きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

つなぎ融資をつなぐ

2004-09-30 | その前の会社
あるお客から工事代が入る。
それをまず、銀行のつなぎ融資の返済に充てる。一度融資を返済してから、どうしてもお金が必要なんです、と言っても一度同じお金を借りる。そして別の銀行のつなぎ融資の返済をする。(そして返済した実績をつけて、翌日同じお金を借りて、今まで待ってもらっている業者さんに支払うのだ)

上司BRさんから「これ↑を全て一日で実行しよう」と言われた時には、さすがの私も(幾ら何でもこの計画は何処かに無理があるのでは・・・)と案じた。

しかし、今日はその当日だ。入金があれば即資金が移動できるように振込用紙は用意できている。
朝9時半、残高の確認をする。まだお客さんからはお金が入っていないようだ。
営業Aさんから電話が来た。「入金入った?」「いや、まだ無いみたいよ」「じゃ、これからお客さんに確認してみるよ」営業Aさんも気が気ではないようだ。

しばらくして、営業Aさんから電話が来る。
「お客さん、うちに今日支払う事をすっかり忘れてたみたいなんだよ。」
(え!!!早くもつまずいたのか・・・)と思いながら「じゃ!お金はいつですか!」と叫ぶと、「それで俺もどうしても今日じゃないと困るんです、としょうがないから言ったんだよ、そしたらもう一度請求書をFAXしてくれって。」
慌ててFAXを即効送る。

後は祈るような気持で、ちょくちょく残高確認である。
やっと昼過ぎに入金を確認できた。(お客様にも感謝である)
即効チャリで飛び出して、最初の銀行の返済に間に合うように資金を移す。会社にとんぼ帰りして「今、お金を振り込みました、もうすぐ確認できると思います、返済お願いします」と銀行担当者に告げる。

それから、1時間もしないうちにその担当者から連絡が入った。
「今、融資実行して、お金も指定通りに振り込み終わりましたから。」
ありがたい!こんなに早く返済→融資実行してくれたとは!!
もう既に次の銀行への振込用紙をあらかじめ渡したおいたのだ。
そーれ、次の銀行だ。またもや違う銀行に電話をする。
「これから資金が入りますから、それで返済をお願いします。」

どうにかできたではないか!
もちろん、無茶を承知で上司BRさんがあちこちの銀行に頼み込んでここまで根回しをしておいたのであった。
(これで、明日には全ての業者さんに支払いができる!)

そこに一本の電話が上司BRさんに入った。
またこちらは全く別の銀行さんからである。「約束の返済の資金が入っていませんが」・・。そうだ、今日はこの銀行にも返済をしなくてはならなかったのだ。二人とも忘れてはいなかったのだが、こっちの返済に充てるはずの別の工事代が遅れているのだ。(いや厳密には、遅れているのではなくて、私達が早く入るものと勝手に期待し過ぎているのだ、いつもの事だ)明日か明後日には早ければ入る事になっていたのだが。

上司BRさんは「まだ工事代が遅れているから、数日待ってくれないか」と言ったが、どうも話し振りではこの担当者は頷いてはいないようだ。
BRさんは電話を切ると「幾つかの業者さんへの支払いを延ばして、こちらを先に返済しよう」と言った。
またチャリで銀行へ走った。

(それにしても、『一日入金が遅れます』と言われて、どうにか了承してくれる業者さんは健康的だ。うちが朝、あのお客さんから『一日入金が遅れます』と言われたら、泡吹いてしまった、と言うことは、よその普通の会社はもっと資金的に楽なのだろうな、たぶん・・)
お金もうちの会社に入って途端に、キュルキュルこうして左から右へと動かされるのだ。さぞかし疲れることだろう。

私も、今日は疲れた。

初めてのカエルコール

2004-09-29 | 日記
今日は部活の無い日だ。
急いで家に帰って来たのにkekeさんが居ない。その後買い物から帰ってきても、kekeさんが居ない。
「部活も無いのに、一体どこに行ったんだろう?」

7時になった。連絡一つも無くどこをほっつら歩いているんだろう!と思い、携帯にメールを打ってやろうとする。PCの電源を入れると同時に、電話が来た。kekeさんである。

