相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

当麻に川魚料理の老舗・名店「飄禄玉」へ!!

2022-02-20 08:01:21 | グルメ
模原市南区当麻に相模原の食ツウであれば知る人ぞ知る昭和34年創業の川魚料理店の老舗「飄禄玉」がある。相模原茅ヶ崎線の「麻溝小学校入口」先を右折、浅間神社前の坂を下りていくと店の前にはいくつもの生簀があるお店にたどり着く。店内もかなり渋い感じで昔ながらの雰囲気を有している。テーブル式最大50名は入れそうな広さである。メニューは鱒の唐揚げ(580)、若さぎの唐揚げ(486)、鮎の塩焼き(702)、鮎の煮付け(702)、鮎丼(1,263)、麦めし(248)、鯉の味噌汁(150)とリーズナブルな価格設定である。またお持ち帰り限定の「鱒の唐揚げ弁当」(1,000円)も用意してある。店内座敷・テーブルから湧水の流音を聞きながら丹沢の山並と田園風景の大パノラマを眺めながらオーダー料理に舌鼓を打つのもいいものである。生簀の奥には店主が収集した仏像60点が展示されている「仏像ギャラリー」もある。(2202)
 
 
 
 
 
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座間「水上山龍源院」の弁天様と稲荷社!!

2022-02-19 08:56:49 | 寺院
座間入谷に小桜姫伝説で知られる曹洞宗寺院「水上山龍源院」は鎮座する。渋谷高間が現在の富士山公園の西側の麓に永享間(1429~41)に建てたと伝わる。渋谷高間の娘「小桜姫」が後妻に殺され、後妻の子「小柳姫」も同情し自殺したことを弔うため屋敷を寺とした。創建は寛永2年(1461)、山梨県上野原の清源院八世・格雲守存を請して開山、清源院の末寺となる。本尊は釈迦である。当初上野原清源院八世格雲守存を開山として寛正2年(1461)入谷丸山下に創建。その後、弘治年間に現在地へ移転し天保年間(1830年)には寺子屋を開き教育の場でもあった。明治5年(1872)には座間小学校の前身「風牛学舎」があった。二世実州は夜夢枕にたった白蛇のお告げから財宝・五穀豊穣を祈念して「弁財天」を造立した。境内社に龍天善神社、稲荷社、白山社が祀られている。鈴鹿明神社の数十メートル先かつての藤沢街道沿い焔魔堂の奥に建てられている寺号標より入山、境内正面に5年前に落成した美麗な入り母屋づくりの「本堂」がある。広い境内には庫裏の裏に「弁財天」が祀られており、「寺号標」そばに「六地蔵」、更に座間湧水の一つ「龍源院湧水」が今もこんこんと湧き出ている。(2202)
 
 
 
 
 

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座間宿村と入谷村の総鎮守「鈴鹿明神社」の梅ほころぶ!!

2022-02-19 07:59:48 | 神社
座間市入谷に江戸時代には座間宿村と入谷村の総鎮守、「お明神様」として親しまれている「鈴鹿明神社」は鎮座している。創建時期は不詳だが第29代欽明天皇の御代(539年〜571年)創祀と伝えられている。他では「正倉院文書」には天平年間(729〜749)には当地は鈴鹿王の所領で土甘郷と呼ばれ王の名前より「鈴鹿」という字名が付けられたとも。当社の縁起では「遠く伊勢の鈴鹿郷の祭礼において神輿が海上を渡御していた際、暴風によって漂流し相模国入海の東峯に漂着したといい、このことから里人が座間全郷の鎮守として社を創建し鈴鹿大明神を崇め祀った」という伝説もある。戦前の近代社格制度(旧社格)で郷社、現在では神奈川県神社庁による献幣使参向神社(同県神社庁指定神社)である。主祭神は伊邪那岐命、素戔鳴尊である。「鳥居」を抜けると長い参道が続く。右手に社務所、左に「神輿殿」、「手水舎」、「座間市戦没者慰霊碑」、正面に荘厳な「拝殿」、右手に「神楽殿」、「祖霊社」、「参集殿」がある。境内には末社として2座の稲荷社や山王社、厳島神社(弁天社)が合祀されている。境内に入ってすぐの右側には古い石仏や道祖神、小祠、狛犬などが安置されている。当社にはさほど多くはないが今、「紅梅」「白梅」が咲き始め華やかに彩りを増している。(2102)
 
 
 
 
 
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座間「来迎山宗仲寺」の梅と河津桜が咲き出す!!

2022-02-18 14:59:56 | 寺院
座間市座間に座間の古刹の浄土宗寺院「来迎山宗仲寺」は鎮座している。当寺は高遠藩初代「内藤修理亮清成」が実父「武田宗仲」の菩提を弔う為、慶長8年(1603)に創建した。本尊は阿弥陀如来。当寺は「徳川家康公」も立ち寄ったとされ、元和3年(1617)家康公の霊柩が久能山から日光へ遷御される際に一行が「座間宿」にて休息したと伝わる。当寺には「山門」右手には家康公お手植えの「大樹銀杏」がある。境内には幻想的な「月影の泉」が数年前完成した。「山門」を抜けると左手奥に入り母屋造りの「本堂」、本堂左手に「鐘楼」、「水子観音堂」、「清浄殿」がある。当寺は梅と河津桜の名所でもあり「本堂」前に「紅白のしだれ梅」が2本植栽されている。紅梅は花びらを落とし始めているが白梅は甘い香りを放ち丁度見頃となっている。また「山門」そばには4本の「河津桜」が植栽されており、それぞれ個体で数十輪のピンク色の花を開花させている。「清浄殿」の奥の墓域の一画にある「彫刻の広場」には「女性の像」が3体、周りに「河津桜」5本と「紅梅と白梅」10本ほど植栽されている。「河津桜」はやっと咲き始め数輪ほど可憐な花びらを開花させていた。今月下旬ごろかと思われる「寒紅梅」もつぼみを大きく膨らませ数十輪開花していた。週明けには1~2分咲きとなるかもしれない。(2202)
 
   
 
 
   
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座間「かにが沢公園」の梅花が競演の兆し!!

2022-02-18 10:05:53 | 公園・庭園
座間市緑ヶ丘に冬は「梅」と「スイセン」、春は「桜」、秋には「天上の花」と言われる「曼珠沙華」(彼岸花)と四季の花で彩られる市民の憩の場で、座間八景の一つとなっている「かにが沢公園」はある。公園は周辺から低くなった立地となっており南北に長い園地である。かつては深い谷で、谷を流れる沢には蟹が多く群れていたことから「かにが沢公園」という園名が付いた。園内に紅梅、白梅、枝垂れ梅を合わせて十本近い「梅」が植栽されている。花の少ないこの時季、唯一「百花に先駆けて」咲く代表的な花木が梅である。今月初訪れた時はまだ殆ど蕾ばかりの中に2~3輪だけの開花であったが、大寒、立春も初午も過ぎこれから春に向かっている今日は少しずつではあるが大きくなった蕾が弾けもう百輪近い可憐な花を咲かせはじめやっと梅の花らしくなってきていた。まだ寒い日が続くが三寒四温のくりかえしで暖かくなっていく、いよいよ当園の三種の梅の競演が始まる。(2202)
 
 
 
 
 
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