きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

仕事がいっぱい

2012-08-31 | 今の会社
今日も仕事がいっぱい。((+_+))

社長が現場を見ると私までこんなに忙しくなるとは思わなかった。
明日も仕事に出るようだろう。

他のみんなもゲラ、忙しそうである。
課長は午後事務所に来ると、「いよいよだよ」と言い出した。
何がいよいよかと言うと、これから10月まで土日休みが無いそうである。

その後に秀クンが帰ってきた。
「もう今日は帰っていい?」と言うので「いいですよ。」(私にそんな権限は無いのだが)と合わせて言うと、これ見てよ、とズボンのひざを指差すので、「何ですか?」と言うと、「塩だよ!」と言う。
(あまりに汗をかいて、汗の塩分がズボンの模様になっているそうである。)

そして、nanuさんは来るたびに用事を言いつけてくる。
一昨日はハンコを買って来い、と言い出した。
よくある名前だから、近くの100均で買えるだろうと思って、夕飯の買い物と一緒に100均を覗いてみた。すると、どういう訳かその苗字の所に紙が詰まっていた。(その前に売り切れてしまったようである。)

翌朝、nanuさんにハンコがちょうど売り切れていて買えませんでした、と言うと、「俺は今日はどこそこ(ここから80キロぐらいの所)に行くんだ、場所が分かれば帰りに寄ってもいいけどお前もどこか探して買って来い、店に行く前に電話してあるか無いか確かめた方が効率がいいんじゃないか?」みたいな参考になるのかならないのか分からない返事が返ってきた。

たまたまTUKAさんが来てて、あの人はこう言う事に詳しいだろうと、「ここから一番近い100円でハンコが買える店を知りませんか?」と」尋ねると、それはあそこですよ、○○通りって知ってますか?知らない?えーと、国道がぶつかっているあそこ知ってます?そう、そこから北へ二つ目の信号の角にあります。80円で買えますよ、と言う。

「駐車場はそこにありますか?」と尋ねると、ありますよ、と言うので時間を(社長がよそと話していて、私に仕事を振って来ないタイミングを)見計らって、車を出した。

TUKAさんもなかなか頼りになるじゃないか、と思ったのも束の間、あると聞いていた駐車場は頭突っ込みでしか入れられない狭い駐車場で、しかも私は右折しながらそこに突っ込もうという状況。
「これ、出す時はどうやって出せばいいんだろうか?」と思いながらも、先に入れてしまい(あぁこの計画性の無さは自分の人生そのもの。。)ハンコを見つけて買うも(60円で買えた)、出る時は大そうビビる。
迷惑なのは重々承知で駐車場の入口直後で頭突っ込みのまま止め(これ以上奥に入れたら、駐車場の入口にさえお尻が出るかどうか分からないから)急いでハンコを買い、車が遠くに見える瞬間に、お尻からよっこらよっこらと出しているうちに、後ろの車はどんどん近づいてくるけど、ぶつかるならぶつけてみろと私はやっとの思いで出した。
あぁしんど。

こんなに忙しいと言うことは、仕事がある訳で、仕事があると言うことは普通だったら利益も出ているはずだから、自分の所に回ってくるはずだけど、絶対に、おおかたそんな事は無い。

虚しい。
虚しいと思う前に、私は「今日も楽しかった」と言う事にしよう。

明日は自分の本来の仕事の帳簿付けや資金繰り表をやれるところまでやりたい。
こんな時に国税庁だか、税務署だか分からないけど、変な手紙が来た。
「お宅の会社の支払い状況が知りたいので、今年の半年分のデータ(10万以上の支払い)をこの用紙に書いて送ってくれ」と言う内容である。

