きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

生きるということ

2011-09-30 | 息子keke
あぁ山登りかぁ~と私は言って、どのぐらいの高さなんだろう?と言うとkekeが調べてみたら?と言うので検索してみた。

初心者向きの山のようだったが、kekeは原発に割合近いと言うのを知って、ショックを受けていた。
「別に普段コンビニ弁当もファーストフードも食べているし、今更それぐらい気にする事じゃないだろう」と私は言ったが、「生きる気になったから、リスクはできるだけ下げておきたい」と言うので、kekeの生きたくなったと言う気持を優先して、G子に断ることにした。

「だけど、そんな理由で断るのは失礼じゃなかろうか。」と私はまた問いかけてみると、「人に良い顔をしたいために後で後悔したくない」とkekeは言うので、やはり正直に断ることにした。

別の理由で断ることも考えたけど、またG子は誘ってくるだろうし、そしたらまたその時ウソをつかなければならない。私は正直にぶっちゃけた方がいいと判断した。

失礼ながらも、事情を話すとG子から返事が来た。
「keke君が自己主張をするようになったのは良いことだよ。まだ登山の友達には話してなかったんだ。」と書いてあり、「行きたい行きたくない、やりたいやりたくないを考えていくのが生きるということだから。また機会があったら誘う。断るのもまた練習。」と書いてあった。

何事も自分で決めないと、人のせいにするし、最後まで頑張れないからね、と綴られている。

T子ちゃんの話では、kekeは志望目標もあって、自分の分析もできているようで、言い出すまで何も言わずに心配せず見守っていてくれ、と書いてある。

これからどうなるんだろう?

今日は免許も予備校にも行くらしい。
一日何にもせずに悶々としてたのは一体何だったのだろう?

たぶん長いと思うけど、とっても大切なこれからの時間。

首を突っ込みたいけど、我慢我慢。

動き出す時

2011-09-29 | 息子keke
kekeから実技試験のコースをもう一度おさらいしておきたいと言ってきた。

試験は3コースあって、そのどのコースになるかは分からない。途中の指示がなく、自分で道を選んで走る区間もあるそうである。
何回か通った道だけどブランクがあるから曲がり角を覚えておきたいと言う。

「何時頃起きればいいかねぇ」と言うと「5時に起きる」と言う。

今日の朝は5時に起きて、kekeと車に乗った。
kekeの言われた通りに右折したり左折したりしながら走り、ひと通り走った。
kekeは「道は完璧だ」と言うので帰る事にした。

帰り道に某牛丼チェーン店があったので、昨日CMで見た250円の牛丼を食べる事にした。私は牛丼屋でもカレーばかり食べているのでよく分からないが、keke曰く「この店の牛丼はトッピングを乗せるのを前提としていて味が薄めなのではないか」と言う。

昨日は予備校のパンフレットを持ってきて「このコースを受けたい」と言う。
私立の理系コースの中にR大と言うのがあって、「この学校はどのぐらいのレベルの学校なんだ?」と言うので、「ここは、私が行きたくて浪人してまでして勉強したんだけど行けなかった大学だ。」と言った。

「この大学は当時英語と数学の2科目だったんだよ。だからそれしか勉強しなかったんだ。だから他の大学もあちこち受けたけど全部落ちた。当たり前だよね、理科を勉強してなかったんだから。だけど1つだけ受かった大学があってそれがお母ちゃんの行った大学さ。物理は0点に近かったけど、英語と数学はほぼ100点だったと思う。」
「模試は受けなかったの?」
「受けたんじゃないかなぁ?たぶん不合格だったんだろうけど、あまり気にしてなかった。勉強すればきっと受かると思ってたから。とにかくそこに行きたかったんだよ。それで気がついたら、高校3年+浪人1年勉強しても行きたかった大学には行けなかったし、振り向けば高校時代に部活もボーイフレンドと遊んだりもしてなかった。何んにもない4年間だった。後悔した。だから子供には大学受験がなくて自由に高校生活を送れるようにしたかったんだ。」

