きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

平塚の続きと、自作ラーメン

2015-06-30 | ぶきっちょさんの家事一般
写真は昨日の続きです。(^_^;)


平塚宮の前の歩道橋の上から、国道1号線を撮っています。
一度ここから横浜まで車で通ってみたことがありましたが、思ったよりかなり距離があってなかなか着かずに大変でした。まだ遠出に慣れてない頃だったので、予定を変更するとどこに行ってしまうのか分からなくなるので、ひたすら進みました。(横浜方面は逆向きになります)


これは平塚八幡宮です。ピンボケになってしまいました。


この時期、家の中を裸足で歩くのが快感なはずが、どうもしばらくすると足の裏から冷えてくる。去年まではこんなことはなかったのに、この時期なのにまだ靴下かスリッパを履いていた。(両方履いていることが多い。)動いている時はまだいいが、パソコンをしたりじっくり座っていると、足の裏から冷えてくるのが分かる。
畳の上ではそんなに「冷えている」感じがしないので畳の方が居心地がいい。しかしこちらは座り続けていると足のひざの関節が固まってしまうのが気になる。お行儀が悪いので本当は良くないのかもだが、薄くなってしまった座布団を二つに折りにして、そこにお尻を乗せて正座している。←これはとても楽。

思い出すのは、数年前ぎっくり腰になった時。忘れもしない、フローリングの床に寝っ転がっていて、ひょいと起きようとした時腰に痛みが走ったのだ。
あの時はたぶん体が冷えたのだろう。そんな気がする。

ここの所、こうして用心に用心を重ねて体が冷えないようにしているせいか、腰痛はあまり表に出てこなくなった。あとは平日の事務仕事、パソコン作業、長時間ドライブも好きだが身体が固定されるので肩や腰には負担がかかるのが分かる。遠出のお出かけは本当だったら電車の方がいいのかもしれない。


先日、ラーメンの麺しかなくスープの素がなかった。
醤油味になっていればいいかと思い、ひき肉を炒め、水(煮干しのだしだったかも?)をたし、鶏がらスープの素、しょうゆ少々、オイスターソースを入れて適当にラーメンスープにしてみた。ひき肉でラーメンスープのだしを取るのは図書館で見た本からのアイデア。(たしかその本ではホタテ缶も加えていたような気がする)
人にこれを「ラーメンだよ」と言って出すにはちょっとムリがあるが、自分で食べるのならこれで十分だった。(脂分が少なくて味がラーメンぽくない。でもその分ヘルシー。)














sakeの歩窓から(平塚)

2015-06-29 | 車の練習
kekeが出かけてくるというので、ドライブに出ることに。

茅ヶ崎まで延びた圏央道を使ってみようと思って、昨日は平塚方面に行って来ました。(^_^;)
駅近くは混んでいて駐車場も探すのが大変かと思い、少し離れた所に止めて歩きました。


真正面に見えるのが平塚駅です。


駅近くの小道。


商店街。来週七夕まつりだそうで、飾り付けが始まっています。(^_^;)


小さな広場も七夕の飾りつけ。


風鈴が並んでいました。


ちょっと光ってしまって調整しました。ISOはオートの方がよかったのでしょうか。。


公園通り。お店の名前がおそろいの看板になってます。
日曜の午後だと言うのに、思うより静かだったような気がします。皆さん海にでも行かれているのでしょうか。

せっかくここまで来たので海も見てきました。

靴に砂が入るのがイヤで、あまり歩かなかった。(^_^;)

圏央道はすいていて快適でした。
雨が降ってきたので、PAには寄りませんでした。








野菜の店でとうもろこし

2015-06-28 | 日記
またいつものように朝、野菜の店にいると72歳のおばあさんがやぁ、という感じで待っていた。今日は何故か待っている人が多いようだ。

何故だろう?と思ったら、今日はくじ引きをしているらしい。2,000円以上買うと1回くじ引きができるのだ。
常連の方に「どんな景品が当たるんですか?」と尋ねると、「いつもティッシュよ。」という返事。

開店時間になり、カゴをつかんでワッと店内に入り、いつものようにトマト、キュウリ、ナスなどをカゴに入れていると、皮付きとうもろこしが売っている。3つ500円。
(それならいいか・・)とカゴに入れようとすると、常連さんがきて「これ、大根の葉っぱ60円だよ」と言う。「白いところと炒めて食べるとおいしいよ」と言う。