うちは職業柄、扱うお金の単位が大きいので、10万以上の支払いなんて山ほどある。
そなこと、イチイチやってられるか!と言う状況である。

でも、そう言うデータの一つ一つが、税金逃れをしている不届き者を捕らえて、払わせる事に繋がるのだろうか。
だとしたら、きちんとする事も国民の義務なのだろうか。

ニュースを見て思うこと

2012-08-30 | 巷の話題
昨日はボケーと久しぶりにTVを観ていたら、「野田内閣の問責決議案が可決」みたいなニュースが流れていた。

この竹島だ、尖閣と言い、これからどうなるのだろうとハラハラ手に汗を握る・・とはちょっとオーバーだけど、私に取ってはケッコウ深刻に感じるこの状況で、政治家達はいまだ足の引っ張り合いをしているように思えてしまうのは、私が政治を知らないからだろうか。

国会議員は日本を守るのが仕事だと思うのだが、自分の政党が大多数になることをお仕事としているように見えてしまふのは私の気のせいだろうか。

少なくても私の周りでは、今更に及んで消費税の値上がりで不平を言うものもおらず(100円200円の値上がりじゃありませんよ、うちらの業界は大変な死活問題です!)、そりゃ子供が少なくて老人がどんどん増えてるんだからイヤだけど、この状況じゃしょうがないよね、とみんなで思う中(それは決して諦めだけではないハズ)、そんなことより、これから起こっている事態にガッツリ円陣組んでみんなで取り組みましょうということはできないのだろうか。

「竹島も尖閣も対馬もほしいなら全部くれてしまいましょう」と言う日本国民がいるだろうか。
そう考えたら、与党も野党も関係ない、やるべき方向は一つに思うのだが。
どうしてそんな事を言う国の金の援助までしなければならないんだろうか。
勉強不足とは言え、分からない事だらけ。

そもそも、歴史の授業と言うものは古い時代から習い始めて、新しい所に近づくと学年が終わって歴史の時間も終わってしまっていたから、明治以降のこと、何も知らない。
私はこれでいいのだろうか。

政治家があてにならないからもう結果は期待しないけれど、かの国々とはご先祖代々からの魂が違うと、せめて自分は信じたい。
父は日本人である事を誇りにしていた。
私も日本人であることを心から誇りに思いたい。

叩けばホコリは出るかもしれないけれど、あんな思われ方、あんな言われ方、あの行動。
欧米やアフリカの人が見たらどっちもどっちに見えるかと思うと、悲しい。

とりあえず「伊藤博文」の伝記辺りから勉強してみたいのだけど、あまり字数が多い本は重荷で読みきれないと思うので、それはいつになるか分からない。

小学校のプール

2012-08-28 | 父の記録と母の思い出
日中はクソ暑い日が続いているが、夕方、夜、早朝と、とても気持が良い。
外で仕事をしている人には申し訳ないが、この季節、なかなか良いではないか。

朝、駐車場に向かうと、強い日差しでもどことなく風のサラサラ感があり、この感覚はまさしく「小学校のプール」なのだった。

私は苦手だった体育と給食が大嫌いで、特に体育に関しては「生き地獄」になる事が多々あったが、唯一泳ぐことだけは得意だったのである。
それは、母が泳ぎ好きだからなのだろうか。

かすかな記憶をたどると、私がチャプンと水にもぐると、ちょっと離れた所に母の両手見えて、そこまでたどり着くと「よくできたね」となるのである。
それを毎年繰り返し、だんだん距離は遠くなるのを繰り返していくうちに、10m泳げるようになり、小学校のプールで初めて「優越感」なるものが芽生えたのである。

当時の私の小学校では「検定試験」なるものが、夏休みプールに存在していて、10m泳げると黒いゴム(5cmぐらいの)をもらえて、それをプールの帽子に縫い付けるような決まりがあり、15m、25mと泳げる距離が増えるとゴムもその分長くなり、それを帽子に縫い付けることができた。
普段、運動苦手な私はそれを縫い付けてもらうと、ますます鼻高々になるのだった。

なので、小学校の夏休みプールは、ある日は毎日通った。
夏休みのプールカードみたいなものにハンコを押してもらい、このハンコがたくさんあることが「良い」こととされていた。
そして私は喜んで毎日押してもらった。

