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きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

大晦日ドライブ

2009-12-31 | 父の記録と母の思い出
最近、kekeはまた24時間が変な風にズレてきた。
午後から寝始めて、夜の9時頃起きてくるのだ。

朝の6時。
kekeがまだ珍しく起きているので、「昨日の鍋のつゆで、うどんでも食べるか?」と訊くと、「うん」と言う。

うどんをすすりながら、「今日はじいちゃんの所に行くか?」と言うと、否定もしないので、「じゃあ、8時半に家を出よう。」と言うと、否定もしない。

8時半になって、「それじゃ行くよ」と言うと、イヤとも言わない。
しかし「寒いから、車をここまで持ってきてくれ」と言う。そして、「寒いから、CCレモンを冷蔵庫から出してきてくれ」と言う。
ホイサッサと私は出して、「駐車場から5分でここに来れるから、ちゃんと着替えててね」と言うと、ウンという。

そして私はホイサッサと駐車場に向った。なんてこった。前ガラスがまた霜で凍ってる。
しかし、ペットボトルに入れた水を流すと、やがて溶けていった。
kekeが表に出てくるのが見えたので、ここだここだと手を振った。

「眠いから後ろでいい」と言うが、「せっかくだから助手席に乗りなさい乗りなさい」と私は言う。
そして「どのコースがいいかなぁ。」と言うと「早く着いて早く帰れる道」と言われるが、昔懐かしバスで行ったバッティングセンターの前を通るコースにした。

「今になって思うんだけど、kekeが小学生の時に車に乗れたらよかったよ。そしたら、バッティングセンターやプールもみんな車でブ~ンって簡単に行けて、kekeも出かけるのがもっと楽しかっただろうに。」
「ほんとにそうだね。」
「いつも電車とバスで大変だったからなぁ。」


父はまたシアワセばあさんとソファに座っていたのだが、看護婦さんが気を利かせて、別のソファーに連れて行ってくれた。
「kekeだよ」と言うと、父は「おぉ」と言った。

そして、「何歳になったんだ?」と訊き、kekeは「18歳でもうすぐ19歳になります」と答えた。
父はいつものように「番茶の出ばなだな」と言う。
「将来何をしたいんだ?何が好きなんだ?」と言うと、「パソコンが好きだから、そういう方面とか・・」と言う。

「今は就職も大変だけど、理系だからいい方なんじゃない?」と私が言うと「先生もニュースで言うほど悪くないって言ってるけど・・・・卒業が・・。」とkekeは言って、私はじいちゃんに「kekeの学部はね3割も中退するんだって」と言った。

すると父は「ちゃんとやれば卒業ぐらいできるだろう」と言い、「やらなきゃダメだよ、勉強は大変なのが当たり前だ。」とkekeに言った。

kekeは最近麻雀にはまっていると言う話もしていた。
父は昔麻雀が得意で、触るだけでパイが分かるのが自慢だった。
麻雀はインチキができるから、素人は金を賭けてはいけないと言われた。

「kekeは何でよく上がるの?」
「タンヤオ、ピンフ、それからリーチ。」

父はでも、もうタンヤオやピンフの意味は分からないようだった。「どうすれば麻雀、強くなるのかね?」と私は訊いたが、父は笑ってごまかしていた。

父は何度もkekeの年と、何をしているのか、将来は何になりたいか、それだけを繰り返していたが、kekeは普通に答えていた。
30分して、kekeにこっそり「そろそろ帰ろうか?」と訊くと、kekeは「どっちでも」と言う。
迷ったが、父も眠いと言い出したので、帰る事にした。

「しまった。デジカメを持って来れば良かった!!」と思った。
それぐらい、父とkekeは不思議なぐらいに会話が成り立っていた。
二人とも、羊年で山羊座なんだっけ。そんな事を考えた。

帰りにkekeに「これからイオンモールに行こう。フードコーナーなら何でも食べられるよ」と言うが、「そう言う所は興味ない、早く帰りたい」と言う。
仕方ないと思いながら、「せっかくだから一度行ってごらん、イオンモール大きいよ」と言って、無理に連れて行く。
駐車場まで行くも「寒いから外に出ないでここに居る」と言う。「じゃぁトイレに行ってくるよ」と言うと「どうぞ」と言うので、「トイレもすごく大きくてきれいだよ」と言うが、「別にそう言うのは興味がない」と言う。