(大根の葉っぱだけ?)と思うが、前回この方の買ってたスナップエンドウがとてもおいしかったので、きっとおいしく食べられるのだろうな・・と思ったが、やめた。そしてスナップエンドウの女性のカゴを覗くと、皮がむいてある方のとうもろこしが2袋もカゴに入っている。しかもこちらは3つで350円なのだ。

(もしかしたら、こっちの方がおいしいのかも)と思い、とうもろこしは皮がついてない方を選んだ。(他の人のカゴも多くが皮がむいてある方が入っていた。)

それから、お決まりのじゃがいも(今回はWADAさんのがあった)と、玉ねぎを入れた。まだ梅もあった。もう1瓶作ってもいいんだよなぁ・・と思ったのは、去年作った梅酒が今飲むと、本当においしいのだ。(やはり梅の時期に梅酒を飲むと体にもよけいにいいのかもしれない。)

そしてレジで会計を済まして、それではと出ようとすると、72歳のおばあさんが手招きしてる。
「幾ら買ったんだい?」と言うので、レシートを探しながら「1,300円ですよ」と答えると、「それじゃ、これでくじが引けるから、1回引いておいで」と800円のレシートをくれた。

「それでは」とお言葉に甘えてくじ引きの所に行き、「ゆっくり回した方が当たりますよ」と係りの人が言うので、ありえないほど、ゆっくり、ゆっくり、本当にゆっくり回してみたが、ポトンと出てきたのは白い玉。
「残念でしたね(ハズレ)」と言われ、麦茶パックをもらった。

72歳のおばあさんは、残念だったねと言い、「実は私はその前にやって当たったんだよ」、と言う。「何が当たったんですか?」と言うと、手招きして、これだよと包丁を見せてくれた。
「いいじゃないですか!(^o^)よかったですね。」と言うと、おばあさんは喜んで「それじゃね」といつもように「気をつけておかえりよ」と言って、自転車で帰って行った。

そして、みんながカゴに入れてた皮ナシのとうもろこしをさっそく蒸してみた。

もう~ビックリするほど、甘い!!おいしい!!
3本買って、あっという間に食べてしまった。


kekeに「おいしいから、おいしいから、このとうもろこし本当においしいよ」と言っても食べないので、焼きそばに添えてみたが、やはり食べなかった。(かじるのがイヤみたい)








戦争について考える

2015-06-27 | 読んだ本
最近、近代史の本を借りて理解しようとしている。

TVが見れないので「自分から何か勉強しなくては」と言う気持が起こってきたことがきっかけだった。
「歴代総理大臣の名前や実績を答えよ」と言われても分からないのも恥かしいと思い、総理大臣を知ろうと思ったのである。

そして読んでいくうちに、安倍総理のおじいさんが岸信介と言う人で、前後の安保闘争の頃の総理大臣だったことを知ったり、麻生さんのおじいさんが、吉田茂と言うこれまたスケールの大きい総理大臣だった人だったり、鳩山さんのおじいさんは、鳩山一郎というこの人も総理大臣でアメリカ嫌いでソ連寄りだったりする。こういうことを知るとまた近代史も面白い。

そして近代史に関心を持ってからまだ1~2週間しか経っていないが、そういうことに関心を持つと、自然にニュースも見るようになる。先日、日本と韓国の外相が会談をしたと言うのも読んだ。以前だったらどうでもいい話だと思っていたが、国同士の関係はこういう折衝の積み重ねなのだと知った。先の戦争の時に日本はこの折衝の方向を間違えてしまったのではなかろうか。総理大臣の判断で国内が不景気になったり、時に戦争へ挑発されることもあるのだ。当たり前だが、今までそんなことも気がつかなかった。

ということで(いつまで続くか分からないが)私なりに近代史を勉強して、要点をアップしていこうと思う。自分ではなるべく中立の立場で勉強したいと思うが、それは逆に言うと右寄りの人からは左翼思想と思われ、左寄りの人からは右翼思想と呼ばれてしまう一番やっかいな立ち位置である。でも何が正しいのか本当に分からないので、その方針(なるべく中立)を貫いていきたい。