kekeはもし自分に子供がいたら、受験はさせたいと言う。
挫折は小さいうちに少しづつ味わっておいた方がいいから。

どっちもどっちだね、と私とkekeは言った。

「でも、あの4年間は何にもなかった(=無駄)じゃなかったんだ。今になって分かったよ。」


kekeは早く予備校の勉強がしたいようで、免許もサッサと片付けたいようだった。
この2~3日で時間を調整して、両方ともやりたいなんて言う。

これまた驚いた。
今までは届出1つ出すのに、何週間も掛っていたから。

やり残してきたこと

2011-09-28 | 息子keke
kekeはあれから教習所に行って試験の予約も取ったよう。
今日は予備校の説明会にT子ちゃんと待ち合せしている。

天気は晴れ。
すがすがしい。

しかし、本当にこれでいいのだろうか。
一抹の不安がよぎる。

根詰めた勉強なんて今までほとんどしたことのないkekeである。
周りの事は年齢も違うだろう。
うまくやっていけるのだろうか。
何より勉強が続くのだろうか。

G子にメールを送ると

「基礎からやってくれるから大丈夫。keke君もT子の使ってたテキストを見て内容は確認してるよ。意欲までは分からないけれど、目標設定もスケジュールもしてくれるし怠けられないから。無理な時は軌道修正も相談に乗ってくれるから大丈夫。見守ろう。」

と返事が来た。

そうなんだ。
大学受験でkekeはこう言う「挑戦」をしてこなかった。
それがkekeの負い目や自信の無さにつながったのかもしれない。
何やらともかく、これは神様がくれたチャンスなんだと私は思う。

この悩んだ1年間もたぶん無駄にはなってない。
必ず、これからのどこかで何かの役に立っているはずだ。

私はもう大学にはこだわってなかった。
どこの大学でも専門学校でも、どこにも入れなくても良かった。
大切なのは、ここで「挑戦」すること。
ここでどんな結果になっても、kekeは納得して次に進めるにちがいない。

同じ年の友達と比べると遅れてしまうことになるけれど、長い人生の2~3年は関係ない、とG子は言う。
親としてほんとは少しだけもどかしいけれど、でも、G子はkekeに「誰が何と言っても気にしない事。」と言った。親が気にしてどうする。

あぁ、でも本当にこの先どうなるんだろう?
楽しみ半分、不安半分。
いや、不安の方が大きいか。

でも、このチャンスは今しか無いチャンスなんだと何度も何度もつぶやくしかない。

G子の難題

2011-09-27 | 息子keke
G子の家から帰ってすっかり寝てしまったkekeが起きて来た。

T子ちゃんから借りたテキストは紙袋ではとても入りきれず、ゴロゴロ(と呼ばれてた2泊3日の旅行で使うようなゴロゴロ転がすカバン)の中で積まれていた。

「これ、今度T子ちゃんに返さないとねぇ。」と言うと、「受験生ってこんなに勉強しているとは思わなかった。」とkekeはつぶやいた。

kekeは何か食べたいと言うので、「昨日あれから買ったワッフルもあるし味付け牛肉とインゲンのパックを焼けば食べられるよ。」と言った。
ドアが開いた時にそっと部屋の覗くとテキストやペンシルが見えた。
視線を感じるとkekeは「教習所の勉強してるんだ。」と言う。

kekeが「免許を取っても車は1人で乗りたい。ケガをさせると困るから。」と言うのを訊いてG子は「keke君はやる前から悪い方に考えてしまうんだね。」と言った。
「あ、それは私がマイナス思考でいつも悪い方悪い方に考えちゃうからかも。」と私は言った。

そうかと思うと、G子はウィンドウショッピングで服を見ているkekeを見て「keke君、服を選んでるじゃない?意思が無い子だったらああ言う風には見ないと思う。keke君は意思があるんだよ。言わないだけ。」と私に耳打ちした。


しかし、G子は難題も残していった。
「来月の山登りにsakeちゃんとkeke君も一緒に行こう!」と言い出したのである。

G子の友達で登山が趣味の友達がいて、今月G子とT子ちゃんも一緒に登ったそうである。
途中で空気が薄くなって息苦しいやら大変で最後はライトを灯しながら降りたそうである。

「えぇ~そんなの行きたくないよぉ。。。」と私は言った。
だって、息苦しくて疲れることを何で休みの日にしなきゃならないんだろう?