「今、どこに居るの?」
「球場にいるから。メール見た?」
「まだ見てないよ、球場って?」
「神宮。」

・・・・え~~~~~!!じんぐうきゅうじょう??
誰と?どうして?チケットは?夕飯は?お金は?の中から、選んだ質問は、「一緒に居るのは誰?」「いつ帰って来るの?」と「誰か大人が居るの?」だった。

「山田君。」
「野球が終わってから。」(←そりゃそうだ)
「(大人は)居るよ。」とkekeさんは答えた。

山田君って初めて聞く名前だ、何つながりなんだろう?どういう縁で一緒にナイターを見る事になったんだろう?
「そうか、メールを読んでみるよ~^o^」と電話を切った。
そして、メールボックスを開けた。

そこには「今日プロ野球見に行くことになりました。」と書いてあるだけだった。

最近、このような場面が多々あるのだが。
ここでこっちも携帯を持っていたら、ここから「誰と行ったの?」とか、「夕飯は何食べたの?」とか、意思疎通のしようがあるのだが、こっちはPCだから、いちいち電源を入れ直すか、返事が来るまでPC前で待たねばならない。(返事来ない事も多いし)向うは向うで、メールが読まれているかどうかも電話しないと判らない。それでこのまま、しらけて面倒なまま終わる。

kekeさんが携帯を持つようになって「これでメール交換もできて便利よね~」と思ってみたけれど、携帯メールは受け手も携帯じゃないと、用を成さないような気がする。携帯メールはPCと違って長い文章が打ちにくいから、会話を重ねて初めて用を成すものだったのだ。
我が家に携帯がやってきて、半年。やっとこの事実に気がついた。

10時半になって、いよいよ「今どこに居るんだろう?」と思ったが、PCの電源を入れるのが面倒で、またその後来るか判らない返事を待つのも面倒で、(やっぱりいいや)と思った。電話はたぶん電車中マナーモードで繋がらないし(マナーモードだとメールも届いても判らないのだろうか?)、案外、肝心な時に不便だったりするものだ。

11時にやっと駅からカエルコールが掛かってきた。
心配ビームが届いたのだろうか?
初めてのカエルコールに感動した母であった。(もしかしてカエルコールって、今では死語?)

そろそろ40歳

2004-09-28 | 日記
運動会の翌日は、朝になっても疲れが残っている。(ただ観ていただけなのに。)
昔だったら、どんな疲れでも一晩寝れば治ったものだったのに。ここの所年々この状態は酷くなるようだ。

この前、例の彼の退職するしない騒ぎがあった頃、30ちょい過ぎの営業Aさんが言った。
「奴、30になる前に転職って言ってるんだ。そりゃ30代と40代じゃ違うかもしれないけど、20代と30代なんて違わないよな~」

もうすぐ40歳の私にはグサッと来るものがあったが、営業Aさんがそう言うのも、もっともだと思う。
30過ぎた頃は「とうとう三十路か」と思ったものであった。そしていつか40になる日を好意的に予想する事はできなかった。40を迎える日は遥か遠くにあった。

この1年、ふと気付くと自分の年を「もうすぐ40」と受け止めている自分に気付く。39ではなくて、「もうすぐ40」なのである。
「四十にして惑わず」と言う言葉が確かあったが、なるほどなぁ~と言う感じだ。

30代は激しく泣いて怒って感じて燃えた時代であった。あれらを卒業し、これからは惑わず落ち着いた40代に移行するのだ。(一応本人はその予定)そう考えるとわくわくして来る。
先月は予算が余ったので、通販で布団干しを買った。
晴れた休日は朝、洗濯物と一緒に布団をたくさん干して、午後にはその布団で横たわって気楽に本でも読む。想像しただけでも、一週間の疲れがぐっと取れそうである。チョー気持イイ~。

今では晴れた日に干されたたくさんの布団を見るだけでも、シアワセな気分になってしまう。ゴミを仕分けしてリサイクルに出す時の、気分がさっぱりすることよ。そのうち窓際に小さなテーブルを置いて、お気に入りのカップでお茶なんかのんびり飲めたらいいな~と思う。(テーブルもカップもまだみつけてないが)
これらは最近みつけた新しいストレス解消法である。(これを世間ではオバサン化と言うのかも。)気持ちよく暮らすと、体の老廃物まで落ちるような気がする。

