津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■1,980円という贅沢

2021-06-22 06:27:28 | 色・いろいろ

                                                                                   

 私はあまり人が持たないと思う「MUNELL BOOK OF COLOR」とか、大日本インキ化学の「日本の伝統色」そして「日本の伝統色・色名辞典」などという物を持っている。
時折眺めては、日本人で良かったとしみじみ思うのである。
一斤染(いっこんぞめ)、路考茶、刈安、海松、麴塵(きくじん)、瓶覗、納戸、新橋などなど・・・名前の由来とその背景を知るだけでも、古の人たちのなんと心豊かであった事だろうと思うのである。
このような色は、ただ色見本長の中に存在するのではなく、私たちの身近にあるのを気が付いていないだけの話である。
ソフトカバーという手軽さと、1,980円(税込み)という値段でこの写真集を手にして贅沢が味わえればいうことなし・・・
俳句が添えられているのが何ともうれしい。

  内容紹介

  日本には、目の醒めるような色がある!「第3回写真出版賞」大賞受賞作。空の色、風の色、雲の色、水の色、草木の色……。
  景勝地、日光の季節がうつろう105点の写真と、それぞれの風景のなかに浮かび上がる日本の伝統色105点を掲載した、色の図鑑。
  古来、日本人が自然の中から生み出し、染色技術の発展とともに育んできた多くの色は、桜色(さくらいろ)、茜色(あかねいろ)、
  萌黄色(もえぎいろ)のように身近な植物から生まれ、いまも私たちの暮らしのなかに息づいています。さらにこの国には、思色(お
  もいいろ)、椋実色(むくみのいろ)、掻練(かいねり)といった、あまり知られていない繊細でゆかしいあまたな色があふれています。
  そうした伝統色と色名のゆかしさを、写真に添えて紹介。
  著者による色の解説や、著者自ら詠んだ俳句も掲載し、詩人・永方佑樹の詩も寄り添った、贅沢な仕上がりの一冊です。

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■季節外れのスミレ

2019-12-14 12:58:38 | 色・いろいろ

                                   

                     鉢に種をまき育てたスミレが季節外れの花を付けました。
                     キキョウのような色をしていますが、本物は紫がかっていますけど・・・

 先日購入した青い目の俳人・マブソン青眼の著書「一茶とワイン」に パリ―にて星の匂いか花すみれ とあったが、これはパンジーか何かだろう。
日本のスミレは小さくて本当に可愛い。

 

 

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■夕方散歩

2019-04-06 17:33:47 | 色・いろいろ



                         桜吹雪で歩道はピンクの花びらで埋め尽くされています。

                                                    
                                               

                            反対側の歩道ではつつじが咲き始めて競い合っています。

 もうそろそろ皆勤の散歩も300日を超えたのではないかと思うが、最近は時間が定まらない。
今朝も6時前には起きたのだが、土曜日とあって奥方の起床は遅いしこちらものんびりしていた。
なんとなく時間を過ごしていたが、散歩を忘れかけていて夕方になってカメラを持って又花見がてらに歩く。

昨日今日、風鈴がやかましいほど風があって、満開状態の桜が散り始め、歩道はじゅうたん状態とはいかぬまでもピンクの花びらで敷き詰められている。
歩道の植え込みのつつじも日当たりの良いところは花を開き始めている。ここ二三日でこちらも七八分さきと言ったところか。
あたたかくてウインドブレーカーは腰に巻いて、一時間弱の散歩とない成った。
明日は最後の花見のチャンス、熊本の花見の名所でもあるここ健軍自衛隊通りはさぞかし賑わうことであろう。
桜のレポートもそろそろ終わりにしよう。

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■古書・細川幽齋著 奧書「天正二十 辰壬 歳季春上澣 春龝五十九 幽齋玄旨判」

2019-03-08 14:27:32 | 色・いろいろ

 和訓押韻 天正20年奥書
日本の古書籍店で「和訓押韻」と検索すると、この古書に誘われる。そして2,700,000円だというから驚きである。
細川幽齋著 奧書「天正二十 辰壬 歳季春上澣 春龝五十九 幽齋玄旨判」とあるが幽齋公の真筆か?
古書店の解説によると「北岡本(現・永青文庫)は幽齋の姉の宮川尼の息子で甥にあたる近世狂歌の祖、雄長老(英甫永雄)の筆」とある。

