伊勢原市大山に紅葉の名所のひとつ関東総鎮護で相模国の延喜式内社十三社の内の一社「大山阿夫利神社」はある。創建(伝)は紀元前97年(崇神天皇の頃)、祭神は本社が「大山祇大神」、奥社が「大雷神」、前社が「高お神」である。大山は古くから山岳信仰の対象であり、「大山修験」として、源頼朝や武将に厚い崇敬を受け、江戸時代には「大山講」(大山参り)で隆盛を極めた。今も残る「大山街道」を江戸から5~6日かけて歩き参詣したとは想像もできない。大山ケーブルバス停より土産物店、お食事処が並ぶ商店街を通りケーブルカーにて「大山阿夫利神社の下社」に上る。下車すると参道は色鮮やかな赤やオレンジ色染まった紅葉回廊の世界が待っていた。参道の上部に建つ大きな「鳥居」を抜けると広大な境内正面に荘厳華麗な「拝殿」あり参拝者で溢れている。拝殿の右には「授与所」、「客殿」、左に「浅間神社」、「天満宮」、「入山祓所」が建ち並ぶ。「登拝門」からは多くの登山者が1250mの頂上を目指す。関東最大の阿夫利神社は今、自然が織りなす紅葉の世界に覆われている。そして眼下には相模湾、湘南、横須賀、伊豆の島々が広がる。(1611)
横浜市保土ヶ谷区月見台に高野山真言宗、岐郡太田村東福寺末の「医王山遍照寺」(延壽院)はある。創建年代は不詳ながら貞観18年(876)と伝えられている。再興は寛永10年(1633)。本尊は弘法大師作の薬師如来坐像。大蓮寺から古東海道へ戻り車道の十字路の右手の角に二体の仁王像が壁面に取り付けられた建物がありその横に「医王山遍照寺」、「高野山真言宗」の寺号標と門柱が建てられている。黄葉で覆われた細い参道の右の建物の壁面には多くの石仏が祀られている。門柱より境内へ入ると正面に「本堂」がある。右側には「庫裡」、すぐそばには「弘法大師像」と「子育地蔵尊」がある。当寺は東国八十八ヵ所霊場27番です。(1611)
横浜市保土ヶ谷区神戸町に曹洞宗小机村雲松院末「神戸山天徳禅院」はある。創建は天正元年(1573)、本尊は運慶作といわれる地蔵菩薩像である。土地の豪族、小田原北条氏の家臣であった「小野筑後守」が帰依し臨済宗の寺院を建立、再興後に現在の曹洞宗に改宗した。明治維新前は神明社の別当を兼務していたとある。見事な白壁塀が長く寺域を囲んでいる。「本尊地蔵大菩薩曹洞宗天徳院」の寺号標石がありその後ろに「山門」が構えられている。「山門」を抜けると正面に外壁は白く二つの花顆頭がある「本堂」と「庫裏」がある。(1611)
相模原中央区上溝に道保川の源流を生かした「道保川公園」はある。その公園の入口になんとも鮮やかな「皇帝ダリア」がピンク色の大輪の花を広げている。別名は「ツリーダリア」、「木立ダリア」といい夏の花が咲き終わり、秋が深まるこの時期に開花するという希少の花である。メキシコ原産でキク科の植物、背丈は3~4メートル、花はピンク色で直径約20cmの大輪の花を茎の頂上につけて晩秋の頃に空にそびえて立つ姿は皇帝という花名からして気品があり美しい。(1611)
深まりゆく秋、紅葉・黄葉に彩られる「時宗」の旧本山であり古くは「当麻道場」で11ケ寺の末寺を擁していた一遍上人ゆかりの寺院「当麻山無量光寺」はある。創建は弘長元年=1261、本尊は一遍上人。紅葉が一際美しい当寺は毎年訪れる寺院の一つである。重厚な構えの「外門」より石畳の参道の先にある「山門」を抜けるとそこは深い木立に覆われ世俗を隔て静寂に包まれた境内が広がる。庭園と池、「本堂」横の「一遍上人像」、「鐘楼」の周りはカエデ、モミジ、落葉樹が真赤に深紅そして真黄に染まっている。「亀形峰」呼ばれる小高い丘の上にある当寺は時宗の。境内には「経堂」、「東権現」の建造物、「芭蕉の石碑」、「徳本念仏塔」、「歴代廟所」、「御影の池」、「御髪塚」、「笈退の泉」、「金光院の跡」、「なぎの木」と見るべきもの多い。(1611)