今思い返すと小学校なんて大っ嫌いだったのに(しかし意思を持っていなかったのでキライと言うことに当時は気付かなかった。)、プールの時間の私だけは、小学生らしい小学生だったと、思う。

小学校のプールでは、「何年生から何年生までの人は、こちらから泳ぎましょう」と言うように、全体を2つか3つぐらいのグループに分けて、片方が泳いでいる時は、そうでないグループはプールの周りに寝そべって、肌を焼く。

当時は紫外線防止と言う概念がなく肌は焼くのが望ましいとされていたり、漂白剤の入ったプールで、メガネをして入ることもなかった。そして女子は更衣室が混んでいると面倒なので、更衣室へ行く手前のスノコ板で平気で着替えたりしていた。(もちろん、私はこっちの部類)

そして、肌を焼く。
あの時のサラサラした風が、今この時分の風にとても似ているような気がする。

ヒトリカレー

2012-08-27 | 女だから思ったこと
最近のマイブームは、ヒトカレーである。
ヒトカレーとは「1人で牛丼屋に入ってカレーを食べる」を略した私の造語である。

夏の暑い日、銀行からの帰り道、昼休みを半分過ぎてしまったのを確認すると「今からコンビニでおにぎりを買って会社で食べようとしても昼休みが終わってしまう。たまにはぜいたくして牛丼屋で昼飯もいいかも。」と思い、ブラッと吉野家に立ち寄ったのである。

すると、そこには工事現場から直行してようなオッサンや、サラリーマン、または普通のポロシャツの男が3~4人離れながらカウンターに座っており、私が「このお店はどこにメニューがあるのかしら?」とうろうろしていると、「どこでも好きな所にお座りください」と言われ、「メニューはどこにありますか?」と聞くと「ここです」とテーブルの上に小さく立てかけられていた。
(メニューをキョロキョロ探していたのは、私の家の近くの吉野家ではレジの所の壁にパネルがあるからである。ここはそれがなかった。)

カレーが2種類あるようなので「安い方のカレーをお願いします」と言うと、どちらも同じ値段であったようだが、テキトウに片方のカレーが出てきた。
そして、おもむろにパクパクパクと私は食べる。

そして、少しづつ離れながら、オッサン達もパクパク食べ、食べ終わるとサッサと立ち去る、その「食べるためだけにココに来たんだぜ」と言う潔いオッサン達の姿に私は共感を覚えたのである。

分かりやすく言うと、その反対がファミレスである。
家族連れ、若者の集団、けたたましい笑い声、ドリンクバー、タバコの煙、勉強してる学生、レジのそばにあるオモチャをあさる子供の姿。

こう言うものが一切排除されて「食べるため」だけに席に座り、食べ終わるとサッサと帰る、と言う男達の潔さよ。
(そして店内に、「ありがとうございました」と言う会話しか存在していない不器用な静けさ。)

今の私は「この二つのどちらでしょう」と言ったら、後者に近いかな、と思い、この雰囲気を存分に味わうために、ドライブ途中で腹が減ってくると「わーい」と思い、喜んで牛丼屋で1人カレーを食べるようになったのである。
350円ではあるが、トイレも借りてカレーも食べられる上に、涼しい店内でゆっくり地図を広げられると言う特典もある。

いっとき華原朋美が牛丼つゆだくで「オヤジギャル」と言う概念を流行らせた記憶があるが、あれとはちと違うつもりでいる。
「オヤジギャル」と言うのは「オヤジっぽさを試してみようかな?」と言う小悪魔的な気まぐれさがあるが、私の場合は背中に背負う孤独感を一緒に分け合いましょう的な、仲間意識があるのである。(向こうは仲間だとは思ってないかもしれないが。)

そして、ヒトカラ、ヒトカレーと来た辺りで、次を今日から模索しているのだが、候補に挙がっているのは

・ヒトセン(1人で銭湯に行く)
・ヒトケイ(1人で競馬場に行く)

