きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

頑張れ教

2024-05-09 | 女だから思ったこと


ハンバーグ弁当。
コロッケの中身までは作りましたが、衣を着けて揚げる所までは行き着きませんでした。自分は残ったカレーのお弁当です。

さて、またマドモアゼル・愛さんが数日前に興味深い話をされていました。

人は誰でも幸せを願い、今が変わらないことを望むけれど、「変化」するのは当たり前。
執着を捨てて、変化を受け入れるようになれた時に本当の喜びが見出せるのだとか。

なるほど~~~~^^

というのも、今までの私は執着のカタマリで(古くからお越しの方はご存知でしょう)、「これだけは叶ってほしい願い」とか、「息子にはこうなってほしいという欲望」やらが渦巻いていたのです。(-_-;)そうか・・・(息子によかれ)と思って念じていた思いも、その他数限りない欲望も、執着であり、それにはまればはまるほど、幸せから遠のくというのは、本当にその通りですね。

今、最高に幸せな人も、とてももがき悩んでいる人も、必ず「変化」は訪れる。・・・そう思うと、誰を羨ましいと思うのでしょう。誰を妬みたくなるのでしょう。
そこに現れる大きな塊が「努力」という言葉。
「私はこんなに努力しているのに幸せになれない」とか、「あいつは怠けているから」と見下げる物の見方。
こんなに頑張っているということは、相対的に他人をどうしてもバカにしている傾向があるんですよね。
周りに感謝するとか、神様に感謝するという優しい気持ちと違う雰囲気を感じるのです。

私がこうしてペラペラ書くことも、次元が低いというか、わざわざ人に言うことかい?とツッコんでいる自分もいるのですが・・・今、また私はひざが痛くなってきて、日常生活には支障はないのですが、年をとって体のコントロールがきかなくなると、考えますよね。
どんなに気をつけていてもダメなことはあるし、特に肉体は年齢と共に衰えていくのを認めざるを得ません。

今まで「もっと頑張らなければ!」と自分にも人にも厳しかった気持ちも、「頑張ってもダメなことがある」と思うようになり、そうすると少し優しい目で周りを見るようになりますね。気がつけば私の周りにいる人も、年と共にだんだんそうなってきているのかもしれません。

このブログで過去にさんざボヤいてきた「今日はこんなことを言われて悔しい」とか、そんなことも今にして思えば「なぁんだ、言ってる方がアホなだけ」だったのです。再婚しないのかとか、息子はまだ働かないのかとか、凝り固まった価値観で人の人生に勝手に踏み込んで平気で文句を言うだけの人たち。悪意はないのですが、浅はかだったのです。

私は私で、もしも離婚することもなく、お金にも苦労せず、子供もすくすく優等生で育ったら、すごく天狗になってて今の境地には到底いたらなかったと思うのです。私の身近でもお子さんのことで苦労している方もいますが、(自分と一緒にしては本当は申し訳ないけれど)それがなかったら、間違いなくその彼は天狗になっていたと思うのです。なぜならそれまでの言動がそうだったから。。。
それが原因かどうかわかりませんが、その方はだんだん周りの人にも優しくなって、私のこともあまり言わなくなりました。人生のつまづきの全てがその人に原因がある訳ではない、どうにもならないことがやっぱりあると悟ったからだと思うのです。

もちろん人生に何もつまづきもなく、それでも優越感を持たずに謙虚な友人も何人もいます。
結局、子供の頃から「競争」させられ、頑張ることを求められ、それに素直にしたがって自分を消耗してきた人ほど、優劣で人を見るようになり、頑張ることだけで自分をすり減らせて生きているように思います。それは良く回る時は良いですが、必ずどこかでブーメランで自分に返って来てしまうようにも思うのです。

それに気がついた時、他人を見る目が変わりました。
頑張るという価値観で人を優劣で考えている人は(自分も完全にそれから離れている訳ではありませんが)、話しているとすぐに分かるのです。自分が同じものを持っているから。

そういう価値観から、幸せみたいなものは生まれにくい。。。。頑張って何かを得なければと言うのを今の世界は賞賛するけれど、本当の安寧の地?みたいなものは、常に何かを求めることではなく、今あるものを受け入れることなのではなかろうか。。。。

