きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

今までのお気に入り写真ベストテン(5位~1位)

2018-10-13 | あとから選んだ総集編
それでは昨日に引き続き、今まで撮ったお気に入り写真ベストテン。
5位から1位を紹介します~~(^o^)丿

いろいろ見ているうちに「1人で写真を撮るだけ」でも後で振り返ると思い出になるものですね。
kekeが付き合ってくれた横浜のランドマークタワーの夜景や、お友達に連れて行っていただいた、しまなみ海道の「亀老山展望台」もすごく良かったんですよね!!

ここですごく迷いましたが・・今回は「偶然撮れた」というのもポイントにしています。(^_^;)

それでは行きます!お気に入り写真、第5位~!

ダカダカダカダカ・・・・・ダーン。

横浜の街に夕焼けが沈む~~~~(2017年5月8日のブログより)

やはり「夕焼け」はいいですね~(^_^;)ましてやYOKOHAMA。これが絵にならない訳がありません。
ここでも書いていますが、まだ横浜の風景写真はこちらの大桟橋と、ランドマークタワーの夜景しか知りません。ここが素敵なので、結局ここに行ってしまうと言う。。。この日はこの場所に何人かカメラで待たれた方がいるので、「ここがいいポイントなのかも」と私もカメラを構えて待ちました。
その通り夕日が落ちて、きれいな写真になったという訳です。。


では続いて、第4位~!

お台場は潮風公園からの夕日~~~(2017年11月5日のブログより)

こちらも偶然落ちた夕日の写真です。
お台場はフジテレビ辺りは観光客で混んでいますが、ちょっと離れるとそうでもありません。
こちらの公園もフジテレビのちょっと先にあるのに、地元の人が遊んだりのんびりしている雰囲気です。駐車場も今まで満車の表示を見たことがありません。
たまたま夕陽が落ちたので写真に撮ってみました。


そして第3位。

よみうりランドのイルミネーション(2017年12月16日のブログより)

去年のこの冬はあちこちイルミネーションを見に行きました。私がその中で一番好きだったのが、こちらのよみうりランドです。
きれいな写真が撮れたので、確か3回か4回に分けてブログにアップしたと思います。(^_^;)
これは三脚を立てて撮った写真です。後半は面倒くさくなって三脚を使わなかったのですが、三脚を使った方がきれいに撮れました。ジュエルミネーションという名前の通り宝石みたいです。手前のカップルさんをもっと大きくきれいに撮れたら更に良かったなぁと思います。


こちらも同じ日の「よみうりランド」での写真です。こちらはカップルさんを大きく撮っています。もう少し明るくキラキラ撮れたら更に良かった・・・そういうレンズのアクセサリーもいつか買って使ってみたいです。


ではいよいよ2位!

桜舞い散る川越の小川~~~(2018年4月1日のブログより)

今年の春は都内近辺の桜をあちこち堪能(?)しました。もっとゆっくりしてもいいのでは?と思うほど、駆け足であちこち行った2週間でしたが・・・たまたま立ち寄った川越の小川で撮ったこの絵は和風できれいだったので2位にしました。この場所では偶然にも花いかだも見れて、本当にうれしかった。
花筏の写真をどちらを選ぶか迷いましたが、偶然着物姿のカップルさんがいらしたので、こちらの写真にしました。(^_^;)


そして栄えある1位は・・・・・


ジャ~ン。横浜は赤レンガ倉庫のイルミネーション~~~(2017年11月26日のブログより)

クリスマスの時期の赤レンガ倉庫・・そのツリーを見つめるカップルさんの影絵の写真を撮ってみました。(^_^;)
何となくロマンチックでいいなぁ~と思って1位にしてみました。
結構混んでいましたが、ここまできてしまうと写真もよく撮れるようです。三脚を立てて撮っている方も何人もいました。

こうして振り返ると、横浜や夕焼け・イルミの写真が多いですね。(^_^;)
また天気が落ち着いたら・・そろそろお散歩も楽しい陽気だし、歩きたいですね。

今までのお気に入り写真ベストテン(10位~6位)