である。

しかし、銭湯は調べてみると案外金が掛かりそうで、競馬はもう20年以上も見て無いし、二人ならともかく1人で行って何も賭けないで何が面白いのか?と言うますますその周りとのギャップ(孤立感)を感じてしまう恐れがある。
銭湯も、日曜の昼間に1人で行くような人がいるのだろうか。
(周りがみんな家族連れだとちょっと淋しい。)

なので、イマイチ自信が無い。
勇気を出して行ってみる日も来るかもしれないけど。

スーパーでネギトロ

2012-08-26 | 息子keke
kekeにお給料は幾らぐらい入ったのかねぇ?と尋ねると「6万8,000円」と言う。

「それはすごいねぇ」と私は言うと「すごいのかな?」とkekeは言う。

私は単純に今までそんなに稼いだこと無いから「すごいね」と言ったのだが、kekeはフルタイムで働いていることと比べたのかもしれない。

でも、6万8,000円が年にしたら80万以上になる。
我が家の年収がこれだけ増えるというのは、「とてもすごい」ことではないか。

「美味しいものでも食べに行こうかな。」と私が言うと「えぇ~自分のバイト代を使うのか」とkekeが心配するので、「冗談だよ、お金は私が出してだよ。回転寿司を食べに行かない?」と言うと、「スーパーのネギトロが一番いい」とkekeは言う。

回転寿司を食べに言っても「同じ値段でネギトロがどれだけ買えるかと考えてしまうから、スーパーでネギトロを買った方が心が落ち着く」と言うのである。

言われて見ればその通り。
私は「二人で回転寿司を食べに行きました」と言うステータスが欲しいのかも。
でも相手は恋人でも旦那でもない、息子。
「母親と二人で回転寿司を食べました」と言うステータスなんて、たしかに要らないよね。

スーパーに行くと、この日に限ってネギトロが無いではないかと思ったら、かろうじて1パックだけ残っていた。
520円もするけど約束だからカゴに入れて、半額の冷凍エビフライがあったから買って帰る。

kekeにネギトロを買ってきたけど、この1パックしかなかったんだよ、と言って顔を見合わせると、「あ、またそれか」とkekeは言う。
「そうだ、まさに【ついてる】!」と私は言う。

「でも520円もしたんだよ、これ」と言うと、kekeは「安い時に398円で買えるいつものパックより、ひと回りこれは大きい。」と言う。
いつしか、kekeの方が某スーパーに詳しくなっているようである。

ネギトロはkekeがたくさん食べなさい、私はエビフライも久しぶりに揚げるからと言うと(kekeはエビがキライである)kekeはインスタントの味噌汁を作りに行く。
そして炊き立てのご飯にすし酢を混ぜてもらい手巻き用に海苔を切って、私は揚げたてのエビフライをくるんで食べたが、「やっぱりエビはソースだな」と言うと、kekeは「エビは(普通は)タルタルソースでしょ」と言う。

タルタルと言えばピクルスであり、そう言えば、キューリの漬物がまだあったのを思い出して、kekeにも「食べるかい?」と言うと、kekeはいらないと首を振り「キュウリって栄養ないでしょ、なんでわざわざ食べるのかな?」と言うので、「栄養があまり無いってよく知ってるね、夏は身体を冷やせるからなのかな?」とテキトウに答えた。

そして、こんな風に二人で食べられるのも充分楽しいことなんだな、と私は思う。

私は今まで、自分が不幸だなと思う時に「でも、もっと大変な人だっているのだから」と言う発想をしてきたけれど、そもそも比べること自体が間違っていたのでは。

と考え始めたのも、読んだ本の影響である。

起こった物事は、みんなゼロの状態なのだそうである。
それを大変と思う人には「大変」に映り、「ありがたい」と思う人には「ありがたく」映る。

「もっと大変な人だっている」と思っているうちは、「もっと大変」と言う概念があるから、次もその次も、何かが起こるたびに「もっと大変」なことを探さなければならない。
探し物をいるうちは常に人と比べなければならず、比べているうちは自分の劣った所しか(私にはどうせ)見えないので、しばらくは自分の中だけを見つめていよう。

そう思うと余計な事を考えず、こうして二人でネギトロをノリでくるんで食べていることが、誠に平和。
我が家は今日も無事!