お金がいっぱいある人が常に常に物を買いたがる人も「頑張れ教」だと思うのです。常に常に今の自分に満足できない・・・必ずしもそれを「悪」とは言いませんが、それで買い満たされた満足感はちょっとするとまた消えてなくなってしまう。(本人がそれでいいならいいですが)

私が今毎週、観光地に足を運んでいるのも「頑張れ教」じゃないのかなと思うことがあります。楽しいならいいけれど、求め続けることから安寧の地?にはつかないだろうとも。これらはただの承認欲求にすぎないことも薄々気がついています。
(それを言っちゃ何もできなくなりますが)

そして頑張るという気持ちはどうしても執着につながるんだよね。


「頑張れ教」を否定する訳ではないけれど、優劣感は控えめにしたい、気持ちだけは周りに優しくいたいと思うのでした。

昨晩はシュウマイを作りました。この冷凍があるとお弁当も楽になります。煮物はお弁当に入れるときは緑を入れようと思います。
(いつも忘れますが)


下着は黒に限る

2024-03-29 | 女だから思ったこと


昨日の晩ご飯はミートソースです。
合びき、玉ねぎ、ニンジンのみじん切り、ピーマンのみじん切りなどを炒めて、市販のトマトソース(パスタ用)を入れて適当に塩コショウ、コンソメ等で味付け、それでも「ん??」って感じだったので、ケチャップも入れてみました。

昔からあまりあれこれ言わない息子ですが、1度小学生の時に「給食のミートソースと同じのが食べたい」と言われたことがありました。今だったら「それならば!!」と思ったかもしれません。でも、当時は今以上に料理ができなかったし、市販のルーを使わずにミートソースを作るなんて想像もできませんでした。でも確か給食のレシピが学校からのお手紙のどこかに書いてあったように記憶します。それはどんなレシピだったのだろう・・・と今になって思い出します。
(でも何となくそんな雰囲気で作ってみました。^^;)


ちなみにお酒はこちら・・・・昨年の夏にクリームソーダを作ろうと思って買ってみたものです。その時に飲みすぎてしまったので、この味がちょっと苦手になっています。


今日のお弁当はプルコギ弁当です。これだとkekeも野菜を食べるので1週間に1度は作っているように思います。


今日の晩ご飯。kekeはテイクアウトで夕飯を買ってきていたので、自分だけです。賞味期限が過ぎてしまった豚肉とゆでたばかりのブロッコリーを焼肉のタレで炒めました。ミートソースは昨日の残り物です。

今日は明け方、外の暴雨で目が覚めたような感じです。窓もゆれて、外の風の音がすごくて、怖いぐらいでした。朝の通勤時間帯も雨がひどかったし。。。(こんな1日になったら、旅行中写真も撮れないし、どうやって過ごそう)などと、また不安の雲がモクモク湧いてくるのでした。(-_-;)

家に帰って、kekeと顔を合わせたので(会話が生まれるほど顔を合わせないことが多いのです)、「かくかくしかじか、夜行バスに乗れるか心配、ホテルで話し相手もいないし1人で過ごすのが心配」と言うと、

「夜行バスに乗りそびれるかも」→翌朝新幹線で行けば?
「ホテルで1人で淋しいかも」→家でも話し相手がいなくて1人なのでは?
「朝昼晩×3日も外でご飯を食べるなんてどのぐらいお金を使うのだろう」→朝食を抜けば2/3なのでは?
と、次々に言い、「たら・れば~たら・れば~」と言いながら行ってしまった。。。

アヤツは親をバカにしとるんか!