2018-10-12 | あとから選んだ総集編
今日は少し趣向を替えてみようと思います。


だいぶ前になってしまいましたが、あるブログお友達さんに「sakeさんのお気に入り写真のベストテンなんてどうですか」と言われたのですね。決して忘れてはいなかったのです。
すぐにサササと写真はざっくり選んでいましたが、なかなか書けずに延び延びになっていました。

せっかくご好意でそのように言ってくださったので、恥ずかしながらアップしてみたいと思います~(^o^)丿←運も向いてきたから気持明るいです。


まず10位から。

ダダダダダーン。発表~


10位 紅富士&逆さ富士~~(2017年3月12日のブログより)

これは写真がきれい云々と言うより、貴重な写真なので10位に選んでみました。(^_^;)富士山ですし。
この当時、富士山にはまっていて「雪が解けたら富士山の写真を撮りたい!!」と思い、絶景くんのHPを見て「いける」と思い、突如出かけました。
今から思うと、何だかスゴかったですね。
この日のブログを見ると、白黒写真もよく撮りましたが、やっぱりもっとカラーで撮ればよかったかな!思いつきでしたが、あの行動力に振り返るとびっくりです。
しかし・・やはりコメントでもご指摘を受けたとおり、ちょっと危険ですので、これからはノーマルタイヤでこの時期に行くのは止めようと思います。<(_ _)>そういう意味でも貴重な1枚なので10位に選びました。


そして第9位

ジャジャーン。山下公園のアベック~~~(2016年11月3日のブログより)

これは当時お気に入りだったと言いますか、カップルの写真を撮ったのがたぶんこれが初めてだったのではないかと思います。(^_^;)
この写真ですっかり気を良くして、私はこれからカップル&人影の写真をよく撮るようになっていったのです。
今見ると、別に白黒でなくても良かったような気がしますけど、当時はきっと白黒で撮るのが好きだったのでしょう。女の子の指をさしているポーズもタイミンググーでした。(偶然です)
ちなみに手前にあるバギーはあまり意味がありません。ただ私が座っている位置から写っただけ・・でもこれが無いよりあってまた良いような気もするんです。もっと昔の写真だと思っていましたが2年前だったんですね。


続いて第8位!ダカダカダカダカ・・・

ダーン!
西湘パーキングエリアで見た日の出~~~(2014年8月24日のブログより)
カメラ買い換える前の写真で唯一ベストテンに入れた写真です。
これは海に行こう~と思って出かけた先のPAで偶然見た日の出を写真に撮ったものなんです。
また日の出に照らされた雲がきれいで・・・この写真はよく覚えていますよ。
先ほど「山下公園で撮ったアベックが最初の恋人写真」と書きましたが、男性の二人組みの写真はこの時に撮っていたんですね。(^_^;)
もう8年ぐらい前の写真かと思ったら、まだ4年前だったんですね、へぇ~。


次に行きます。
第7位!!


東京競馬場で真剣に新聞を見つめるおじさまの写真~~~(2017年11月18日のブログより)

何回か写真を撮っている東京競馬場です。(^_^;)
何の策略も無く、ただ白黒でシャッターを切ったのです・・・が、後でよく見ると何となく二重のボヤけ加減や、真剣に新聞を見つめる方がまさしく「競馬場!」と言う感じで、この写真実はベスト1にしてもいいかぁ~ぐらい気に入っています。この傾き加減も偶然とはいえ、何だかいいなぁ~って。本当にたまたまなんですけどね。
また東京競馬場、こっそり行ってみるのもいいですね。一説によると、競馬場は写真を上達するのにいい場所だとか。走る馬を捉えるのもいいし、一眼を持っている方も多いのでカメラを持っているのがそんなに変でないんです・・・まぁこういう通路で撮っている人はいないので、こっそり急に撮るしかないのですけどね。。


そして前半最後の第6位!!
ちょっと趣向を変えまして・・・

ジャーン。
渋谷の交差点を渡る人たち~~~~(2017年12月31日のブログより)