まず昨日は東条英機さんについて調べてみた。そもそも「さん」を付けていいのかどうかまず悩む。何故ならこの人こそ、あの第二次世界大戦の責任者とも言うべき当時の総理大臣であり、(終戦後の)東京裁判で死刑を言い渡された人なのだ。でも他の人にも「さん」付けで呼んでいるので、ここではそうすることを断わっておく。

当時日本はもう戦争イケイケモードになっていたようだ。陸軍内部は戦地に踏み込むことを手柄としていた思想があったようでそれが正しいと思っていて、平和主義の人は暗殺されたり妨害もされた。
しかし昭和天皇はじめ、政治の上層部はこのまま戦争に進むことに関して危機感があり、なるべくリベラル(戦争反対めの中立)で人望がある人を総理大臣にお願いしていた。が、なかなかうまくいかなかった。その理由の一つは戦争に反対な政策を取ると陸軍からにらまれてしまうのである。陸軍から1人大臣を出さないと内閣が作れない仕組みになっていたので、たちまち政治運営できなくなってしまうのだ。

だが昭和天皇はどうも戦争には反対だったご様子で、なぜ東条さんが選ばれたかと言うと、陸軍のトップでありながらも、この方は昭和天皇のことをとても尊敬していたので、昭和天皇が言えば陸軍をまとめて平和解決の道を作ってくれるのではないか、と言う期待をされての総理大臣推薦だったようだ。

そして実際に東条さんは昭和天皇の言われた通り最初は平和解決を模索したようだ。しかしもうこの時点でアメリカを怒らせていたし(また勝ち目も見えてたようではないかと私は疑う)、アメリカから突きつけられた戦争解決の条件が、とてもひどい侮辱的な内容(ハル・ノート)だったそうである。それで日本国民の世論も怒り、ハル・ノートを拒否し戦争に進むことになる。(こうなったことで東条さんは天皇に泣いて謝ったとwikiには書いてある。)
それから日本は少しでも相手に被害を与え、有利な条件で平和解決という方向を狙うが、やればやるほど悲惨な状況になってしまった、というのが事実のようだ。

戦争の責任を問う裁判(東京裁判)で死刑が決まった時、昭和天皇が泣かれたという話もある。昭和天皇の言葉をまとめた「昭和天皇独白録」という本には、東条さんに同情的な言葉が書かれているそうである。

今までこの人こそ「悪の根源」だと思ってきたが、そういうのを読むと悪いばかりではない気がする。もちろん戦争の被害にあったK国やC国からみたら憎いだらけの相手なのだろうけど、そもそも悪いだけの人っているのだろうか。反省すべき点(戦争を長く続けてしまったこと他)はあるけれど尊重したい部分もある。

私は個人的に、戦争で戦い傷つけ合うことは間違っていたけれど、個人が靖国を参拝することは別にかまわないのではないだろうかと思う。だって、日本だって原爆を落とされたけれど(落とさなくてもアメリカ達は勝てたはずだし、それを自覚していたはず。)今のアメリカ人が当時のアメリカの大統領を尊敬してても、それにどうこう思わないし、思う権利もないと思うから。

「原因を作ったのはどこだよ」と言われればそうなのだが、読んでみると100%日本が好き好んでやぶから棒に戦略したわけでもなく(と私は思いたい)、アメリカ辺りから挑発された部分もあり、当時は実際ヨーロッパの各国もアジアの国を隙あらば戦略し奴隷にしていた感があり、日本も満州などがないといつ本国が攻められるか分からなかった。戦略行為が今の時代ほど否定されていなかった状況でもあるのだ。しかしそれまで勝ち戦(日清、日露、第一次)だったので、奢った部分もあっただろうし、横暴な部分もあったと思う。

さて、これから野菜を買いに行く事にする。
今日の記事は、あくまでwikiや本を読んだ私の感想であり、100%正確とは言えない(誤っている箇所もあるかもしれない)ことを、改めて書置きして、自分のメモみたいなつもりでいることをお断りします。

テレビなんて要らない

2015-06-26 | 日記
テレビが見れなくなって数ヶ月になる。

私とkekeはたまに夕飯を一緒に食べる時もあるし、来なければ私が先に食べてしまうこともある。
私が先に食べてしまうと、kekeは持ち運んで部屋で食べているようである。