それからSDカードも1枚予備に買っておこうか・・・と思いましたが、古いカメラを開けてみたらSDカードがあったので、これを予備に持っていくことにしました。いつも1/3も撮っていないので、3枚あれば足りなくはないと思うのです。そして、説明用に撮るような写真はSサイズで撮る事にしました。そうすれば少しは容量も押さえられるかなと思います。(うっかり全部の写真をSサイズで撮ってしまいそうだけど・・・)

昨日は帰りに予備の下着を買おうと寄ってみたら・・・もう下着が半袖ばかり。まだ寒いのにどうしてもう半袖?服ももうすっかり春ファッションなんですね。半袖のシャツは何枚家にあるか数えてこなかったのでまた出直すことにしました。

最近、下着も黒に限るなァと思います。何故なら破れても黒糸でかがれば目立たないからです。たまに透けてしまうようなブラウスの時は、肌色の下着の方が目立たなくていいので1枚だけそういうのを揃えておいて、後はスパッツも下着も黒でいいですね。汚れ(汗じみ)も目立たないし。最近次々に長袖下着の袖口が破れてしまって、そこを縫って目立たないようにしました。こうして縫ってもまた他の所が破れてしまうのですが、それでもあとワンシーズンぐらいは持つと思います。

そうだ、靴下は用意しておかないと。気になるのが羽織ものです。温かめのカーディガンで行くつもりですが。。。そうすれば暑くなったら脱いでリュックにしまってしまうことができます。コートだと脱いでもリュックに入れられないから。

明日も明後日も天気が良さそうで、ここで桜も開きそうですね。^^


頑張るということ

2024-03-23 | 女だから思ったこと

昨日は後半は疲れて書きそびれてしまいました。

マドモアゼル・愛さんが時々、今の教育はおかしいという話をしているのです。何がおかしいかというと、純粋に生まれて子供を大人たちが一定の枠にはめ込んで価値観を植え付けているのではないか、というのです。

確かにそうだなぁと思うんですよ。子供は生まれた時は純粋で、いつもニコニコしたり泣いたりするだけなのに、大人が「もっと勉強しなきゃ」とか、偏差値や点数にこだわったりして、どんどん優劣を意識させていくんですよね。そういう価値観を植えつけていることで、「こんな自分じゃいけないんだ」と、頑張っても頑張っても「もっとやらなきゃ」って思い込んでしまったり。
そういう気持ちが人生の楽しみを半分ぐらい無くしていることに気がついたのです。

「この人といても何かくつろげないなぁ」と思うことがあって、それは「一生懸命頑張っている」人だったりします。そういう方と一緒に話していると「今の自分じゃいけないんだ」「もっと頑張らなきゃいけないんだ」とついつい感じてしまうのです。そういうオーラってありますよね。それを感じ取ると、しんどくなってしまうのです。

頑張るということは、「評価」にもつながっていて、よい評価をいただくことはうれしいことだけど、それにこだわってしまうと、また次も頑張らざるを得なくなってしまう・・・・前にどこかの本で「子供の成績や点数がいいことをほめては良くない」と言うのを読んだような気がするけれど、結局「成績が良い」ことをほめるということは、「成績が良くなければ愛されない」というメッセージにつながるそうなんです。(親は条件付けではなく、子供の存在そのものを愛することが大切だそうなんです。)

難しいですよね、子育てって。
私自身もずいぶん失敗して、ずいぶん遠回りをしてきました。でも、その結果が今の息子でいてくれているのだから、結果的にはこれで良かったのだけど、私自身の子供に対する指導は最低ランクでした。

でもそれがなかったら、今もまだあの固定概念の塊を抱えて生きていたのかもしれません。

「頑張る」ことに疑問を持ち始めたのは他にも理由があって、頑張っている人は結構愚痴や悪口が多いのです。もちろんニコニコして人知れず黙って努力をしている人も大勢いるとは思いますが・・・愚痴が出る人が多いのはたぶんしんどいからだと思うのです。人と競り合って比較して頑張って上を目指すことは心が休まらない・・・・だから愚痴や羨みが出るのではないのでしょうか。

事実、私も「頑張っていた」頃は、愚痴や人の悪口が多かった。他人と競り合って生きているとそうなるのだと思います。それが評価につながっている時は良いのですが、そうでない時はしんどくなる。。。評価がいいことが正しいということは、評価されないことを快くは思えない・・・。しかも競争相手は無限にいる訳で・・・・それは羨みや妬みのような気持ちにすらなることもあり、もうそういう考え方自体が疲れてしまうんです。

