きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

せめて普通に

2011-04-30 | 息子keke
kekeはたまに夜中に電話をしている。
抜き足差し足忍び足で近づいて耳に神経を集中させると、「今日は部屋の模様替えをしたんですよ」と言う会話だった。

「部屋に入ってすぐPCがあると、ついそっちに行ってしまうんで、まず勉強道具を置いたんだ。」と言う会話である。

キミはそんな事より他にするべき事があるのでは?!と思うが、聞き耳を立ててる事自体がハンゴロシなので、何も言わずにそこを去る。

彼らの会話は、夜が明けるまで続く。。。。
(相手は誰だか知らない。「明日から一人暮らしの中学の友達がいる」と言っていたので中学の友達ではないようだ。)


今日はOM君のお母さんと数ヶ月前にオープンした大型スーパーに買い物に行く。
地震や原発の話題も一段落した所で、「keke君はどう?」と言うので、かくかくしかじか、全くこれからどうするのかサッパリ分かりません、と答える。

OM君のお母さんは「うちの子は経済部を受けなおしたいって言うのよ。」と言う。

「今の学部は大学院に行く子が多いんだって。就職もあまり無いみたいなの。」
「でも、受け直した所で、そこで就職につけると言う保障は無いし。」
「そうでしょ?」
「でも、まだ単位を普通に取ってるだけいいですよ。ごまかしごまかし、卒業するんじゃないですか、OM君は。」

まったくそれに比べてうちのは・・と私はため息をつく。

「kekeは早死にすると思うから年金なんて払わないって言うんですよ。これ以上生きてるのが疲れるとかそんな会話です。」
「あら!うちもよ。結婚もしないんだって。」
「え!kekeもですよ。自分のように不幸な子供を作りたくないからだって。」
「やぁだ~keke君は不幸じゃないわよ。」
「本人が父親も兄弟も居なくて不幸な子供と頑なに思っているからどうにもなりません。」

聞けば聞くほど、OM君とkekeの言動は似ているのである。
生きる事に希望がなく(このまま就職も苦労して、結婚にも(低賃金で家族を養うのは大変なので)夢がなく、早死にしてしまえばいいと思っているから年金も払う気がないが、親が見逃せず仕方なく手続きを取っているのである。

OM君の知っているお友達のお子さんはまた逆で、親が受験だから辞めろと言っても、影でこっそり友達の名前を借りてバイトをしていて、親が怒って辞めさせたと言う。

「でも、そう言うお子さんは、そのうち善悪の判断がつけば真っ当になりますよね。」
「私もそう思うの。でもねそのお友達は、もう外で何をしているか分からないくて心配で仕方ないんだって。」

私は「子育てで今ほど参った時期はないです。全くいつになったらこれが解決して安心できるのか。」と言う。
OMさんは「就職したらしたらで心配だと思う。」と言い、「そうですよね、この調子では勤めて3年ぐらいはハラハラしているでしょう。」と私は答えた。

私達は、たぶんこの調子では30代半ばぐらいにならないと、安心できないに違いない、と結論付けた。
そして、もう結婚まで行かなくてもいい、せめてまともに就職して、自立だけでもしてほしい、と祈った。
子供が大きくなって体は自由になったけど、精神的には逆に疲れるよね、と言って、昔が懐かしいと言った。

みんながみんなどうなのか分からない。
順調に育って、心も体も自由になった親御さんも居るのかもしれない。

kekeが30半ばと言う事は、私は還暦である。
私はその時までこうしてハラハラしているのだろうか。

しかし、私の両親も私を安心できたのは、そのぐらいの頃だろう。。。
これも順繰りなのか。。。。


家に帰ると、kekeはこれから出掛ける、と洗面所で髪を整えていた。
中学の時、仲の良かったAKI君が明日から離れて1人暮らしなので、その前にみんなで食事をする事になったのだと言う。

kekeが出て行ってから、それならと、ドライブに行く事にした。

OMさんからお礼のメールが届いた。
「これからみんなでAKI君と出かけるみたいだね。keke君が計画してくれたらしいよ。」と書いてあった。

バッグが宙を舞う

2011-04-28 | 息子keke
家に帰ると、kekeが居ない。

「いよいよバイトでも探しに行ったのか?」と思いながら台所に立つと、まもなくkekeが帰ってくる。
床屋に行ってきたのだ。

「お!いいじゃないか、なかなか^^」と言うと、「ワックスをつけられちゃったから、後で洗わないと。」と言っている。

ところでさ、と私は言い、朝っぱらからではどうかと思ったんだけど、バイトは一体どうなってるの?と言い、バイト雑誌を持ってきて、ほら、GWのバイトをまだ募集しているから申し込んだらどうだ?と言うと、kekeはがっくりして、固まってしまい「もう帰りたい。。」と言う。

「帰るって、ここが家じゃないか。そうだ、今のその髪で履歴書の写真を撮ってきなさい。ちょうどいい。」
kekeは放っておいてくれ、と言うので、放っておいたらいつになるか分からん、一体今月は何をしていたのか?このまま行くと半年経ってもこの状態じゃないか?と言う。

だいたいねぇ、休学届を出すまでに何週間掛かったんだ?と言うと、kekeは「それまで葛藤があったんだよ。」と言う。
「休学届を出してから、何日もあったのに、どうしてまだ1つもバイトに応募してないんだ?」

そんなやり取りをしているうちに、kekeが怒りだし、私のバッグは宙に舞った。


こうして、冷静に会話を分析すると、私にも非があったのだろうか。
しかし、バッグを放り投げるぐらいの気持があるなら、とっとと仕事でもみつけて家を出て行ってもらいたいものだ。
しかも、家に居るのに「帰りたい」とは失礼じゃないか。

・・・・と思うが、自分も反省しようと思う。
床屋に行く、と言うことは、kekeなりにこれから仕事を探そうと一歩前進したつもりだったのだろう。
それを頭ごなしに言われれば、腹も立つかもしれない。


しかし、行動が遅すぎる。
この年頃の男の子はみんなこうなのだろうか。
それともkekeだけがこうなのだろうか。

私は今日も悩む。

ツナと玉ねぎのとろけるチーズスパゲティ

2011-04-27 | ぶきっちょさんの家事一般
開封したままのピザ用チーズ、賞味期限がそろそろ気になってました。

開封前なら賞味期限が少々切れても平気だけど、開封後は放っておくと、忘れた頃にカビが生えてきます。
チルド室だと若干大丈夫なようですが、カビで捨てた経験が何回もあるので、早く使ってしまおうと思いました。



ツナと玉ねぎのとろけるチーズスパゲティ
<今日使った材料>

・ツナ 1/2缶
・玉ねぎ(薄くスライス)1/3個
・スパゲティ1/2人前
・調味料:コンソメ(顆粒)、塩コショウ、白ワイン、牛乳、ピザ用チーズ、黒コショウ(任意)

<おおざっぱな作り方>
フライパンでツナと玉ねぎを炒める。
   ↓
ゆでたスパゲティも一緒に入れる。
   ↓
顆粒コンソメ(小1かやや少なめ)と塩コショー少々を入れる。
   ↓
ワインと牛乳を大さじ1~2づつぐらい入れる。
   ↓
ピザ用チーズを多めに入れる。
   ↓
チーズがとけたら終わり。
好みで黒コショウを掛けましょう。


見た目はカルボナーラ風ですが、卵は使ってません。^^;

個人的に「コンソメ+白ワイン+牛乳」の組み合わせが大好きなので、とてもおいしく食べれました。^^

ホワイトソースで塩コショウの入れ過ぎはどうにもならなくなるので、私はいつも控えめです。
かと言って、味が薄いのも飽きるので、コンソメや黒コショウで味を起こしてます。
その方が失敗が無いと思います。^^;

材料もツナ缶と玉ねぎと調味料なので、雨で買い物が億劫な日に如何でしょうか。
(ワインは無くても大丈夫だと思います。)
kekeは乳製品が嫌いなので、残りのスパゲティ1/2人分と玉ねぎ、ピーマンで、ナポリタンにして他の惣菜とつけ合わせにしました。

枕カバーに再生

2011-04-27 | 私の倹約術
擦り切れて破れた布団カバーを枕カバーに縫い直しました。^^
アイロン掛けずにそのまま使ってます。


チャックも布団カバーのまま。四角に切って縫い直しただけ。
(中身は18年前に買ったパイプ枕です。)