今日本棚を整理していたら、ガリ版摺りの「和訓押韻」が見つかった。昭和37年に「西日本国語国文学会翻刻双書」の第一期(十四冊の下)として、限定131冊発刊されたもの1冊だが、北岡本を底本として全82頁がガリ版摺り謄写版である。

なんでこのようなものが私の手元にあるのか、よく思い出せないでいる。
一時期漢詩にふれてみたいと思ったとき、いわゆる「韻」というものがどういうものなのかを知りたいと思ったことがあり、そんな時期に手に入れたのだろう。
その後死蔵状態であった。大学の図書館にでも寄贈したいと考えているが、引き取っていただけるものかと首をかしげている。
しかし当時の研究者たちがガリ版を切ってこのような冊子を作られたことに驚嘆する。仇や疎かには出来ない代物ではある。

             

                 

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■「市井雑式草書附録」(23)

2019-03-07 06:46:18 | 色・いろいろ

  一七八 文政十一年三月
一貮尺以上之たつを揚申間敷旨ニ付ては、先年來度々間近      たつ→凧

 ク去夏も委細被及御達候趣も有之候處、近來又々大キな
 るたつを大人交ニて揚候様子相聞、御達筋間もなく右之
 次第重疊不心得之至ニ付、町役人又は父兄より心を付、
 貮尺以上之たつは不及申、大人なと携候儀は屹ㇳ差留可
 申、畢竟、是迄は子共之仕業に付、強て御吟味は不被仰
 付事候へ共、大人加り候て之取計と有之候ては難相濟事
 ニ付、若此上心得違之者有之候ヘハ、廻役より屹ㇳ遂吟
 味、たつを取上其段相達候筈之段、町中え及達候事

 一七九 文政十一年七月
一狼藉者有之、町屋ニ入込あはれ候躰之儀有之節之儀ニ付
 及達候趣、米穀賣買之部ニ有之候事

 一八〇
一強風付て竹木直段幷諸役人手間料等之儀ニ付及達候趣、
 非常之部ニ有之候事

 一八一 同年十二月
一諸浪人躰之者、町家之米錢出入ニ携り、又々銘々所持之
 品を質入、或は賣拂等之儀付て町人を相手取、種々申分
 いたし、其末不相應之錢辻借用等申懸、町家迷惑ニ候様
 子ニ相聞候、且町人之内相對之古借出入等浪人躰之者ニ
 頼ミ取立貰、又は右浪人躰之手ニ付其威をかり候て、様
 々町家之難題ニ成候儀を取持候ものも有之哉ニ相聞、不
 届之次第ニ候處、必竟後難を恐、内分ニ差置候處より彌
 右躰之儀増長いたし候哉ニ付、向後右様之事ニ付不法之
 取扱ニ逢、及迷惑候ものハ勿論、懸り合外之者たり共承
 出候ハヽ不閣、封印之書付ニいたし御役方え可訴出候、、
 御吟味之上屹ㇳ可被仰付候
  本文之外御法ニ違、高利之米銭を貸付、非道之取立を
  いたし候ものも有之様子ニ付、是又本文同様封印之書
  付を以訴出可申候事
一かくし名・作り名等之訴状被禁之、其主不相分はたとひ
 何方え差出候とも、一切開封ニも不及段、兼て御沙汰之
 通候、仍て前條及達候訴訟之者も、封印を以御奉行所内
 町方口之間え差出候歟、又は町方懸り之御役々宅内え差
 出候も不苦候、勿論讒訴誣告之儀は兼て被禁置置候事ニ
 付、私之遺恨ニより過なき人ニ無實之罪をおふせ、訴候
 類ハ御吟味之上屹ㇳ可被仰付候
 右之通町中末々迄不洩様、早々相觸候様及達候事

 一八二 文政十二年五月
一貮尺以上之たつ揚申間敷、且又大人加り申間敷との儀付
 ては去年も別紙之通被及御達置候處、近來又々心得違之
 もの有之、大人交り大ナルたつを揚候様子相聞、途中往
 來之妨ニ成候のみならす、御侍其外刀差ニ對し無禮之儀
 等出來候ては、別て難相濟事候處、去年御達之趣猶又市
 中一統不洩様申示候様、廻役よりも彌以無油断遂吟味候
 様被仰付旨、尤當時菜麥収納之折柄ニも有之候付、近在
 抔ニ罷出妨ニ成不申様ニとの儀も精々申示候様、町中え
 及ぶ達候事     
                            「大凧」の画像検索結果 
春日部の大凧あげ