先ほどの競馬場の写真と同様にちょっとありきたりでない写真を選んでみました。(^_^;)
ただ横断歩道を渡る人の群れなのです。この感じが「都会っぽいなぁ~」と思って選んだ写真です。交差点の雰囲気があるような気がして。。。
この日は青の洞窟(イルミネーション)を見に行ったようですけど・・・よく見ると大晦日ですよ??
大晦日にこんな所で写真を撮っているのかよ、と自分で自分にツッコミたくなります。当時は(と言っても昨年ですね)、写真にはまっていたのでしょう。
今年は・・・真面目に御節の用意とか、大掃除とかを致したいと思います。。。。(-_-;)

駆け足ですが、10位から6位まで発表してみました。
残り5位からはまたそのうち時間がある時にまとめたいと思います。<(_ _)>
ご静聴ありがとうございました。

こんな時期だから食あたり総集編

2015-06-02 | あとから選んだ総集編
昨日は不安なトマトソースを使ったパスタを弁当に持って来て食べた。
何事も起きなかったので、夜もそのトマトソースでベーコン・ナス・しめじのパスタを炒める。

とりあえず何事も起きなかった。
(まだ少し残っているが、もう捨てるかもしれない。)

これは自分だけかもしれないが、こうして「来るか来るか・・」と身構えて食べる時は何も起きず、何が原因かさっぱり分からないまま胃腸が上下七転八倒することがある。あれは何が原因なんだろう。
そう思って過去のブログを紐解くとあったあった。

今日は過去に記した食あたりの記録をまとめてみた。

2013年5月23日「突然の腹痛」

朝4時台に目覚め「お弁当はたけのこご飯にしよう~♪」と思ってタケノコを切ろうとした時に突如お腹がおかしくなり、何度もトイレに直行する。「この調子で途中でもよおしたらどうしよう」と思いながらも、出勤の車を運転している辺りが行き当たりばったりの自分の人生を象徴している。
今から振り返ると、時期的にも食中毒であった可能性も考えられるが、nanuさんの風邪がうつったと苦情を訴えていたようだ。


2007年5月30日「たぶん食中毒」

これはもうあれから8年も経ったのに未だ覚えている。あんなに家の外で苦しんだことはなかった。
こう見えてもこの私、会社を早退しようと思うことは滅多にないのに、この時は苦しくて苦しくて「早退を言い出すべきかどうか」真剣に悩んだ。あれはまさに車酔いで、もうかなりやばい状況を言い出すかどうか悩むのと似ている。
あれから食中毒だけは起こすまい、と思ったのに、また油断をしそうになっている自分がいる。しかも原因がエビチリだと言うことも忘れていた。
翌日K女史が「私の作った麦茶かもしれません」と言ってくれたが、今読んでも間違いなくエビが原因であろう。


2012年10月10日「たぶん食中毒(その2)」

上の「たぶん食中毒」に続編があったのを検索して思い出した。ただ単に上のエビがあまりにキョウレツで忘れられず、それに習って(その2)にしたのであろう。
この時も「これで車に乗れるだろうか」と思うのだが、出るものが出尽くした後、お茶なら飲めるかもレベルにまでなり、車で帰ることもできたようだ。その後「カレーなら食べられるかも」と息子に言っているので、だんだん落ち着いてきたのだろう。


この他にも正月に寝込んだことがあり、これもまだ覚えているが、これは風邪だったようだ。
これらを読んで本当に肝に銘じてこの時期は、いやこの時期に限らずこれから気をつけよぅ。。。。
たまにここを読むと、気をつけようと言う気持になれるかもしれない。

父の思い出総集編(ブログの最初の頃)

2014-08-10 | あとから選んだ総集編
昨日は料理屋さんで打ち合わせ。
妹が仕事が無い日を選んで私も一緒に行けるようにしてくれたようである。

ボンクラな私はほとんど発言らしき発言もせず、妹と担当の方のやり取りを見ているだけであったが、ふと父が生前「葬式には自分の歌っている歌をバックに流してほしい」と言っていたのを思い出し、その時流すのはどうかしら?と言うと、妹も賛成してくれた。(それが唯一の発言であった。)

