相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

東国八十八ヵ所霊場のひとつ「金厳山安楽寺」

2016-11-28 08:21:45 | 寺院
横浜市保土ヶ谷区西久保町に高野山真言宗で久良岐郡太田村東福寺末「金厳山安楽寺」(櫻壽院)はある。僧弘弁(天文4年1535年寂)が開山として創建。本尊は阿弥陀如来。当寺の前は東海道本線、国道1号線と交通の要衝にあり斜めの石段を上がると「山門」がある。その日左手正面に「本堂」、本堂前には「観音像」が建てられている。そして本堂左手に庫裏がある。当寺は「東国八十八ヵ所霊場30番札所」である。また当寺のそばには「杉山社」が鎮座している。(1611)








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明神様として親しまれている「鈴鹿明神社」の紅葉

2016-11-27 13:44:47 | 神社
座間市入谷にお明神様として親しまれている「鈴鹿明神社」はある。創建(伝)は第29代欽明天皇の御代(539年?〜571年?)で、江戸時代には当社が鎮座する座間宿村と入谷村の総鎮守となっていた。主祭神は伊邪那岐命、素戔鳴尊である。「鳥居」を抜けると右手に「神輿殿」、「手水舎」、「座間市戦没者慰霊碑」、正面に荘厳な「拝殿」、右手に「神楽殿」、「祖霊社」、「参集殿」がある。七五三の季節、拝殿前には赤い毛氈の台と野点用の赤い傘が境内を彩っており華やかである。当社も「拝殿」左横のには数本のモミジが紅く色づき、また後方にはイチョウが黄色く色づき境内は今晩秋の彩りに包まれている。(1611)










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長崎平戸旅の塒は「千里ケ浜温泉ホテル 蘭風」

2016-11-27 11:10:23 | ホテル・旅館
エキゾチックな街長崎平戸を満喫した二日間の旅も終わった。旅の成否は宿泊すなわち「」ねぐらで決まるといっても過言ではない。今夜の塒(ホテル)は長崎県平戸市川内町千里が浜にただ一つある湯快リゾートが経営の長崎・平戸千里ヶ浜温泉「ホテル蘭風」である。西海国立公園・対岸に北九十九島を浮かべる平戸瀬戸に面する丘陵にあるリゾートホテル「ホテル蘭風」は7階建で別館もあり、全客室オーシャンビューの全141室。和洋の客室があり、今回は12畳の和室であった。バルコニーからは目の前は千里ヶ浜海水浴場、海岸沿いに植えられたヤシの木、朝夕の陽はどこか南国ムードたっぷりである。いよいよ夕食、平戸の旬の食材を使った全12品の料理に舌鼓を打った。また蘭風自慢のダイニングレストラン1階ステージでは「ブリの解体ショー」、のちにショーシアター形式まずブリの活き造りが振舞われ、解体ショーのあと「平戸の民芸ショー」が繰り広げられた。翌朝はバイキングスタイルの朝食とりホテル蘭風を後にした。立地条件、景色は抜群、温泉も豊富であったがやや老朽感を風格ととらえれば及第の塒であった。(1611)














コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「妙法山星谷寺」の境内は今イチョウの絨毯 幻想的な美しさとなっている!!

2016-11-26 21:41:14 | 寺院
座間市入谷に市最古の古刹で坂東33所霊場第8番札所で「星の谷観音」と呼ばれている真言宗寺院「妙法山星谷寺」はある。創立(伝)は天平年間(729~749年)、本尊は聖観世音菩薩である。江戸時代には大山講で賑わった当寺は「基地は山叡幽邃にして清泉せん湲たり星影水中に映じ暗夜も白昼の如くなれば土人星谷と呼べり」とあり、寺号はこの故事に由来している。「寝下がり紅葉」、日本最古の「梵鐘」、「星の井戸」、季節はずれの「不断開花の桜」、「楠の化石」、「咲き分け散り椿」、「観音草」など七不思議の寺といわれている。「本堂」前に御神木だろうか2本の「イチョウの木」が真黄色に色づき、落ち葉が境内一面、絨毯を敷き詰めたかのような幻想的な美しさとなっている。(1611)












コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水上山龍源院 新本堂「落慶式」終わる!!

2016-11-26 16:38:58 | 寺院
座間入谷に小桜姫伝説で知られる曹洞宗寺院「水上山龍源院」はある。創建は寛永2年(1461)、本尊は釈迦である。当初上野原清源院八世格雲守存を開山として寛正2年(1461)入谷丸山下に創建。その後現在地へ移転、天保年間(1830年)には寺子屋を開いていた。明治5年(1872)には座間小学校の前身「風牛学舎」があった事で知られる。当寺は「相模七福神」のうち「辨財天」である。このような歴史と由緒をもつ当寺の「本堂」は90年前(1927)に建てられ老朽化や不同沈下による傾斜等の理由にから1年前から建て替え工事が進められていた。「新本堂」は1/18の「上棟式」から10ヶ月後の今月19日に真新しい美しい「新本堂」にて当日は飯島隆夫委員長、遠藤三紀夫市長、地域住民の200人が参列して「落慶式」が執り行われた。予定されていた稚児行列は雨天のため残念ながら中止となった。新本堂右横には枯山水庭が造られた。「山門」前には寺号標と六地蔵、境内には弁財天像が建てられている。(1611) 








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする