きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

あなたに夢中

2012-07-31 | 歌謡曲・カラオケ
子育ても恋愛も似ている。

相手も自分と同じように意思がある。
今までなんでそんな当たり前のことに気がつかなかったのだろう。

「あなたのためだから」とか、「好きだから」とか、そんな理由で何でも知っていたいと思って、知ったら分かったら、それは違うと怒る。
「○○すべきだ」とか、そんな正当性で相手を責める。

手を替え品を替えで、自分の思い通りになってほしかったんだ。


相手がどうあっても、私は私でシアワセでいられる。^^
私は私。

子供が普通に学校を出て就職して結婚していたら
たぶん、気がつかなかっただろう。
今のシアワセ。

普通に結婚して、普通に愛されていたら
たぶん、気がつかなかっただろう。
今のシアワセ。

私はもう、どこの場所でも生きていけそうな気がする。



「sakeはキャンディーズで何の歌が好き?」と母が尋ねた。
車の中ではキャンディーズが流れていた。
(だから中学の頃だ。)

「涙の季節だよ」と私は言うと、母はハハ~ンと言う感じで、お前は失恋したんだね、そういう時はそういう歌を好むものだよ、などと余計なことを言うので、「それじゃお母さんは何の歌が好きなの?」と尋ねると、迷いもせず「あなたに夢中」を歌いだした。

♪あなたが好き とっても好き 私はあなたのすべてにいつも夢中なの~♪

この歌は、最初から終わりまでこのテンションで、あなたがすきすきすきーと言う歌詞が続くだけの単純明快な曲なのである。
年頃の私は「何も考えてないや、この人は」とそれ以上母にツッこむことはなかった。

そんなことを思い出しつつ、あの歌はまるでヒマワリのようで、母らしい歌だなァなんて、今になると思い出す。
普通にお父さんとお母さんだと思っていたけれど、母は父がめちゃめちゃ好きで、めちゃめちゃ熱かったのだなぁと思い出す。

そしてとっても幸せだったと。


母は父が大好きだったけれど、詮索することがなかった。
あらゆる疑いがなかった。

あの歌詞の通りで、単純明快に父が好きだった。

「何もなかった」かどうかは厳密には分からない。
父はモテるタイプの男である。そしてなかなか気が利くところがあるし、末っ子だからやんちゃ坊主だ。

でも、父が大好きだった母は知ろうともしなかった。
知った所で、好きなことも一緒にいることも変えようがなかったし
戦前の人だから、どこかで一歩引くことを知っていたのだろう。

考えてみれば、両親は小遣い制ではなかった。
父が金を全部振り分けるので楽だと、母はよく言っていた。

あんなに熱くてキョウレツな個性を持った人だったけど、父を「支配」しようとしたことはなかったんだな。。。


こんな何十年も経ってから、そんなことに気付くなんて。

そして、あの日車の中で「あなたに夢中」を歌っていたのは、私ではなくて運転してる父に伝えたかったのではないだろうか。
今はそんな風に思う。

お金がないから

2012-07-29 | 私の倹約術
今日も暑い。。。

街中を歩いているとチラシを配る若者やおじさんがいる。
昔はゴミになるから面倒くさいと思っていたが、今はくれれば何でももらう。
ティッシュがついていれば恩の字だし、無くても紙ごみの日に捨てればいいや、と思う。
この暑い中、外に立っているだけでご苦労様です、と言う私の気持である。

ドラッグストアの前では私とタメぐらいのおばさんから渡された、小袋がついたチラシである。
「これはコエンザイムQのサプリです」と彼女は言う。

これを(小袋に入っている)3粒飲むと一日分のコエンザイムが取れるそうである。
フンフンとしばらく聞いて「それでは」と去ろうとすると、「私の話を熱心に聞いてくれたのでさらに3袋プレゼントします」と言われ、コエンザイムQ3日分のサプリをいただいた。

「うれしいな。(^o^)/」

私はいい気分になり、暑い中働き中の人の片っ端からティッシュやチラシをもらい続けていると、ある若者(♂)が忽然と私の前に現れた。

「お姉さんにちょっとお伺いしてもよろしいですか?」
若者がこんなオバサンに向って、タダで話をする訳が無い。
これは何かのワナであるとピン!ときたのであるが、この人もこの暑い中働き中のお人である。
さっきのコエンザイムのおばさんのように話を聞くだけでも喜んでもらえるかもしれない、と私は一寸立ち止まった。(しかし身体の方向は駅の方へ向っている。)