駐車する時に窓をガーと開けると「なんで開けるの?」と言うので、「私はまだ窓を開けて外を見ないと駐車できないんだよ」と言って、何度も切り替えしながら入れるが、さらに端に寄ってしまい、ミラーをたたむ。

そしてトイレに行ってから、せっかくだから何か買おう!と思い、ミスドに駆け出し、チョコリングとシュー生地のチョコクリームとメロンソーダを買って、戻ってきた。

「今お茶飲んだばかりなのに」とkekeが言うから、お茶は私が飲むから、「これを飲みなよ」と言う。

そして、景色がきれいな所なら行ってもいいと言うので、それならオーライ!とさらに車を走らせる。
途中、オレンジの短パンはいた自転車が前を行くので、「まぁこういうのは初心者だと抜くのが大変なんだよ。」と言って、対向車が無い辺りで抜いてみせた。
そして、「夜は特に危ないから、何か光モンを身につけてないといけないよ。」と言ってみせた。

kekeは「どうしてこれは閉まってるの?」と指差す先を見ると、サイドミラーがずっとたたんだままであった。

あれー!
・・・ってことは、今までミラーを見てなかったってわけね、デヘヘと言って、ミラーを広げた。

そして踏み切りで立ち止まると、さっきのオレンジの短パンの自転車がスーッと横に来た。

「あれ?これ、さっきの自転車?」
「車と自転車が変わらない事が証明されたね。」

・・・・(ーー;)


その後も多摩川を渡ってみせたり、バイパスを走ったり、私はドライブ自慢をしてみせた。
しかし、kekeは「何が面白いのか分からない」と言い、「もう家に帰りたい」と言う。
「こんなことばかりしてて、よく飽きないね」と言う。

「景色がいいと言えば、逗子→茅ヶ崎辺りはどうだろう?」と言うと「もう懲りた」と言う。

今日はおおみそかだ。
車も普段よりすいているように思う。
全てがうまく行っているように思った。



妹に後でこの話をすると、「へぇ~、kekeがドライブにつきあってくれたんだね~」と言う。


私はkekeが寝てから、マッハで掃除機をかけて、紙ごみをまとめてみせた。スーパーは明日休みなので、簡単に買い物を済ませた。
何となく見た目だけ、少しスッキリさせた。
明日はカレーだ。

そして、来年はいい年にしよう、と誓った。

日記のつづき

2009-12-30 | 息子keke
離婚してから2年ぐらいは元夫はkekeに会いに来ていた。

まだ大きな会社に勤めていた頃だ。
クリスマスや誕生日にプレゼントを買ってもらってた。
 
日記を読むと、二人が私に弁当箱を買ってくれたと書いてある。
選んだのはkekeだ。
その前に私の弁当箱が壊れてしまったのをkekeが知っていたらしい、と書いてある。
私はその弁当箱を見て、涙が止まらなかった、と書いてある。

でも、kekeから元夫に私の弁当箱を買ってくれとは言わないだろう。
言い出したのは元夫にちがいない。
 
それから仕事で授業参観に来れなかったとか、仕事を辞めてしまって養育費が払えなかったからとか、いろんな理由はあった。奴はそもそも再婚したんだ。

私は「死んだと知ったら、すぐに手続きを取るんだよ。」とkekeに言った。
今は、そんな関係になってしまった。


しょうがないか。
あのまま、そんな同情みたいな優しさもらっても。。。

keke、ごめん。
自分の事棚に上げてすまないけど、幸せは自分でつかんでね。


ごめんね。

昔にはもどれない

2009-12-30 | 息子keke
全然片付かない。

せめて紙ゴミぐらいはと要らないのを処分していたが、日記やら家計簿みたいなものやらが出てきた。
1ヶ月坊主みたいのはこの際、捨ててしまおうと思った。

死んでから淋しい系愚痴り系をkekeに読まれるのがイヤだった。
淋しいだの言うぐらいなら、元夫の悪口満載のものを読まれる方がマシだ。


「自分が死んだら」と言うのを考えるようになった。
まだ幾らなんでも早いとは思うのだが、車に乗る以上事故だってあり得るし、G子の妹は病気で亡くなっている。

妹にこれだけは言っておかねばと思って、「元夫の借金をkekeが背負ったら大変だから、私がその時死んでいたら、kekeに相続拒否の手続きを取るように伝えて欲しい」と、かなり真剣に言ったつもりだったが、妹はこの前忘れていた。・・と言うか、その話を覚えていなかった。

