きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

父の面会(気がかり編)

2009-08-31 | 父の記録と母の思い出
さて、私は昨日も父の面会に行った。
行ったらば、ソファーに父と仲の良いおばあさんが寄り添って座っていた。

そしてまた1時間以上話をした。
やはりそのおばあさんも認知症だな、とはっきり判った。
この前と話の内容がほとんど同じだし、よく聞いているとやはり繰り返しているのだ。
チャキチャキ動くので、第一印象ではそうは見えないが。

相変わらず父を歌の先生と呼び、歌を教わっていると言う。
それから最近は父の面倒をよくみているらしい。
父はよく鼻水が出やすくティッシュをほしがるが、他のテーブルで食事をしている時も父の事が心配で、遠いテーブルからわざわざティッシュを持って行くのよ、と言う。
それから寝る前も心配で部屋まで「お休み」と言いに行くのだそうである。

大正生まれの彼女からすると父は年の離れた弟のような存在のように見えるのかな。

そして、「さっきこの人が【昔、女をだました歌】と言うのを歌ってたから、ひざをはたいたの」と言った。
なるほど、父も調子づくと変な自慢を始めるから、あながちウソではないだろうと思うのだが、女をだました歌がたまに「Hなことをした」みたいな言動になることが数回あり、あっちも認知症ならこっちも認知症なので、いつもいつも一緒に居ることで変なトラブルにならなければよいが・・・、と案じた。

妹に相談してみると、大広間でみんなの目の届く所でしていることだから、そんなおかしな事にはならないよ、と言う。

いつかの飲み屋の女友達ように金目当てで愛嬌売っているわけじゃないし。」
「少なくても、あのおばあさんは好意を持ってくれているのは事実なんだけど。。。」
「おじいちゃんも嫌がっているわけじゃないでしょ?」
「それはそうなんだ、かまってもらえるのは好きだからね。表情も前より明るくなった気がする。」

妹には介護施設で働いている友人が居て、その友達によると「その人が過去にすごくこだわっていた部分が認知症になると表に表れる」そうである。
例えば、食べ物にこだわる人は朝から晩まで食べ物に執着する。
カバンとサイフを持ち続けて帰りたい帰りたいと、年中行っているおばあさんとか。

「でも、うちのおじいちゃんって、そう言うのないでしょ。」
「ないよね。」
「それって、今まで満たされていたって事なのかなぁって。」
「そうかもしれないね。」

実際に認知症の人を大勢見ていると、幼稚園児のように本能そのままで動いているような印象を受ける。そして、自分達の父はあまりそれがない。大人しく言われるがままチョコンと座っている感じである。

さぁ私はどんな風になるだろう。

こだわりはあちこち、満たされていないものもあちこちあるので、金に食事に男にいろんな事にこだわり、すがったままボケて行くのだろうか。

これこそ、考えた所でどうにもならないので、今日はそろそろ寝よう。

鳩山さんの論文

2009-08-31 | 巷の話題
●鳩山代表に欧米から反発噴出

昨日の今日でこう言うニュースを見ると、本当に心配になる。

今までブログにこんなことは書かなかったのだが、少しでも多くの人にどうして自分がこう言う気持になっているのかを知ってほしいから。

自民党びいきでも、右によっているつもりもない。
民主党のいい所はいい所で、理解したいと思っている。


衆議院選2009

2009-08-31 | 巷の話題
民主党政権になったと言う。

お酒で失敗した北海道の中川さんが敗退の弁で「暮らしや生活(のレベル)ではない。(日本の)国(国民)が心配」と言うようなことを言っていた。

朝のニュースではオバマさんは一応政権交代を前向きに捉えていると言う話だが、これから本当にアメリカとの関係がうまくいくのか、(日本をよくは思っていない所の)中国、韓国の思うつぼにならないか、それから民主党には北朝鮮との関わりも指摘されている。
この心配が現実問題にならない事を願っている。
(今回のマニュフェストでは、そこらの内容はカットされたと言う噂であるが。)