「そこの裏に○○と言うスポーツ店があるのをご存知ですか?」と言うので「知りません」と答えると、とにかくそれがあるらしく、「その店の2階でエステをしているのご存知ですか?」と言うので「知りません」と言う。

「お姉さんはエステに興味がありますか?」と言うので、「お金がないからしません。」と言い、駅に向って歩こうとすると、「アンケートに答えてほしい」と言うのである。

ものすごく怪しい予感の中、暑い中仕事をしている若者のアンケートだけなら・・と立ち止まると、「お姉さんはエステをしたことがありますか?」と言うので「ありません。」と答える。
すると若者は「それなのにお綺麗ですね」等とお世辞を交えつつ、「エステをしないのは何故ですか?」と言う。

sake「お金が無いからです。」
若者「またそんな冗談を。」
sake「冗談ではありません、ほんとです。」
若者「余り負担にならない料金だったらしてみたいですか?」
sake「うちは食べるのに精一杯ですから、そんな事はしたくありません。」

なんでアンケートなのにメモも筆記用具もないのだ?と思いつつ、「それでは」と立ち去ろうとすると、若者は「あぁ待ってください、最後の質問です。」と言うので、立ち止まると、

「フェイスケア、ダイエットサポート、脱毛、この3つのうちで、アナタがやりたいのはどれですか?」

と言うので、「お金がないからどれもやりませんけど、もしもやりたいとしたら脱毛ですかねぇ。夏に年中ワキ毛を剃るのが面倒くさいから。」と言って、ここで脱毛無料サービスが出てきたらどうやって断わろうか?!と身構えていると、若者はもう次のターゲットを探し始めたようである。

私は駅に向って、歩き始めた。

多摩湖のまわり

2012-07-28 | 日記
今日はkekeが出て行ってから、多摩湖の周りを走ることにした。

レンタカー時代に地図を見ながら1度来たことがある。
ちょうど3年前ぐらいである。

道が細くて30キロ道路だったのだが、私は30キロぐらいで走ったつもりだが、後ろがどんどん連なってくるし、後ろの車は「速く行け」とばかりに煽られ(若葉マークをつけていたのに!)道は狭いしカーブは多いし、バックミラーを見ると良心がとがめるしで(30キロ道路で30キロでちゃんと走っているのに!)「もうここはこの先一生来るまい」と誓った道路である。

しかし来てしまった。

大きな理由は無い。
ここはG子がM君と最初にデートした場所であり(別に関係ないけど)、距離加減がちょうどこれから父の病院に向うのにも手ごろだっただけである。

そして3年ぶりに走ってみたら、ちゃんと45キロぐらいで走れたし、多少後ろが詰まってきたような気がするものの、全然常識内に走れていたと思う。

おー、私もなかなかテクニシャンになったなァと自画自賛である。


と、思ったのも束の間、前の車に従って走っていたら、いつの間にか湖からどんどん離れていくような感覚に陥り、「なんかおかしい気がする」と第六感が働いたあたりで、信号の名前を見ると、見たことも聞いたことも無い信号なのである。

「また、いつもの方向音痴が始まってしもうた」と思い、そこらにあったマックに入ることにした。
そして朝マックのチキン何とかと言うのを頼んで、図々しく水も要求した。(水はタダなので100円だけ払う。)

地図を見ると、いつの間にか「所沢市」に入っていたようだ。
しかし、間も無く自分の居場所が分かり、また湖の方に戻ることができた。

3年前だったら、ちょっと予想外の道に入ったものなら、心臓バクバクだったけれど、3年たつと、自分の居場所もするに分かり、そこからまた次のルートを考えることができる。

明日はどこに行こうかな。^^


お友達に会うイエスタディ

2012-07-28 | 日記
昨日はお友達に会いました。
1年半ぶりですよ。

お友達というより、人生の先輩ですね。^^
恋愛も子育ても私の1歩・・いや2,3歩先を行く先輩です。


そして今日はどんな話が聞けるかと思ったら、「更年期」。

恐ろしい更年期のお話でした。

タバコを口に運ぶのも面倒くさくなる?