夕飯を一緒に食べる時にテレビが無いと食べづらいかなぁと思っていたが、そんなこともなかった。
一緒に食事とするとたまに会話することさえある。
「これも一つの断捨離だな。」
そんな風に考えた。


TVは見始めると、小心者の私はなかなかスイッチが切れない。
1時間の番組で3~4回CMが入る。その時間も積もるとバカにならない。
また少しでも見せようと思うのかいいタイミングでCMを入れる。
それがいつもいつもだといい加減、勘に触ってくる。

あの視聴率が上がった下がったの毎度の大騒ぎも好きでない。
どうしてそんな話題が、トップニュースに近い扱いになるのか理解に苦しむ。
TV業界以外の人間にとっては、どうでもいいことである。

視聴率は落ちて当然、私のようにTVを見ない人間も増えてきているだけ。
大騒ぎするほどのことではない。

彼らは自分らの業界が世間を操作しているつもりでいるのではないのだろうか。
そんなことはないのかもしれないが、そんな臭さを感じてしまう。

視聴率を上げるために、面白い番組を作るためにヤラセをする。
私は面白い番組より、事実を正確に語る番組の方が好きである。


今、書いて分かった。
私はあそこの業界に腹を立てていたのだ、ずっと。

最初はNHKの受信料だけかと思っていたが、そうではない。
あれもこれも不愉快だったのだ。
あのCMの入れ方も、視聴者をコバカにしてないか?
(腹が立つのはそのCMの後でCM前と同じリプレイをするのだ。CMに続き、その時間がまったくの無駄。)
いい商品はそんな姑息なことをしなくても売れるんだよ。

若い頃には見えなかったあの欺瞞を感じるようになってしまったのだろう。
あの思い上がった、あの雰囲気が。

どうしてそれではネットでまことしやかに伝えられる話が、まったくTVで報道されない、そんなことがあるのか。
偏向報道と言われるあれはなんだ。

そもそも地デジなんて私には必要なんてまったくなかったのだ。
いったい、何のための地デジだったのか。

TVなんて要らない。

やってみたら本当に要らなかった。

困るのはお笑い芸人と俳優の名前が分からないこと。
でもそんなの私の生活には何も生活に関係ない。

怒りが収まれば買うつもりだったが、まだ全然収まらない。
もうしばらくこの生活を続けてみよう。














あぁ、夏休み

2015-06-24 | 今の会社
まだ梅雨も明けていないが、会社の暑中見舞いは早めに用意しておきたい主義である。

年賀状もそうだが、こういう季節ものや流行ものは早めにやっておかないと、やる気がなくなる。へそ曲がりなので、そういう時期になってやらなければならなくなると、やる気がしなくなるのだ。本性はキリギリスなのだが、小心者なので後でスケジュールがタイトになるのが嫌い。なので動き方はアリになる。そして、どうにもならなくなるとキリギリスになってすべてを投げたくなる。

そして会社の年賀状を作ることにした。
デザインも去年とさして変わらない。そんじょそこらの会社でも使っていいよと言う無料のテンプレートを借りて定型文句を社名を入れるだけ。

おっと、今年は夏休みはいつからいつなのだろう?
社長がいるうちで、のんびりしている時を狙って(そうしないとそんな事でも機嫌が悪くなるから)訊いてみた。

社長はカレンダーをめくって、12から16、そんなもんだろうと言う。
そして私の方をチラリと見る。
(それは同意を求めるかのようでもある。)

「いいんじゃないンですか」等と他人事のように言うと、そう決まった。

前に書いたブログを引っ張り出せるかどうか分からないが(と思ったらここに引っ張り出せた)、前に1日正月休みが多いかどうかで、社長に文句を言ったことがあった。あの頃はまだ若かった。連休は子供と過ごすものと言う意識があったのだろう。

今となると休みが1日増えたところで、ろくにすることは無い。
しかもその時期家にいると暑い。
寝っ転がっても暑い。
クーラーを入れると冷房代が気になる。
会社だと思う存分冷房がかけられる。(なぜなら他のメンツはもっと暑がりだから。)