その一方で、自民党は今までに奢りがあったのも事実だろう。
この4年間で私自身も倒産の憂き目にあったし、給料は良くなるどころか下がっている。(職を転々としているから当然だが)
景気がよくなったと言われても、ちっとも実感することなく、良くなったのは上部だけではないかと国民の大半が思っていながら、自分達の党内のゴタゴタに目が行っていたような感が無きにしも非ず。
(特に最後の選挙前のバラバラ加減は、倒産前夜の前の会社を彷彿させるものがあった。)
それで勝てるわけはない。

とは言っても、現実に移民を大量に受け入れているカルフォニア州は破産寸前、フランスは雇用の関係が崩れて、若年層の暴動も起きていると言う話も聞く。
日本がその二の舞にならない事を祈る。

民主党と自民党の大きな違いは対外政策だと言う話も聞く。
TVや新聞で報道されていなかったのだから、仕方がない。
(私もネットで知ったのだが、それが真実かどうかは分からない。そのぐらい今のマスコミの力のなさを思う。)

いずれにせよ政権は変わった。

今日のクラクション

2009-08-30 | 車の練習
そのいつまで続くか分からない車練習だが、今日は「第三京浜」に乗ってみた。
天気が悪かったので、ギリギリまで悩んだが、完走できたことを書いておこう。

今日は地元の2車線→1車線になる所でブーを鳴らされる。
先に行ってから車線がなくなってしまうのに気づき、入れてもらおうとチカチカしたら、ブー。
ズルして横に入ろうとした訳じゃないのだが、そう誤解されたのか?
あれが鳴らすほどのことだったのだろうか。

そうかと思うと、今度は前の車が右折したもんで、つられて道路に出てしまったら、その後直進する車やバイクやらで、危うく横っ腹ぶつけらるかと思った事もある。
あれこそクラクション「ブォ~ン」と鳴らされてもおかしくない場面だったが、どうにかよけてもらいお陰で無事に帰って来れた。
二車線道路は「右→」が出るまで右折はしない方が懸命だと悟る。

私はクラクションはまだ一度も鳴らしたことがない。(※1)
クラクションを鳴らす場面と言うのを正確に把握してないのである。

今日のあの2車線→1車線のブーだったら、一昨日の2番や3番は間違いなくブーと鳴らして良い場面ではないだろうかと思うのだが。

でも、たった一回のブーで目をつけられて、煽られたりするのがイヤなので、車でモーモー言いながら、走るのみである。

今まではブーブー鳴らされるたびに「すみませんすみません」と言いながら走っていた。が、最近、これこそ失礼なのでは?と思う車(もあるのだが)、そう言うのに限って人に向ってはブーブー鳴らしているのではなかろうか。
つまりクラクションも鳴らしたもん勝ちではないか、と。
(私の場合は、気がつかなくて(又は技術的にうまくできなくて)結果的に失礼になってしまっているのだ。威張ることではないけれども、ちょっと彼らとは種類が違うと思いたい。)

それに気づいて、最近時々ストレスが溜まる。
これも慣れた証拠だろうか。

しかし、ここまでの無事故無違反は奇跡だと思い、これからもさらに安全運転を目指したい。

(※1)意識的にクラクションを鳴らしたことはないが、駐車時にうっかり手が触れてしまって、鳴ってしまったことが過去に2回ある。
あれ、後ろの人は驚いたかな?どうしていいか分からなかったのだが。

今週のドライブ(with OM君のお母さん)

2009-08-29 | 車の練習
OM君のお母さんをドライブに誘った。

私は先日「青山通り~飯田橋~新宿」コースを初めて突破した日にこの感激を1人でも多くの知人に知らせたいと思い、OM君のお母さんにメールを送った。

「今日は青山通りや新宿を通りました!OM君の大学の横も通りました。今度ぜひドライブしましょう。もうしばらく都内を練習します。(^^ゞ」

するとOM君のお母さんから返事が来て、夏休みにぜひ出かけましょうということになった。
それが今日である。。

しかし、この後にいろいろな事件が起きる。

1.信号のない交差点で右折のタイミングがつかめない。しかも急勾配の坂の途中である。
今だ!と思ってブレーキを離したら、車が後ろにズルッと下がってしまう。
顔面蒼白、慌ててブレーキを踏み、固まってしまった私に、後ろの車がプー!とクラクションを鳴らす。
「もう!\></そんなすぐ後ろに止まるからぶつかっちゃうじゃんか!!!」と言って、OM君のお母さんをギョッとさせる。

