相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

かつての「東海道」のメインストリートに建つ「ふじさわ宿交流館」

2021-09-29 08:00:27 | 史料館
「東海道五十三次」は江戸時代に整備された五街道の一つで、江戸日本橋から朝廷のあった京都三条大橋までの間の53の宿場町を指す。浮世絵や和歌・俳句の題材にもしばしば取り上げられるほど道中には風光明媚な場所や有名な名所旧跡が多く存在した。「藤沢宿」は東海道の江戸日本橋から数えて6番目の宿場でありすでに戦国時代から小田原北条氏が弘治元年(1555)に藤沢大鋸町に伝馬を置くなど、交通上の要地であり、慶長6年(1601)に駅制が定められ「藤沢宿」となった。それ以前の慶長元年(1596)に徳川将軍家の宿泊施設である「藤沢御殿」が築かれていた。宿場は境川東岸の大鋸町と同西岸の大久保町の3町で構成されており、範囲は遊行寺東側の江戸方見附から台町の東手前の京方見附までで、江戸時代には宿内人口4,089人、総家数919軒、旅籠45軒、大名や公用の旅客の宿泊施設である本陣が1軒、脇本陣が1軒あつたと記されている。神奈川宿、小田原宿に次ぐ大きさであった。藤沢宿の成り立ちを知ることがてきる「旧東海道藤沢宿の歴史、文化等と触れ合う場」として遊行寺の惣門近くに「ふじさわ宿交流館」が平成28年(2016)にオープンした。複製の高札場が建てられている。当寺の宿場の旅籠で働いていた女性(飯森女/遊女)たちのお墓が「永勝寺」にある。「白旗神社」は江戸時代には藤沢宿における守り神的存在であった。(2109)
 
 
 
 
 
 
 

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