相模原市南区磯部の矢部氏居館の裏鬼門地に曹洞宗寺院の堂宇「下磯部東薬師堂」は鎮座している。建立は創建年代等は不詳ながら500年前から奉安されてきたと伝えられ江戸時代の安永9年(1780)頃とされる。本尊は薬師如来である。さがみはら風土記稿によると「能徳寺持ち」であるようだが、伝承では500年前からあると伝えられ、大正時代までは本尊の「薬師如来像」の他に「四天王像」や「十二神将像」があったと伝わる。堂宇は毎月12日に開扉され近隣のお年寄りが集まり特に10月12日の「亡日」には本尊が開帳され能徳寺の住職による読経が行われ、参拝者には目の治療に効能があるといわれている上新粉で作った「まゆ因子」と護符が配られる。磯部のバス停「下磯部」より南へ200mのところに彼岸花が咲く正面に小さな赤いトタン屋根の小さな「堂宇」がある。堂宇の右横には「下磯部集会所」もある。(2310)
高座郡寒川町宮山、寒川神社の鳥居と太鼓橋前の道路対面に高野山真言宗寺院「霊信山西善院」は鎮座している。弘誉法師が寛文11年(1671)に創建、貞誉法印が開山した。当院は「寒川神社」の「供僧」(供奉僧の略で寺院などで本尊に仕えて御用を務める僧のこと)として、節分の際に神酒を供え、1・6・11月の8日祭、12月の不動仏供を執行する役目がを担っていた。明治維新後の神仏分離令により当院は「寒川神社」から独立した。本尊は阿弥陀如来坐像。「寺号標」(山門)より入山すると正面に入り母屋造りの「本堂」、右に庫裏がある。本堂左に「弘法大師立像」、右側に「握手大師像」が建てられあり、握手大師と握手をすれば弘法大師と縁を結ぶとされる。当寺は相模国準四国八十八ヶ所の第62番、73番札所で弘法大師坐像2体、六地蔵が安置されている。(2411)
相模原市南区大野台3丁目~相模台3丁目までの総延長5km「さがみの仲よし小道」は農業用の「畑かん水路」を埋めて整備した道である。昔、相模原台地は水がないため作物がとれず苦労していた。終戦後の食料不足の時期に「この農地に水があれば」と昭和23年から38年までの16年を費やし水路が作られた。「西幹線用水路」と言われたこの水路は、相模原市の虹吹から藤沢の葛原まで19kmに及ぶものである。通称「畑かん水路」と呼ばれて親しまれてきた。その後、昭和52年水路の必要がなくなりそこで緑道として整備された。相模原市内では総延長5kmのうち3.5kmが緑道となった。小道の両サイドには花壇が作られて四季の花で彩られる。その花壇の一画では「サルビア・スプレンデンス」が真っ美しい赤な花穂を披露中である。シソ科 / アキギリ属(サルビア属) 多年草でヒゴロモソウ(緋衣草)=サルビア・スプレンデンスとも呼ばれる。濃緑色のハート形の葉が密に茂り、花は長い穂になって下から順に咲き上がる。萼も美しく色づき、花が散ったあとも長く観賞できる。(2411)