2.インターの出口で高速から降りてきた車2台に前に割り込まれ、今度こそ行こうと思ったら、3台目の奈良ナンバーの車がやたら近づいてきて怖くて止まると、サッと前に割り込まれる。(渋滞中)
ここでも「もう~\></」
「2台も譲ったのに、ヒドイ車だよね」とOMさんにフォローされる。(その後チカチカも、してもらえず)

3.また右折の失敗。
右折しようにも車が絶え間なく進み、出ることができない。
しかも赤のあとの右矢印がない交差点である。黄色になったと思ったが、直進車のオヤジが片手を上げて笑みを浮かべながら通り過ぎていく。その後信号は赤に。
出ようとしたが、左右の車が既に発進してしまって交差点で立ち往生。
「もう!!\></」

※言い訳がましいが、上記3点はいずれも運転テクニックが向上され、心に余裕ができれば違うのではなかろうか。。。と信じたい。それともハンドルを持つと性格が変わってしまうのだろうか。


私は最後ガソリンスタンドからレンタカー屋に向う前にOM君のお母さんに「今日は何度も怖い思いをさせてスミマセンでした。。。」と言う。
「そんなことないよ!いつも冷静に対処しててすごいと思ったよ。」
と言ってはくれたが、とても冷静とはほど遠い運転であった。

他にもセルフのスタンドで車が蛇口に寄せられないとか、道を間違えて方向を切り返すのに一苦労とか、お尻から車を出すのに、3度切り替えてやっとの思いとか、今までは「旅の恥はかき捨て」と思ってスルーしてた事が全てにおいて恥ずかしいでございました。

よく考えてみると、今まで日曜の朝~午後イチの練習だったので、こう言う車との絡みを経験してこなかった。駐車も、駐車しやすい広いコンビニしか停めて来なかった。
道こそは覚えているが、技術的にはほとんど進歩がないようである。

例えば、妹の助手席でこんな心配をかけたことが、一度としてあっただろうか。


私の車から青葉マークが消える日はくるのかな。
毎日乗らないとムリかしら。。。


私も黄色で直進してしまい、右折車に気がついて譲ると言う行為がなかなかできないのだが、早く心に余裕を持って、そうできるようになりたい。
(3のオヤジのようにはなるまい、と心に誓う)

上をむいて歩こう

2009-08-27 | 父の記録と母の思い出
父の病院で今日は「お歌の会」と言うのがあるらしかった。

どこでやっているのか尋ねてみると、「お父様はいつものホールにいますよ。」と言う話である。
お歌の会も全員が参加するわけではないようだ。

父の居るホールでは、そこらを右往左往する老人や、ボンヤリ口をあけたまま上を見ている老人、看護士さんに食べさせてもらっているほとんど寝たきりのような老人など、いつもの風景である。
その中でやたら怒っているじいさんがいる。
この人はいつもあちこち歩き回っているだけのじいさんなのだが、今日はなぜか怒って叫んでいる。
よぉ分からん。