かと思うと、前の車にぶつけてやろうかと思うほどイライラする時がある?そうです。

「えぇ~~~」と私がうろたえると「個人差があるみたいだから」と笑っておられました。^^


このブログを読んでkekeのこともよくご存じで「子供の悩みはいつぐらいになったら終わるのでしょうか」と尋ねると、「子供の悩みはずっと続くけど、自分らの体が弱ってくると、そこまで気が回らなくなるんじゃないか」と言われてました。

今は子供のことで悩めるほどのパワーと元気があるのでしょう。


私はノロケ話をするということは、めったにないのですが、うかつにもノロけてしまいました。^^


そうなのです。

今週はほんとに忙しいのに私のために時間をあけてくれたのです。

今までだったら「忙しいからまた今度」でオシマイだったのに、1日だけ開いていた水曜日に会おうと言われて、それもダメになってしまうんですけど、「毎晩は体の方が心配だから今度でいいよ。」と言ったら、翌日抜け出して会えました。^^

時間はほんのちょっとだったのですが、とてもうれしかったので、ついノロけてしまいました。^^
(スミマセン)


北海道、そのうち行きますよ!^^/







経理の女(2)

2012-07-27 | 今の会社
約束の日に振り込まれないので電話すると、「漏れてました、明日の午前中に振り込みます」と言う話だったので、午後2時に確認したが、やはり入金がない。

約束は約束なので電話してみると、「経理担当は出掛けている」とのことである。

しばらくすると先方の社長さんの携帯から電話がきて、「今、現金を向かってそちらに向かっています。」と言うことであった。
今からでは振込が間に合わないから、車でこちらに向かっているそうだ。

本当は明日振り込んでくれれば良いのだが、そうは言えない。
そんな事を言っている間に、よそにお金を回されたら重大責任になる。

課長に「しつこく言いすぎましたかねぇ」と言うと、「それでいいんじゃないの?」と言う。


Aさんも「約束の日を過ぎてからそうしているか、その前にそうしているかの違い」と言う。
本当にその通りで、うちの会社は約束の日に必ず払うために、社長や営業さんが同じことをしているのだ。

前の会社の時は、そう言う事態(約束の日に払えない)になって、何社かには取引を断られた。
そのぐらいにしていないと、コケたりでもしたら大変なことになるからだ。


私は入金の報告書の隅っこに、いつ催促をしたか、そこでいつと言われ、それで入ったかどうか、またいつ催促したかなどをメモしておくことにした。
社長が気づくかどうか分からないけど、それもこれから取引するヒントになると思う。

経理の女

2012-07-26 | 今の会社
4月に請求を出してから、まったくお金が入ってこないお客さんがいて、先月からnanuさんには何回か報告していたんだけど、「月末まで様子を見てみよう」と言うことになった。

それでもウンでもスンでもなく、もちろんお金も入ることがないので、先月末から電話をたびたびすると、先方の社長さんから「振込の中から(ウッカリ)漏れていた、来週の火曜に振り込みます。」と電話が来たのが先々週の話。

もちろん、目を皿のようにしてその火曜に通帳記入に行くけど、やっぱり無い。
さっそく私は電話をする。
【※注意】私は怒り狂って理性を無くし、電話をするのではない。こう言う場合は即効電話をして、お金がほしいんですと言う気力を見せた方が、次に払われる確率が高いのを経験上知っているのだ。

しかしその後、先方の社長(兼経理担当)から折り返し電話が掛かることはなかった。

だが私はあきらめない。
かつての10年養育費戦争に比べたら、まだヒヨコの卵(本番はこれから)と言う状態なのである。

nanuさんには報告した。
「毎日電話してますけど、まったく折り返し掛かってきませんけど。」

するとnanuさんは
「そうやって電話してたら、そのうちオレの所に掛かってくるだろう。」
と他人事のような返事しかしないのであった。


AさんはAさんで、なかなかもらえない代金があって、この前1/3ぐらい振込があって、その後電話しているのだが、まったく梨のツブテであると言う。
留守電に入れても折り返し掛かってこない、きっと払うあてがないからだろう、だったら仕事を頼まなければいいのに、とプンプン怒っていたが、それでも毎日留守電を入れ続けていた。

それでも一向に掛かってこないので、ついにもう一度請求書を持ってお宅に向かいます、と留守電に入れたら、すぐに電話が掛かってきて、払うあてがあるから数日だけ待ってくれと言われたそうである。
そして、やっと半分回収できて、来月残りも払ってもらえることになったそうだ。


