皮膚科に行って順番を待つと、父と息子の親子連れが来た。
息子の方は知的障害があるようで、ウーとかアーとか言いながらフラフラ歩いていて、お父さんが「ここに座るんだよ」と優しく言っていた。
座ってもウーとかアーとか、それなりの音量で言っていた。
kekeよりも大きい。
30近いぐらいかな。
お父さんがトイレに席を立ってしまい、息子の方は案の定ウーアーと言いながら歩き回ることになった。
私は正直こっちに来なければいいなぁ。。と思ったが、向ってくるのは私の方向であった。
(困ったなぁ・・何も無く素通りしてくれるといいんだけどなぁ。。)
と思って目線を合わせないようにドキドキしていると、彼は相変わらずウーアーと言いながらも、私の隣でUターンした。
そしてトイレから出てきたお父さんは、ここだよ、と優しく言いながら、息子を席に戻すのだった。。。
しかし、なんて優しいお父さんなのだろう。
あのマナザシと言い、あの声の掛け方と言い、素晴らしいお父さんだ。
そして、kekeに怒鳴り狂っていたついこの前までの自分と比べると、雲泥の差に恥かしくなるのであった。
誰だって好き好んで障害を持つわけでもなく、そう言う子供を望んでいたわけでもない。
でも、そうなって、それを心から受け入れる。
そして優しくなれると言うことは、なんてすごいことなんだろう。
それでも今、kekeの将来を思うと、お先真っ暗だ。
このまま行けば、生保でももらわない限り、生きてはゆけまい。
でも、傍から見れば「働けない」とはみなされない。
働けるくせに働かないで生保で生きていくヤツ、だ。
でもさすがに自分の息子がそうなるかと思うと、それをズルイとは思えなくなる。
嫌な言葉かもしれないが、それがイヤなら公に死んでもらうしかないのである。
そして、たぶん、kekeはそうなったら、それを拒否しないだろう。
公に確実に楽に死ねる方法があったら、苦悩を抱えて生きていくよりそっちを選ぶ。
働くのと生きていくのはセットだってことは分かってるから。
それを周りが死んではいけない、それだけはいけない、と言うから、しょうがないから生きていく。しょうがなくて生きてるから、金をおくれとなる。
彼らには彼らの主張があるのではないか。
と、自信はないけど思ってみる。
本当に生きていくのが大切なら、働けない人を働ける人でフォローしなくてはならないし、生保のあり方の方がそんなに大きな問題なのであれば、生きて(=働いて)いけない人はこの世から去ってもらうしかない。
そのはざまにズルイ人が本当にいるとしたら、それは隣近所が見つけてそれなりの処置を取ってもらうとか、そうできないようにする毅然さも必要かもしれない。(その結果、やはりその人が生きていけなくても仕方が無いと言う事だ。)
今はそれがごっちゃになってて、人の命は大切だし、働けるのに働かない人は許せないし、でも毅然としてると、本当に死んじゃった人が出て大騒ぎになっている。
その中の何を大切にするか、何を犠牲にするかを決めないと、この問題は永遠に解決することはないのではなかろうか。
そうやって思うと、いろいろ文句はあるけど、働く場があって稼げることはありがたいことなのかもしれない。
やけどの治療は終わった。
あとが残らない様に日焼け止めや、クリームを処方してもらった。
目立たなくなるまで(1ヶ月ぐらい塗ればいいそうだ。)
これからはゆっくり風呂に入れる。それもうれしい。^^
息子の方は知的障害があるようで、ウーとかアーとか言いながらフラフラ歩いていて、お父さんが「ここに座るんだよ」と優しく言っていた。
座ってもウーとかアーとか、それなりの音量で言っていた。
kekeよりも大きい。
30近いぐらいかな。
お父さんがトイレに席を立ってしまい、息子の方は案の定ウーアーと言いながら歩き回ることになった。
私は正直こっちに来なければいいなぁ。。と思ったが、向ってくるのは私の方向であった。
(困ったなぁ・・何も無く素通りしてくれるといいんだけどなぁ。。)
と思って目線を合わせないようにドキドキしていると、彼は相変わらずウーアーと言いながらも、私の隣でUターンした。
そしてトイレから出てきたお父さんは、ここだよ、と優しく言いながら、息子を席に戻すのだった。。。
しかし、なんて優しいお父さんなのだろう。
あのマナザシと言い、あの声の掛け方と言い、素晴らしいお父さんだ。
そして、kekeに怒鳴り狂っていたついこの前までの自分と比べると、雲泥の差に恥かしくなるのであった。
誰だって好き好んで障害を持つわけでもなく、そう言う子供を望んでいたわけでもない。
でも、そうなって、それを心から受け入れる。
そして優しくなれると言うことは、なんてすごいことなんだろう。
それでも今、kekeの将来を思うと、お先真っ暗だ。
このまま行けば、生保でももらわない限り、生きてはゆけまい。
でも、傍から見れば「働けない」とはみなされない。
働けるくせに働かないで生保で生きていくヤツ、だ。
でもさすがに自分の息子がそうなるかと思うと、それをズルイとは思えなくなる。
嫌な言葉かもしれないが、それがイヤなら公に死んでもらうしかないのである。
そして、たぶん、kekeはそうなったら、それを拒否しないだろう。
公に確実に楽に死ねる方法があったら、苦悩を抱えて生きていくよりそっちを選ぶ。
働くのと生きていくのはセットだってことは分かってるから。
それを周りが死んではいけない、それだけはいけない、と言うから、しょうがないから生きていく。しょうがなくて生きてるから、金をおくれとなる。
彼らには彼らの主張があるのではないか。
と、自信はないけど思ってみる。
本当に生きていくのが大切なら、働けない人を働ける人でフォローしなくてはならないし、生保のあり方の方がそんなに大きな問題なのであれば、生きて(=働いて)いけない人はこの世から去ってもらうしかない。
そのはざまにズルイ人が本当にいるとしたら、それは隣近所が見つけてそれなりの処置を取ってもらうとか、そうできないようにする毅然さも必要かもしれない。(その結果、やはりその人が生きていけなくても仕方が無いと言う事だ。)
今はそれがごっちゃになってて、人の命は大切だし、働けるのに働かない人は許せないし、でも毅然としてると、本当に死んじゃった人が出て大騒ぎになっている。
その中の何を大切にするか、何を犠牲にするかを決めないと、この問題は永遠に解決することはないのではなかろうか。
そうやって思うと、いろいろ文句はあるけど、働く場があって稼げることはありがたいことなのかもしれない。
やけどの治療は終わった。
あとが残らない様に日焼け止めや、クリームを処方してもらった。
目立たなくなるまで(1ヶ月ぐらい塗ればいいそうだ。)
これからはゆっくり風呂に入れる。それもうれしい。^^