父は連れられてトイレに行っているらしい。
やってくると「sakeだよ」と言ってみた。
「おぉ」と言う。

今日は眠い眠いと言い、話はイマイチ盛り上がらない。
kekeの年とか、学校とか、いつものように話を繰り返す。

と思ったら、あのおばあさんがよその所からやってきた。
父を「歌の神様」「歌の先生」と呼んでいるおばあさんである。

「今日はいろんな歌の歌詞プリントをもらった」と言う。
お歌の会から戻ってきたようだ。

「この歌、大好きなんですよ。【上を向いて歩こう】」
と言うと、父はジュークボックスのように♪上を向いて歩こぉぉぉ♪と歌いだす。

「ほら!やっぱり歌の神様は何も見なくても歌えるんだから!」と言い、また二人で歌いだす。

 ♪幸せは雲の上に
 ♪幸せは空の上に

次のプリントは「東京音頭」である。
大きな字で縦書きで歌詞が書かれている。

また父は♪スチャチャカチャンチャン、と言い出して
♪踊る踊るなぁか、チョイト東京音頭、ヨイヨイ♪と歌いだす。

「この紙、教科書みたい!」とおばあさんは喜んでいる。
大正生まれの彼女は、小学校は2年しか行ってないと言う。
漢字はあまり読めないけれど、この紙を見ると歌詞が分かるからここの漢字は読めます、と言う。

それは本当に幸せなことだ、と言う。

「歌はいいですよ。悲しい時も歌を歌えば元気になりますから。」
「ほんとうに歌はいいですね。」
と二人は言う。

ラジカセから音楽が流れてくる。
また二人は音楽に合わせて歌う。
♪花も嵐も踏み越えて~♪と言う歌である。

私はこの歌は知らん。

「待てばくるくる愛染カツラ」の「愛染カツラとは何ですか?」と尋ねると、「愛染カツラは愛染カツラよ?」と言う返事が返ってくる。
かつらの一種かと思いきや、どうやら映画のタイトルらしい。

地下街の暗い酒場のようなレトロ感。
レコードって言うか、蓄音機と言う感じ。
でも、昭和の香りにそそられる。

昔はセロハンみたいな色のレコードが本や雑誌のオマケみたいな感じでよくついてきていた。
あれはあれで、なかなかよかった(^^♪


私の中のバブル

2009-08-27 | 父の記録と母の思い出
今日からは短いけど、夏休みだ!(^o^)丿

天気は晴れてる。
いいぞいいぞ。

こんな晴れた平日に、今日は何をしてもいい。

寝っ転がってもいいし、カラオケもいいし、ビールを飲んでもカップラーメンでもいい。
図書館で本を借りてもいい。

こんなに晴れてて、サラサラしてて、暑苦しくもない。
こんな日は1年を通じてそんなに多くない。



昨日子連れの北澤を見た。

アイツは最近変わった。
もっとフラフラしているかと思ってたが、息子を得てから、やたらたくましくなっていった。

この前「ウルトラマンフィスティバルに行った」と言う話をしてた。

「行った行った!!私の頃はサンシャインシティだったの!もう15年以上前だけど!」
「今でもサンシャインシティっすよ。」
「そうなの!あれは男の子はうれしいよね。ウルトラマンと握手できるのよね。」
「すごい混んでましたよ。」
「私ね、何とかレンジャーだと1年でキャラクターが替わっちゃうから、なるべくウルトラマングッズを子供に買ってたの。」
「あははは。」

kekeがうんと小さい頃を思い出した。
もうすっかり忘れた昔のことなのに、どこかであの温もりがよみがえるのだ。
経験してない事だったら、こうはならない。
身体のどこかが覚えている。

私の生きてきた証。

でも、もううらやましいとか、戻りたいとか、思わない。
終わってしまったことだ。
私が次に進むのは、これからの自分。

アイツもこれから、まぁいろいろあるだろう。
私があれから15年でいろんな事を背負ってきたように、いろんな事を見るだろう。
そして、今の私と話が合うようになるだろう。


次に私は自分が大学生の頃を思い出す。

両親とパチンコやら寿司屋だの、カラオケスナックだのによく連れてってもらった。
私がノコノコついていっただけで、要するに親は毎日好き勝手に楽しく暮らしていたのだ。
時代はこれからバブルの頃だった。