まだ幾らなんでも早いだろう、と自分でも分かっているのだが、今日kekeに言う事にした。

「今じゃなくてもいいと思うんだけど」と言って、「妹に万が一私が死んだらkekeに伝えてほしい、と言ったのだが、この前忘れてたんだ。」と前置きした。

「ハタチになってからでもいいけど、今言っておくよ。」と言って、「元夫がたぶん借金があるから、養育費ももらっているけど借金があるんだ、あの人は。だからもしパパが死んだと聞いたら、3ヶ月以内に相続をしない手続きをするんだよ。」と私は言った。
それだけは忘れちゃいけないよ。死んだと知ってからでいいんだ。3ヶ月以内だよ。と言った。

「お金の事はたぶん忘れないよ。」とkekeは答えた。


私はそのあと、捨てる前にと昔のメモに近い日記を読む事にした。
離婚してからのは、ほとんど1ヶ月坊主を繰り返していた。

それでも、kekeがイボができて心配してたり、ほしいゲームをナイショで買って驚かせたりしていた。
何となくあまり話をしない子、勉強もなかなかしない子だと思っていたけれど、日記を読むと、一緒に漢字の勉強をしてたりすることもある。育てたポケモンをもらったりもしていた。
病気になると、父や母に病院まで送ってもらったりもしていた。映画メッセンジャーを二人で見に行った時は父が送ってくれたんだ。そんなこと、すっかり忘れてた。

いつも一緒に観ていた番組。

PCを買ってからしばらくして、日記はまったく続かなくなってしまった。
ネットが面白くなって、それどころではなくなってしまったのだ。


そして、今の私はどうなんだろう。

片付けもろくにせず、車、車・・・
食事もまだ買い物すら行ってない。

これでいいのかなぁ。

「もう電話しなくていいよ」と言いきれない関係。
車が来た時は、チャンスだったのに。

今、日記を正直につけてたら、10年後にまともに読めるか?
こんな風に懐かしむことができるか?
たぶん、できないわな。。

情けねぇ・・・

1人の自分ではなく、1人だとロクなことをしていない自分が恥ずかしい。。。

私は誰のために生きてる?



今年から来年の間に横たわる大きな河。
向こうまで渡るのが、とってもしんどい。
私は何も変われていない。

情けない。

あの頃の自分の方が、ずっとまともだ。
でも、kekeはもう小学生じゃないんだよね。

人の痛みで傷まない

2009-12-29 | 母子家庭だから思うこと
そこの美容院では、カラーの待ち時間にマッサージをしてくれる姉さんがいる。
私も彼女がこの店で一番の古株だって言うことと実家が関西にあることを知っていて、彼女は私が最近車を買ったこと、その前はレンタカーでぐるぐる練習していたこと、先月アバラを痛めたことなどを知っている。

またそして車の話になったのだが、彼女は「赤信号をわたる車が許せないんです」と言う。
「わざとぶつかってやろうかと思うぐらいなんです。」と言う。


その気持、わかるわかる。。私も車に乗る前はそうだったもの。

しかし、今では私も時々赤信号の時に渡ってしまうの。渡りたくて渡るわけではないんだけど、黄色になってから止まれなくて、ゆっくり渡るうちに赤になっていることはよくあるのよ。。。

と、言いそびれてしまったが。(--;)


「わざとぶつかってやろうか」と思う歩行者目線も分かる。
ぶつかって痛い思いをして、懲らしめてやりたいと言う気持も分かる。

でも、今は車に乗る立場になってしまったので、わざとぶつかる意味はないように思う。
自分では体を張って正義を貫いたつもりでも、体が不自由になって痛いのは自分でしかない。

車は保険に入っているし、もしかしたら罪の意識を云々と人は思うかもしれないが、私だったら保険に入っていることでチャラにしそうな気がする。
でなければ、こんなに大金払って保険に入る意味がない。
万が一の時、金で全てを解決するために入っているのである。

いざそうなったら、仰天はするだろうが、やがては事故は防ぎようがなかったと、自分を説き伏せることになるだろう。
そうしなければ、自分が先に進めないじゃないか。


車だけじゃない。
人はそんなに他人の痛みで傷まない。

こんなに苦しさを見せつけたら、少しは私の事を思ってくれるかしら?
それは甘えでしかないと思うようになっている。

人はそれほど他人に関心は持たないよ。
他人の苦しい悲しいなんて絶対に分かりっこない。
ましては、経験がなければ。

あったって、それが分かると言うだけだ。
どうにもできない。

それにもし勝てるとしたら、自分自身しかないような気がする。
誰かにどうしてもらおうと思っているうちは、何も変わらない。
また次の壁が見えたら、またどうにかしてほしくなるだけ。


もうそういうものから、全て解放されてみようか。
私は私。

もう他の誰でもない。


来年は、私はどこに行く?