最近、30代後半で出産するブーム(?)もあるそうだが、こんな気分で子育てできたら、さぞかし毎日楽しいだろう。
私の子育てはひどかった。子供がジュースをこぼしては「もうー!」、出かける間際に着替えがイヤで揉めては「もうー!」、飲んだミルクを吐かれては「もうー!」であった。
今、こんなに憎たらしくなるんだったら、あの時期もっと可愛い我が子に感謝の念を持って過ごせばよかった。何であんなにキリキリしていたのかを思う。

そう思う反面、今の体力で2,3歳児を扱うのは無理かもしれない。
これが中学の体育祭でなく、幼稚園の遠足だったら、2~3日は寝込んだかもしれぬ。今でこそ、「もうsakeは疲れました」と帰宅すればいつでも横になる事ができるが、幼稚園児が周りをうろうろしていたら、寝るにも寝れないだろう。
(それとも、そんな小さい子が居るうちは女も体力が衰えないのだろうか?)

それにしても、精神的充足感と体力的疲労度は、もののみごとに反比例している。「天はニ物を与えないんだなぁ~」こんな所で妙に納得してしまうのであった。

体育祭の入場門付近にて

2004-09-27 | 日記
掃除ついでにkekeさんの鞄をあさっていたら、運動会のプログラムが出てきた。
「kekeさんは運動会でどの種目に出るの?」と尋ねても、とうとう最後まで口を割らなかった。そのくせ、「運動会じゃなくて体育祭!」と怒られた。

楽しみにしていたその体育祭である。
出る種目が判らないので、2年生の競技は全て注意が必要である。
走って競い合うような競技にあの子が出るとは思えないが、ついつい覗いてしまう。やっぱり居ないようだ。

と、ぼんやり遠くの生徒席を見ると、あの子らしき姿を発見する。
同じ色のハチマキで同じ体操着、微かに見えるクラスのゼッケン。普通だったら判らないはずなのに、自分の子はこんな米粒の大きさでも判ってしまう。
他の子達は次の競技の準備で入場門に集まっていたり、係りの仕事をこなしているのに、のんびり友達3人で競技は他人事でしゃべくっている。
まるであれは中学時代の自分の姿そっくりだった。(だから分かったのかも)

幾つかの競技が終わった後も、あの3人は(たぶん)しゃべくり続け、やがてあの3人がこぞって入場門付近に移動するのが見えた。
(ふんふん、この次の競技に出るんだな)と思い、自分も入場門付近に移動。
なぜなら、写真を撮るためだ。
もう正月以来、子供の写真を撮っていない。カメラを向けると怒り出すからだ。したがってこの前元義母に送った写真も正月と2年前の写真になってしまった。今回は待ちに待ったシャッターチャンスだったのである。

小学校の運動会は、生徒席の後ろや入場門付近で我が子の姿を写真におさめる父兄が大勢居たものだが、中学校の運動会では、そういう姿は見られない。
お父さんが競技中の子供の姿をビデオやカメラに収め、お母さんは学校や子供の話をべちゃくちゃしながら子供を応援している。

そんな中で入場門で我が子の写真を取ろうと大胆な作戦に出たのである。
しかし、本当に誰も写真なんぞ撮っていない。。
どうしようどうしようと思っているうちにkekeさんに気付かれてしまった。
kekeさんはクルンとこちらには背中を向け、不自然な体勢ながら、決して写真に写るまいとしていた。くそ~

その時同じように入場門で我が子の姿を見送っているお母さんが、もう一人居た。M君のお母さんだった。

M君は、kekeさんが転校して最初に家に遊びに来た。低学年で携帯を既に持っているのが気になったが、しっかり挨拶のできるいい子だと言う印象を持った。
やがて数ヵ月後、kekeさんからM君がいじめると言う話を聞いた。M君に限ってまさか違うだろう、と思った。しかし何度か言われたので、他のお母さんから情報を集めた。M君は学年でも有名ないじめっ子であった。親先生の前と、子供だけの前では態度が違うことでも有名であった。M君のお母さんは行事や保護者会には全く来ず、苦情を入れても「うちの子に限ってそんな事は無い」と言うばかりだと言う噂であった。
それでは、相手に言ってもしょうがないな~と思った。

5年生の時の運動会の帰りに、たまたまM君がお母さんと一緒に帰って行く姿を見た。(M君のお母さん、この運動会には来ていたんだ)M君もとても嬉しそうだった。
それからも、学校行事のあるたびにM君のお母さんを見かけるようになった。