                たつあげの事   「番太日記」より            [ ]は虫食い
            春はよう気うへにのほるゆへ、うへをむけけいきをつかするゆへ、身の保養になり息災なり。其のゆへにをあけさする。
           又娘子にははね羽子板にてうへをむかせいきつき、はねをつくなり。たつ殊の外はやり方々にたゝみ壱枚敷、又二枚敷のあり、
           方々にあけに行。見物人多し。古かぢや町松屋達磨殿のたつは、たゝみにつもりて八丈敷程有。其比本山村に鉢ち増(坊ヵ)主
           休西とゆふ大ぼうずあり。是をたつにつくる。みな人休西だつとゆふ。夫にさし渡し四五尺のとふ(尾)五ツゆひつけあくる。
           其音きんごふ(近郷)はひゝき渡り、糸は細引のよふにあり、四斗桶にたぐりこみ、ふたりにて持行なり。米壱俵に結つきおけば
           米を引きて行也。米俵にこしかけ見物する。扨おろす時[ ]しんとふしておろす。方々畑作を[ ]願にてきひしき御法度になり、
           もし[ ]其時分にわやく咄あり[ ]御役人松屋にかようなるをつくる[ ]松屋殿私の儀は御用達にて御座候と申上られたれは、
           御役人しからは手のだるまで、あけらるべしと被仰候とゆふはなしあり。   

 

 一八三 文政十二年六月
 市中御法度之趣、帳面一冊相渡候條、懸り/\一統不洩
 様及達、人別印形之受書相達可申候、尤以來左之通
一來正月よりは影踏之節、町方根取出役、御高札及教諭書
 一同ニ御法度書寫を、丁頭・組頭え讀聞せ可申候
一右相濟候跡ニて、別當より一懸り限見計、三ヶ所歟五ヶ
 所ニても小前/\家内子共ニ至迄寄せ候て、教諭書一同
 ニ讀聞せ可申候
一丁頭手前ニ寫を仕置御觸事等付て、小前/\呼寄候節々、
 教諭書と一同ニ無間断歟示置候
一組頭共銘々ニ寫留置、受持之組限/\家内子共迄、能々
 合點いたし候様不断申聞候様
一市中ニ手習師匠いたし候ものえ別當より申談、教諭書と
 同ク手習子ニ讀習せ、又はて本ニ認習せ候様
  但、右之通申談候ても教方届兼候師匠は、市中ニて手
  習師匠いたし候儀、難叶旨可申聞候
 右之通ニ付、小前/\男女共ニ得斗心底ニ合點いたし候
 様、頻々懇ニ可申聞旨、於町會所分職御奉行より惣月行
 司別當え書付相渡候事
 町家之者共、御法度筋幷心得方等追々被仰付置候處、年
 久敷相成候ヘハ不知不識其罪を犯し、御咎も蒙り候者も
 有之事ニ付、大略稜々左之通
一博奕は勿論手遊ヶ間敷儀、且賭之諸勝負いたす間敷事
一何事によらす徒黨いたし候事ハ堅御制禁なり、まして私
 の恨により申合、家宅等打こほち狼藉之仕形有之ものハ、
 重キ御咎被仰付筈候事
一主人の母あるひは妻に密通いたし候者ハ死刑被仰付筈
 候、其外夫有之女は不及申、惣躰密通いたし候者藩ハ、
 男女共ニ御咎被仰付候間、相慎可申事
一衣服御制度之儀、兼て被仰付置候通相心得、彌以質素を
 相守可申候、将又商家之妻子駕ニ乘候儀致間敷、将又上
 ニ係り候祝事内祝共酒長し不申様、旅行・家移幷借家移
 等之節も同断之事
一葬式之節、加勢として大勢帳場ニ罷越申間敷、且帳場に
 て酒一切停止之事
一若者組と唱、組合を立候儀堅仕間敷、且婚禮之節、礫投
 候儀停止被仰付候事