父の経歴書が書けなくてと妹が言うので、「たしか出身学校は○○○だったような」と言うと、「お姉ちゃんが覚えている事があったら後でメールで送ってね」と言うので、そうすることにした。

家に帰ってから、できるだけいろんなことを思い出したいと思い、このブログの「父の記録」のカテゴリーの古い記事をざざっと読み返した。と言うのも、父は一時期、昔の同じ話をグルグル繰り返していた時期があったので、何か出てくるかもと思ったのだ。
本当は父との思い出は悲しくなりそうなのでしばらく封印する予定だったが、必要に迫られ読んでみるとどれもこれも和やかな思い出になっているのを発見する。

●父の話(2004年6月20日)

ブログを初めて2ヶ月が経ち、父をざっくばらんに紹介。
まだ認知症の兆候に気づかず「昔話を繰り返すボケ老人」なんて書いている。
ブログに父が登場するのは月に2回程度なのだが、今振り返ると、この「父の記録」のカテゴリーが一番充実しているような気がする。この後10年間父を介護し続けた妹はよく頑張ってきたものだ。
ここに登場する「設計会社の社長さん」も今は息子さんの代に変わっている。お元気なのだろうか。この時、父から電話の一本でもさせておけば良かったなぁと今思う。

●桜咲く母の法事で(2005年4月10日)

このカテゴリーの中でも、私がもっとも好きな記事。
母の法事で挨拶をする父の言葉にのけぞってしまいながらも、両親の仲のよさを思いユーモアと温かさを揃えたヒトコマ。
ちなみに父の遺影は、自分で選んであり、母の遺影の写真の裏に重ねて一緒に額縁に入れていたらしい。どんな写真なのか楽しみだ。

●妹のプチ怒り(2006年9月18日)

この記事を読んで、普段笑わない自分が吹き出してしまった。
ここで笑いのツボにストライクと書いてあるが、8年経った今でも笑いのツボに入ってくる。
これから何か悔しい事があるたびにこの記事を読んで笑おうと思い、選出。


こうして振り返るとまだ父が認知症と分かる前は、日に日に行動が逸れて行く父に呆れ、コバカにもしていたようだ。
妹夫婦が出かけてたまに父の所に行かなければならない時は「やれやれ、またあの話を繰り返されるのか」みたいな感じで、その一方でそんな風に思ってしまう自分を「でもいずれ別れがくるから後で後悔しないように」なんて書いている。

今になって振り返ると、こうしてコバカにしたり、いらだっていたことも、父が元気だった頃だなぁと思える。
「もっとああしておけば」みたいな後悔はなく、ただ、ただ、「父が元気でこんな頃もあったなァ」と言う感じ方である。このあと父の病気が分かり、逸脱さを増し、やがて病院に入る。その変化の中でだんだんと気持も代わっていったようだ。

経験者の方のコメントを読んでも、たぶんみんな父と同じような経過をたどっているような気がする。
今、親との関係がイマイチと思われても、10年の間には少しづつ変わっていずれはみんな同じ気持になるように思う。
今となるとどれも楽しかった思い出になりそう。

ブログ総集編「資金繰りに爆走」

2013-11-25 | あとから選んだ総集編
ある読者の方からメールをいただいた。

「今日ヒマな時間にsakeさんのブログの『あとから選んだ総集編』のカテゴリーを読んでみたら、お腹が痛いほど笑えました。」
と言うお褒めの言葉であった。

私はこう言う事を言われてしまうと、すぐに調子に乗って木に登ってしまうサルなのである。
なので、今日は超久しぶりに『あとから選んだ総集編』の記事を更新したい。

タイトルは『資金繰りに爆走編』とでもしておこう。
今から数年前、会社の資金繰りがヒジョウに大変だった頃の記事を総集編としてまとめてみた。
経理の内容なので、分かりにくい箇所も多いと思われるが、「昔はこんなにsakeさんは大変だったんだなァ」と思っていただけたら幸いである。

それでは、そのある読者サンのために綴る総集編。
文字数、リンク先が多数あるため、時間があって気が向いた時に読んでいただきたい。そうでないと時間がもったいないので。