同じように入場門で我が子の姿を見守っているのがM君のお母さんだと判った時に、(親心って同じなんだな)と思った。
そう言えば、今ではM君の悪い噂は聞かなくなっていた。

この体育祭でも、長距離走を頑張って走っているM君の姿が印象的だった。

仕事があると言うこと

2004-09-25 | その前の会社
会社を辞めると休んでいた彼が、職場に現れた。

たまたま事務所で二人きり。
(このとても気まずい空気は何?何か話し掛けなければ)と思っていると、「sakeさん」と遠くから彼が話し掛けて来た。

「sakeさんの元旦那さんって仕事休んだりしてたんだよね?」
(よりによって何て言う話題なんだ~。)と思いながらも
「元姑さんの話では、今も仕事決まってないそうですよ」
と返事をした。

「俺もこの何日か、ずっとそんな感じだったんだ。昼は酒飲んじゃって夜は全然寝れなくて・・このままだとずっとそうなると思ってさ・・」

それから、彼はほぐれた糸をほどくように、するすると休んでいた間の話を始めた。
奥さんが子供を連れて家を出てしまったこと。
ネットで失業の事を調べたり、失業の掲示板をロムしたこと。
そこで多くの人が本当に仕事が見つからず、悩んでいたこと。
ますます気持が落ち込んで行ったこと。
友達に「そのまま辞めたら、もうお前とは口をきかない」と言われたこと。

「友達が言うにはね、俺は逃げてるだけなんだって。社長(の不正)や会社(の不況)を口実に逃げようとしているだけだって。どうしても辞めるなら現場を終わらせてありがとうございましたって言ってから辞めろって。友達にそう言われて『そうだなあ』って思ったんだよね。。。その友達も俺と同じ仕事なんだけど、ボーナス70万出るの。でも、タイムカードでちゃんと管理されてて、現場に行く前と帰る前は会社に毎日寄らないとならないんだって。それも大変だよね。。。」

「sakeさんっていつ離婚したの?」
「ここに来る2ヶ月前ですよ。」
「働いてない時期ってどうしてたの?不安じゃなかった?」
「そうっすね~貯金おろして生活してたけど・・そうするしかなかったですからね~う~ん・・」
と言いながら、あの時期妹にさんざ毎日愚痴っていたことを、思い出した。実家を訪れては愚痴りまくって両親や妹にさんざ迷惑掛けていたのだった。
仕事が無いと言う状況は、人の気持を追い込んでしまうものかもしれない。

そして、彼は「あんなだとカミサンも出て行っちゃうよね~もう今では戻ってきたんだけどね~」と言った。
気持を入れ替えてまたここで仕事を始めるようである。

社長との話はどうなっているのだろう?と気になったが、たぶん、もうその前にその話はついているのだろう。だいたいこういう話は、私が耳にするのは社内で一番最後なのである。

そんな話を聞きながら、この彼があれほど職場を辞めるつもりでも家に引き篭るしかなかった理由と、元夫のことをぼんやり思い出した。

幸せの分量はみんな等しい

2004-09-23 | 母子家庭だから思うこと
高市早苗さんと言う元議員の方が結婚するそうだ。
今まで政治の仕事をこなして来たキャリアウーマンの女性。朝のワイドショーでとても初々しい(たまに見かける驕ったタレントの世界制服的ノロケ会見と相反するような)インタビューを聞いて、「こういう結婚もいいなぁ~」と心から思った。
何でも、選挙で落選したのをきっかけに縁ができたとの話。その辺りが私を惹き付けるのかもしれない。

生きている間には、どんなに努力しても実らなかった事や、どうしても避けられないアクシデントがつきまとうものだ。
でも、そんな時だからこそ、思いもよらない縁やきっかけが降って沸いてくる。他人や身内を見ていると、そんな話が幾つも出てくる。だから、どんなアクシデントが起こっても、私達は希望を持って前に進めるんだ。次に巡り会う違う形を信じて。

人の事をこれ以上あれこれ思い巡らすのも失礼な事だけど、例え、高市さんが、そのまま議員に当選して仕事を選んで、独身を貫く生き方をしていたとしても、それはそれで幸せな生き方だったと思う。「こうなったから幸せ」とか「ああだったら幸せなのに」とか言う考え方は好きじゃない。選挙に当選落選と言う左か右かの選択のどちらを取っても、形が違うだけで幸せの分量は同じだと思いたい。