でも、よくよくカレンダーを見ると土日はもともと休みなので、私は実質3日か。まぁいいや。


そのうち社長はどこかに出かけ、しばらくすると課長が帰ってきた。
今年の夏休みここなんですよ、と私はカレンダーを指さした。

「土日がかぶってるから実質3日間なんですよね」と自虐風に語り、「でも気にしません。家にいると暑いから。会社だと冷房が思いっきりかけられるし。」

と、ことさら強調するかのように、マグカップを洗いながら「会社だと冷房が思いっきりかけられますからね~」と語っていると、突然社長が現れた。
(うっかりその状況に気がついてなかった)

ちょっと気まずい。
でも気にしません。
本当のことですから。(^_^;)


















「じゃあ言うけど、それくらいの男の気持ちがわからないようでは一生幸せになれないってことよ。」

2015-06-23 | 読んだ本
「じゃあ言うけど、それくらいの男の気持ちがわからないようでは一生幸せになれないってことよ。」
このような長いタイトルのDJあおいさんの本を読む。


恋愛指南本である。この方はツイッターでのつぶやきから人気が始まり、今では何十万もの人がフォローをしているそうである。いくつかこれはと思うポイントを書いてみる。(原文通りだと文字数が多くなる場合、多少編集していることをご了承いただきたい。)

●人間には大きく分けて「愛したい気持の先行タイプ」と「愛されたい気持の先行タイプ」があり、(前者は愛情、後者は欲望なので)失恋後の前者の未練は短期間で消えるが、後者は執着なので、不自然なほど気持が消えない。

私は自分本位で愛情より欲望が優先する人間なので、男に対しても執着しやすいのだろう。元夫に対しても養育費(払う・払わない)の絡みも続き、その後10年ぐらいウラミ続けていたのはこのブログでも書いた。今振り返ると元夫自身への愛情ではなくて、当時の子供を取り巻く家庭状況への執着のような気がする。


●価値観は合わせるものではなく許しあうもの。その違いをどこまで許せるかが「愛情の深さ」

ひとり気ままに生きているのが17年にもなると、新たに誰かの価値観に合わせて生きるのがしんどくなってくる。ありがちなのは価値観の違いを正論で論破しようとすることだ。これをすると論破できる方はいいが、された方はやがて意思を失くし、口を閉ざすようになる。お互いが相手を尊重し許し合う努力は意識的にしていく必要があると、今頃になって思うようになった。


●恋愛というものは過去や未来にするものではなく、"今の瞬間にするもの”。そしてその瞬間の繰り返し。

私は小さい頃からずっと「お嫁さん(専業主婦)」に憧れてきたので、人生の目的は「永遠に愛し愛され暮らすこと」だったと言って過言ではない。しかし2度も結婚したにも関わらず、とうとうこれにたどり着くことができなかった。そもそも「永遠に誰よりも愛される」というお題が難しいのだ。人の心や価値観は常に流動している。変わっていく自分が、変わらず相手を愛する努力をしてからでなければ始まらない。
まれに「永遠に愛し愛され」みたいな夫婦もいるようだが、私の想像だとそういう人は、伴侶だけでなくて、誰に対してもニコニコ深い感謝と愛情を注ぐことができる人のような気がする。



そう言えば最近の若い男の子の間で「結婚はコスパが悪い」と言う言葉があるようだ。

コスパ=コストパフォーマンス。
つまり、自分が掛けたコストに見合ったリターン(見返り)が戻るのか?という話である。

この「コスパ」と言う言葉と「リスクリターン」と言う言葉はよくkekeの会話で出て来る。常にこんなことを考えるのはうちの子だけかと思っていたが、自分が掛けたコストに対してどのぐらいの見返りがあるか、これが今の若者の重要な選択の一つらしい。(汗)
結婚はコスパが悪いと言うのは、子供を育てたり奥さんを養うのにかけるコストや時間・ストレスを考えると、その見返りは少ないのでは?と言う考え方である。
言われてみると、今は「家を継ぐ」と言う考え方もない。子育てに意義が見いだせないと、離婚率が上がった今、永遠の愛も定かではないので結婚はコスパが悪いことになるかもしれない。


ここまで書いて、自分の性格での恋愛もコスパが悪いということに気がついた。

まず言いたいことが言えない性格ので、相手の価値観にどうしても振り回されがち。
油断すると執着しやすいので、ジ・エンドが死別にならない限り、最後に恨みが残るケースがほとんど。
「常に愛し愛されラブラブ暮らすこと」と言う夢は、相手が誰であれ現実的にほぼ不可能。