G子は「keke君は行く?」と言うと、kekeは「はい」と言う。

「keke?私の江ノ島ドライブは何度誘っても来ないのに山登りは行くの?」と訊くと、「江ノ島は電車でいつでも行けるけど、山はこの機会を逃すと行けないから行ってみる。」と言う。

「えぇ・・・・私はいいよぉ。。3人で行ってくればぁ・・」
「そうしたら、sakeちゃんはその話題になってもついてこれないんだよ?みんなであの時どうしたよねぇって時に、何も分からないよ?」
「えぇ・・・・そんなの別にいいもん。」

するとG子は「sakeちゃん!」と言い、「これからkeke君は1年半勉強するんだよ?学生でもなく社会人でもなく、この先どうなるか分からないこの状態ってすごくツライの。山登りよりずっと大変なんだよ。山登りを1度体験して、『あの辛かった山登りより大変な思いをkekeはしてるんだ』と思えば、keke君に何も言えなくなるよ、だからおいで。」と言う。

そしておいでおいでと言うわりには、先週の山登りがどれだけ辛かったか、最後は泣きながらどこまで行ったとか、ジーンズだと乾かないから綿製品の服はダメとか語りだすので、私はまた「えぇ~~~~」と言った。

リュックすら持っていないのだ。
それにペットボトルや弁当、雨合羽、・・・そんなものを入れて背負って登るって疲れましたって何なんだ???

行きたくない~~~

するとG子はまた「これだって、子供とのコミュニケーションだよ。後で思い出になるんだよ。そう言うのがないと、あれしたか?これやったか?みたいな会話しかないでしょ?」と言う。

私は「高尾山とどっちが高いのか?」と尋ねると、「高尾山より高いよ」と言うので、また「えぇ~~~~あれより高い山はムリだよぉ~~~」と言うと、kekeがププッと言うので、「なんでアンタ笑うのさ?」と言うと、「自分の親がナサケナイ」と言う。

未だにえぇ~~~ってままなのだが、G子の誘いだ。
前向きに検討しなくては。。。。当日雨になることを祈りつつ。。。

友情

2011-09-26 | 息子keke
G子からTELが来て、「keke君はどうなった?」と言うので、「退学することにしたんだ、休学は今月までだし授業料も払ってないから、そろそろ学校から連絡が来るはずだろう。」と言うと、「ギリギリまだ間に合ったのは何かの縁!明日会えないか?」と言う。

G子は娘のT子ちゃんを連れて、我が家にやってきた。
T子ちゃんは予備校時代の友達ネットワークがあって、さっそくkekeの学部の友達を見つけ、取りやすい単位を調べてくれていた。「何単位まで取ったんだ?」と尋ね、「この半年であとこのぐらい取れば大丈夫だし、今はツイッターで情報交換もできるから大丈夫だよ。」と言ってくれた。

G子は「大学を辞めたいなら辞めてもいいけど、専門学校でも別の大学でもいいから、行っておいた方がいいよ。」と言う話をした。「おばちゃんは今の職場が決まるまで、160社も履歴書を送って面接まで行ったのが6社しかなかったんだ。ハローワークから履歴書を出して採用されるのは大変なんだよ、できたらもう一度勉強しなおして新卒で、仕事を探せるといいよ。」と言う。

G子は「1度死のうとしてたくさん薬を飲んだんだ」と言う話もして、「でも、生き返ってきた死に損ないなんだよ。でも、それには意味があってまだ私には生きている理由があるんだよ。」と言って、先に死んだ妹の話をした。
「生きたくても生きていけない人だっているんだから、そんな事言っちゃいけないんだよ。」

「それからこれ」とG子が見せたのはT子ちゃんの奨学金の申込書だ。
「うちは元旦那がみんなお金を持って行っちゃってお金が無いの。T子は卒業してから、これだけのお金を少しづつ返していくんだよ。金額を見てごらん。」

私とkekeはそれを覗き込んでギョッとすると、
「keke君だってできるんだよ。予備校のお金だけお母さんに出してもらって、あとは同じように奨学金を返していけばまた勉強できるんだよ。」と言う。