父の昼食

2012-08-25 | 父の記録と母の思い出
今日は午前中は仕事をしに行き、昼前に父の面会に向った。

「sakeだよ」と言うと、「sakeちゃんが来たのか」と今日の父は言う。
が、3秒後にはもう私の存在をすっかり忘れた。

その事を話すとAさんは「それはいいことだよ」と言い、「お父さんの所に行くか行かないかは自分の問題になるからね。」と言った。そして「俺のバアちゃんはこの前にいつ来たか覚えている上に【もっと来い】と言う。これが飛行機で行くような場所ならまだ諦めもつくだろうが、車で3時間だから行けそうでつい行けず罪悪感にかられるんだ。」と言う。

そう思えば、私のようにひょいと行けて、すっと帰れるのは極めて苦労ナシなことなのかもしれない。

今日の父は「sakeちゃんが来たのか」と言うとオバケのように手首を下にダラリンと垂れて、また寝た。
寝たい時は寝た方がいいのだろうと思い、何も言わず何もせず、昼食までぼんやり時間は過ぎた。

昼食が運ばれてきて、看護婦さんが茶碗と箸を持たせたが、寝ていて茶碗が傾き「今日はこれでは食べられないか」と思ったら、急に箸が動き始め、茶碗が唇に吸い付き、ご飯を自動的にかけ込む父の姿がある。

老いて身体がきかなくなって、一つずつ行動ができなくなって、父の最後に残された唯一の動作は「食べる」こと。

そして父はほぼ食べ終わりに近くなると、自然に食べなくなり、茶碗を置きたいが置きたいと言う意思も忘れて、持ったまままた半分寝るのである。


その頃、いつもこの時間に現れる女性が今日も現れ、お父さんだかご主人だかにスプーンでご飯を与える。
そちらのお父さんはもう自分でスプーンも使わないのに、女性が現れると「お!」と言うリアクションをした。
「お前、来たのか」と言わんばかりである。
(こちらも言葉はしゃべれず、アーウーとしか言えない。)

こちらのご主人は、自分でご飯が食べれないので「父もやがてはこうなるのか」と今まで思っていたが、認識力では父よりずっとハッキリしているようである。

と言うことは、人によって老い方に個人差があるのだろうか。
そして分かる事は、父はここの中では控えめで欲がなく、ああだこうだ言わない、言われた事を素直に受け止めるタイプである。
(逆に言うと、同じボケていてもやたら意思がハッキリしすぎて介護に困る人もたくさんいる。)

これは本当に意外でもある。
父は現役時代、よくカッカ怒っていて、意思もはっきりしていて、よく言えば頼りある父親で、悪く言えば気が短い人だと思っていた。

でも気が短いと言うのは、父を怒らせる人間が身近にいたからで、それは自分だったのかもしれない。
「しれない」のではなくて、そうだったんだろう、たぶん。

もともと穏やかだった父を私が怒らせていたのだろう。
そして心配も山ほどさせたのだろう。

「悪かったな」とは思うけど、これ以上追求はせずさらりと流すよ。
今になると、よくあんな私を「出来損ない」とも言わずにいたものだ。
親として、とても愛情の深い人だったのか。

