昨日読んだ本を2冊紹介。
●優しいライオン~やなせたかし先生からの贈り物~/小手鞠るいさん
やなせさんのエッセーは大好きで何冊か読んでいた。(ブログで紹介もした)小手鞠さんは、やなせさん編集の「詩とメルヘン」から育ったお弟子さんである。作者は小手鞠さんだが、半分以上はやなせさんの詩や本からの引用である。(表紙等の絵もやなせさん。)やなせさんとの出会い、自分の人生をからませつつ、やなせさんの足跡を追いかけている。全章に渡って先生がとにかく好きで好きでたまらない、そんなオーラに満ち溢れている。
地球の人全部に愛をささげたいやなせさん。
ちょっぴり淋しげで陰のあるやなせさん。
ある時はスーパーマン、また1人の時は孤独なダンディ、そしてまたある時はみんなを喜ばす喜劇王・・・そんなやなせさんの魅力を(本を読んで知っているので余計に)ウンウン・・とうなずきながら読んでしまう。
そして小手鞠さんは時折、失恋や離婚、その後も作品が認められるまでにとても苦労なさるのだが、その節目節目に偶然のように、やなせさんから暗示的な言葉を受け取るのである。(結婚が上手く行かない時は「もう恋愛の詩は書かなくていいよ」と言われたりする。)まるで全てをお見通しかのように・・・。
やなせさんが「生きているうちに派手な生前葬をしよう!」と銘打って、大掛かりなパーティーを計画していたのだが、偶然にもその寸前で東関東大震災が起きたため、この大きなパーティーを不謹慎だと取り止めにした。(この話はやなせさんのエッセーに何度も出てくる)その時に小手鞠さんは弔辞を読むことになっていた。それは「先生を追いかけて天国で今度は結婚したい、結婚できなければ愛人でも略奪でもかまいません!!」と言う内容だった。
小手鞠さんはその何年も後に、年を取って目や耳がおぼつかなくなったやなせさんに「実はあの時の弔辞はこれだったんですよ。」とやなせさんに読み聞かせるのだが、90代のやなせさんは「いやぁ・・・ボクは若い子の方が好きだから。。ハハハ」と断わられてしまう。
本当は詩の一つ一つも味わうべき本なのだが、時間の関係で流し読みで終わってしまったのが申し訳ないぐらいだったが、印象深かったのでせめてブログにメモしておくことにした。私達、いや私は男女の愛情というと、夫婦やパートナーにこだわってしまう所があるが、やっぱりその人の心の持ちようなのだ。恋愛でなくても愛はあふれてる!
●和泉式部日記/川村裕子さん編集
これは古典で有名な「和泉式部日記」の現代語訳版。
この前「百人一首」の解説本が面白かった(でも全部読みきれないうちに返す事になった)ので、今度はこれを読んでみた。
私は高校・大学時代ほとんど本を読まなかったが、幾つかの例外が永井路子さんの「歴史をさわがせた女たち」シリーズである。この本は歴史に出てくる有名な女性、または有名な偉人の奥さんを5~6ページづつの短い文章で紹介しているのである。(そしてその解説も現代風で面白いのだ)
この「歴史をさわがせた女たち」の日本篇の最初に登場するのが、この和泉式部さんである。今で言うと誰になるのだろう?松田聖子ちゃん?もうちょっと暗めで、だけどもっと男性遍歴が派手で、最終的には一番権力者(総理大臣いやそれ以上の王者と永井さんは書いている)の兄弟二人の愛人になってしまうのである。(同時期ではなく兄が亡くなってから弟とデキてしまったのだ。)
この「和泉式部日記」はその弟とのなりそめを書いた日記のようである。
和泉式部さんというのは、もともと男の噂が派手な人だったようで、ましてや自分のお兄さんの彼女だった人なので、この弟(敦道親王)も最初はすごく慎重で「どうせ他の男の人も出入りしているのでしょう」と言うノリだったのだが、知っていくうちにこの和泉さんは1人ぼっちで純粋な女性だということが分かるのだ。
周りの人は身分違いなので大反対。(ましてやその兄も和泉さんや他の女性とデートしているうちに伝染病に掛かって亡くなったと言う経緯があった。)だからなかなか敦道さんも訪れることも会うこともできず、二人はお互いに相手の心が分からず苦悩する。和泉さんは他の男性を許さないのだが、それでも他の男の人が勝手にやってきたりして、そういう車を見てしまったりして何度も敦道さんは傷つき、そういう互いの心の悶々や誤解に耐え切れず、敦道さんは「女中と言う名目で家にきてほしい、そうすればもう誤解することはない」とくどくのである。
女中とは言え、身分の違う女性を御所にあげるのだからそれは大問題・・・敦道さんの奥さんは(日記では夫婦仲は冷え切って敦道さんは孤独だったと書いてあるが)、怒って出て行ってしまう。。。。
ここでその日記は終わってしまう。
私なんぞはこの後、宮中に上がってからどんな感じだったのか、いろんなことがあったでしょうに、敦道さんの愛情はそれでもそのまま変わらなかったのか、どんなやり取りがあったのか等々が気になるが、それはもう必要ないようである。プレイガールが高貴な弟さんを寝技で強引に押しかけたかのように言われるのが辛く、そのなりましを書かれたようである。(編者の川村さんは、自分の弁明ではなくむしろ、敦道さんが死後バカにされるのが我慢ならず「私達の愛は本物でした」ということを書きたかったのでは、と解釈している。)
今の時代では喧々囂々目も当てられないほどの非難殺到になりそうなこの暴露本・・・果たして当時はどうだったのだろうか。この本は現在言葉の訳の他に、さらに解説もはいっているので、とても分かりやすく、さすがの私でも読みきることができた。