        (一八三)つづく

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■武功之子孫御鏡餅頂戴

2019-03-04 13:49:30 | 色・いろいろ

 細川家では文政のころから、武功のあった家に鏡餅を与える「鏡餅拝領」という儀式が行われた。家記には齊樹公の項に「(文政二年)癸未正月十一日先祖武功ノ者ノ子孫ヲ広間ニ呼出シ、具足鏡餅ヲ領チ与ウ、コレヨリ年々定例トナリ、一部ヲ是日、一部ヲ十三日ニ別ツ」とある。
 武士の家において鏡開きは「具足開き」といっていたらしく、具足飾りに添えられた鏡餅を開くというものらしい。そういう意味で、武功の家にとっては名誉ある儀式として「鏡餅拝領」が行われたのであろう。嘉永六年の佐田右平日記では一月十一日の項に「武功之子孫御鏡餅頂戴例之通各出仕候事」とある。同じく十三日にも行われている。これは以下の史料でもそのように記されている。

さてその名誉あるお宅について、高田家所蔵の「肥後旧藩士録名簿」(大正十三年二月謹寫)には印をつけて表示している。

   印は先祖ノ武功ニヨリ毎年正月十一日・十三日於花殿(花畑邸)御鏡餅御酒頂戴御仰付候事
          (中と表記ある者は、御中小姓であると思われる)


    (い) 一千九百石     岩間小十郎
        一千五百石     岩越半兵衛
        一七百石      磯野貞之允
        一七百石      井上 才七
        一四百石      伊藤又右衛門
        一三百石      入江彈之允
        一貮百五拾石    入江平之允
        一 同       井口 良助
        一貮百石      飯田四郎助
        一 同       岩佐善左衛門
        一百貮拾五石    伊藤梶右衛門
        一百石       池永喜三右衛門
        一七拾五石     伊佐角之允 (丹後以来)
        一御擬作百石    井上 勝蔵   
        一 同       岩間 清次 (丹後以来)
        一御擬作四百五拾石 一村市郎左衛門
        一御擬作貮百五拾石 岩間多膳次

    (は) 一千五拾石     長谷川久兵衛
        一六百石      服部 弥門   
        一三百石      速見市之允
        一貮百石      芳賀助十郎
        一百五拾石     早川 助作
        一三百石      林 七郎左衛門

    (に) 一五百石      丹羽源之允
        一貮百石      西郡 直衛 (丹後以来)
        一百石       西村 丹助
        一御擬作百石    西川十郎左衛門 (青龍寺以来・代々御中小姓)
        一 中       二宮 直作

    (ほ) 一三千五百石    堀 丹右衛門 (殉死)
        一百五十石     星野勝右衛門
        一百石       本庄傳兵衛

    (と) 一千石       遠坂 関内  (殉死)
        一三百五拾石    都甲 佐平
        一貮百石      戸島次郎助 (青龍寺以来)

    (ち) 一三百石      陳 半右衛門
        
    (ぬ) 一 中       沼 四郎兵衛

    (お) 一五千石      大木 舎人
        一九百五拾石    落合弥次兵衛
        一貮百石      大林猪右衛門
        一 同       岡本四郎三郎
        一 同       小野長四郎
        一 同       越生儀兵衛
        一百五拾石     大竹甚兵衛
        一貮百石      興津弥五左衛門
        一百石       大浦弥次右衛門
        一七拾石      大槻勘右衛門

    (わ) 一百石       渡邊岡之允

    (か) 一千七百石     片山 多門  (丹後以来)
        一千石       鎌田軍之助
        一六百五拾石    河喜多大平  (青龍寺以来)
        一五百石      河方角之助
        一貮百五拾石    上林源左衛門 (丹後以来)
        一 同       河崎作之允
        一 同       神足 少助
        一 同       神足十郎助
        一貮百五拾石    加々山權之允
        一貮百石      河喜多浅右衛門
        一百五拾石     河喜多助三郎
        一 同       上妻半右衛門
        一御擬作百石    加藤元三郎
        一 同       河井清三郎
        一 同       鎌田杢之助
        一八人扶持     河方十右衛門

    (よ) 一三百五拾石    吉弘加左衛門
        一 同       横井牛右衛門
        一 同       吉住半右衛門
        一百五拾石     吉富一之允
        一 同       吉住小右衛門
        一百石       吉弘貞之允
        一百五十石     吉岡熊三郎

    (た) 一貮千石      田中 典儀
        一九百石      高見権右衛門  (丹後以来)
        一三百石      高橋太郎右衛門

        一貮百石      垂水嘉平太
        一百五十石     田中九郎兵衛
        一百石       竹田俊兵衛
        一百石       田代儀左衛門
        一 同       樽井五左衛門
        一 同       高原新左衛門
        一御擬作百石    多田武源太
        一 同       谷 舊左衛門  (代々御中小姓)