そしてまた父はグーと眠り、私は帰ることにした。

暴走カード

2012-08-23 | 今の会社
秀クンが日に焼けて真っ黒になっている。
「もう帰っていい?」と半ば本気のジョークを言う。

暑い。
もう8月も終わりだと言うのに、残暑が厳しすぎる。


今日は何年か前にお世話になった社長さんとMTさんがうちの会社に来た。
某プロジェクトで一緒に仕事をすることになったのだ。

私は懐かしくて、うれしかった。
みんなで一緒に仕事ができることが単純にうれしかった。

でも素直に喜んでいいのかためらった。
なので控えめに喜んだ。

昔の社長は入ってくるなり「きれいにしてるねぇ」と笑った。
社長に挨拶をしたがったので、社長室に案内しようとしたら、社長に「こっちじゃねぇ」と言う形相でにらまれた。

そのあと私は用事があって、会社を出てしまったので、挨拶もままならなかった。

辞める時は強引に会社を辞めた。

今、振り返ると私の人生で「やってしまった」のは、最初の旦那の時の家出と、この時の転職かもしれない。
なんでこんなことをしたのだろう。

でも、こう言う事に限って、後悔はなかったりする。
あまりに大胆すぎて、後悔のしようがないのだろうか。
たぶん悩むようなスキ(タイムラグ)があったら、最初からしていない。

共犯者。

ここまで考えて、二番目の夫の事を思い出す。
あの男も、あの時暴走スイッチが入ったのだろうか。
私はそれを思い、ドロドロヘドロの最中に「これを止めさせる事は彼にとっては不幸なことだし、もはや止められるはずが無い」と想像した。
ヤツにとっては一生に一度のカケだったのだ。

私には少なくてもそう言う暴走が思い当たるだけで2度あるのだが、普通の人は暴走しないものなのだろうか。
と言うことは、「どうしてもこれだけはさせてくれ!!」と言う切り札を出すことはないの?
それとも、それを理性でおしとどめるの?
そう言う発想が最初から無いの?


夕方、また社長に「乗っけてってくれよ」と言われて、おそるおそる「あの細い道ですか?」と尋ねると、「そうじゃなくていい」様子。

電話を掛けるのでナック5のボリュームを下げると、切った途端に何かをあちこち探し出し、お尻の下とか、足もとまで探し、2度も3度も同じ所を探しているので「何も落ちた音はしませんでしたよ」とでも言おうとしたら、スマートフォンのカバーが無いそうである。
諦めきれずに、これでもかと同じ所を何度も探しているので、何個でも買える金持ちでも探し物を探す時の気持は一緒なのかぁと不思議に思う。

「後で探しておきますね」と言って多少諦めたものの、まだ探している所で目的地に到着して、それじゃとドアを開けた瞬間にカバーがみつかって、めでたしめでたし。

いっときのプレゼント

2012-08-22 | 女だから思ったこと
今日の出来事。

横断歩道で歩行者が途切れたので左折しようと動きだした時、ものすごい勢いで自転車が飛び出してきたこと。
ブレーキ踏んで止まれてよかった。

そう言えば、もうじき車検だ。
この私が3年間、違反は2回あったけど事故にはつながらなかった。
まだ無事故。これはありがたい。

もしかしたら、そんな不運とほんの少しの注意力ミスで、取り返しのつかない事故になることもあるかもしれない。
そうしたらどんな気持でいるのだろう。

私は離婚もあった、子供がひきこもっていた時期もあった。
それから満たされる事のない恋もしてる。

そのことで悲しい思いも辛い思いもしてきた。
でも、そのことは私に何かを教えてくれた。
そのたびに強くなったし、少しは人の気持ちを考えるようになったのだろう。

離婚なんてお気の毒だけど「理由があってそうなった」と思っていただろう。
子供のひきこもりも、不倫も同じように思っていただろう。

自分がそうなっていなかったら、私みたいな人間は「そうならなかったのは自分の努力と実力。私ってどんなに立派だろうか。」と思っていた。
それを咎めるかのようにいろんな悲しみも辛い出来事も降ってきたけど、今はそれで良かったと思う。