●優しいライオン~やなせたかし先生からの贈り物~/小手鞠るいさん
やなせさんのエッセーは大好きで何冊か読んでいた。(ブログで紹介もした)小手鞠さんは、やなせさん編集の「詩とメルヘン」から育ったお弟子さんである。作者は小手鞠さんだが、半分以上はやなせさんの詩や本からの引用である。(表紙等の絵もやなせさん。)やなせさんとの出会い、自分の人生をからませつつ、やなせさんの足跡を追いかけている。全章に渡って先生がとにかく好きで好きでたまらない、そんなオーラに満ち溢れている。
地球の人全部に愛をささげたいやなせさん。
ちょっぴり淋しげで陰のあるやなせさん。
ある時はスーパーマン、また1人の時は孤独なダンディ、そしてまたある時はみんなを喜ばす喜劇王・・・そんなやなせさんの魅力を(本を読んで知っているので余計に)ウンウン・・とうなずきながら読んでしまう。
そして小手鞠さんは時折、失恋や離婚、その後も作品が認められるまでにとても苦労なさるのだが、その節目節目に偶然のように、やなせさんから暗示的な言葉を受け取るのである。(結婚が上手く行かない時は「もう恋愛の詩は書かなくていいよ」と言われたりする。)まるで全てをお見通しかのように・・・。
やなせさんが「生きているうちに派手な生前葬をしよう!」と銘打って、大掛かりなパーティーを計画していたのだが、偶然にもその寸前で東関東大震災が起きたため、この大きなパーティーを不謹慎だと取り止めにした。(この話はやなせさんのエッセーに何度も出てくる)その時に小手鞠さんは弔辞を読むことになっていた。それは「先生を追いかけて天国で今度は結婚したい、結婚できなければ愛人でも略奪でもかまいません!!」と言う内容だった。
小手鞠さんはその何年も後に、年を取って目や耳がおぼつかなくなったやなせさんに「実はあの時の弔辞はこれだったんですよ。」とやなせさんに読み聞かせるのだが、90代のやなせさんは「いやぁ・・・ボクは若い子の方が好きだから。。ハハハ」と断わられてしまう。
本当は詩の一つ一つも味わうべき本なのだが、時間の関係で流し読みで終わってしまったのが申し訳ないぐらいだったが、印象深かったのでせめてブログにメモしておくことにした。私達、いや私は男女の愛情というと、夫婦やパートナーにこだわってしまう所があるが、やっぱりその人の心の持ちようなのだ。恋愛でなくても愛はあふれてる!
●和泉式部日記/川村裕子さん編集
これは古典で有名な「和泉式部日記」の現代語訳版。
この前「百人一首」の解説本が面白かった(でも全部読みきれないうちに返す事になった)ので、今度はこれを読んでみた。
私は高校・大学時代ほとんど本を読まなかったが、幾つかの例外が永井路子さんの「歴史をさわがせた女たち」シリーズである。この本は歴史に出てくる有名な女性、または有名な偉人の奥さんを5~6ページづつの短い文章で紹介しているのである。(そしてその解説も現代風で面白いのだ)
この「歴史をさわがせた女たち」の日本篇の最初に登場するのが、この和泉式部さんである。今で言うと誰になるのだろう?松田聖子ちゃん?もうちょっと暗めで、だけどもっと男性遍歴が派手で、最終的には一番権力者(総理大臣いやそれ以上の王者と永井さんは書いている)の兄弟二人の愛人になってしまうのである。(同時期ではなく兄が亡くなってから弟とデキてしまったのだ。)
この「和泉式部日記」はその弟とのなりそめを書いた日記のようである。
和泉式部さんというのは、もともと男の噂が派手な人だったようで、ましてや自分のお兄さんの彼女だった人なので、この弟(敦道親王)も最初はすごく慎重で「どうせ他の男の人も出入りしているのでしょう」と言うノリだったのだが、知っていくうちにこの和泉さんは1人ぼっちで純粋な女性だということが分かるのだ。
周りの人は身分違いなので大反対。(ましてやその兄も和泉さんや他の女性とデートしているうちに伝染病に掛かって亡くなったと言う経緯があった。)だからなかなか敦道さんも訪れることも会うこともできず、二人はお互いに相手の心が分からず苦悩する。和泉さんは他の男性を許さないのだが、それでも他の男の人が勝手にやってきたりして、そういう車を見てしまったりして何度も敦道さんは傷つき、そういう互いの心の悶々や誤解に耐え切れず、敦道さんは「女中と言う名目で家にきてほしい、そうすればもう誤解することはない」とくどくのである。
女中とは言え、身分の違う女性を御所にあげるのだからそれは大問題・・・敦道さんの奥さんは(日記では夫婦仲は冷え切って敦道さんは孤独だったと書いてあるが)、怒って出て行ってしまう。。。。
ここでその日記は終わってしまう。
私なんぞはこの後、宮中に上がってからどんな感じだったのか、いろんなことがあったでしょうに、敦道さんの愛情はそれでもそのまま変わらなかったのか、どんなやり取りがあったのか等々が気になるが、それはもう必要ないようである。プレイガールが高貴な弟さんを寝技で強引に押しかけたかのように言われるのが辛く、そのなりましを書かれたようである。(編者の川村さんは、自分の弁明ではなくむしろ、敦道さんが死後バカにされるのが我慢ならず「私達の愛は本物でした」ということを書きたかったのでは、と解釈している。)
今の時代では喧々囂々目も当てられないほどの非難殺到になりそうなこの暴露本・・・果たして当時はどうだったのだろうか。この本は現在言葉の訳の他に、さらに解説もはいっているので、とても分かりやすく、さすがの私でも読みきることができた。