途中で挫折しそうな手の込んだことは絶対にしません。
続きがいつになるか分からなくて、やらなきゃやらないで凹むから。

枕カバーは3枚作りました。まだ布は余ってます。
(四角のつもりが台形に近くなってます。)
GWは手提げかばんを作ってみるかもしれません。


社長は今日はゴルフで、明日からは別のソウに行ってしまうので、うれしいです。\(^^)/



きっといいこと

2011-04-26 | 息子keke
最近変わった事は、kekeが朝ちゃんと起きる事である。

今までは休みの日とそうでない日が明確だったから、休みの日はいつ起きようが放置していたし、そうでない日は学校に行くために起こしていた。
それで喧嘩も毎朝よくした。

でもそれは本当に必要だった事なのか?と今になると思う。

朝起こされて体は学校に向かっても、心は向かっていなかった。
それが現実に目の前に形となって現れたのである。

そして皮肉にも学校に行かずに済むようになってから、kekeは声を掛けると朝起きてくる。

「いったいこの先どうするのか?」「バイトは探しているのか?」
夜明けに目覚めると、そんな思いがあちこちから浮かび上がるが、一度そのままkekeの部屋に向かって目茶目茶になった事がある。
不安もこれからは(今までもそうでなければいけなかったのだが)1人でこらえるしかない。

出掛際、「家にこもってばかりいるんじゃないよ」と、また今日も余計なひと言を口にする。
「分かってるよ、もう」とkekeは言う。

本当は分かっていると思っても、また予防線を貼ってしまう。
それはkekeの問題ではなく、自分自身の問題だと思う。


ここでたびたび、私は過去に遡る事が多い。
あの曲がり角を逆に曲がれば良かったのか、と意味の無い事を考えている。

もう自分の事はどうでもよい、kekeの人生だけは失敗は許されなかった。。。
でも、それでもしくじってしまったのだ。

今となっては大学なんてどこでも良かったし、むしろ行かなくても良かった。
そして、私は自分の人生にお金をつぎ込んでくれた方が、kekeはうれしかった、と言う。

間違いだった。
私はkekeが幸せになるように、大学に進学できるように全てを掛けて来たけれど、それが大きな間違いだったと思う。
私の人生を、子供の将来とオーバーラップしている所が間違っていたのである。疑いもしなかった点は奢りだ。

けれども、こう言う過ちは、母親なら(ましてひとり親なら)ありがちな事にも思う。
隣に同じ状況のお母さんが居ても私は批判できない。
他に心の拠り所が無いからである。
支えあえる存在がある人には分かるまい。

今となっては無駄になった金より、過去5年のkekeの時間を申し訳なく思う。

しかし、嘆いてばかりいても何も変わらない。
やり直そうとしているkekeを、せめてこれから応援していこう。

何もできない所がもどかしいが。

新型のモコ

2011-04-25 | 車の練習
そんなモコももう1年半の点検だ。
走行距離は2万キロを超えた。

約束の時間1時間前にTELがあり、担当のニイちゃんから「半年点検で待っている間に自動車保険の無料チェックをするから保険証を持ってきてください」と言う。
正直ありがた迷惑(営業の香りがプンプンするから)だったが、こちらも何かとお世話になっているから、仕方なく用意する。

ショックだったのは、点検で前のタイヤが二つとも溝が3ミリになっているそうだ。
「替えた方がいいです」と言われ、値段もニイちゃんの言われるままに替える。
二つで1万5,000円だ。これが高いのか安いのかもさっぱり分からない。

タイヤ交換で更に時間が掛かるので、新しいモコを試乗しませんか?と言う。

もちろん、言われるままに乗ってみる。
新型モコは、今のより車内も広く感じられる。
今までのが丸型なら、今度は四角になった感じだ。

私はギヤの下にもペットボトルが置けるのを見て、「あ!これはうれしいですね」と言った。
いつもジャガリコみたいなお菓子を食べる時、それを運転席のペットボトルホルダーに入れて食べるので、飲み物を置く所が無くなってしまうのだ。

それから、新型モコの一番の売りはカーナビをつけなくても、タッチパネルになっていて、バックで駐車等をする時にバックモニターがつくのである。それから今の私のカーステレオには無いUSBをさす所がついていて、ウォークマンもこれで音が取れるそうである。

後はソファが汚れが目立たない柄。
走ると、今のモコよりハンドルもブレーキもアクセルも重い気がしたが、それはまだ新車だからだそうである。(今の私のモコの2万キロぐらいが一番走りやすいとニイちゃんは言う。)