この恋をする前に10年間、男の浮いた話が1つもなかった。
あの頃を今を比べて、どちらが良いか考えてみたけれど、均せば同じように思う。
悲しいこともあるけれど、支えになっているのかもしれない。
楽しいことも増えているかもしれない。
けれども無ければ無いで、その分他の事ができるし、自分がコントロールできない事で煩わされることが減る。

もしも本当におおっぴらに付き合える人が現れたらどんなに楽しいかと思うけれど、それは今の私だからであって、自分がその幸せさに見合うぐらい成長していなければ、(それは過去2度の離婚が示すように)楽しいばかりでは続かない。
反対に考えれば、自分がそれでも受け入れられる器を持てていれば、他の人だったら我慢できない状況でもニコニコ笑える。

自分だったらそれができる。


昨日は、kekeが友達と長電話していた。

あぁ、きっと楽しいんだろう。
元気なんだろう。
そんなことも今なら見ていられる。

もう隣の子と比べなくてもいい。
私が仕事がなくなったら共倒れするかもしれないし、その前に新しい何かが始まるかもしれない。

私に急に恋が降ってきたように。
kekeが突然バイトをみつけたように。
ある日突然降って来る。

それは、それまでの私に神様がくれたプレゼントなのではないかと思うのです。
レッスン終了のほんのいっときの休憩。

無敵

2012-08-20 | 日記
今日は朝から無駄口を叩く間もないほど、忙しかった。

でも自分の仕事ができないほど忙しいと言うことは、現場で需要がある証拠だし、何より今はクビにはならないだろう。
つまりは今月も給料がもらえると言うこと!
明日も、kekeとご飯が食べられるということだ。


私はここからクルクルいろんな事を連想してしまうので、このテンションでいつか60歳で定年退職になってから、ある日家に電話が掛かってきて、「sakeさんが居ないと大変なんだ。会社に戻ってきてもう少し働いてくれよ。」とかなんとか言われちゃって、「それじゃもう少し頑張ってみようかしら」と言う展開になり、それから2~3年ぐらい余計にお給料をもらえたら、どんなに楽しいだろうか、と想像してしまう。

それが私の小さい夢だよ。
そんな風になる確率は10%以下だと思うけどでもそんな事を考えてグフフと1人で楽しんでいるんだよ。

って、確率10%以下なのは小さい夢なのか、大それた夢なのか。

夢が小さいか大きいかは、どこで判断すればいいのだろう。
現実に起こりそうな確率が高いか低いかなのだろうか。
それが叶ったら、すごくうれしいかどうか、なのだろうか。

そんな風に考えながら、

・もう少し会社のPCが早く動いたらいいな。
・kekeも10万ぐらい稼げるようになるといいな。
・私も給料が少しは上がったらいいな。
・近くにあるピザ屋さんのピザを今度食べたいな。
・好きな人と手をつないで花火がみれたらいいだろうな。

とか、そういう「だったらいいな」は次々思い浮かぶけど、どれが大きい願いなのか小さい夢なのか、もう既に分からず、究極に考えたら叶うとも思わないけど、想像できるだけでもうれしいね。
だって、仕事や子供がいなかったら、願うこともできなかったから。


そう思うと、私の周りにはいろんな楽しい事が転がっているのだ。
私はそれを拾っては、キュキュッと磨いてみせる。
そうすると、キラキラした夢になるんだよ。

叶うかどうかなんて死ぬまで分からない。
でも、死ぬ前の日まで私は願うことができるし、死んだ後でどう思われようが知ったことじゃない。

今日のご飯がおいしくて、たぶん明日もこうしてご飯が食べられることを考えよう。
それから、今の職場は面と向って意地悪されることも、影でヒソヒソ言われることも無い。
この信頼。