このような話をダダダダダダダと機関銃のように話しきると、「じゃ、これからどうする?」とG子は言う。
「keke君、今ここで決めて。」

kekeは今の学校には戻りたくないけれど、勉強はしたいと言う。

G子は「それなら決まったね。お母さんに予備校だけは行かせてくださいと自分でお願いするんだよ。もう過去の事はオシマイだ。これからの事は誰が何と言っても自分の道を信じて行くんだよ。」と言い、T子ちゃんにT子の予備校の見学日をきいてくれ、と言う。
「予備校はあちこち見て自分に合ったところでいいけど、T子の所は基礎から教えてくれてお勧めだよ。それに困ったことがあったら、T子に相談すればいいからね。」

私は若干不安ながらkekeの顔色をうかがっていたのだが、kekeの瞳はランランと輝いているのだった。。。

私達はランチやショッピング(見るだけ)を楽しんで、G子親子を車で送って行った。
T子ちゃんは「今まで使ってた参考書をkeke君に」と言い、G子は「読書はいいよ」と言い、いろんな本を見せてくれた。
その中でもG子のお気に入りの作家があるようで、「この人が好きなんだね」と私は言いながら何冊か手に取ると、あっ!!と言った。

「西の魔女が死んだ!これ、お友達に勧められて図書館で予約してたんだ。まだ手にはいらないけど。」
そう言うと、G子は「本当は好きな本は貸さない主義なんだけど、sakeちゃんは特別だ」と言って貸してくれた。

そして、車まで送ってくれる間でさえも、G子はまだダダダダと命は大切なんだとか、勉強はやっただけ必ず身になるとか、今から本気を出せば何だってできるんだよ、と言う話をした。

「それからね」とG子は言い「親の言う事は無駄がないんだよ。keke君は親子だから反発するかもしれないけど、お母さん、いい人なんだよ。いつも私は世話になってるんだよ。助けてもらったんだ。」と言う。

「keke君もT子も、私達親には返さなくていいよ。私達がしていることは、次の世代にしてあげるんだよ。こう言う野は順繰りだからね。」

手を振って別れてから、私は車を走らせた。
助手席のkekeが寝てから、私は泣いた。

今まで悔しかったり悲しかったりで泣いたことは山ほどあった。
でも、今日はちがう。

今まで「こうすればいいのに」と言う人は何人もいる。
その中で本当にkekeに言ってくれたのは、G子だけだった。

友達とはありがたいものだと思ったのは、これが初めてだった。


そう言えばG子の携帯にT男から写メが届いていた。
私の家に来ているときいて、「今ここにいるけど、どこだか分かるか?」と言うものだった。
どうもそれは、うちの近くでここで待っているから用が済んだら来いとでも言いたかったらしいが、私達はそれどころではなかった。

「いつもこう。勝手なんだよ。」とG子は何度かつぶやいた。

やっぱりナンバーか

2011-09-25 | 息子keke
どうしてkekeは免許をあれから取りに行かないんだろう?
お金を渡してからもう何日も経っている。

私はよからぬ方の想像をしながら、尋ねてみた。
kekeは「実技の試験の前に筆記の模擬テストを受けないとならないんだ」と言う。
それに受からないと実技が受けられない、と言う。

「それは1度落ちると追試に金がかかるのか?」と尋ねると「掛からない」と言うので、「だったら、何度でも落ちても又受ければいいじゃないか。」と言うが、kekeは「完璧にしてから受けたいんだ」と言う。

「あんな試験は何日も勉強して受けるようなもんじゃないだろう」と言い、「まさか、免許を取りたくないから行かないのでは?」と言うと、「違うよ!」とkekeは言うが、既にアクセル踏んでしまい、また喧嘩。

いかん、私。

私はkekeがふて寝してから、図書館に行った。
図書館に行くのはかなり久しぶりだった。

何冊か本を借りて読んだ。

その本はひきこもりや家庭内暴力の子供をみているグループの方の書いた本であった。
自分達の手によって、そう言う子供達に笑顔が戻り、やる気を起こし、家庭に舞い戻って行った記録が書かれていた。

そしてそう言う子供に対してこのように接しましょうみたいな紋々や何故そのような子供になってしまったかの分析も書かれてあり、親の性質やそれまでの過程など、納得したり耳が痛い思いをしながら、読んで行った。
そして、kekeもこう言う所に預けたら、みるみるうちに笑顔が戻って、何がしたいか方向性が見えてくるのではないだろうか、と考えたりした。