最近「おひとり様」が流行っているのも、もうそういう比較や頑張ることに疲れている人が増えたこともあるのかなぁと思っています。空や花や鳥は何も言いません。そもそも頑張らなきゃいけないと思っていますのは、昔のアニメが努力して栄光をつかむ系のものが多かったのもあるのかも。
たしかに努力してオリンピックやプロ野球の道を進む方々は素晴らしいと思いますが・・・・それでも命の重さは同じというか、彼らが100点満点で自分がゼロ点ではないと思っているのです。

本当の評価は数字ごときで表せないのでは?。。。とも思うのです。


今日のお昼。買ってきたパンと、かぼちゃで作ってパイプキンスープに、イチゴ(値段が同じなので大きいほうを買ったけれど、甘くておいしかった!!)


怒られ慣れ

2024-02-26 | 女だから思ったこと


今日はスマホで撮るだけで精一杯だった写真。月曜日のハンバーグ確率高し。
自分の方はご飯が少ないから、冷凍してあるパンか、昨日作ったプリンを持って行くつもりが、すっかり忘れてしまった。最近はひらめきをその場で処理しないと、次の瞬間にはもう忘れてしまうんだよね。

今日は朝から会社さんから言われて修正した書類の間違いが原因でいろんな作業が中断してしまい、社長がよその会社の社長さんに怒って電話をしていた。

そんなことを1時間以上やっていて、(やっとこのまま進めていいことになって良かった)とS君に連絡したりしていたのだが・・・ここに来てその朝から始まったゴタゴタの原因が、なんと!!実は自分が作った書類が原因だったことが判明してしまった。最初にそれに気づいていればこんなことにならなかったのに、誤解が誤解を生み、社外の何も悪くない方にまで波及していたのだ。。。。

自分だけがその事実に気が付いた時(ドヒャー\(◎o◎)/!)と思い、このまま黙ってシラバっくれようかと言うのも頭をかすめたが、(言うことで、かえってまた揉めないかな)と思いつつ、本当のことを話して、その後はいろんな人に謝るor報告することになったけれど、全てが白日の下にさらされ、落ち着いて良かったです。

その時は例え怒られても、正直に言ってしまった方がその後は楽かも。特に私は生まれながら怒られ慣れしているので、自分が悪くて怒られることは、それほど堪えないと言うか、まして自分が悪いなら仕方ないと思える。そして最近になると、シュンとしている自分をもう一人の自分が客観的に見ていて(実はこの人半分演技で本当はたいして堪えていないんだよね)と囁いたりして、ほくそ笑んでいる自分がいたりする。

怒られ慣れしているのは、両親が年がら年中私を怒って説教していたからだと思うけれど、私はそういうスポンジみたいな役目が得意だった。何か言っても平気そうに見えるみたいで、ピアノの先生も妹には怒れないけれど、sakeちゃんは怒れると言っていた。

そんなスポンジみたいな自分が嫌いで、嫌で、本当に生きていくのが嫌だった。かと言ってどうしたら妹みたいに怒られなくて済むのかと言う分析もしなかったし(そういうことをするのが卑怯な気がしていた)、自分が嫌いだったから、もっともっと怒られてしまえばいいと思って、怒られることで安定していたような気がする。
自分が怒られていれば、家族一家が平和になっているような気もした。

そんな自分の怒られ慣れだけど、ここに来てそれも悪い事ばっかりじゃなかったな、と思う。怒られてもいいから正直に言っておこうと思えるのは、怒られ慣れしていて怒られるのが怖くないから。

でも、相手のヒステリックからの理不尽な怒られ方はまた別。
それもだんだん最近、言い返せるようになってきた。
噛みつかれれば噛み返す。踏みつけられたら足をすくう。(by中島みゆき)
大丈夫だよ、私。

やっぱり繊細さんじゃないかも。


逆転現象

2024-02-21 | 女だから思ったこと


昨日のお弁当だったかな?^^;いなり寿司と焼きそばです。
焼きそばの残りだけではちょっと少ないかな?と思って、すきまにご飯も入れています。
(この日は中華スープもつけたんです。)