    (つ) 一千六百石     續 少助
        一千四百石     津川平右衛門
        一御中小姓七人扶持 続 毎

    (な) 一千石       中根丈右衛門
        一百五十石     長瀬兵右衛門
        一百石       永野徳之進
        一御擬作百石    成海 丹下   
        一 同       永島 彦助

    (む) 一貮百五拾石    武藤長兵衛
        一百石       梅田 大八   (丹後以来)
        一御擬作百石    村川作左衛門

    (う) 一三千石      氏家甚左衛門
        一貮百石      氏家 平八
        一 同       上田源十郎
        一 同       上羽 駒助
        一貮百五拾石    上村理右衛門  (丹後以来)
        一貮百石      宇野武一郎
        一 同       魚住助左衛門
        一百五拾石     魚住勝門助
        一 同       上野惣左衛門
        一貮百五拾石    上村八之允
        一百石       魚住傳之進   (代々御中小姓)

    (の) 一五百石      野田弥三右衛門  
        一貮百石      乃美仙之助  
        一百五十石     能勢■部右衛門

    (く) 一三千石      朽木 内近(匠カ)
        一二百七十石    桑木 又助
        一貮百石      熊谷忠右衛門
 
    (や) 一貮百石      八木田小右衛門
        一 同       安井太兵衛
        一 同       山形典次郎
        一 同       安場 一平
        一 同       八木田新右衛門
        一千四百石     山本三左衛門
        一二百五拾石    山川兵左衛門
        一御擬作百石    山田熊之助
        一 同       柳瀬茂左衛門

    (ま) 一千五百石     松野龜右衛門
        一千百五十石    益田弥一右衛門
        一千石       松山權兵衛   (丹後以来)
        一 同       牧 多門助   (青龍寺以来)
        一五百石      松野又右衛門
        一四百五拾石    的場甚右衛門
        一三百石      槇嶋半之允
        一 同       松岡佐市郎
        一 同       松野 七蔵
        一百五拾石     前原大九郎
        一 同       松見太郎八
        一貮百石      的場平三郎
        一 中       牧寺次郎兵衛

    (ふ) 一千石       藤崎作右衛門
        一三百石      藤本津志馬
        一貮百石      福田三郎右衛門
        一百五拾石     藤本九右衛門

    (こ) 一五百石      後藤多兵衛
        一五百五拾石    木造 左門
        一三百石      小嶋伊右衛門
        一貮百石      小崎次郎左衛門
        一百五拾石     小林恒太郎
        一 同       児玉太郎右衛門   
        一 中 七人扶持  小林半太夫

    (え) 一百石       恵良左十郎
        一百石       江藤 武助

    (て) 一八百石      寺本八左衛門 (殉死)
        一二百五拾石    寺尾 太助
        一百石       寺井惣右衛門 (代々御中小姓)
        一御擬作百石    手嶋惣左衛門

    (あ) 一壱萬八千石    有吉 将監
        一千石       芦村嘉左衛門
        一四百五拾石    荒木慎十郎
        一貮百石      浅野栄太郎
        一百石       浅香市太郎
        一 同       朝山龜太郎
        一八拾五石     青木郁太郎
        一御擬作百石    浅井新九郎
        一 同       明石 源助  
        一 中       荒瀬市右衛門 

    (さ) 一壹萬千石     沢村 衛士
        一三百石      沢村 宮門
        一百五十石     沢村 彦作(本姓中村)
        一貮千七百石    坂崎 兵庫
        一五百石      佐藤仙右衛門
        一三百五十石    佐田 右平
        一三百石      佐分利平次郎
        一 同       佐方長左衛門
        一 同       猿木勘左衛門
        一 同       佐々半十郎
        一 同       沢 庄兵衛
        一二百五十石    佐分利又兵衛
        一貮百石      沢村孫七郎
        一 同       佐野權之助
        一 同       沢田助左衛門
        一百五十石     佐方諏訪人
        一百石       佐久間角助
        一 同       雑賀長左衛門  (代々御中小姓)
        一 中       沢村小平太
        一 中       坂根 重次  