なので、私も毎日電話する。
とにかく意思を伝えるしかない。

それから逆の立場にいたこともあるので、こう言うアクションを起こした所から優先されると言うのも知っている。


そして電話をし続け、そのたびに先方の事務員さんが社長に伝えてくれているそうなのだが、私も怒らずに「事務の方が悪いのではないのは分かるのですが、私も上司に言われて困っている」と言った。

ついに昨日小切手をもらえることになった。
私は車を出して取りに行った。
そして、小切手を見ると、ちょっと自慢げなのである。^^v


それから25日は、もう1社、払う日なのに振り込まれてないお客がいた。
そこも、こう言うことが過去に何度かあったので、私がマークをしている客なのである。

私は残高で振り込まれてないのを確信すると、課長に電話をして「私の方から催促してみていいですか?」と言うと、「そうして。」と言うので、こちらも先方に電話すると、「調べて折り返し電話します」と言われ、しばらくすると「支払いが(ウッカリ)漏れてました。」と言われ、明日の午前中に振り込むそうである。
(「漏れてました」と言うのはこういう時の常套句なのだろうか。)

でも、言うだけ言ってみて良かった。
明日振り込んでくれるんだって。

さっそく明日も通帳を確認しなくては。

えっへん!!(^^)!
私もたまには仕事らしきことをしてるんだゾ、と。

電球を替える

2012-07-25 | 息子keke
台所の電球が切れてしまった。

これは回してはめる電球ではなくて、挿してはめ込む電球のよう。
買いおきはしてあったけれど、はめ方がよく分からない。

私はイスに乗っかって手を伸ばし、まずは外そうと試みるが、うまく外れずこのまま更に力を入れて良いものかどうか悩んだ。
こう言う時にテキトウに判断した結果、壊してしまったものがこの40ン年の人生で幾つあっただろう。私は変な時に限って馬鹿力が出るのである。

この様子を見てたkekeが「やってみる」と言う。
kekeも引っ張って電球を外そうとしたが、やはり外れず、さらに力を入れて抜いて良いものかどうか悩んでいた。

私は電球が入っていた箱を丹念に見ながら、「電話相談室にはめ方を教えてもらおう」と言い出した。
そしてフリーダイヤルに電話を掛けてみて、「御用の方は次の番号から用件を選んでください」と言うアナウンスに耳を傾けるが、kekeはあまり期待せず、手を伸ばしているようである。

そしてフリーダイヤルはと言うと、なかなかつながらず待たせてから更に該当する番号を選ばせたにも関わらず「ただいまの時間はやっておりません」だそうである。だったら最初からそう言え、とガチャンと電話を切ると、相変わらずkekeは電球を外そうと試みていて、どうにか外した。

「おー、引っ張ってよかったのか、すごいすごい」と私は喜び、それじゃこれをはめておくれ、と新しい電球を渡したが、ここからがまた試行錯誤。なかなかうまくはまらず、私は「代わりにやろうか」と何回も言うけれど、自分ができないものをsakeではできないと思ったのだろう、kekeはねばって電球に取り組み、15分ぐらい掛けて、やっとはまった。

そして台所は再び電気がつくようになった。

私は身の回りの事が常識知らずで、特に家周りのことが本当に苦手なのである。
電球一つ替えるのにもこのように毎回ビビる。
しかし、その割にはこの14年間、あまり人も頼らずやってこれたのは、手を広げず、こじんまりと過ごしてきたからだと思う。(例えば広いお庭があるような家だったら、草ぼうぼうでとんでもない状態になっていただろう。)

そう言えば母子家庭になってから、まもなく危機一髪になったことがある。
kekeが小学3年生ぐらいの時だろうか、アパートの天井の一角にでかいゴキブリがいた時である。
こちらも追いかけることもできず、ゴキもゴキなりに緊張していて、片隅に立ち止り続け、私とkekeは肩を寄せ合うようにそのゴキを2時間ガン見し続けたのである。(たまにゴキは天井の隅を四角に動き、そのたびに私とkekeはわっ!と言って、逆の方向に逃げたのだ。)

「もうこれはダメだ・・・どうにかしなくては」とこの時ばかりは「誰かにお願いしよう」と隣に住んでいる人の部屋にピンポンを鳴らして「ゴキブリが出てどうしても困ってます、ご主人に取っていただけませんか。」と頼んだが、「宅ではもう寝ています」とあっさり断られた。(時間は夜9時であった。)