離婚してしばらく、「離婚しなかったらどうだったんだろう」と言う妄想に駆られた。そっちの選択を進んだ自分の方が、今のポジションよりも幸せだったんじゃないか?と想像をしがちであった。
けれども蓋を開けてみると、彼はここ何年も定職についていなかった。一緒に居たら、いい事もあっただろうが、やはり苦難は避けられなかった事になる。彼の立場を考えると、彼は心から愛する人とその時は再婚できたのに、仕事や財産を自ら失ってしまった。神様はものすごい幸運も長持ちさせない代わりに、ものすごい不幸な状態のまま置き去りにもしない。

「もしも、子供を手放していたらどうなっただろう」とも考える。子供を手放す事は大打撃ではあるが、子供が相手方で幸せに暮らしているのであれば(これは絶対的な条件だけど)、また私は仕事も再婚にも可能性は広がったのだろう。またそこには違う幸せがあったと思う。

だから、やっぱり今の自分の幸せを大切にしたい。
今、子供と暮らせること。今、必要なだけのお金は持っていること。今、信頼できる姉妹が居ること。満足に眠れる時間があること。今、健康であること。
これが私の幸せの分量ではないだろうか。

いつか子供と暮らせなくなる日が来るかもしれない。
でも、その時は時間ができるし、また新しい何かが見つかるだろう。何かを失えば必ず次に何かと出会う、そんな事をずっと繰り返して来ている。

そう考えると、もう何も後悔しない。ゆっくりゆっくり、今の景色を見ながら、この旅をそのまま続けていけばいい。そんな気分になってくるのだ。
もう何も悩むことなんてない。どっちに転んでも、きっとそこに幸せはあるんだから。

賞味期限のせまったシュークリーム(斬り!)

2004-09-22 | その前の会社
「あ、しまった!」
朝食を食べながら思い出した。

昨日の午後、社長と仲の良いゴルフ仲間の女性が現れて、コージーコーナーのシュークリームを戴いた。中を見ると、社員×1.5倍くらいの数あった。賞味期限を見ると、23日までだった。

23日は祝日であるからにして、昨日今日で食べねばならない。最近うちの会社も現場で忙しく、事務所にはあまり人がたむろしていないので、どんどん食べて貰おうと思った。

さっそく食いしん坊のNさんに「シュークリーム食べませんか?」と尋ねた。彼は今日からまた出勤することになったが、全く元気が無く、いつもだったら2個くらいたいらげる所だが、要らないと言った。(その後もしつこく2度くらい誘ったが、断られた)

次に上司BRさんに「○○さんの差し入れどうですか?」と訊いた。
BRさんは周りが見えないほど忙しいようで、「あ、そこらに置いといて。」とこちらを見もせずに言った。そして、置かれたのがシュークリームだと判ると、「今、(忙しくて)こんなの食べてられない。」と私に投げつけた。どうやら一口サイズの菓子だと思ったようだ。それにしても食べ物を投げるなんて。今に、シュークリームの崇りに遭う事であろう。

他に誰も居なかったので、自分で食べた。
子供の頃は「シュークリーム、わ~い」と言う感じだったのだが、今はお腹もすかないのに、甘い物を食べる事に罪悪感を感じる。それから、このように大きなシュークリームを食べる際に、皆さんは最後に脇からボタボタ落ちるカスタードクリームをどのように対処しているのだろうか。、誰も見ていないとは言え、かなりみっともない姿になってしまった。

その後すぐに冷蔵庫に「○○さんから差し入れのシュークリームがあります、どうぞご自由に食べてください」と書いた紙を張っておくつもりだったが、急がしぶっている上司BRさんに用事を言いつけられて、すっかり忘れてしまった。それから、帰り間際に一つか二つ持って帰ってkekeさんのおやつにしようと思ったのに、それもすっかり忘れてしまった。