    (き) 一貮百石      清成八十郎
        一 同       北村甚十郎
        一百五十石     北里 治郎
        一百石       北川壮三郎
        
    (ゆ) 一七百石      弓削 新助
        一四百石      弓削 文吾
        一三百石      弓削 友助

    (み) 一三百石      三池尉右衛門
        一貮百五十石    三浦平右衛門
        一百五十石     蓑田惣左衛門

    (し) 一千石       志水 新亟
        一七百石      嶋 又左衛門
        一四百石      白木五兵衛
        一三百石      樹下 一平   (丹後以来)
        一二百石      生源寺市兵衛  (青龍寺以来)
        一百石       庄村一郎助
        一七十石      斉藤小十郎

    (ひ) 一三千石      尾藤甚左衛門
        一五百石      平野太郎右衛門
        一百石       平野八十郎
        一 中       廣瀬 保
        一 中       平井清九郎

    (も) 一五百五十石    元田八左衛門
        一御擬作百石    森田一郎助

    (せ) 一貮百石      関戸角之進

    (す) 一千石       住江甚兵衛   (丹後以来)
        一貮百石      須佐美半兵衛
        一 同       栖本 助七
        一百石       住江 又八   (丹後以来)
        一 同       杉山理兵衛
        一七拾五石     須崎休左衛門
        

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■「市井雑式草書附録」(1)

2019-02-14 08:37:53 | 色・いろいろ

 今回から「藩法集7 熊本県」から「市井雑式草書附録」をご紹介してまいります。
 なお、「雑色草書」につきましては、2017-11-13 を第1回として34回にわたりご紹介済です。
 

      

 一 文化十年閏十一月
一別當共依願、火事場晝之印九曜御紋小昇被成御免、消
 方之裁判彌以手抜様可申談旨、達二およひ候事

 二 同
一出火之節、田子前旗挑灯等受持之者共、火事場え不参之      田子担・担桶(たご)
 物えは、為過怠、其役を両度程積せ受持申付候様、及達
 候事

 三 同年十二月
一出火之節、丁頭共消方幷水ノ手之差圖いたし候二付、晝
 之目印ニ引両付之茶巾壹本宛御免被下候様願出候得共、
 難叶段及達候事

 四 文化十二年六月
一火事之節、水手之験として小丸挑灯ニ御紋被成御免候様、
 丁頭共願之通可被成御免候、依之、小丸挑灯ニ九曜御紋
 を付、背丈ヶより一、二尺程高張にして、水ノ手と申文
 字を書、一懸ニ一張宛致用意候様、且晝ノ印も有之度事
 ニ付、晝ノ印ニは、紺地木綿之小昇ニ、白之御紋を付、
 中ニ水手と申文字を染抜候様、尤懸り/\ノ印は、別當
 存寄次第、脇懸ニ紛不申様分明の印を付候様、及達候事

 五 文化十三年二月
一旅人相煩候節は醫師ニ懸療治を加、継送等之儀付てハ、
 明和五年公義被仰出之趣一統及達置候通候處、近年間ニ
 は送候もの共、扱方不宜哉二相聞、不心得之儀ニ付、以
 來彌以被仰出之趣相守、心を用懸ニ相勞り、継送候様、
 御國内之者病氣差起候節は勿論之事候條、精々申付置候
 様、五ヶ所町え及達候                     五ヶ町→熊本・八代・高橋・川尻・高瀬(玉名)

 六 文政三年七月
一坪井川筋増水之節、下馬橋幷妙解寺表門前橋町夫馳付、
 且土俵手當之儀付、御作事頭より立有之候、町夫出方之
 儀、所々受持相究居、且明俵之儀兼て町々定り之員數有
 之候得共、毎度及不足、町役人共心配いたし間を合せ候
 程之儀ニ付、明俵之儀は手當難及達、於御作事所用意ニ
 相成居候様、尤町夫之儀、定受持及達置候ても、御所柄之
 儀ニ付自然間抜ニ相成候ては難相濟事ニ付、下馬橋は東
 古町両坪井、妙解寺表門前橋は新一丁目二丁目え、若増
 水候節、御作事所手足り不申節、臨時ニ懸合有之次第見
 計、町夫差出候様、此節定達ニおよはせ置候段及達候事