しかし、更に読み進めていくうちに、コツンと違和感があった。
それは本当にみんながみんなこうなって行くのだろうか、と言う素朴な疑問である。

例えば、歯医者だ。
虫歯の治療のあとに、またその歯に菌が入って悪くなることはよくある。

しかし、患者が「アンタはヤブ医者だ」とは言わない。
信頼できなければ黙って、病院を変えるだろう。
つまり、その患者来なくなったのは本当に治ったのか、治ってなくて病院を変えたのかは医者には分からないのである。


そのやり方が合う子も居れば、合わない子も本当は居たのではなかろうか。。。
人間とはそこまで、単純にこうだから、こうなるってものだろうか。

そう言う考え方が(自分もついこの前までそうだったんだけど)、奢りや冒涜のような気がする。
「ナンバーワンよりオンリーワン」が流行ったのは、建前に過ぎないのか。

だからと言って、私が何も反省しなくていい、って言う事ではないのだけど。

死にたければ

2011-09-22 | 息子keke
私は仕事をする気がほとんど無いので、5時半になると頭の中ではほとんど帰り支度を始めている。
つまり、新しい作業をせずに、何となく机やコップを片付けつつ(悟られないようにそっと)、余った時間でPCをしているフリをするのである。

しかし今日のこの時間帯に秀クンは「sakeさん、ちょっと頼んでいい」と来たもんだ。
私は嫌なオーラをかもしだしつつも(仕事をしている風ではないので)否定できず「いいですよ」と答えた。そう言いながらも内心ハラワタが煮え返りそうだった。

仕事を頼むのはいい!しかし今の今まで何のリアクションもせず、この時間に頼むとはただの意地悪ジジイじゃなかろうか。仕事をお願いしますと言う気持があるなら、もっと早い時間に指示できるように準備をするか、上司としてお昼にラーメンの一杯でも奢るのが常識です!

と、心の中でメチャメチャつぶやいたが、図面を7枚ぐらい焼くだけだったので、ホッとした、というか許してやった。

それでそれも終わって、6時も過ぎて、もう帰る時間だけど社長が帰らないから何となく帰りにくいけど、気にしてたらキリが無いから、もう先に帰っちゃお!と思った所で、社長が帰り支度を始めたので、これで帰ってくれたら、今日は心置きなくサッサと帰れるぞ、と思ったら、変化球。

「sake君、駅まで送って」と言うのである。

なぜなぜなぜ???◎◎
あなたはあの時私の運転に懲りたのでは?

と思ったら、もう一度乗るがいい。
あれから3年の月日が流れ(一時期ブランクもあったりしたが)、どれほど運転が上手になったか、お試しあれ。

と私は社長を助手席に乗せて、ブーンと走らせた。

しかし、二人で会話のないこの空気。。。。
相変わらず、なんとも気まずいと言うか。。。。

しかも渋滞にはまって、ますます気まずい状況に。。。。

全然話が変わるが、もしも願いがかなうなら、1度経験してみたいことがある。
それは、私がいつものようにヘタクソな運転で、生意気なチンピラみたいな男にブーブークラクションを鳴らされて、いつかの茅ヶ崎事件のように「おめぇそれで免許持ってるのかよ!」と怒鳴られている時に、ガーと助手席の窓が開いて、社長が顔を出し、「おめぇこそ何?」と言った時の相手の反応が見たい。

そんな事を思いつつも、そんな事を話題にできないので、ますます困りながら走っていると、「あ!そうだ!」。

そこで私はまたkekeの話をしたのである。
学校を辞めたいと言っていた息子が、したいことが何もなく、「この先生きて行きたくない」と言っている話である。
生きていくのがイヤだから仕事も探す気になれないと言う話である。

「楽しいかどうかは自分の心の持ち様だぜ?」と言うので、「私もそう思うんです、でもこの先年金もどうなるか分からないし、就職もつけるかどうか分からないし生きていくのが大変だそうです。」

「死にたい奴は死ねばいいんじゃないの?社長になりたい奴は社長になるし、乞食になりたい奴は乞食になればいいし、死にたいなら好きにすればいいんじゃねぇの?」
「私もそう思うんです。でも死ねばいいと言うと本当に死にかねないので言えません。」
「死ねばいいと言うか、勝手にしろ!だな。出てけ。アナタの顔を見たくないから出てってくれ。」
「気持はまったくその通りなんです。」
「自分の子供でも、そう言う風に言うと思うよ。それがしたいならしょうがないもんな。」
「そうなんです。」