ニイちゃんは新しいモコの広くなって四角くなった車内をほめるが、私は正直に「今のモコの丸くてぷっくりした所が気に行っているんです。。」と遠慮がちに言った。
一緒に乗っている人の事を考えれば、少しでも車内が広い方がうれしいかもしれないが、私のように1人乗りで中も広く感じない方が走りやすいと言う意見も必要だと思う。

試乗を終えると、まもなくニイちゃんは見積書を持ってきた。
今のモコを下取りに出したとしての新型モコの見積である。

お金の事を言われるのかと思ってか、残存が残るような5年リースの見積も一緒に持ってきたが、現金払いの倍ぐらいするので全く話にならん。
「1年半で買い替えるぐらいなら、最初から中古にしてます。」と一言で断る。

隣でも若い女性が同じようにモコの試乗をしたようで、「今のモコの方が丸くてかわいい」と営業さんに言っていた。^^;
やっぱりこれを買った人は、この形が好きなのだと思う。

しかし、1年半でもうタイヤ交換か。
この調子だとあとどのぐらい乗れるんだろう。

私はカーライフはこの1台限りつもりだった。今でもそのつもりだけど、車を生活から離すのは淋しい。
しかし、こんな事を続けていたら、干上がってしまう。。。。

こんなに乗りまわしたりせず、車を温存した方が良いのだろうか。
そもそも車は、何万キロまで乗れるものなのだろう?
(今のモコで10年ぐらいは乗りたかったのだが。)


モコは助手席のシートがパカッと開いて中に物が入れられる。
試乗した時にニイちゃんが「ここに化粧道具を入れている人が居て便利だそうですよ」と言う。
今まで一度も使った事がなかったが、私も何か入れておこう。

さっそく、CDをそこにたくさん入れた。
車が動くたびにCDが揺れてガタガタ音がする。
そこでタオルを詰めることにする。

そして、車内も目の届く所はCD数枚とミニタオルだけにした。
なんてオシャレな私のモコ♪!(^^)!

まだまだしばらく、これで楽しむぞ。

ドライブは愉快痛快

2011-04-24 | 車の練習
今日は5時半起きで、東京外環自動車道に挑戦。(初挑戦)

大泉ICから乗り上げて三郷JCで首都高に入る予定。
トイレに行きたくなったので新倉PAで休憩の予定が、和光北ICの出口と一緒と知らずに入れないまま進む。

美女木JCは通り過ぎたものの、次かと思い、川口ICで曲がり首都高方面に出てしまう。
間も無くPAが見つかり、ただちにトイレ。

偶然寄れた川口PA
お土産品も軽食も取れます。
ご当地QPが幾つかありました。^^;

予想外のコース変更で、頭の中メチャクチャのまま、レインボーブリッヂを目指し、いつもの辰巳PAでまた一休み。


遠くにスカイツリーも見えます。


地元に戻って、取り締まりで有名な道路を右車線で走っていると、後ろから早く行け!とばかりに、某メーカーの外車が迫ってきたので、「今でもプラス10キロ、これ以上スピード上げると危ないのになぁ・・・」と思いながら、よけようと左車線に入る機会をうかがっていると、待ちきれないのか、後ろの彼が左車線にいったん入って、縫うように私を追い越し走って行く。。。

あらら・・と思っていると、その先で本当にお巡りさんに呼び止められて、止まってた。
(地元ナンバーでなかったので、ここでいつもやっているのを知らなかったのだろう。。)


何事も無かったように脇を通り過ぎ、愉快痛快、奇奇怪怪の怪物君、ワオ♪。。。(^^)

車ライフ、面白いね。^^

どうしよう

2011-04-21 | 息子keke
またkekeとケンカ。

先の見えない状況と、自分だけ上がらない給料と、毎年上がる健康保険料とで、疲労してしまう。
こんな事なら車なんて買わなければ良かったのか。。。

給料は給料で、社長が会社の金でどんなものを買っているかを知っているので、ますますやりきれない。
まぁ今更分かったわけではないのだが。。。

しかし、一つ一つが自分で選んだことなので、もうそれも仕方ない。
失ったものも数あれど、得た(分かった)事もまたあるのである。

しかし、この状況は泣ける。
毎回毎回、いつも泣いているみたいだが、泣ける。

せめて、トンネルの終わりが見えていれば良かったのだが。

kekeは「それを自分のせいにしないでくれ」と言う。
昔はそんな知恵はなかった。
でも、正解だと思う。

私は泣く。
「だって(ほんとはだってもくそも無いのだが)、休学だって金が掛かるんだよ。それでその後どうなるのか分からないだろ?」
kekeは「それじゃ辞めるよ!」と言う。