前の晩のカツの残りをカツどんにして、野菜炒めを入れました。
お惣菜貯金もポテトサラダしかありません。。。


お昼のトマトスープにお餅を浮かべて、ピザと餃子を焼きました。
餃子はあまったら明日のお弁当にします。ピザが余ったら自分のお弁当にしようかな。

休日のお出かけが楽しいにつれて、どんどん食生活がやっつけになる私です。(-_-;)
今日はそれでもまだピザを焼いたり(生地は市販のもので、乗せて焼いただけ)、冷凍の餃子を焼きましたが、最近はなかなかここまでやれていません。

最近また一段とスローモーになったように感じます。40代のころはもっと、テキパキ動けたし、一日にもっと詰め込んでいろいろできていたように感じるのは幻なのでしょうか。。。
今はまず、帰ってから、服を(家用の)着替えます。そこで家用のスパッツを探したり、メガネの場所をあとですぐに見つかるような場所に置きなおしたり、買い物袋から野菜や肉を冷蔵庫に入れたり、洗濯物を洗濯機に入れたり・・・それで平気で30~40分はかかるんです。下手したら1時間ぐらい掛かっているかもしれません。

自分、自慢ではないですが小学生の頃は、すごくテキパキ動けて、ドリルやテストもさっさと終えて、トイレもすぐに出てくるタイプでした。なのに今はその真逆です。何をやってもモタモタしていて、トイレでシャツの裾をズボンの中に入れるのにも時間がかかること。。。(リュックを背負いながらということもありますが)・・・みにくいアヒルの子が白鳥に成長したという物語があるけれど、その真逆は情けないですね。。。。でも人生そんなものかもしれません。

学生の頃は近眼メガネがすごく嫌だったけど、おかげでまだ裸眼でも本が読めるという、良い逆転現象もあったり。
「私って健康だよね~~~とうぬぼれていたら・・ひざが痛くて動けなくなったり。。。(-_-;)

人生は逆転現象も多いですね。
「うぬぼれてはならない。思うように行かないのはその人の原因とは限らない」と肝に銘じているつもりが、またもやうぬぼれて、しっぺ返しを食らう私です。でも歩きすぎも良くはないと知れば、またこの先気をつけることでしょう。

最後までわかりません。だから軽く人様のことを決め付けたり批判したりできないと思うのです。
今日ある人が「自分は裁判に負けたら、(正しさを証明するために)お金がかかっても控訴する」と言っていました。でも正しさの証明って、相手は相手の言い分もあるし、何を持ってどっちが正しいなんて、言えないことも多いだろうなと思います。

今日久しぶりに万歩計をポケットに入れておいたら、家に帰って着替えるまで3600歩でした。今日は社長が休みだったのであまり足を動かさないでなるべく安静にしていたのです。それでも3600歩。これで昼休み散歩をしていたら、6000歩近く行っているかも。
と思うと、休日そんなにたくさん歩かなくてもいいのかなぁ。。。

今度の三連休はとことん休もう!!
早く足が良くなりますように・・・(^人^)


飲み会は疲れる

2023-12-29 | 女だから思ったこと


グツグツグツ・・・
このすき焼きのお肉は、kekeの選べるギフトで送られてきたものです。^^うふっ
さっそくすき焼きにしてみました。白菜とお豆腐もたっぷり入れて。。。1人用の鍋2個に250gの牛肉を分けたのです。

いつもは牛肉のこま切れですが、今日は大きなつながっているお肉。
白菜や豆腐を食べながら・・・パク。いつもと香りも味もちょっと何か違う・・・・。

う~ん・・・・

これはこれでおいしいけれど・・・・いつもの牛肉(100g398円)でも十分においしいかも。
後でkekeにも訊いてみると同じことを言っていました。
高いお肉かもしれないけれど(にしてはバラの脂身がすごく多かった)、そういうのを食べ慣れていないから、おいしいとは何なのかがよくわかりません。

おいしいって何なんでしょうね。たぶんキャビアが目の前にあって食べてみても、何がおいしいのかわからないと思います。普段おいしいものをよく食べていて初めて「これはおいしい」「そうではない」とジャッジできるようになるのかもしれません。

そんな私の今日のお弁当は・・・・

麻婆ナス弁当。
ひき肉を何かしないといけないので、ショウガやにんにくと炒めてネギがなかったので、代わりに玉ねぎを入れて作りました。
半分詰まってしまったので、後はほうれん草を乗せただけ。