そしてまたしばらくkekeとガン見状態が続いた中、ゴキが羽を広げてブ-ンと飛び始め、ギャアギャア騒いだ挙句、窓から出て行ってもらった・・と言うあの事件。
あれがこの14年間の中での危機一髪ベスト3には間違いなく入る事件である。
(隣の人にもお休み中申し訳なかったが、事情は察しがついたことだろう。)

でもあれが14年間のベスト3に入るぐらいだから、大きな危機はなかったとも言える。

そして、今回もハラハラドキドキしながらも、台所の電球は新しくなった。
自分ができないことをkekeがやってくれる・・・それは小さく新鮮な喜びでもあり、いつかは自分がやらなきゃなぁ、と言う反省でもあった。

ヒミツのお中元

2012-07-23 | 今の会社
月曜日、会社につくと、お中元が配分されて各自の机の横に置かれていた。
私はおそるおそる自分の席を覗くと「あ!ジュースとビールだ!\(^o^)/」と喜びにあふれていた。

何故なら私の所には、今まではビールともう1箱は余り物みたいなものが置かれていたからであった。
「あの社長からジュース配られたのなんて初めてー(^o^)丿」と再び喜んだ。

もちろんうちの会社はお中元も能力序列なので、私は他の人より1箱少ないのだが、ジュースはあと2箱しかなかったので、そのうちの1つが私の元に来るなんて思ってもいなかった。kekeもさぞかし喜ぶだろう。

そして、私は納戸みたいな所のドアをグイと開ける。
ここは土曜日までに届いたお中元が山のように積まれていた場所で、そして納戸の片隅を覗くと、何気に社長に見つからずに1箱静かにうずくまっていたお中元があった。

何故1箱うずくまっているかと言うと、次のような事情である。

私は先週、うんと暑い日に「みんなも外でお仕事、さぞかし暑いだろうから何か冷蔵庫で冷やしてあげましょう」と珍しく優しい気持になって、お中元を吟味していたのである。
そして、「UCCの缶コーヒーを開けてしまいましょう。(^o^)丿」と思って、ビリビリビリ!と包装紙を引きちぎり、フタをパカとあけると、中から出てきたのは、何故かレトルトのスープの詰め合わせであった。
(UCCと書いてある包装紙をもう一度よく見てみると、それはMCCと言うスープ会社の包装紙だったのである。)

えぇ~~(+o+)どうしよう、もう包装紙はすっかりはがれて、ただの箱になっているスープの詰め合わせを見て、私は途方に暮れた。
しかし、次の瞬間にナイスなアイデアが浮かんだのは、「どーせまた私の所に配られるのは変なモンだから、それとこのスープを交換しちゃお。(^o^)丿」と言う悪魔のささやきだったのである。
この箱はノシ紙も包装紙も破かれて、ただのそこらの箱にすぎなかったので、社長が素通りしてそのままそこに置かれていたのであった。。。

しかし、お中元はもう配られて無いハズ。このまま置いておくと誰かに見つかってしまう・・私は次に更衣室に隠すが、そこでも「万が一誰かが更衣室に入ったらみつかってしまう」と思い、次は誰も居ない間に車の中に入れるが、「こんな暑い日にこんな中に置いておいたら中身がおかしくなるかも」と思い、今度は車の下に隠した。

そして、夕方になり、ちゃっちゃと車の中にしまいこんで、ついでにもらったビールとジュースも積んで、アバヨーと帰宅するのであるが、運転しながら良心の呵責を感じたのは、今回初めてジュースが配られていたことである。
それも私は「どうーせこれは私の口には入らないものだから」と、ガンガン箱を開けて冷蔵庫に入れてしまっていて、たった2箱しか残っていなかったのに、それは私とZENさんの所に置かれていたのである。

「きっとひとり親家庭の子供のために置いてくれたのかもしれない」あぁ、あの人にも珍しく鬼の目は涙なのかもなぁ~・・と思った瞬間、私はUターンしたのである。
そして会社に戻ったのである。

会社にはnanuさんがまだ仕事をしているはずで、「何だお前?」と言われたら、別に本当の事を言えばいいやと思い、会社の駐車場に着くと、既に誰の車も無く、nanuさんは仕事がたまっているはずなのに、一人になるとこうしてサッサと帰ってしまうのね、と言うオチも感じながら、私はスープの箱を元の納戸に置いた。
そして、会社を後にした。