私だってどうして良いのか分からない。

学校はたぶん戻らないだろう。

それだったら、辞めるしかないんじゃないのか。

辞めてしまえば、もう後が無い。

本当に大丈夫なんだろうか。


どうしよう。


全て自分のもの

2011-04-19 | 母子家庭だから思うこと
kekeに「昔、離婚して家も置いて、ここまで来たのは地震で家や家族を失くした子供達と同じなのかしら?」と尋ねてみると、「それは違うでしょう。」と言う。

「そう?」
「だって、おもちゃとか、机もあったし。」
「おもちゃは一緒に持ってきたものね。」

「私はどんなお母さんだったら良かったかな?」
「兄弟がほしかった。」
「そうねぇ、それはどうしても今からはもう無理だねぇ。当時もそんな余裕も無かったし。まぁイヤでも無理に結婚して子供を作ることもできたけど・・・それはちょっと耐えられないって言うか。」
「そうだね。」
「今からどうしたらいいお母さんになれるんだろう?」
と言うと、kekeは「幸せになってほしい」と言う。

「お母さんの幸せは、kekeが幸せになることだよ。できれば自立して。」


「買い物行ってこよう。フライとネギトロはどっちがいいかな。」
「どっちでも。」
「ご飯といで豚汁作っておいてよ」、と言って出て行った。

戻ってきてkekeがニンジンを切っている間に、大根を煮ながら、「ここだけの話だけど、どうしても辛かったら生きるのを止めてもいいよ。」と言った。

「だって、我慢して生きていろ、って私には言う権利が無いもの。そんなの、誰にも無いよ。」
「そうでしょ?」
「それも含めて、全て自分の人生なんだよ。」
「それじゃ・・」
「え!それはお母さんは悲しいよ、でも好きにしていいんだけどね。」

kekeはクロスのひび割れを見て、また広がった気がする、と言うので、「そうだね」と言った。

「でも、あれから雨が降ってないから、漏るかどうか分からないね。漏ったらどうしよう。」
「またその時考えればいいよ。」
「そうだね。その時また考えよう。」

二人で夕飯にした。

泣くんだったら

2011-04-18 | 母子家庭だから思うこと
被災地の子供達を見ている。

教科書が無い子供もいる。
友達と離れ離れになって別の地に行く子供。。。

そこで私はある事に気づく。
kekeもこんな小さい時に、一方的な力で友達と別れ、家を去り、新しい土地で暮らし始めたのだと。

それは【地震】では無くて【離婚】だったけれども。
教科書がどこかに流されてしまった訳ではないけれど。

kekeのお父さんは、基本的には手の届かない人になってしまった。。。

私は生活を立て直す事で精一杯だった。
自分もしんどかったので、kekeの気持を察する事はなかったと思う。
そんな事ができる精神的余裕はなかった。

自分が立つ事で精一杯だったのだ。
それ以上何かを考えようものなら、どうにもならないものに飲み込まれて叩きつけられていたと思う。


地震と離婚を同系列に並べる事は、許されない事かもしれない。
離婚は天災では無いからね。

でも子供からしたら?


あれから私は人の不幸も泣き声も鈍い響きがする。
一緒に画面を見ていると、kekeもそうなのでは?と思う。

あの当時はkekeと一緒にエーンエーン泣く訳には行かなかったし、必死で回さねばならなかったし
kekeもおそらく、そうだったのではないかと思う。
家族でありながら、弱音を吐く訳にはいかなかったのだ。

そこで離れたく無かろうが会いたかろうが、いろいろな事情でどうにもならない事がある、と悟っていったのだと思う。
そんな時に励ましも慰めも大して役に立たないって事を学んで行ったのだと思う。

誰かにエーンエーンって泣いたって、何も解決しないって言う事を学んだのだと思う。
(気の利いた優しい言葉を言う方だって、やがて疲れてくるって言う事を。)

もたれ掛ってからスッと後ずさりされるより、最初から何もそこに無い方が本人にとって最終的にありがたいって言うことも。

泣くとしたら、1人でだよね?