いよいよ仕事納めです。
今日は飲み会もありました。元々がそういう場が苦手な私。。。。でも年々それかどんどん加速するように思います。
隣の人と共通の話題を見つけるのが大変です。
何しろテレビを見ていないので、バラエティ番組どころか、芸人の名前、俳優の名前がわからない。ドラマもわからない。スポーツほとんど見ないしわからない。ペット言われても犬の種類も全然分からない。。。。

今このいろんな情報がある社会で、どうして隣の人と話をしなきゃならないのだろう、という気持ちになります。前にも書きましたが、ふと気づくと、左の人はその左の人と話しており、右の人はその右の人と話していたりします。仕方ないので、あたかも聞こえるフリをして、ふんふんと聞いている顔をしなければなりません。(私は耳が少し遠いのか、全然聞こえないのに)

前にも書いたとおり、私はワンツーマンでしか、対話ができない人間なのです。
3人以上になると、もう話しについていけなくなるというか、いつしか私が分からない話題になっているというか。
それでその場の話題を変えるとか、うまくおちゃらけるとか、そういう不自然なこともできないし、だから本当に飲み会は疲れます。

さらにこの2~3年、カメラを持って一人で出かける癖がついたので、余計人の顔色をうかがったり、聞こえるフリをし続けるのがもう面倒でならないのです。これも年を取ったせいかもしれません。若い頃はもう少し人の話も聞けたように思います。

でも年に2~3回の飲み会のために、テレビを買うのも馬鹿らしいし、もう少しこのままどこまで「話題がない人」が続けられるか試してみます。いつも注目してる、自民党のキックバックが~とか、トラさんとプーさんがほんとに世界を変えるのか?とか、ワクチンがどうたらとか、この週末はどこの観光地に行くとか、そういう話なら目をランランと輝かせてできるように思いますが。(世間の人はそういう話好きじゃなさそう・・・)

自分が悪いのは分かっているけど、なんかもう、人に話を合わせるって面倒くさいですね。
そう思ってしまうのも年なのでしょうか。。。


お昼の散歩の、松ぼっくり。
ひっそり咲いていました。この季節に緑が青々としているのは、松ぐらいじゃなかろうか。。。


秋から冬へ

2023-11-30 | 女だから思ったこと


昨日のお弁当です。
前の晩に炒めたチャーハンがまだ残っていたので、それを詰めて、卵やブロッコリーを添えています。(^^;


お昼の散歩道にて。
やっぱり葉が枯れっぽくなってきました。だんだん秋から冬へと向かうのですね。
でも、これはこれで素敵にも見えます。


葉がだいぶ落ちてきました。
小鳥のさえずりが聞こえると、姿も見えるようになりました。
鳥撮りのお好きな方にはいよいよのシーズンになってきたのでしょうか。

先日、昔の職場の同僚と会う機会があり、私と一番仲の良かった友人がその幹事(?)までしてくれました。そんなこともあり前々から彼女が行きたがっていた(と思う)場所に案内することにしたのです。
すると、ご主人が車で現地まで送迎をすると言われたそうです。二人の邪魔にならないように自分は別行動で良いと。。。。

それはとんでもない!と思い、3人で回ることにしました。
しかし何て優しいご主人なのでしょう。私の周りの人たちでは考えられない発想です。
(もっとも彼らも奥様には優しいのかもしれません。)

クラス会とか、昔の同僚とかに会うと人々が優しいので驚くことが多いですが、もしかしたら私の今いる環境の方が変わっているのかもしれません。・・・どっちでももう関係の無い事です。
もう誰にも期待していませんから。




昨日はご飯がなかったので、チヂミにしました。ニラを入れすぎてしまい、慌てて小麦粉と水を加えました。
しっかり固めに焼けて、ナイフできれいに切れました。ニラは少し細やかに切った方が切りやすいことにも気が付きました。おいしかった。


「同情はあつかましい」

2023-11-14 | 女だから思ったこと


今日のお弁当。またから揚げです。
他は冷蔵庫にあるもので詰めました。
最近やっつけが多いです。

今に始まったことではないですが、料理に集中できません・・・と言うか、やる気がないと言うか、明日のお弁当どうしましょう状態です。帰ってきてから服を着替えるのもダラダラして無駄に時間を掛けているように思います。