相手がどうのこうのではなく、自分の性格が恋愛に不向きなのである。
ちなみに友情を育むのも不向きのような気がして、最近は人も距離を置いて付き合うようにしている。



ナスがあるので定番の麻婆茄子。
もうちょっと甘くした方が好きだった。





気がついたけど、恋愛で悩みや相談することのほとんどは恋愛ではなくて「執着」なのかもしれない。(自分も他の人も)













ウォシュレットの交換

2015-06-22 | 日記
ウォシュレットを交換することにした。
2年前ぐらいから、ボタンの表面が割れてきたり、常にポタポタ水がたれていたりしていたが使い続けていた。最近、茶色のベタベタするような液体状のものが床に落ちることがあって、「何で?」とググってみたら、中の部品が破損して溶けているらしい。慌てて交換することにした。

某有名家電量販店(名前はあえて明かさず)に行き、「ウォシュレットを取り替えたいんです」と言うと、リモコンタイプと、便器についているタイプとどちらがいいですか?と言うので「便器の右についているタイプで充分です。」と答えると「メーカーにこだわりが無ければこれがお勧めです。」と指差して言う。
値段的にもこの中で一番安い。

「それじゃそれで」と言おうとしたが、ちょっと待てよ、「他のはもっと高いですが何が違うんですか?」と言うと、リモコンタイプになっているか、メーカーをTOTOにこだわるともっと高くなるようである。TOTOではないが、国内某メーカーなのでまぁいいかと思ってそれにした。

翌日、ウォシュレットを持って業者さんが来てくれた。
しかし気のせいか何か不思議な違和感があるのは、その人がトイレ仕事に慣れている風には見えなかったのである。(あくまで私の想像で確信的なものではない。)
私はてっきり給排水屋さんがやっているのかと思っていたのだが、どうもトイレ仕事に慣れないと言うか、慣れている人だとあまり便器も気にしないと言うか、もっと普通に仕事するんじゃないのかなぁと思うのだが、つまり気持悪いそうにしているように思うのだ。

次に雑巾を持ってきていない。
そして、ウォシュレットをはずすと、「それではお客さんが便器を拭いてください。」と言う。

「えぇ?それはしてくれないの??@@」と私もかなり面喰ったが、そう言われるとしなきゃいけないのか、と思い、雑巾を用意して拭くことにする。
その前にざっと汚れは落としておいたのだが、やはりウォシュレットのその溶けた部品の跡がべっとりついて、なかなか落ちなかったが、どうにかある程度落とすことができた。

その後、ウォシュレットを装着して認印を押したが、またここで驚いたのは「何かありましたら、ここに連絡してください」と渡されたのが、運送屋さんの会社なのである。つまり、この人は運送屋さんなのだ。だから気分悪そうにトイレで取り付けていたのではなかろうか。(と想像する)

それからはずした後のウォシュレットもそのまま置いて行かれてしまった。はずした後のウォシュレットはお金を払っても処分してくれたらなぁと思って、最初に家電量販店で会計する前に相談したのだが、その時点で「できません。燃えないゴミで捨てられますから。」と断わられて既に了解していたからいいんだけど、一般的にそういうものなのだろうか。
はずした後のウォシュレットも改めて大きさを見ると、自治体のゴミ専用袋で捨てられる大きさなのかどうかビミョウなところである。(一番大きな袋はまだ買った事がなくて私は分からない。)

その分値段が安いので文句を言うようなものではないのだが、これからウォシュレットを取り替える方は、こんなことも選ぶ際の参考になるのではないかと思い、書いておく。
うちの会社で取り替える時もこうなのかな??
次に変える時があったら、知ってる人に頼むかも。(でも壁紙とかあまりきれいでないからねぇ・・う~ん。)








総理大臣にはまる

2015-06-21 | 読んだ本
最近また老眼が1歩進む。

そう思うのは、じゃがいもの皮をむいたり手元で何かをする時である。近眼用のメガネが邪魔なのだ。
気がつくと、朝メガネをかけずに台所に立っている。本もできればメガネをはずして読みたい。