単にうれしい

2009-12-29 | 歌謡曲・カラオケ
昨日は久しぶりに6,000円も買い物をしてしまった。

全部食料品だ。
お米、味塩コショウ、キビ砂糖に薄口醤油も買った。
お餅も一応買うことにした。
あとは刺身にピザに、焼きそばを焼いたり、もやしで簡単な炒め物も作った。

久しぶりにHBでパンを焼くことも考えたが、間違えて小麦粉を買ってきてしまった。


ふぅ。(ーー;)

最近、食費をケチケチしているから、こんなに買うとこれで良いのか不安になる。
 
「車に乗りたい!」と思い切って買ったけれど、それは後悔することではないけれど、こうして食料さえ後ろめたく買い物をする生活は、いつかはオサラバしたい。
 
しかし、夜の歩行者や自転車がこんなに危ないものだとは思わなかった。
私の自転車も反射板が取れてしまって、それきりだったけど、チャリ生活に戻った時にはすぐにつけよう。

車に乗るようになってから、またまた世間勉強をさせてもらっている。
これも経験の一つだろう。
やってみなきゃ、始まらないもんな。
 

さて、今日は会社の大掃除だ。
ZENさんが社長に頼まれたそうで、昨日からあちこちガラスやら磨いてきれいにしていた。
私も黙って座っていたのでは申し訳ないと思って、手伝いをした。
スイッチ周りをハブラシでこすったり、ドアを磨いた。
それを午前中しただけで疲れてしまった。

ダメだな。私って。(ーー;)


今日は最後の打ち上げだ。
車は置いて、バスで行くつもりであるよ。

最近聴いているのは、中島みゆき「I Love You、答えてくれ」と言う歌である。

 ♪惚れた方が損になるなんて 取引や投資じゃあるまいし
  惚れて嬉しい 単に嬉しい
  同じ時代に生まれて嬉しい ♪ 


こうして年末のこの雰囲気も、下町っぽくていいよなぁ。
正月3日間のために、こうしてバタバタしてるのもいいよなぁ。 

暮れの一日

2009-12-27 | 息子keke
今日は新横浜方面に向った。

どこに行くというあてもなく、まだ車の少ない朝にグルグル回って「行って来れた」と言う旅である。
今日はこの前焼いたホットケーキがお供だ。

また道中、曲がり角を間違えて、おかしな道に入り込んだり、コンビニに立ち寄って位置を確認したり、やっと戻れたり、いろいろありながら、帰ってこれた。
途中で寄ったセルフスタンドが、リッター114円とバカ安だったので感激した。
(そこでトイレも借りる)


父の病院にも寄って来た。
まだ完全に咳が止まったわけではないから、本当はよくなかったのだけど、もう3週間会ってない。

父はもう目がほとんど見えなくなっているのだろう。
看護婦さんに手を引かれて、「左に座っているのが娘のsakeさんですよ」と言われていた。
マスクをして、ほんの短い時間だが、話をしてきた。
みんなはどこに住んでいるんだ?何をしているんだ?誰と会いに行けばいいんだ?と尋ねられた。
そして、妹達も元気だと知ると喜んでいた。
 
帰りにシアワセばあさんのソファーの隣に父を座らせてきた。
ばあさんは「(父を)守ってあげてるから安心してね」と言っていた。
そして父には「娘さんが来てくれて嬉しいでしょう」と何度も言っていた。
 


家に帰ると、kekeがコタツでTVを見ていた。
お昼はパンを食べたと言う。
それでも腹が減ったから、ラーメンをゆでてくれと言う。 

自分でゆでなさいよ、と言うと、流しが皿でてんこ盛りだからお湯を捨てる所がないと言う。
そしてゆでてやると、kekeはニコッと笑って食べた。
「これが高いラーメンだ」と喜んでいる。
「たしかにこの前見切りだったけど、元は高いザル麺なのよ。」と言うと、「いつものとは味が違う」と喜んでいる。