今日は田村セツコさんの本で「なるほど!」と思ったことがあったので紹介します。
ニーチェの言葉だそうですが「同情するのは厚かましい」と言う言葉があったそうです。「同情って一見親切に見えるけれど、上から目線で相手を気の毒と思ってる。それって厚かましいですよね」と田村さんは言われています。

ここまでは何年か前でもブログで書いたと思うのですが、更に付け加えると「人前で同情するのはパフォーマンスになっちゃうわ」と書かれているのです。これを読んで「なるほど!」と思ったのです。

今はさすがに無くなりましたが、昔「まだ独身の男性のために女性を集めて合コンをする」と言うことを、私の周りではよくやっていました。やっている人は親切のつもりでいたのでしょうが・・・それで仮にうまく行けば鼻高々、だけど失敗すればお酒の場での笑いネタに・・・私はこれがすごくお節介に思えてならなかったんですよね。
(とは言うものの、私ももっと若い時はこういうノリをしてました、白状すると。)

結局合コンをセッティングするということは、「上から目線の同情」なんですよね。本当に相手のことを尊重するのなら、やるにしてもそっと誰にも言わないでささやかにセッティングするでしょう。上から目線の同情だから半分は面白おかしくみんなでやってる。。。

相手の生き様を否定して「こうした方がいい」と思うこと自体がもう失礼なんですよね。


https://twitter.com/tyomateee/status/1724035514922332346
中島みゆきさんのラジオ放送の中からの2分半の動画
    ↑
これだけの動画で感動してしまった。

自分も心のレベルをもっと磨こうと思いました。
もっと広い心で!!


お昼休みに撮った「穴の開いた葉っぱ」の写真です。(今日の1枚)



「こんな自分」でも。。。

2023-11-12 | 女だから思ったこと

今日は朝から泣いてばかり。
昔の辛かったことや、悲しかったことが次々思い出されてくる。
誰が悪い訳でもないし、今更どうにもならないことなのに。。。いろんな人に迷惑を掛けてしまったこと、kekeにも辛い思いをさせてしまったこと、あれからあったそんなことばかり次々思い出してしまった。

ちょっとしたことで勝手に傷つくたびに「どうせ私なんか」と思ってきたのは私のクセなのかもしれない。本当にそう言う風に邪険にする人もいるだろうけれど、悪気がなくてそうなっている人もいたかもしれない。でも、自分は弱虫だったから、とにかく人と関わるのが苦手で(でもそれじゃいけないような洗脳もあったから)、人と関わっては傷つくばかりの毎日があの頃いつも辛かった。
すっかり忘れていたけれど、そんなことまで思い出した。

でもよく考えたら、今もそういう姿勢は変わっていないのかもしれない。
根本的に人と関わるのがしんどくて、だからそれを他人のせいにしてきたのかもしれない。本当は人が嫌いなのではなく、人と関わると些細なことで傷ついてしんどいから、人が嫌いになっていたのかもしれない。

「どうせ私なんか」「こんな自分だから仕方ないんだ」と思えば、とりあえずその場にいられる。
今の政府と同じ。無理やりワクチンのパンデミック条約とか、戦争とか、もうろくなことが浮かばないから、「そうなったら死ねばいいや」と思えばそこで思考停止ができるんだ。

良いように良いように考えるのが苦手で、悪い方へ悪い方へ考えることは、思考停止できるしそれ以上自分を責めなくて(頑張らなくて)いいから楽なんだ。でもそうやっていると、すぐ人によってはマウントを掛けてくるんだよね。だから、いっつも最後は奴隷みたいになってしまう。。。。そんなことも思い出して悲しくなってしまう。(奴隷なのだから大切にされるわけないよね。)

でもそういう考え方をしてきた人間にしてみたら、「それを止めましょう」と言うのは絶対に無理で、そうやって身構えていることで、ハリネズミのハリのようにしてここまで来たんだ。