●「初めてマイナスの残高に」(2004年10月1日)

この日初めて銀行の当座の残高がマイナスになるのに気づく。これはこの後のてんてこまいの序幕である。ちなみにこの記事に登場しているnanuさんが、結婚のお祝いのサラダボールを買ったnanuさんである。

●「しょうがねぇだろ」(2004年10月2日)

Aさんが下請けさんに支払いを約束していた工事代の入金を返済に引き落とされてしまい、Aさんと私が社長の目の前で口論をしている。こんなこともあったっけか、と今振り返ると懐かしい。
今ならもうこんなことでケンカはしないだろう。私達も大人になったものだ。

●「つなぎ融資をつなぐ」(2004年9月30日)

ダジャレみたいなタイトルになっているが、中を読むとまさにその通りである。これが当時の状況だった。この記事を読むと、現在の資金繰りの平和さに両手を合わせたくなる&この平和が永遠に続く事を願って止まない。今の私ではここまでできる自信が無い。

●「給料日ももめる」(2006年7月25日)

お金が無いので私は上司の給料を止めてしまう許可をもらうが、当日になって彼が手のひらを返すかのように私を責める場面である。しかし確定申告の還付で思わぬ入金があって「助かった・・・」とつぶやく当時の自分がせつない記事。

●「いつもの事だが毎回困る」(2006年11月14日)

まったくもってこんな感じであった。私は何の決裁権もないのに、銀行もそれを知りつつ尋ねてくる。上司BRさんと銀行の間にはさまれて正直者の私がウソをつかねばならない苦しい場面もあったっけ。

●慌てふためいた支払日(2004年11月25日)

あてにしていた銀行融資がおりず、急遽その日入る工事代から支払いをするために、何十社ある振込用紙を、別の銀行からの振込みに変更した。そして50万足りないのを、別の銀行からの支払いに変更。
よくこんなコトができたと思う。当時の自分を心からほめてあげたい。

●言語尽くしがたし。(2006年11月30日)

あまり記述が無いので想像でしかないが、おそらく月末の支払いがまったくできない状況だったのだろう。言語尽くしがたしなほど、悲惨な状況だったと思われる。
下請けのOROの会社もうちからのお金がないと支払いができず、お袋さんがATMの前で待っている状態であった。とにかく涙涙・・・というよりヒサンヒサンな状況である。


このあと、間も無く会社は運営ができなくなる。
あまりのショックで私は寝込んでしまったため、当時のブログ記事は無い。
例え残ってたとしても、今の私ですら読む気になれない。

もう二度とあんな思いはしたくない。



できることならば。。。。。

sakeの子供時代

2011-03-07 | あとから選んだ総集編
いよいよこのブログも4月で丸7年になる。

そこでと言うわけではないが、『あとから選んだ総集編』カテも少しづつ充実させよう。

そんな訳で3回目の今日は私がどうしてこんなに世間をひがんでいるか。
そのルーツを探るべく、私の子供時代のエピソードを集めてみた。


●「親からの白々しいお世辞」(2004年8月2日)

私が両親から言われて不愉快だった数々の言葉。
いわゆる「褒め殺し」と言われる言葉の数々。
しかし、ふと気がつくと同じ言葉を我が子に言っている自分。
あの言葉は褒め殺しでもイヤミでもなく、両親の愛情だったと気づく。

●小学校時代のイヤだったこと(2006年10月22日)

私の小学校時代は暗かった。。。
その理由がここに簡単に書き連ねてある。
ちなみにここで書き忘れたが、「給食残してはイケマセン」コーナーもあった。

それは何かと言うと、わらばんしにその月の日付と同じ数のリンゴだかナシだかの絵が書かれており、給食を全部食べた子はその日の日付のリンゴを赤で塗り、ちょっと残した子は黄色か何か、ほとんど残した子は緑で塗りつぶす。
私はいつも食べられなかった子だったので全部のリンゴは緑色。
そして、刑罰のように全員のわらばんしが教室の後ろに貼り出されていた。