そして、kekeは部屋を片付け始めた。
布団カバーを入れ替えて、これを洗ってくれと持ってくる。

「そう言えば布団カバーを買う話はどうなったの?」と言うので、「この前見てきたんだよ、今度車でニトリに行こう。(^o^)丿」と誘うが、「(面倒だから)わざわざ行くなら、なくてもいい」と断られた。

「PCラボって知ってるかい?そこも行けるよ(^o^)丿」と誘うが、別にほしいものはない、と言われる。
(正確にはPCデポという名前のようだ。)


車を買って1ヶ月半が経とうとしていると思うのだが、まだkekeは車に乗るどころか、見たこともない。
見ようともしない。

変わった子。。。(ーー;)

ゆるく生きる

2009-12-26 | 女だから思ったこと
風邪で寝込んでいる間に、石野真子の話を思い出した。

たしか彼女は妻子ある人と付き合っていて、その男性が亡くなる時には片方の手は石野真子が、そしてもう片方の手は奥さんが握りながら天国に行ったそうである。

それを読んだ数年前は「げっ!そんなのゼッタイありえない!!」と気味悪いとまで思っていたが、今は「そうか、そう言う事もあるかもしれないよなぁ。。。」と力なく思っている。
人によって、こういう事は定義が変わってくるのだろう、と思っている。
 
ただ、単純に好きだ、好きな人のそばにいたい、とそれだけを思うなら、いろんな形があるのだろう。


さて、来年は私も45歳になる年である。
ハローワークでは45歳以上になると「高年齢者」の層になる。
「雇われにくい年代層」に入るのである。

そんな層になった辺りで、最近いよいよ、「このまま1人かもしれないなァ。」とつぶやいてみる。
今までも1人で生きていくつもりだったが、どちらかと言うと「私は1人で生きていくんだよ、フン」って感じであった。

この言い方。
心のどこかに甘えがあったのである。
こんな私を、誰かみつけてください、と言う甘えがあるのである。
 
来年は、「このまま1人かもしれないなァ。」と言う言い方にしてみよう。
そして、このまま1人で居てみよう。

人は本来、1人で生きていけねばならない性質のものなのだと思う。
誰かと連れ添ってみたところで、いつかはどちらかが1人になる可能性が高い。
相手が病気になって亡くなってくれれば、見た目が何となく良い、ただそれだけの話である。
別れてしまうと、何となく後ろ指をさされているよな気になる、それだけである。

「夫婦仲良く連れ添って自分ひとりが愛されていなきゃいけない」、と言う枠にはめこむから、ある日枠から漏れて泣くハメになるのかもしれない。
別にそうでなくてもいいじゃない。
ダンナは今日も家に帰ってくるし、ここしか帰る場所がないのは間違いないんだから。
 
こんな風に思えるのも、「このまま1人かもしれなく」なった私だからである。

そうかそうか、人は泣いた分、乗り越えた分、やっぱり神様はプレゼントしてくれるのだろう。
だから、大丈夫だ。
どんな悲しみも、私はこれから乗り越えられる。
 

今、思うのは、このアバラ骨が風邪の咳により、また復活してきたことだ。
もしかしたら、もう一生治らないかもしれない・・・そんな不安が頭をよぎる。

でも、45歳にはもう体育の授業がないから、杖がなければ歩けないわけでもあるまい、この程度だったら良しとしようか。
なんて私は太っ腹なのか。
サイフにお金がない分、心は太っ腹になってしまったのか。
 

昨日、出来合いのハンバーグが見切り半額だったので、買い込み家で焼こうとして気がついた。
フライパンがザラザラだったのである。
その前の日に賞味期限がやばい牛乳でホットケーキを焼いていたのだが、火をかけたまま、放置してしまったのだ。(それも2~3時間とかかなり長い間である。)

偶然、寝る前に「ノドがかわいた」と台所に入って発覚した。
いつものようにそのまま寝ていたら、どうなっていたんだろう。
 
フライパンはさっそく買いなおした。
kekeにその話をして「だから気をつけないといけないよ」と言うと、「自分は火を掛けたらこの線(台所)から出ませんから」と言われた。