私の人生、なかなか無敵じゃないか。


いつかは好きな人と会えなくなる日も、父に会えなくなる日も、妹や、kekeとも別れる日が来るかもしれない。
そんなことが、私を打ちのめすこともあるだろう。

でも、やっぱりそこには楽しいことも、小さな夢も転がっているだろう。
自分が生きているかぎり。

そして私はそれを拾っては、キュッキュッと磨く。
頭が働いているうちは続けられる。

そう思うと、無敵じゃないか。

それじゃヤリ逃げ

2012-08-19 | 友人
G子から今日はいつだったら話を聞いてもらっていいか、と言うメールが来たので、どうしたの?と答えると、「自分に自信がない」と言う。

えぇええ?と思ってその後の話を聞いてみると、「昨日M君に会った」と言い、正直に自分の気持を話した、と言う。
自分の好きなのはT男で、M君とは友達としか見ていないと言ったのだと言う。

「そしたら?」
「それでもいいから、このままでいたいみたい。」
とG子は言い、「手をにぎっているだけでいいんだって。」と言う。

「この前読んだ本にね」と私は言い、「女の子は放っておいても自然に育つんだって。でも男の子は女の人に褒めてもらえないと育たないんだって。小さい頃はお母さんだったり、大きくなると恋人やお嫁さん。M君は今、そうやって褒めてくれる人がほしいのかもしれないね。」と言うと、G子もそうかもしれないと言う。

その一方でG子は自分自身が分からない、と言う。
どうしてT男が好きなのだろう、それでいて会うとケンカしてイライラしているんだよ、と言う。

「どうしてケンカになるの?例えばその前に何か原因があるのでは。」

と言うと、G子は「ヤラせてくれないも原因になっている」と言う。
私はう~むと悩んで、私もそういう問題はよく分からないけれど、もう2年半も付き合っていて、2日に1度は会ってお茶や食事をしている距離でキス止まりと言うのは、世間一般的にどうなのだろうかなぁと言う。

まさか自分のブログで「それはありえないよ、sakeさん」とか「sakeさん、それだけは嘘でしょう」と言うご意見がぞくぞく寄せられていますよ、とは言えないので、「たぶん、私が他の友達何人かにG子の話をしたら、それは嘘でしょうと言われるような気がするよ。」と言った。

するとG子は「sakeちゃん!アイツは同時期に4人の女と付き合っていたんだよ!」と怒り、過去の女達と比べられ、奥さんと比べられ、それで結婚もできないなんて、それじゃヤリ逃げじゃないのよ!と怒る。

なんでここで私が怒られるんだ?と思いながら、「そうそう・・だからやらなくてもいいんだよ、やらなくてもね、でもね、世間一般ではどうかって話だよ。G子がしたくなければしなくていいけど、それで不満を持つT男の気持も仕方がないのかもしれないよ。」と言い、「それにそれって、T男じゃなくてもこの先必ず立ちはだかる壁なのでは。」と言った。


G子は「どうしてT男なんだろう」と言い、「T男とはポケットに入れてる手を出してまで握りたいと思うのに、M君はつないでても手を放してしまう」と言う。するとM君は「オレは嫌われているんだ」と言うと言う。
M君は恋愛感情はないけど、相談にはこれからも乗ってもらいたいと言い、「仕事や人間関係で的確な判断をくれるのはM君だけ」と言う。

それにはどうすればいいのか?と言うので、相談で判断してもらえればいいのなら、メールや電話の付き合いにすれば良いのでは?と私は言う。
M君は「自分がモノにしたいためにG子の相談に乗っているわけじゃない」と明確に言っているのだから、相談だけは乗ってもらえればいいのではないかと言い、これはこっちの方が強気に出れるから、それが不満と言われたら「これ以上の関係を求めるなら先に離婚してくれ」と言えばいいのではないかしら、と言う。

「M君は体の調子も悪いし、この年だからもう離婚するエネルギーがないって言うんだよ。」
「二人とも仕事してるんだし子供はいない、紙切れ一枚役所に出せばいいだけじゃん。できないなら奥さんと仲良くしてろよ。」

私はそろそろ病院に行かないとと言い、それじゃと電話を切った。

それでも誰かを好きになることは止められないんだよね、男も女も。