 七 文政四年十月
一出火之節、火事場受持之御奉行衆、火事場え被罷出候儀
 勿論ニ候處、不快故障又は御府外え被罷出候節は、被召
 連候筈之人數、例之揃所え大腰掛両脇被差遣置候ヘハ、餘之
 衆臨時被申談、右之人數召連火事場え被罷出筈、且火事
 場受持之衆御用受持之節は、其身御用挟箱持せ御奉行所
 え被罷出、被召連候筈之人數は例之揃所え被差出候ヘハ、
 餘計申談火事場え被罷出筈候事

 八 文政八年二月
一市中流行病等有之節は、町役は勿論五人組幷丁内等より
 心を付、薬用又は看病等行届候様兼て相心得居可申事候
 得共、彌以手厚申談、難澁之者えは分て心を付取救候様、
 寄々別當より丁頭以下えも相示置候様、右之趣只今改市
 中相觸候と申儀ニては無之、同役中示合置、時ニ臨不行
 届之儀無之様、兼々丁頭以下えも申聞置候様惣月行司別
 當え口達手扣ニ
相渡、若届兼候躰之儀有之候ハヽ不差       扌偏に乄=
 置申示候様、町方御横目え書付申渡候事

 九 文政八年九月
一異國船到來、御人數被差出候節、兵粮米精方等渡邊甚三
 受込、東目え御人數日差出候節、出役之面々賄仕出等
 阿部彦三郎え受込被仰付候事

 一〇 同十一年八月
一先月二日強風雨付て、御家中初所々損所多有之候付て、
 竹木縄萱等之直段幷諸職人手間料等引上不申様ニとの
 儀、屹ㇳ被及御達置候通候處、昨晩之強風付ては竹木直
 段等莫大ニ引揚賣出候哉之唱有之、御達筋ニ違不届之至
 候、彌以相當之利益を以致商賣、諸職人手間料等も書付
 之通相心得可申候、尤竹木類在中元方之直段引上候なと
 之申分も可有之候哉ニ付、在中えも嚴敷御沙汰ニ相成候
 付、其旨相心得、自然在方より持出候竹木類、莫大之直
 段等申出候ものも有之候ハヽ、其所柄名前承相達可申
 候、萬一強欲を巧ミ候族於有之は、御吟味之上被仰付筋
 加有之段町中え及達候事

 一一 文政十二年二月
一御手當御用町夫之儀、文政五年四月定規員數及達置候通
 候處、御取締月て、以來左之通
 一町夫貮百五拾六人    一番手
 一同貮百貮拾五人     二番手
 右之通定規二被究置候條、來年よりは定規二相心得候様、
 惣月行司え及達候、尤何町より何人宛と申儀相極候上二
 て此方え相達候様との儀も及達候事

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■街角変貌・熊本市立病院再建工事

2018-12-27 09:34:43 | 色・いろいろ

                                               

 最近熊本市電(路面電車)の延伸計画が持ち上がっている。
この写真は熊本市民病院の「再建工事進捗状況」の写真を引用させていただいているが、左手の道が私のいつもの散歩コース、街路樹がクロスしているところを左折しているが、道路左手(上方共)が自衛隊の西部方面総監部で広大な敷地が広がっている

遠く見える山々は阿蘇山の外輪、地震で大災害を受けた益城町も遠望できる。
この四つ角を終点として、右手方向から延伸させるらしい。この道路は片側二車線の中央に大きな樹木が植えられた分離帯があり、これを取り払えば用地は簡単に確保できる。写真では確認できないが、土木事務所、東警察署、税務署、陸運局、第二高校、税務大学、市役所東区役所等が両側に立ち並んでいる。自衛隊の官舎や国家公務員住宅、県・市営住宅、その他民間の大きなマンションなども立ち並び熊本市東部の拠点地域である。
現在の路面電車の終点である健軍(けんぐん)はこの地域を代表する商業地域、距離にして役1.5キロ程である。

市民病院は来年10月のオープン予定、この写真では大きさが実感できないが下の如くの建物が出来上がる。
この建物も、問題となった免振装置が取り付けられていたが、幸いにも工事中であったから完成までには取り換えられることだろう。
いつも散策する見慣れた街角が段々変貌をとげるのを見るのも楽しい。