「ヤロウは大変よ、女より。」
「そうですか。」
「女は結婚して子供を産めば母性があるから、どうにかしなきゃって思うんだな。だからはずれない。」
「そうかもしれません。」

そして社長は「うちの息子もここでやっと就職が決まったんだ、高校出てから8年だ」と言う話をした。

そして、目的地につくと、社長をおろした。
「ありがとう、じゃ頑張ってね」と言われて、夜の街に消えていった。。。


社長が全て正しいわけではないけれど、私の気持は間違ってはいなかったのか。

kekeとの争点になることは「どうして自分の人生を自分が決めてはいけないのか」と言うことで、その選択肢の中にあの子の場合「死ぬこと」が含まれていることなのである。
「どうしていけないのか」と言う問いに、明確な答えは出せない。

自分は自分の人生をこう生きる。
代わりに相手にこう生きなさい、と言う権利は無い。

kekeがそれに気付いた時、死ぬことも含めてそれが自分の権利だと言う。

出ていけ。

今の私の気持はたぶんそれに近い。
それでいいのか。


四捨五入で五十肩

2011-09-22 | 健康とか病院とか
いっこうに良くなることのない四十肩だか五十肩は、いつ頃からなのだろう?と検索すると、4ヶ月前からのようである。

最初は腕を垂直=真横に伸ばす事もできなかったが、今はそれはできるようだ。
その次の一時期はひじを上げて脇の下を伸ばす事もままならなかった記憶があるが、今は完全ではないが、だいぶ伸ばせるようになったつもりでいる。

そして最近困難になったのが、腕を後ろに回す事である。
分かりやすく言うと、ブラのホックが止められなくなったのである。
しかし、こんなものごときで下着を全部買い替えるなんてイヤなので、私は2つそれ専用ブラ(ゴムが伸びても良い用)に認定して、自由の効く方の腕で無理やり下に引っ張り出して、やっと止めていると言う状態である。

ここで私がふと不安になったのは、「ほんとうにこれは良くなっているのだろうか。」と言うことである。
何となく「前よりできるようになった」と言う動作は「それをしなくても済む」事になれてしまい、チャレンジしてないだけではないか。

ブラのホックが止まらないとしたら、私は何より優先的にそれをブログに書いているはずである。書いてないと言う事はそれは少なくてもここ1~2ヶ月の出来事なのだ。

そして、この肩は時間帯によっても調子が変わるような気がする。
最悪なのは、朝の寝起きである。
体もまだ固く、とても腕を伸ばせるなんてものじゃない。
この症状は「鉄腕アトム」のポーズができないとどこかで読んだが、まさにその通りであった。

ところが、湯船につかったり、昼間に体を動かしているうちにだんだん動くようになり、今(正午)では完璧ではないが、前からゆっくり上げて行くとアトムのように上に腕を上げる事ができるようだ。
(左腕を180度とすると、175度程度まで伸ばせる。)

苦手なのは手を真横に伸ばし、そこから真上に上げて行く事である。これは真横を90度とすると、100度が限界。それ以上上には上げられない。
痛い訳ではないが、それ以上上がらないのである。

相変わらず、2日に1ぺんぐらいは、ズキッと痛くなる事がある。
何かの拍子で無理な姿勢を取った時である。
これは「こんなに手を伸ばしてはヤバいかな」と思っても平気な事が多い中、時々予想通りにズキッと痛くなると言う感触である。
このズキッと言う状況は辛く、激しい後悔と共に患部を思わず押さえて「うぅ」となってしまう。

こんな状況が4ヶ月も続き、私もついにこれは生涯共に歩まねばならない状況かもしれぬと覚悟と決めた。
覚悟を決めたが、それでもブラを全て前開きブラに買い替える必要があるのかどうか、ついに整形外科に行って尋ねてみようと思う。

もうここまで来ると治らないのか、それとも体操をすることで改善するのか、それともあまり動かさず安静にしてた方が良いのか。

ついでに最近肩が凝って困る。
それもこれと関係あるのだろうか。

ちなみにZENさんは自宅で正座をしてて立ちあがろうとした瞬間にひねってしまい、そこからバイキンが入って化膿してしまって、2週間経った今も完璧ではない。(当初は松葉づえをついていた。)