同じように緑のリンゴの友達を必死で探すが、それは自分一人だけ、と言うエピソードである。
(しつこいが、こう言う罰ゲームがあるのは体育関係と給食関係ぐらいではなかろうか。あと書き初め?先生の言う事をきかない子、勉強のできない子等への罰ゲームは何もない。)


●哀しきヨイショ(2007年8月11日)


普段私はどうして人にヘコヘコし、バカにされてしまうかの理由が綴られている。
しかし、普段ヘコヘコしてても、心のどこかで自分を奮い立たせる自信が少しづつ出てきたのは、このブログをコメントをくださる皆さんのお陰である。

あの中国茶・・・・あの後誰が飲んだのだろう?
いつの間にか徐々に減って行き、最後には無事無くなったような気がする。

車練習デビューの頃

2009-11-05 | あとから選んだ総集編
今日は私の車記念日である。
2年前の今日、私は初めて路上運転したのだ。

2年前の今頃のブログを読んでみると、当時はまったくもって、どうしようもならない状況だったのが分かる。


ダメかも(2007.11.5)

ペーパー練習もあと1時間を残すのみとなったが、まったく運転できるようにならず、凹んでいる様子である。
それでも路上練習を始めようと、若葉マークと携帯のプリペイドを買うが、その時のコンビニくじでビールが当たってしまい、「当りすぎです。車ももしかしたら当たるかもしれません。」と書いてある。


初!!路上1人運転(2007.11.6)

ゴタゴタ書いてあるので分かりにくいが、初めて1人で車に乗り、駐車場内の移動を試みた後に、たった一度だけ会社の周りを左折のみで一回りしてきた経験談である。
誰でも初めての時はこうなのだろうか。
それとも私は特別、車オンチなのだろうか。
普通の神経の持ち主だったら、この状態で既に運転を諦めるであろうと思われる。


駐車場初体験(2007.11.27)

これは地下駐車場の初体験である。
路上に出て最初の1週間は会社の周りだけを左折のみでグルグル回り、次の週は右折練習をかねてセンターラインのある道路に足を踏み込み、ここで二車線の国道を通るのである。さらに地下の駐車場に降りて行くのである。
あの怖さはまさに命がけで、今でもよく覚えている。
駐車場で「初めてなんですけど~これを取ればいいんですかぁ~」と大声で叫ぶ私。。。
思い出すと恥ずかしいが、間違えて又とんでもない事をやらかすよりは、大声で訊いた方が良いにちがいない。


20キロドライブ(2007.12.9)

路上デビューから1ヶ月。
いよいよ20キロ先の街までドライブを決意する。
地図しか見ていなかったので、途中に速度50キロの広い道路があるとは知らなかった。それだけでも怖いのに、どんどん窓ガラスが曇って行くのである。
あの時の恐怖は未だに忘れられず、あの場所を通るたびに思い出すのである。

ここから先はブログに記述がなくなる。

当時の会社でも社員ブログをする習慣があり、そちらでたぶん書いていたのだろう。
マックのドライブスルー初挑戦や、朝、駐車の練習ができるビデオ屋を見つけて、断りもなく、何度も何度練習した。

20キロドライブは、思わず行ってしまったが、基本的には遠出はしなかった。会社の車で事故でも起こしたら大変なことだったし、道が通れて駐車ができれば、履歴書に書いてしまえと思っていた。

辞める間際に、K女史に食事に誘われた。
sakeさんの運転で行きましょうと言う。
そして、「だいたい大丈夫ですよ」と励ましてくれた。
彼女がいなかったら、これからのモコ生活はなかっただろう。

今こうあるのも、当時の会社の人達のおかげだ。
あれからどうしているだろう。
Iさんは不倫中だった彼女と籍を入れたらしい。
「正式に聞いたわけではないですが」とK女史のメールに書いてあった。

まぁそれはともかく、納車の日にはまず写真を撮っておこう。
そして、来年の年賀状はその写真で作ろうかとも思う。

K女史はそれを見て喜んでくれるかなぁ。

このブログの面白ベスト8(2006年10月現在)