今日は気がつくと、裸眼でパソコンを叩いていた。
以前だったらメガネを掛けなければパソコンは使わなかったのでは?いや、ただ不精になっただけ?よく分からない。

もともとの近眼が強いので、手元が見にくくなるとメガネをはずして裸眼で見る。
まだ小さい文字もそれで読める。裸眼で針に糸を通せなくなったら、老眼鏡を作ることになるのだろうか。
寝ながら本が読めるのも今のうちかもしれないと思い、心行くまま本を読む事にする。(読めなくなったらまた別の楽しみを探そう)

そこで今読んでいる本の話。
はまっているのは総理大臣系の本である。
先週読んだ「池上彰が読み解く! 戦前ニッポン 総理の決断」と言う本がきっかけでただ今、総理大臣にはまっているのだ。

この池上さんの本(戦前と戦後の2冊)は分かりやすく要点も抑えられていて、文字ばっかりじゃなく、写真もふんだんに入っていて教科書みたいな本である。(本のサイズが大きいので電車の中で読めるタイプではない。)
私は今はまっている「総理大臣」の知識をこの本をメインに広げる事にした。未だ何回読んでも頭に入ってこないので、近くの本屋さんで取り寄せてもらっている最中である。
そのうち手元に来るからいいやと思って、本自体はもう図書館に返してしまった。

そして今は、八幡和郎さんという方の「歴代総理の通信簿」と言う本を読んでいる。

挿絵もなく、かわいくもなく、読みにくそうな外観だが、総理大臣に点数をつけましょうという発想の面白さで興味しんしん借りてみた。

そして今、東条英機さんの所まで読み終わった所である。
八幡さんの採点では、10点満点は伊藤博文さんと原敬さんだそうだ。「伊藤博文(さん)が朝鮮で暗殺されたのは日本ならぬ朝鮮においても不幸なできごとだった。何故なら伊藤さんは朝鮮を併合することには慎重だった」と書いてある。明治天皇からもとても信頼されていて、中国からも「顧問になってほしい」と言われるほどだった、もっと長生きしてほしかった元総理のようである。

もう1人の原敬さんも、類い稀れな政治家と言う評価がされている。(成し遂げたことは第一次世界大戦の戦勝国と認められたことぐらいしか書かれていない。主に内政に尽くした方で、この時期朝鮮との関係も平和だったようだ。最後は暗殺されてしまう。)

途中「ロコウキョウ事件」とか単語が出てきても、まだメインの「教科書」が手元にないので、何のこっちゃよく分からない。なので読んでいると言っても、かなりラフな読み方でいい加減なのだ。


さぁ、そしてこれから戦後の総理大臣の点数である。
明治時代の総理大臣がこうして、10点、9点、7点みたいな採点が多いのに比べて、(ただし大隈重信さんは1点しか採点されず、)戦争(第二次世界大戦)時期の総理大臣が点数が低いのは仕方ないとして、私の知る総理大臣の点数はどうなっているのだろうか。

私は待ちきれなくなって、リアルで知っている総理大臣の点数だけ先に見てみた。
私が生まれてから以降で一番点数が高いのは、大平さんと小渕さんの9点。
橋本さんと細川さんの7点。
その他有名所では田中角栄さんの4点、小泉さん4点、鳩山さん2点、麻生さん4点。
そして気になる安倍総理は現在での暫定としながらも4点になっている。

恥ずかしいことだが、私は今まで「タカ派」と言う意味を知らなかった。てっきり派閥の名前かと思っていたが、タカ派→右より(考えがやや過激)、ハト派→左より(やっつけずに温和に解決したい派)と言う意味のようである。

筆者の八幡さんによると、一番理想的なのは「(海内外から)感謝されるハト派」次が「感謝されるタカ派」、次の「感謝されないハト派」はふがい無く、当然だが「海外を敵に回すタカ派」は最低評価となっている。
つまり、国のトップはこらえる所はこらえて、しかし意志ははっきりと、相手を折り合いながら、いかに優位に物事を進めるか・・・この資質が必要なようである。

さて・・・これからどうして田中さんや小泉さんが4点どまりなのか、大平さんと小渕さんが9点なのかと読んでみる事にしよう。

ちなみに宇野さんと羽田さんはあまりに任期が短かかったので「評価不能」と言う採点になっている。











後光がさす女性

2015-06-20 | 女だから思ったこと
よく銀行さんの入口で「いらっしゃいませ~」と言っている女性がいる。
主にATMの使い方が分からないお年寄りのフォローをしていたりするのだが、いつもよく行く銀行のその入口の女性が、最近違う女性に変わったのだが、やたら感じがいい。