あの頃も、それなりに悩んだり凹んだりしていたけど、楽しかった。
両親は元気だったし、何よりも二人は毎日楽しく暮らしてた。

「いつまでも親が元気でいるわけじゃないんだよ」
そんな事を母が言っていたような気がしたが、まだその意味が分からなかった頃だ。

いつまでも元気で居るわけじゃない。
だから、今を思いっきり楽しんでいた。
今なら、たぶん分かる。

今の私は、あの頃の両親の時代だ。
金がないから限界はあるが、好き勝手に毎日生きて、家のコトは適当に手を抜いて、子供はいるから、まださほど淋しくはない。
考えてみれば、これほどラクチンなことはない。

私の時代の一つのバブルだと思う。

私は自分に与えられたことを最大限に生かしたい。
この人生には大きな欠けている物もあるのだろうが、連れ合いもいない、親の介護も要らない。
これを最大限、利用させてもらおう。

私は次に行く。

1人で子育ては我ながら大変だったと思うけど、ごほうびに神様がこれからの自由をプレゼントしてくれたんだよね!


さえぎるものは、何もない。
この空のようにどこまでも、どこまでも自由なのだ。

一期一会

2009-08-25 | 今の会社
社長に言われて、金をおろしに行った。

番号札を取る。次の順番だ。
ここは主婦雑誌とか地域雑誌なんかがいろいろ置いてあって、順番待つのが楽しみでしょうがないのだが、利用客もそんなに多くないので、あまり待つことは無い。

地域雑誌をパラパラ読んでいると「いつもお世話になっています。」と挨拶するものが居る。
ここの支店長である。
うちの会社は資金繰りが良くて嬉しい客(しかも時々借りてくれる)なのと、社長が怖いので何となく私にも挨拶してしまうのだろうか・・と勝手に想像する。

現金を受け取ると、窓口のお姉さんが「実は私達、来月で転勤なんです。」と言う。

「え!お二人共ですか?」
「そうなんです。」
「よく担当の男の人は定期的に代わるけど、窓口の人もそうだとは知りませんでした。」
「そうなんですよ。」

私はこう見えて、銀行の窓口のお姉さんには覚えられやすいキャラなのだ。
雨の日の全身黒ガッパを店の片隅で脱ぎ脱ぎしながら通帳を取り出す様とか、現金(大金)をおろした時のカバンに詰め込んで決死の覚悟で帰る様とか、そう言う様子がウケるらしい。

窓口の彼女は「今までありがとうございました」と挨拶しながら、隣の窓口のお姉さん(と言っても私とタメぐらい)を指差して、「彼女が最後にどうしてもsakeさんに訊きたい事があるそうで、いいですか?」と言う。

私に最後に訊きたいこと?!

この場に及んで一体何が知りたいのか、まぁ何でもドンと来い!と思って、「どーぞどーぞ、何でも遠慮なく訊いてください。」と言って、彼女の次の言葉を待った。

「いつも気になっていたのですが、sakeさんの髪のアップはどうやっているんですか?」

 ・・ズルッ。

「あぁ!これはですねぇ、すごく簡単なんですよ!髪を束ねてクルクルねじり上げて、てっぺんで大きめの櫛みたいなピンでグサッと刺します。こう。(指差す)」
「私、不器用でなかなか同じようにはできないんです。」
「そうそう!私もそうなんですよ!普通のアップはできないんです。これなら大丈夫!クルクルねじって、てっぺんに近い所でこう!水平にグサッと刺すだけ。このピンは駅前の○○○で300円でした。」