2006-10-05 | あとから選んだ総集編
うちの会社の人たちがSNS(ミクシーみたいなもの)を始めたそうだ。

今日の午後、彼らが自分のページを更新していたので、私も自分のブログをこっそり開けて『会社で起こった話』カテを読んでいた。そしたら、改めて読んだらアホで笑えたものが幾つかあったので、今日はそれを『このブログの笑えるベスト8』として、残しておくことにした。

最近いらした方が、一緒に笑っていただけたら幸いである。


●会社のお昼ご飯(2006.4.20)

これは比較的新しい今年の4月の話である。この日記を読むと、たまたまこの日だけ変な弁当を持って来ているような書き方だが、実際にはこんなメチャクチャな弁当の日がほとんどである。
最近、うちの会社の人達は最近外で昼食を食べるブームになっているので、さらに一人気楽にメチャクチャ弁当を持って来ては食べている状態になっている。


●真冬の郵便物(2004.11.21)

これはこの日記が面白いと言うよりも、この私の行動があまりにアホだということで、この後半年くらい何かある度にこの出来事が社内で語り継がれた。当の自分としては、この程度のドジは朝飯前なので、別にそれほどどぉって言う風には思わないのだが、とりあえず選出してみた日記。


●トイレのタオル達(2004.8.31)

これはいかに私がズボラでだらしないかの代表的な作品である。
最後にトイレタオルを換えずに放置してきた事を反省するような文面で締められているが、2年経った今でも相変わらず、トイレタオルは何週間も放置されている事を告白しようと思う。そして今ここで反省して、明日からこそマメにタオルを交換しようと誓いたい。


●不幸中の幸い(2004.7.10)

これも内容が面白いと言うよりも、自分のアホさ加減に笑ってしまった日記である。あの時、秀クンが気がつかなかったら、平吉さんは何回FAXを送り続けることになったのだろう・・・と思うと、自分のアホもそろそろどうにかしなければ、と毎回思っているが、相変わらず改まらないのであった。


●羞恥度100%だった話(2004.7.15)

以上、数々のドジマヌケを繰り返しても大した反省をしてない私が、さすがに「この時は恥ずかしかった!!」とギャフンと言わされてしまった大事件である。ちなみにこの時のガマガエルに似たおばさんには、あれから2度と会っていない。。。。だから、もう恥は掻き捨てと時効になった事件でもある。


●連れ添った換気扇洗剤(2005.10.18)

これは15年前の洗剤をわざわざ持ち出して「汚れ落ちがイマイチでした」と日記に書いて、「それでは捨てる事にします」と書いて、わざわざ捨てる前に写真を撮ると言う自分の行動に「お前、アホだよ」突っ込んでしまった日記である。
ちなみにこの一日前の冷蔵庫のミステリー(2005.10.17)を先に読むと、後半の意味が分かるであろう。この17日の日記はちょっとナルシスト的ミステリータッチになっていて、今読むと、これも客観的に「お前、アホだよ」と言いたくなってしまう日記である。


●去年のアイスコーヒー(2005.8.3)
●去年のアイスコーヒー(続)(2005.8.4)

これが栄えある一番笑える日記であった。しかも二日連続で前編後編になっているのが面白い。
ほんとはこれを読んで笑ってしまってはいけない(会社の人に失礼)であるのは重々承知なのだが、やはり笑ってしまった。これをもしも飲んだ当事者が読んだら何て思うだろうか・・と後ろめたくなるが、知らぬが仏としよう。
この日記のコメント欄はさらに「卵は一ヶ月平気」「レトルトは2年」と更に上を行く方々のコメント。。。「腐った牛乳が隠し味、甥が喜んだ」って、日記本文より面白いじゃないか!


こうして幾つか挙げてみた。
また2年後3年後、ここを読んだ自分が「お前、何をしてたの?・・いい加減にアホだよ」とまたまた思うであろう。
そんな日が来るのを楽しみに、今日の日記を終わりにしようと思う。



【写真】
スーパーで思わず買った「黒あまチューハイ」ピンクグレープフルーツ味です。うん!ジュースみたいで、ゴクゴク飲めます。アルコール度5%?もっと薄い感じがしてしまうのは缶チューハイだからでしょうか。