それならせめて、「こんな自分」でも、周りの誰かを喜ばせてみることを考えるのはどうだろう。もう同じ年代の人は病気の一つや二つはしていることがザラみたいだし、いつ自分がそうなってもおかしくない。
あと残り限られた人生だと思えば、自分が大切にされようがされまいが、そんなのもう重要じゃないのかもしれない。それより少しでも周りの人が喜ぶように行動を取ってみたらどうだろう。(結果、失敗しても良しとして)
自分なんかどう思われたって、周りの人が喜んでいるならそれでいいとする。
例え自分が利用されていたとしても、それで周りの人が助かっているなら良しとする。

昨日の企画を考えてくれたのは、私の一番仲の良かった友だちでガンの手術をしたばかり。もしかしたら彼女も限りあるかもしれない人生で周りの人を喜ばせたい、と考えて企画してくれたのではなかろうか。。。。


気晴らしにと外へ出てみたけど、冬みたいに寒い。


今日はもうイルミを見に行く気力もなくなってしまった。
この実はちょっと大きいけど何かしら。


夏至から「もっともっと」

2023-06-20 | 女だから思ったこと


今日のお弁当は・・・肉を玉ねぎとピーマンで焼いたものをメインにしました。(焼肉のタレは手作りです。)
こちらのじゃがいもレシピは初めて挑戦した「ハニーマスタードローストポテト」です。←レシピはつくおきさんのレシピ。
合わせダレにつけて、オーブンで焼くだけ、という簡単レシピでした。また今度作ろっと。
(ブロッコリーも一緒に漬け込んでオーブンに入れたけど、すぐ取り出さないので焦げてしまいました。。)


夜はbar sakeです。
レモンが使いきれない時はこうしてスライスしてハイボールに浮かべます。1~2枚スライスしてからまたラップで表面をピッタリ覆ってビニールに入れて冷蔵庫に入れます。悪くなる時はこの表面から悪くなるので、毎日1枚づつスライスして使うと結構もつように思います。

今日は夏至でした。
1年で好きな時期は?と言うと、私は立春の頃が最初に浮かびます。一番寒い時期から光が強くなってきて、春が見えてくるあの時期です。それからやっぱり桜の時期。

それから更に今年は、今のこの時期が好きになりました。朝も起きるともう明るいし、明るいうちに家に帰れるし。あと夜風が気持ちいい。まだあのすごい暑さにはなっていない。気分はもう夏。まだ蚊もそれほどでもない。ビワや蛍の時期。
淋しいけれど、明日からまた少しづつ日が短くなって行くんですね。

つい何年か前までは「永遠」と言うものを信じていたように思います。「この先ずっと幸せになるために」もっと努力しなきゃいけない、今のままではいけない、と思ってきました。マドモアゼル・愛さんはそう言う気持ちを「仕組まれたもの」と解釈しています。
良い学校を出ないと、頑張って昇給しないと、資格を取らないと・・・・そう言う風に思い込まされて、またそう言う気持ちがビジネスにもつながり、そういう所でお金儲けをしている人に利用されている・・・面もあるよね。

もっともっと・・・
そういう気持ちがある限り、幸せにはなれないのです。今の自分では満足できないから。
もっと何かしなきゃと階段の上ばかり見ているから。そしてそこまで登っても、また更に階段の上ばかり見えてくる・・・。

今は夏至で一番明るい時間が長い日。それも永遠には続きません。これからは日がだんだん短くなっていきます。今の暮らしもこれが永遠に続く事はありません。だんだんと必ず形を変えていく。
私とkekeの生活も、いつかkekeが出て行くのか、例え出て行かなくても私は老いてやがてこの世からオサラバです。どんなに思ってもこの時期は永遠には続かないのです。

頑張って仕事をすることよりも、今この時の幸せを味わっていたい。
それは間違いではないと思います。
頑張らなきゃいけない。頑張らない人は怠け者。
そういうレッテルからこそ、おさらばしよう。

努力をしていないから、いつかお金もなくなって生きていけない日が来るかもしれない。それでも私は後悔しないことにした。
そんな頑張ってばかりの奴隷みたいな縛られた生活より、自由に伸び伸びと自分がしたいことをやる人生にしたい。。。。

それでいいよね?