こんな事もあるので、この年になると何が起きるか分からないよと言う妹の言葉は、重く受け止めておこう。

そう言えばこの数日、腹筋もしていない。
忘れた頃にまたギックリ腰がやってくるだろうから、そちらも忘れないようにしよう。

すごい雨風でした

2011-09-21 | 巷の話題
台風すごかったデスネ。。。。(+o+)
びっくりした。。

今は東北に向ったのでしょうか。
被害が広がらないことを祈ります。

こちらはものすごい雨風で、木が倒れ、電線みたいなものがぶら下がってます。
明日東京電力か役所に電話してみようと思います。

午後からのゴォーーーという風の音と言い、風の強さにたまげました。
社長の車だけ屋根がついているのですが、あれがぶっ飛んで私のモコちゃんに落っこちてきたら、どうしようかとそれが心配でした。

それから社長室の雨漏り。。。
借りてるオフイスなので、我が社で作ったのではありませんが。。

何故か社長の部屋だけあちこちから雨が持ってきて、カラッポのゴミ箱を置きました。

ソファーを移動させました。


電車も止まったようです。
もう動いていると良いですが。。。。

今年は何なんだろう。。

早く全てが解決していますように。。。。><

楽しいね

2011-09-20 | 息子keke
kekeは朝起きてきて「もうこれしかない」と言ったウーロン茶にはほとんどお茶が残ってなかった。
「このごろオレンジジュースやりんごジュースも無い」と言う。

「まだ水があるから、それを飲んでくれ」と言った。

私は弁当用の焼きそばに入れるもやしを洗っていたが、kekeが来たので引っ込みがつかなくなった。
さすがに目の前で自分のだけ作るわけにもいかなかった。

それでは私が野菜を切るから、kekeが炒めてくれと言うと、肉を炒め始めた。
そして麺も炒めてくれて、液体ソースで味付けをした。

kekeは食べながら、「また今日もヤキソバだ、毎日焼きそばだ。」と言う。
「それが嫌なら、家に金を入れてくれ」と私は言った。

ところで、kekeの作った焼きそばの味付けにムラがあるので(ソースの濃度の濃い所と薄い所がある)、メンツをつぶさないように恐る恐る注意してみると、同じ味だと飽きるから、わざとそうしていると言う。
カップ焼きそばを食べる時も、わざとソースにムラを作り、飽きの来ない味にしているそうだ。

「kekeは味付けが上手いから、料理人も向いているなぁ」と言ったが、ううんと言う反応である。
(玉子や生肉や生魚を処理するのがイヤだから、料理人にはなりたくないらしい。。)

そしてkekeは「このままだともっと痩せるかも。。」と淋しそうに言う。


仕事を終え、家に帰って「昼はどうした?」と尋ねると、朝の焼きそばの残りを食べたと言う。
ライスも炊かなければ無かったし、冷蔵庫に肉も野菜もあったが、何もしなかったようである。

私はスーパーに行き、kekeの好きな鉄火巻きの3割引を買って、自分はサーモン巻きの3割引を買って、エルチキ2つを買った。
結局は、今日は好きなものを買ってしまった。

こんな調子でほんとに社会人になる日が来るのだろうか。
kekeは相変わらず「どうして生きていなければならないのか」と言う疑問を抱いたまま、消極的に生きている。
kekeはウーロン茶がなくなったので、文句も言わず水を飲んでいる。

今日は朝、台所を片付けてくれて、夕方家に帰ると、皿も洗ってくれた。
台所はピカピカになった。


G子が週末に友達と行った山登りが楽しくて、みんなイイ人で、今度はトレーニングして頂上を目指すと言う。

「離婚した後でも楽しいことがいろいろあるね」と私は返事すると「ほんとだね。あの時は大変だったけど、今、自由で楽しいね。」と言う。

だから、kekeとこうして過す日も、きっと後で楽しかったことになるだろう。
そうやって、今までも乗り越えてきたんだから。

私は食事を終えて、kekeが居なくなったのを見て、こっそり柿の種を食べるつもりが、最後の1袋あったはずがカラになっていた。