さて、私は昨日も父の面会に行った。
行ったらば、ソファーに父と仲の良いおばあさんが寄り添って座っていた。
そしてまた1時間以上話をした。
やはりそのおばあさんも認知症だな、とはっきり判った。
この前と話の内容がほとんど同じだし、よく聞いているとやはり繰り返しているのだ。
チャキチャキ動くので、第一印象ではそうは見えないが。
相変わらず父を歌の先生と呼び、歌を教わっていると言う。
それから最近は父の面倒をよくみているらしい。
父はよく鼻水が出やすくティッシュをほしがるが、他のテーブルで食事をしている時も父の事が心配で、遠いテーブルからわざわざティッシュを持って行くのよ、と言う。
それから寝る前も心配で部屋まで「お休み」と言いに行くのだそうである。
大正生まれの彼女からすると父は年の離れた弟のような存在のように見えるのかな。
そして、「さっきこの人が【昔、女をだました歌】と言うのを歌ってたから、ひざをはたいたの」と言った。
なるほど、父も調子づくと変な自慢を始めるから、あながちウソではないだろうと思うのだが、女をだました歌がたまに「Hなことをした」みたいな言動になることが数回あり、あっちも認知症ならこっちも認知症なので、いつもいつも一緒に居ることで変なトラブルにならなければよいが・・・、と案じた。
妹に相談してみると、大広間でみんなの目の届く所でしていることだから、そんなおかしな事にはならないよ、と言う。
「いつかの飲み屋の女友達ように金目当てで愛嬌売っているわけじゃないし。」
「少なくても、あのおばあさんは好意を持ってくれているのは事実なんだけど。。。」
「おじいちゃんも嫌がっているわけじゃないでしょ?」
「それはそうなんだ、かまってもらえるのは好きだからね。表情も前より明るくなった気がする。」
妹には介護施設で働いている友人が居て、その友達によると「その人が過去にすごくこだわっていた部分が認知症になると表に表れる」そうである。
例えば、食べ物にこだわる人は朝から晩まで食べ物に執着する。
カバンとサイフを持ち続けて帰りたい帰りたいと、年中行っているおばあさんとか。
「でも、うちのおじいちゃんって、そう言うのないでしょ。」
「ないよね。」
「それって、今まで満たされていたって事なのかなぁって。」
「そうかもしれないね。」
実際に認知症の人を大勢見ていると、幼稚園児のように本能そのままで動いているような印象を受ける。そして、自分達の父はあまりそれがない。大人しく言われるがままチョコンと座っている感じである。
さぁ私はどんな風になるだろう。
こだわりはあちこち、満たされていないものもあちこちあるので、金に食事に男にいろんな事にこだわり、すがったままボケて行くのだろうか。
これこそ、考えた所でどうにもならないので、今日はそろそろ寝よう。
行ったらば、ソファーに父と仲の良いおばあさんが寄り添って座っていた。
そしてまた1時間以上話をした。
やはりそのおばあさんも認知症だな、とはっきり判った。
この前と話の内容がほとんど同じだし、よく聞いているとやはり繰り返しているのだ。
チャキチャキ動くので、第一印象ではそうは見えないが。
相変わらず父を歌の先生と呼び、歌を教わっていると言う。
それから最近は父の面倒をよくみているらしい。
父はよく鼻水が出やすくティッシュをほしがるが、他のテーブルで食事をしている時も父の事が心配で、遠いテーブルからわざわざティッシュを持って行くのよ、と言う。
それから寝る前も心配で部屋まで「お休み」と言いに行くのだそうである。
大正生まれの彼女からすると父は年の離れた弟のような存在のように見えるのかな。
そして、「さっきこの人が【昔、女をだました歌】と言うのを歌ってたから、ひざをはたいたの」と言った。
なるほど、父も調子づくと変な自慢を始めるから、あながちウソではないだろうと思うのだが、女をだました歌がたまに「Hなことをした」みたいな言動になることが数回あり、あっちも認知症ならこっちも認知症なので、いつもいつも一緒に居ることで変なトラブルにならなければよいが・・・、と案じた。
妹に相談してみると、大広間でみんなの目の届く所でしていることだから、そんなおかしな事にはならないよ、と言う。
「いつかの飲み屋の女友達ように金目当てで愛嬌売っているわけじゃないし。」
「少なくても、あのおばあさんは好意を持ってくれているのは事実なんだけど。。。」
「おじいちゃんも嫌がっているわけじゃないでしょ?」
「それはそうなんだ、かまってもらえるのは好きだからね。表情も前より明るくなった気がする。」
妹には介護施設で働いている友人が居て、その友達によると「その人が過去にすごくこだわっていた部分が認知症になると表に表れる」そうである。
例えば、食べ物にこだわる人は朝から晩まで食べ物に執着する。
カバンとサイフを持ち続けて帰りたい帰りたいと、年中行っているおばあさんとか。
「でも、うちのおじいちゃんって、そう言うのないでしょ。」
「ないよね。」
「それって、今まで満たされていたって事なのかなぁって。」
「そうかもしれないね。」
実際に認知症の人を大勢見ていると、幼稚園児のように本能そのままで動いているような印象を受ける。そして、自分達の父はあまりそれがない。大人しく言われるがままチョコンと座っている感じである。
さぁ私はどんな風になるだろう。
こだわりはあちこち、満たされていないものもあちこちあるので、金に食事に男にいろんな事にこだわり、すがったままボケて行くのだろうか。
これこそ、考えた所でどうにもならないので、今日はそろそろ寝よう。