣いをさせてしまった。kekeの大学中退の学費などとても責める事などできない自分である。

自分が若かりし勢いで結婚してしまったので(自分が特別軽薄なのかもしれないが)、他人の結婚もそんなもんだと思っている。してからが始まり。サバイバルゲーム。それに対して私の18万の給料のうちの3万を祝い金に出すなんて、とんでもないことなのだ。社員が結婚するたびにそんなことをしてたら破産してしまう。
ボーナスの無い会社でのつきあいで、冠婚葬祭にだけ常識を求めるな!と言う私の無言の意思表示なのである。

いっそのこと、結婚式は質素な身内だけにして銀婚式や金婚式に親類縁者や友達を呼んで、ウェディングドレスやら、ケーキカットにしたらどうだろう。
二人の馴れ初めではなくて、「こうして二人は離婚の危機を乗り越えました!」的な今までの夫婦の軌跡を、会場で流す。涙、涙の物語に、最後に盛大な拍手が沸き起こる。。。。
よっぽどこちらの方が今後の参考になって良いのではなかろうか。


それでも祝電だけは送ることにした。

結婚しないかもしれない

2013-11-22 | 母子家庭だから思うこと
昨日の記事を書きながら思い出した。
私が離婚した頃に日本テレビでやってたある番組の話だ。


「週刊ストーリーランド」と言う番組で、視聴者が物語を作って、採用された物語はアニメになって、TVで放映されるのだ。
そこで、一度こう言うストーリーがあった。

ある夫婦の旦那さんが浮気が原因で離婚することになりました。
愛人さんはその旦那さんと暮らして幸せになりました。
元奥さんは慰謝料をもらって幸せになりました。


私はこれを見て、内心怒りった。
「てめぇこのやろう、幾ら慰謝料をもらったからって、離婚させられた奥さんが幸せなわけねぇだろ、バカヤロウ」

*********


でも、今になって思うと、たしかにその通りかもしれない。
本当に好きだったら、離婚することはないのだから。


私もそうだったので人のことはあまり言えないのだけど、ちゃんと話し合いを持たずに夫婦が別れて行くのは残念な気がする。
相手のどこが嫌になったのか、何を治せばやり直せるのか、そういう所をちゃんと話しあって解決していく。こういう色気のない地味なことを、1つづつ重ねていくことが夫婦であり続ける上で大切な気がする。

私の場合は、既にそういう話しあえる状況ではなく、これ以上口を開けばお互いに傷つけあうだけでしかないので、どうにもならなかった。一緒に生活してごく普通の夫婦の生活のようにしていたけれど、今思えば表面に出てないだけで、内情は破たんしていたとも言える。


いずれにしても、夫婦関係を常に見直してお互いが(←ここがミソ)満足できる関係にする努力は、するべき最低限のことなのではなかろうか。
そのぐらい相手を理解できるようになるまでには、相手に合わせて折り合いつけられるようになるまでには5年10年と言う長い年月が必要だと考える私は、もうたぶん結婚することはないかもしれない。


長い年月のつながりを、たった一言で別れよう、別れられると思う人間なんて、それだけでたかがしれたものだ。
そう確実に思えたら、慰謝料もらって新しい人生を行くのも一つの前向きな幸せだ。
(そこで傷ついたとか悔しいなんて思ってはいけないよ、お金はもらっても。)


誰もが成長したがっている生き物だから、必ずしもずっと一緒の場所にいられるとは限らない。10年前の私と、今の私がここまで変わってきたように、相手も、二人を取り巻く環境も変わって行く。
永遠の愛だなんてことを、(自分がの方ならともかく)相手に求めるのは甘えにも思う。

好きになることも、別れることも、全てが自己責任だから。



今日はいい夫婦の日だそうで。

アリとキリギリス

2013-11-21 | 息子keke
少し前から「アリとキリギリス」と言う話が気になって、今更なのだが検索して調べてみた。
するとアリとキリギリスの童話は幾つか説があるらしい。

「働き者のアリさんは冬にたくさん貯えがあって、キリギリスは怠けていたので何もありませんでした。」
だから、皆さんも遊び呆けずに努力しましょうと言う話だと、私は思っていたのだが、原作はどうも違うらしい。

食べ物が無くて困ったキリギリスは、アリさんに「食べ物をください」と言うのだが、アリさんは「君は夏に歌ばかり歌っていたからだよ、冬には踊りでも踊ってれば?」と突き離す。
それでキリギリスは餓死してしまいました、おしまい。
(これも幾つか説がある。)

アリが正しいキリギリスが間違っている、と言う話では無くて、働き者って言うのはこのぐらい残酷ですよと言う話だ、と言う説もあるのだ。

やっぱりそうか、と私は思う。
詳しく知りたい方ははwikiの該当ページでどうぞ。


どちらが正しい、そして悪人が正しいものによってざまあみる、と言うのは一種の”快感”なのだ。
そして、私達は「何が正しいか」「何が悪いことか」をつい、探ろうとする癖がある。
それを紐解くことによって、あの”快感”を得たいがために。

でも世の中には、あいまいなものがたくさんあるように思う。むしろ、そういうものの方が多いと思う。
他人を裁いてばかりの人生は、自分を生き切っていないのではないか、と思ってしまう。


例えば、ここでアリさんのセリフ「冬に踊りでも踊っていれば?」ってセリフはないよなぁ、って思うのだ。

アリの方は夏の間、歌を歌って楽しんでいるキリギリスがとっても、うらやましかったのだ。
本当はそうしたかったのに、できなかった。
それがあのセリフになるのである。

キリギリスは間もなく死んでしまうのだが、人生(いや、虫生か)に悔いはない。

何が正しいか、どっちの生き方が良いのか、ここでは述べられない。
それぞれがどちらを選ぶか、そして後悔せずに進むしかない。


私は生きているうちは、特にこれからは、悔いのない方を選びたい。
いっぱいおいしいものを食べて、思いっきり時間の流れを泳ぎ回って、好きな人がいる間は恋していよう。

父は糖尿病だったけど、酒をやめなかった。
「酒をやめるぐらいなら早死にする」と言って飲んでいた。
てんぷらも食べていた。

「アリさん、そうかい、分かったよ。そりゃそうだよね、キミが言うのは当然のことさ。
ボクはでも、後悔は何一つないよ。思いっきり好きなことをしていたからね。」

イヤミでは無くて、勝ちでも無くて、キリギリスはこう思いながらあの世に行ったのだと思う。


ちなみに、原作は「キリギリス」では無くて「セミ」だったと言う。