いやいや・・・火を掛けた事を忘れたんだよ。。。(ーー;)
換気扇を止めた時に、忘れてたと言うか。。。。

最近、若年認知症ではないか?と信じがたいことが時々ある。
これだけは、45歳、気をつけたいと思う。

ひと段落

2009-12-25 | 日記
家でどちらかしかネットがつなげないと言うのは、やはり不便である。

kekeはやっと課題が提出できたようだ。
認められれば2年生に上がれると言う。

「ダメなら補習か?」と尋ねると、「留年だ」と言う。
それから顔を合わせるたびに「あれはどうなったか?」と尋ねるのだが、いい加減にしてくれと言う。

子供が休みだと本当に楽だ。
朝も起こさなくて済むし、学校のことも心配しなくて済む。
課題は終わったから、しばらく不愉快そうな顔もなくなるだろう。
お昼は自分で勝手に買ってくれるし、たまに小遣いでもあげればよい。

こうして考えてみると、子供は心配するのが大変なのだと分かる。
これがよそ様の子で、将来もどうなってもいい子だったら、ただ折り合って暮らすだけなら、きっともっと楽しく過せるのだろう。


父の病院は風邪もちは控えるようになっているので、今週も先週も行けてない。
妹の話では昨日は元気だったそうである。
「先週はkekeが風邪をひいていたから、もう2週間行けてなくて、その前は父が夜眠れなくて、足を痛がったり変なことをブツブツ言っていて(意識が)おかしかったんだ。もう3週間以上顔を合わせてないのと同じだなぁ」と言うと妹は、「会ったってすぐに忘れてるから、一緒だよ」と言う。
 
妹は離れて、父と優しく接するようになれたと言う。
「家に居た頃は私が優しくなかったから、父も面白くなくてあんな表情だったのかも。」と言っていた。
 
正月は、ほとんど予定がない。
またそれが、とても貴重でうれしいような気がする。
 
予定は、適当に見た目だけ片付けようと言う大掃除。(但しコンセントの周りの埃は取り除いておきたいと思った。最近火災事故が多いから)
正月に妹の所にちょっと挨拶程度、顔を出すこと。
父の病院は2~3日置きに行ってみたい。

あとは会社のお年賀を先に会社まで運んでおくこと。
 
それ以外は何もしない。
気分は正月だが、姪へのお年玉以外の正月の行事はナシ。
いつもおいしいものを食べているので、正月も同じように普段の料理を食べて過そうと思う。
あと正月ドライブ。

年賀状もほとんど書き終え、年末調整も終わったし、\(^o^)/やっとひと段落だ。
ぼちぼち机の周りを片付けながら、正月休みにしたい。

スタッドレス

2009-12-23 | 車の練習

1ヶ月点検でも、スタンドでも買え買えと言われるスタッドレスタイヤである。

話を聞くと4万円ぐらいするものらしい。その他タイヤの交換費も別に掛かるのかもと言うウワサもある。
そんな高いものを、よく簡単に平気で売りつけられるよな。

困った顔をすると、その方が安心だ、すべって事故に遭うことがあると言う。
「家には置く場所がない」と答えると、維持費はかかるがうちで預かることもできると言う。
(まだ値段は聞いていない。)
 
「とりあえず、考えてみます。」と言って車を走らせる。
後ろで「事故に遭えばいいさ」って思われているような気になる。
(自分だったら、そう思いそうだから)
 

保険屋もそうだ。
ZENさんの息子さんがチャリで老人にぶつかってしまった。
相手は大怪我だ。

その書類を持ってきた保険屋は私に「相手が示談に応じてくれたイイ人でよかったです。こう言う事故はコワイですよ」と言う。
だから、保険に入れとは言わない。
でも、恐ろしさだけは充分かもしだして帰っていったよ。

せっかくお前ンとこの自動車保険に入ってやったのに、まだそれだけでは物足りないのか。
そのやり方はないだろう。
それを見抜けない私だと思ってるのか、この薄らとんかち。
 

どれもこれもウソではないのは分かっているが、どうしてそこまで人を不安させたいんだろう。
あの言い回しが、むかつく。
具体的なデータでももってこい。
日本全国何パーセントの人がタイヤを買い換えて、どのぐらいの割合で事故が起きているのか。
積雪何センチ以上だとどのぐらいヤバいのか。
私が知りたいことはそういうことなんだよぉ。
 