忘れた理由はこうである。
5時半頃、そろそろ帰り支度を始めて帰ろうとした所に、上司BRさんがたまたま戻って来て、「sakeさん、蚊取り線香買った?」と言う。
だいぶ前からBRさんに蚊取り線香を買ってくれ、と言われていたが、会社のどこかにベープマットがあった記憶があったので、そのうち探そう探そうと思っていた。(そして気がついたら秋になりつつあった。)
「あぁ~まだ買ってません、明日買いますよ」と言っても、今回は許されず、「sakeさん、俺は昨日ここで仕事をしてて、すごく蚊に刺されたんだよ!今すぐ買って来て。」と言うのだ。(全く、蚊に刺されたくらいで、そんなに騒がなくても・・)と思いつつ、前から蚊取り線香とうるさく言われていたものを放置していた手前、むげにもできず、この時間から近くのスーパーで買う事にする。
「あ、蚊取り線香と言っても、液体状のあれにして。それからもう秋だから、換えは要らないからね、本体で二つくらい買って来て」とBRさんは言った。(BRさんはこのように注文にも細かいのである)

しかし、行ってみたら、この日に限って臨時休業であった。
滅多にここが休みなんて、年に何度も無いのに・・。やはり日頃の行いか、あのシュークリームの崇りだったのかもしれない。

それで、すっかり冷蔵庫に「シュークリームを食べてください」の紙を貼るのを忘れてしまった。
夜に、誰かが帰ってきても、あの冷蔵庫のシュークリームには、たぶん気が付かないだろう。あのままの個数を今日一日でさばくのは、大変難しいと思われる。(私もあの大きさで二つはとても食べられない)

それで、朝食を食べながら「あ!しまった!」と思ったのである。
せめて一つ二つ持って帰って来ていれば、朝食代わりに、今、食べられたのに。
・・・・残念!

離婚と離職

2004-09-19 | その前の会社

あれから、会社の人達が何度か彼の家を訪ねたようだ。

離婚と離職。
似ているかもしれない。
明らかに話を聞いていて、「こんな男と離婚した方がいいのに」と思う場合がある。でも、離婚できない。
「子供が可哀想だから」と言う。本当に子供にとって可哀想なのは、片親である事と、両親が不仲である事とどちらなのだろうか。「彼を愛している」と言う。酷い仕打ちをされながら、相手に傾ける気持は果たして「愛」なのだろうか。それは「執着」とは違うものだろうか。離れてみれば、もっと愛しあえる相手がみつかるかもしれない。

私は、結局、今のポジションを崩すのが嫌なのだ。面倒なのだ。
自分からアクションを起こして、ジタバタもがいた挙句に後になって「やっぱこんな事しなければ良かった」って思うのが怖いのだ。問題の先送りだ、まさに日本もこうして借金がどんどん膨れ上がったのかもしれない。

ただ一つ違う所は、離婚はその後で必ずしも再婚する必要は無い。
しかし、離職はその後で必ず就職せねばならない。うっかり次に乗った船が乗ってみたらもっと沈んでいるかもしれないのだ。可能性は高い。

これは『必ず、絶対』ではないが、自然的法則があるように思えてならない。
仕事にしても結婚にしても、一般的売れ時があるように思う。
ぶっちあけると、新しい物ほど価値が高く、年期が入るほど価値は劣って見えるものである。(あぁ~そうとは思いたくないが)それから中古になると、やはり新品より値踏みされるものであろう。

つまり、何が言いたいかと言うと、通常一般的に、履歴書をつけた自分は6年前ほどの価値は無く、~あぁ~バナナの叩き売りの如く~どうなってしまうのであろうことよ。
ここに歯止めを掛ける唯一の手段=向上心が今の自分に無いことが原因なのだろう。

もう給料は上がらなくていい。
残業しないで、時間作って、生活レベル狭めて、のんびり今の時間を楽しめればいい。
それが今の私の姿だ。

向上心が無いこと、って神への冒涜なのだろうか。
何となく、今の日本に少し似ているような気がする。

これからどうなるんだよ・・

2004-09-17 | その前の会社
午前中、事務所に一人で居ると、電話が鳴った。
「はい、○○会社です。^o^」と答えると、いきなり
「俺って辞めたら、幾ら出るの?」と言う電話だった。

「え~~!それって・・・?!◎◎」

「今、他に誰も居ないよね?」
「はい、居ませんよ」
「もう、辞めようと思ったから、届け(退職の)も書いたし。すぐに調べられる?」
「金額はだいたい出ると思いまスよ」
「それじゃ、よろしくね」

