これまでの経緯や中身が分かれば分かるほど、新国立競技場への反対の声が大きくなっています(「問題山積の新国立競技場…誰の責任なのか?」)。
あの馬鹿馬鹿しいキール構造という鉄骨の断面積は、3LDだか4LDだかの広さがあるそうです。構造的に必要がないそんな重たい構造物を作ることは、技術的に難しいのはもちろんのこと、耐震構造的にも非常に心配だとか。そして、イニシャルコストが膨れるだけではなく、こうした実用性のないものを作った時に、維持費も膨れるのも自明のことです。
ただでさえ、これから人口減少に直面する日本においては、いろんなインフラを身の丈に合ったサイズに縮小していかなければならないという喫緊の課題があります。首都高など高度成長期に作ったインフラがどんどん老朽化し、更新しなければならなくなります。そればかりか、バブル崩壊後にも、景気回復の名の下に、大変な財政出動がなされて、多くの箱物が建設されてきました。こうしたものは、建てて終わりではなく、その後も維持費がかかり、壊すにしても、償却費が発生します。失われた10年、20年などと言われ、いろんなことを学んだはずの日本で、こんなバカげたことがまかり通るのは信じられません。
国民がこれだけ反対しているにもかかわらず、首相をはじめとする政府首脳は、これまで見直す時間があったにもかかわらず、もう間に合わないからとか、国際公約だからと、いともあっさりと予算増ととももに、このバカげた計画案の実施を認めています。
一方で、同じく多くの国民が反対をしている安保法制については、ものすごい執念深さで法案を可決させようとしています。この態度の差は何なのでしょう。要するに、民意を聞こうという気がないということが、二つの事案の対照を通して、あぶりだされているように思います。
新国立競技場の問題を、日本を太平洋戦争に突き進ませた背景、要因になぞらえる人がいます。誰がどう見てもおかしいと思っていることを改めることができずに、過ちに踏み込んでしまうということです。この事例と同心円を描いているように思えるのが、安保法制です。もっとも危惧されているのは、根本的な憲法改正ではなく、解釈によって現状を変えようとしていることであり、それが、「時の政府に一任」というような極めて危険な側面を持っていることです。
何ら具体的な事例を示さず、「総合的に判断」することや、日本に差し迫った事態に直面してるという判断することを、時の政府に白紙委任するなんてことが出来るはずがありません。抑止する手段を持たぬまま数多くの不合理な作戦が実行された日本軍の失敗。それが、先の戦争の最大の反省のはずです。今の進め方は、それを今また同じことを繰り返そうとしていると見られても仕方がありません。
民主党政権のあまりのひどさで、政権を奪取した自民党ですが、元はと言えば、自民党のあまりのひどさが民主党に政権を取らせたわけです。それが、敵(民主党)の敵失で政権をとった途端、ここまでやるというのは、傲慢にすぎます。本当にやりたいのであれば、憲法改正なりをしっかり国民に問えばいいのです。
それを敵失でとった議席にあぐらをかいて、きわめて不透明な解釈で憲法を変えるようなことをやろうとするのは、不遜のそしりをまぬがれません。新国立競技場問題と安保法制の問題は、レベル感は違うかもしれませんが、今後の日本の占う表裏一体の問題だと思います。
明日の審議を注目したいと思います。