と言うと、窓口の二人は笑った。
私も笑った。
最後の別れでそこまで言うならば、ここで実際にやってあげようかと思ったが、他の客や店員の目もあることなので止めた。

入社して、彼女達と出会って1年半になる。
月に2~3回しか会ってないけど、どこか通じる心と心。

 特別に今度会いましょうって間柄ではないから
 よけいに一期一会

またいつかどこかで、会うことがあるのだろうか。


そして、これから私を待っていること
人も景色も、道もすべてが、たった今だけのことなのだ。

車の練習も父の面会も、いつまで続くかは分からない。

内輪のハガキ

2009-08-24 | 今の会社
nanuさんに「早く このハガキを出さないと終わっちゃいますよ。」と言った。

「Bossにもそう言われたんだよな~sakeさん出した?」
「妹と義理弟と父に出しました。」
「それだけ?」
「だって友達居ないですもん。」

だけどね、と私は言って、
「社長が張り切っている今度の演説会を業者さんに紹介してるんですよ。断られた方も居ますが。」
「何だって?」
「今回はよそを応援するから行けない、って。」
「誰?」
「MSS(仮名)さん。」
「他に言い方あるだろ・・頭わりぃな。」
「私、ふと思ったんですが。・・・これは宗教の勧誘や、マルチ商法と同じだと思われているのではないでしょうか?」
「オレもそれが気になるんだなぁ。」
「え~・・でも、ちょっと違いますよねぇ?」
「外部の人間から見たら同じだろ。」
「え~・・私は社長だけハガキが少なかったり、集会に人が集まらないとメンツ丸つぶれになると思って手伝ってるんですけどねー。ここに入れろとも言ってないし。むやみやたらと勧誘する類と一緒にされたくないんですけど。」
「外から見たヤツには代わらないだろな。」
「とにかく、ハガキは書いてください。」
「分かってるけどよぉ。・・」
「そうだ!Aさんとか、(前に同じ会社だった)YKさんにハガキを書きましょう。それならこのニュアンスが伝わるはずです。」

そう言うと、nanuさんは「じゃ、書いてよ」とハガキをポイポイ渡すので、Aさん、YKさん、北澤の住所氏名をサラサラと書いた。
「オレはお袋とオヤジの名前を書こう」と言って、nanuさんもハガキを書いた。

「身内だけですか?」
「お前もそうだろ。」
「しかも私は電話して妹にコレコレこう言うハガキが来るけどいい?って断りました。それから個人情報も流れちゃうけどいい?って。」
「そんなの言えるのは身内だけだからな。余ったハガキは書類の山ん中に埋めておこう。」

こうして私とnanuさんはごくごく親しい身近にハガキを送ることにした。

社長も「ハガキ、印刷、切手で幾ら掛かるのよ?それで全国で何人いるんだっけ?」とボヤいていたが、本当にこれらは幾ら掛かるのだろう?

そして、それだけ掛ける意味があるのだろうか。(謎)

今週の車窓から(大黒ふ頭)

2009-08-23 | 車の練習
今日はここです。↓(^^ゞ


大黒海づり公園。(地図は上にずらさないと海づり公園が出てきません。失礼しました。)

大黒ふ頭の先っちょです。


岩場で釣りをしているお父さんが多い。

8時についたけど、駐車場も大半は車で埋まっていて、釣り桟橋は制限をしていたようです。
(釣りではなく公園だけと言ったら入れてもらえました。)
駐車代は3時間250円だったかな?



その後は横浜を回ります。



交通規制で山下公園前は通れません。
こう言うアクシデントに弱い私は、信号のたびに地図を見ていたら、警備員のおじさんが「ここは県庁前だよ」と教えてくれました。


窓から見た、みなとみらい!!


保土ヶ谷橋の交差点。
左に行くと鎌倉街道につきあたります。
右は東海道。

ここから今日は保土ヶ谷バイパスに挑戦しました。
狩場インターから16号の保土ヶ谷バイパスで上川井ICまで。

本人は高速の練習のつもり。
80キロ制限の道路は初体験です。
この区間は高速料金が掛からないので(高速とは言えないのかな?)高速の練習にはなかなか良いと思います。

信号待ちが無くて景色が撮れないのが残念です。

どうにかやっと乗ってきましたが、終点辺りで事故があったようです。
つぶれてしまった車を見ました。
他人事ではなく、怖いです。

この区間はこれからも何回か練習して慣れておきたいです。


追い越し車線に居ると煽られると噂で聞いていたので、なるべく左へ左へ移りました。
一生懸命運転してきましたが、どうだったでしょうかねぇ?

車から降りると、やっぱりホッとします。
それでも、毎週乗っている自分が未だによく分かりません。

いつでも止めれるけど、もうちょっと頑張ってみます。