電話は切れてしまった。
社長も工事部長ももちろん引きとめた。
何が起こったのか、さっぱり判らなかった。

私もテンションがガクッと下がる出来事があった。
愚痴ってもしょうがないけど、昨日の午前中までに銀行に振込依頼書を出さねばならなかったのだ。あらかじめ振込先の業者が何十社も登録してある登録用紙で、これに金額を書いてあらかじめ銀行に提出しておく。そうすると、お願いした日に自動に振り込んでくれるのだ。

しかし、今回は間に合わなかった。まだ上司BRさんが自分の現場の支払金額のチェックをしてなかったのだ(他にも仕事があって忙しいのかもしれないけど・・・)。したがって、依頼書はタイムリミットに間に合わなかった。
私は、この後で70社程度の振込みを全部手書きで書かねばならないんだ~。あぁ~~~~

それにしても、またしても今あるお金では支払いが追いつかず、今月も半分は支払いを延ばしてもらうようだ。こういう現象を世の中では『自転車操業』と言うのだろう。

今では懇意にしている業者さんには、ほとんど支払いを先延ばしてもらう状態がずっと続いている。
「今は不景気だから、どこもそうだよ」とBRさんは言うけれど、私の身の回りでこんなに毎回支払いを延ばしている会社ってあるだろうか。あ、一つ取引先であった。月末に毎月もらえるはずの工事代が、先方の都合で半分になったり遅れたりしている所が。

これじゃ、建設会社はあちこち潰れるはずだと思う。
銀行や野球業界みたいに、誰かが助けてくれないかしら。

さてさて、手書きで振込用紙を書きに行きますかね・・・。

子供を守れるのは親だけ その2

2004-09-15 | 父の記録と母の思い出
先日、元姑に電話を掛けようとして、久しぶりに6年前の日記を探す事になった。離婚する直前まで書かれていたと思っていたら、離婚してからも半年間その日記は続いていたようだ。いちいち読む時間も読む勇気も無く、パラパラとだけめくった。

離婚後の自分の文章である。「母と妹が会社の飲み会に行くなと言う。職場への理解が全く無い。」と怒って書かれていた。
唖然とする。
私は今まで「子供の事が気になって会社の飲み会は年に2回しか行かないんですよ」と気取っているが、離婚当初はあわよくば実家に子供を預けて、会社の飲み会で楽しもうと企んでいたのだ。それで実家とケンカしていたらしい。(しかも、その事実は今では都合宜しくすっかり忘却の彼方にあった)

それから、「夏休み実家で子供を看てもらえないか」と頼んだ事もあった。(こちらはちゃんと覚えている)それも母と妹に阻止された。「kekeを預かったらこっちも気を遣い身動き取れない、学童に入れなさい」と言われた。今から思えば当り前の話だが、当時はあわよくば、実家で子供を看てもらい、たまにはkekeさんの友達にお茶菓子の一つでも出してくれないかな~とまで思っていたのである。一番近い所の学童は月に1万円も掛ったので、それもケチろうと思ったのだ。

「ちっ!なんて冷たい人達だ。こっちはずっと仕事をしているのに。一人で子育てしてるのに。孫くらい預かってくれてもいいじゃないか。うちじゃ誰も判ってくれないんだから!!」と天に唾を吐きたくなった。
でも、今にして思うと、アレがあったから、その後自分で体を張って子供を守る気になれたのだろう。
それ位、離婚直後の家庭は親も子も不安定なのである。

母と妹は私の性格を知り尽くしていたから、預からなかったのだ。
あの時、実家がホイホイ同情して子供を受けたら、私はますます「私は大変な母子家庭」をお題目に、たがが外れて、どんどん子供を実家に預けていたかもしれない。それで「実家で看ていてくれるから大丈夫ですよ」と仕事でも夜遊びでも何でもホイホイやっていたかもしれない。

うっかりすると、親は子供を忘れてしまう。
ぬるま湯につかれば、もう一度つかりたくなるのが人間だ。
誰かに看てもらえれば、またついお願いしてしまうのが人間だ。

もう今では、事件の被害に遭われたお父さんを責めるマスコミのコメントは無い。
でも、これは別世界の話ではない気がする。
同じような心の隙間を私達も持っているかもしれない。

母は亡くなる1年前くらいになって、やっと安心したようだった。離婚して3年が経っていた。
「もう大丈夫だね。このまま行けば、きっとあの子はいい子になるよ。間違い無いよ。」と言った。
それから間もなく、母は亡くなった。誰一人予想していない出来事だった。