私とたぶん、年もそんなに変わらないだろうその女性。
とても感じがいいな、と思って、(どうしてだろう?)と考えたら、とってもニコニコしているのだ。

前に居た女性もイイ人だったけれど、今度の女性はいつもニコニコしてて、「本当に人のお役に立ちたい」という雰囲気がみなぎってて、来る人去る人にちゃんと顔を見て「ありがとうございました」と言うのである。(前に居た人はよそを向きながら機械的に声を掛けていた感じだった。)

そこから我が身、胸に手を当ててよく考えると、忙しい時とか誰かが来ても(知らないと大抵飛び込みの営業の人だから)結構ぞんざいな顔をして機械的に対応していたように思え、恥かしくなってくる。

電話1つでもそう。
ナンバーディスプレーで明らかに無関係な営業だと分かると受話器を取る瞬間から「どうやって早く切ろうか」と考えてしまう。いくら切ろうとしても、少しでも時間を延ばして根掘り葉掘り探ろうという相手もいるから、防衛も大切なんだけど、やはり本性丸出しというか、冷たいかもだよな、日頃の心がけがこういう場面で自然に素振りに現れるものだな、と考えさせられた。

その銀行の女性は美人な方とは言えない。
私と同じぐらいの年なので、いいおばさんである。
でも、本当に人の役に立とう、仕事があってありがたい、と言う気持がニコニコと後光になって差しているような不思議なオーラがあるのだ。

そして先日、その銀行から帰る時、その女性が「ありがとうございました」と言うので、クルリと振り返り、「いつも笑顔が素敵ですね」と言ってみた。
その女性はビックリして「とんでもない!」と手を振るので、「いえいえ、いつもそう思っていたんですよ。私も(事務員として)見習わねばと思ってます。」と言うと、とても喜んでいた。


それから10日ぐらい過ぎただろうか、昨日ATMでお金をおろしていたら、その女性がやってきて「この前はありがとうございました!」と言い、ウェットティッシュをいただいてしまった。

「いえいえ、そんなつもりではなかったんです」と言ったが、女性は「あの言葉で、あの日1日頑張れました。」と軽くガッツポーズをして言う。
「それで1日頑張れた」と言う表現に、同じおばさん社会人(つまり、この年になっても底辺で言いようにこき使われた挙句、男からもオバサン扱い)として、すごく共感というか、そうでしたか、そうですよね、1日頑張れましたか、と言う気持になって、「言ってみてよかった」と心から思う。

ATMでお金をおろした後、その女性を振り返ると、おじいさんのお客さんの話(たぶんどうでもいい自己満足話だと思う)を親身に聞いているようだった。
本当に仏様のような(と言っては仏様に失礼だろうか)女性である。


ちなみに余談になるが、その銀行の窓口にはこれまたビックリするほどべっぴんな美人がいる。まだ若くて、アイドルでも女子アナでも今すぐ通用しそうな本当に美人で可愛い女性なのだけど、去年入社したばかりの時はニコニコしていたのに、最近はちょっとツンツンしてて残念である。(オバサンは何も考えてないフリをしながらも、そう言う所は見逃さない)

私は後者の女子アナ系の好感度を目指すのは肉体的にも年齢的にも無理なので、あの仏様的後光さす女性の方向をゆるく目指してみたい(と内心思う)。


昨日は頂いたとうもろこしをゆでたり、keke用にドライカレーを作ったりした後に、もういい加減疲れてしまったが、買ってしまった小アジで南蛮漬けを作った。
アジの南蛮漬けは、
ハラワタを取る→アジを揚げる→調味料をあわせて漬けこむ

と、3段階手間暇がかかり、前から食べたかったけれど滅多にしない料理である。
でも買ってしまったので仕方なく作って、写真も撮るのが面倒なほど、もう何もしたくないと思ったけれど、今撮らないと次にいつ作るか分からないと思って、シャッターを切った。
先ほど見たらチューリップマークにするのを忘れて全部ピンボケ。
悲しかった。