すべるすべるすべる。
買え買え買え。

車を知らない私はそう言われては二の句が告げない。 
すべったら、ほれみたことか、と言うてくるか。

こいつら、なんて楽な商売してやがるんだ。 

「雪降ったら乗りませんから」と断ってみたものの、やっぱり後から不安になる。
起きた朝から降っている日は良い。
夕方から降った日にはどうしたらいいのか。
ドライブの途中で降り出したらどうなるのか。

一度そう言われると、これから生涯そう思い続けて走らなければならなくなる。
 
1人で生きているとそう言う事が泣きそうになるほど、不安になる。

こいつ等は、そういうのの不安で金を稼いで生きているんだ。
分かってて、わざとやっているのか、こんなイイ年してても気がつかないんだ。
 
仕方ない、また貯金をおろして買おうか。
 
もうこれ以上は掛からないと思って買ったのに、どうしてこんなに金ばかりが掛かるんだろう。
やっぱり、私は車を持つような人間ではなかったんだ。
車の事も何も知らないし、言われれば何でも買わないと事故ってしまうから。
我慢だ、我慢だ。
5年だけ、辛抱しよう。

5年経ったら、車は売り飛ばそう。
こんな寒い夜に自転車なんて、想像も絶するけど、保険もタイヤも買わなくて済むし、ガソリン代も駐車代も払わなくて済む。
自転車がキツかったら、会社も辞めて仕事がなければ死んでやる。

ざまあみろ!!!


覚えれろよ。
こんな母子家庭のビンボウ人によく、そんなもん平気な顔で売れるよな、バカ。

お前等のやり方は、不幸のハンコ屋とか宗教と大して変わりはないからな。
ろくでもねぇ商売だ。
やり方が汚ねぇぞ。

もっと相手を立場を思いやった言い方ができねぇのか。
馬鹿。

親子で休む

2009-12-21 | 息子keke
今日は会社を休む事にした。

昨日は最悪だった。
一晩咳とタンで眠れないし、あまりに咳き込むと、アバラが痛くなった。

熱は38度台だ。だけど節々は痛いし、頭はひどく痛い。食べれない。飲みたくない。
しかし、その日は1ヶ月点検の日だったので、約束の時間にどうにか出かけた。
 
待っている間に年賀状でも書こうと用意していたが、とてもそんな気にはなれなかった。
他にもやらねばならない事(会社のタオル掛けの吸盤が吸い付かなくなったので新しいのを買うこと、会社のお年賀のお菓子を注文すること、姪のクリスマスプレゼント、我が家のプリンターのインクを買うこと等)はあったのだが、全てキャンセルして、家で横になった。

kekeがその症状は先週の自分と同じだ、と言う。
熱の出方もそっくりだし、具合の悪さもそっくりだと言う。

これがただの風邪なのだろうか?
ただの風邪でもこんなにダメージを喰らうほど、私は軟弱者になってしまったのだろうか。
でも、kekeはインフル検査もして、ただの風邪と診察されたのだ。


今日は昨日に比べると、熱も戻り、多少動けるようになった所で、会社を休むことにした。こう言う時でないと休めないし、今日は洗濯しないと、いよいよ履ける靴下やパンツがなくなってしまう。
社長に電話をすると「風邪か?インフルか?」と言うので、「まだ病院には・・」と言うと、「診察うけてこいよ」と社長は言うが、病院に行くつもりはなかった。
 
もう症状は下り坂になっているし、診察代がもったいなかったのである。
このまま半日横になっていれば、明日は出勤できると思われた。
 

kekeは、また学校を休んでいる。
昨日は朝方まで課題をしていたと言う。
「寝かせてくれ」と言う。
 
今日の授業は行かなくても大丈夫なのか?と尋ねると、大丈夫だと言う。

でも、その言い方が投げやりなので、とても心配になる。
こう言う時に、子供を信じるべきなのか、怒鳴り飛ばしても行かせるべきか。

小学生だったら、怒鳴り飛ばても、だろう。
大学生なら、授業をサボると言うことは、珍しいことではない。

でも、それがクセになったら・・・・
だんだん出席が減ったら取れる単位も落とすようになるのではないか?
そして、いよいよ学校に行けなくなるのでは。

「何が手伝えることはないか?」と尋ねると、「姿を消して放っておいてくれ」と言う。


どうすればいいんだろう。