私は変な所に几帳面なので(ただ物に執着があるだけかもしれない)、毎年、何日にどこからなんのお中元が届いたかを記録してある。
それを見ると、まだこの後2~3個はビールが届く予定なのである。

なので、それらが届いてから、スープも合わせてみんなで分けるのもどうだろうか。
最近だまされたと思っていい事を考えているついでに、だまされたと思って、スープもみんなで分け合おう。
そしたら、またどこかから何か拾いものがあるかもしれない。

私は味にこだわりがないから、キューピー3分クッキングシリーズの「ミネストローネ」でも充分なんだっけ。(^o^)
あれだったら、100何十円で2人前食べられるからね。^^v

私の昔話

2012-07-22 | 日記
私は子供の頃からカレーが大好きで、外食は必ずカレーであった。

そしてひそかに「カレーノート」をつけていた。
外食をするたびに、そこのカレーの特徴を綴って、自分なりに評価もつけていた。

そんな私が好きだったカレーは、(ここで有名レストランの名前が出るとカッコいいのだけど、そうではなく)好きだったカレーは、家にお中元で時々届く「サンタ」と言うメーカーの缶詰のカレーであった。

「今日はサンタのカレーだよ~」と母が言うと、「わーい」と私は心から喜んだ。

そのカレーのどこがおいしかったのかは、30年40年経った今、もう記憶にない。
たぶん、そんなに特別なカレーではなかったのかもしれない。
しかし、母の作ったカレーよりも私の心をつかんでいた。

20代になり家を出てから、一人になるとレトルトカレーばかりを食べ続けた。

実家では母が作ったカレーか、ククレカレーの選択しかなかった。(いつしかサンタのカレーもお中元で来なくなった。)
家を出てからはレトルトは何でもありになり、私はこれでもかと言うぐらいレトルトカレーを食べた。

お気に入りは、カレーマルシェとディナーカレー。
それから当時は「黒カレー」「赤カレー」と言うレトルトも発売されていた。
それからグリコから出てた「LEE」×10倍辺りを買っていた。

そしてもう一つの楽しみは、酒である。
まだ酒慣れしておらず、カクテルが好きだったのだ。

当時、瓶にカクテルの濃いのが入っていて、それを炭酸や水で割って飲むような製品が売っていた。
(検索してみようとしたけれど、出てこなかった。)
いわゆる、カルピス版のカクテルである。

それをドン!と机の横に置き、たっぷり氷が入ったグラスに注ぎ、ちょっとだけ薄めて、グイグイ飲んでいた。
そのカクテルは何種類かあり、「ソルティドッグ」「ブルーハワイ」それからメロン味のカクテルがあった所までは記憶にある。
要するに、ディナーカレーとそのカクテルの薄めたやつを飲むのが、当時一番の至福の時間であった。
(それとドラクエⅢをやりながらね)

そのうち桃のカクテル(缶)が発売されて、そっちに行ってしまったような気がする。
山瀬まみが宣伝してた。
いつだか、スーパーで同じ絵柄をみつけて、懐かしくなったのは「ピーチツリーフィズ」でした。^^;
(検索して思い出した。)

友達が好きだったのは「わたせせいぞう」の漫画。


カレーの話を書くつもりだったのに、昔話になってしまった。
今日はこれで終わり。

ありふれた生活

2012-07-21 | 父の記録と母の思い出
今日もkekeがバイトに向った。

起きるのはギリギリで、いつも心配になった。
でも、ちゃんと起きて出かけたよ。

プリンターのそばには商品コードを印刷した紙が置いてあった。
バイトに必要なものなのだろうか。


今日は父の所にも行って来た。

昼飯時で、肉じゃがが乗っかったご飯をスプーンで食べていた。
私は食べることに集中して欲しいので、何も言わず、時々おかずをどんぶりの中に入れていき、父はそれをスプーンで寄せて食べていた。

サラダも食べ、味噌汁も飲み、デザートのすいかを食べた。
すいかはペロリと食べていた。
ゼリーや、すいか、のどごしの良いものは食べやすいのかもしれない。

食べ終わるとひざをさすっていた。
最近、あちこちよくさすっている。
今日も先週もひざだった、その前は胸をさすっていた。
チ○コをさすっている日もあった。
(止めるのも悪いような気がして、そのまま帰った。)
まるでそれも一つの仕事のようだった。


kekeも元気、父も元気。
みんな元気。

私を取りまく、ありふれた生活。