                    「熊本市民病院完...」の画像検索結果

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■小雨の公園

2018-11-28 10:21:21 | 色・いろいろ

 落ち葉が見事なグラデーションを作っていました。忘れられたサッカーボールが雨に濡れて淋しそう・・


     雨で山茶花や椿も落ち始めていました。ピンボケは雨のせいばかりではないようです。

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■今朝の空

2018-11-16 07:18:31 | 色・いろいろ

                          6:20頃        自衛隊の大木越しに明けの明星が輝いていました。
                          乱視の私にはカメラの撮影は向いていないようです。


                 6:40 我が家のベランダから

               
              6:50 雲が朝日を受けて金色に輝きを変えていきました。
                 これも段々白い雲へと変わってきました。

 実はこの左手に空を切り裂く傷口のようにジェット機の軌跡が輝いていたのですが、残念ながら撮影できませんでした。
 多分宮崎の新田原基地から飛んできたのでしょう。日本でただ一人の女性戦闘機パイロット(26歳)が居られるそうですが、ひょっとしたら・・・・

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■「山本勘助の孫」つづき

2018-11-09 09:24:49 | 色・いろいろ

 もう10年ほど前、このブログで「山本勘助の孫」をご紹介している。
出典の明らかな記事で、勘助の孫とされる下村已安(300石)については、その子伝蔵と共に次の様に記されている。
「妙解院殿忠利公御代於豊前小倉 御侍帳軽輩末々共ニ」によると、「三斉様御附中津ニ相詰候衆」の中に、「弐百石・下村巳(ママ)安、百石・下村傳蔵」が認められる。肥後入国後の消息としては、肥後讀史総覧に掲載されている「八代分領侍帳 正保二年十二月」に、「下村伝蔵・弐百石」とある。
伝蔵の家禄に違いがあるのは、天草島原の乱での百石の加増によるものである。
そして「其後御暇申候而熊本二而致病死、其子孫当時南郷一領壱匹下村伝右衛門也」という記録が残っている。

最近「近世大名の領国支配の構造」を精読しているうちに、「下村勘兵衛」なる人物の項目を見つけた。一領一疋・下村傳右衛門の先祖附が記載されており、これが山本勘助の血を引く子孫であることが判った。
已安を初代とし、2代伝蔵(後傳右衛門)・3代淳庵(初勘兵衛)・4代伝蔵・5代傳右衛門・6代勘兵衛(初伝太、平之允)・7代伝蔵(初傳太)そして8代勘三郎、9代伝之助は養子ながら脈々と山本勘助の血脈は阿蘇南郷の久木野(現・南阿蘇村)に続いていた。

 

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■お安く読む・岩波新書「江戸東京の明治維新」

2018-11-05 13:13:14 | 色・いろいろ
  江戸東京の明治維新 (岩波新書)
 
      岩波書店

内容説明

維新の激動に飲み込まれた江戸。諸大名の一斉帰国で人口は一挙に激減し、百万都市は瞬く間に衰退した。横行する浮浪士のテロ、荒廃する屋敷地、流動化する身分。江戸の秩序が解体してゆく東京で、人びとは時代の変化に食らいつき、生き延びる道を求めて必死にもがきつづけた。歴史に名を残さぬ人びとの明治維新史。

目次

第1章 江戸から東京へ(大名小路の風景;戦略的な藩邸配置 ほか)
第2章 東京の旧幕臣たち(新政府の悩み;身分の再編という矛盾 ほか)
第3章 町中に生きる(家守たちの町中;明治の人返し ほか)
第4章 遊廓の明治維新(新吉原遊廓と江戸の社会;遊廓を支える金融と人身売買 ほか)
第5章 屠場をめぐる人びと(弾左衛門支配の終焉;牛肉産業のはじまり ほか)

著者等紹介

横山百合子[ヨコヤマユリコ] 
1956年生まれ。1979年東京大学文学部国史学科卒業。神奈川県立高校で社会科教諭として勤務後、1999年退職。2003年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。千葉経済大学経済学部教授などを経て、国立歴史民俗博物館教授。専攻、日本近世史

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■「蒙古襲来絵詞」余談

2018-11-02 12:06:07 | 色・いろいろ

 くまもと文学歴史館で御物本「蒙古襲来絵詞」の展観が始まった。
17年ぶりに郷土への里帰りだし、なんと無料という事もあって賑わっているらしい。
20m程の巻物が二本あるが、前半・後半で入れ替えるらしい。会場が狭いのもあるかもしれないが?

処で余談・・・
先の史談会で無彩色の「絵詞」を拝見したが、その折りある人が、日本勢が「鑓」を持っていないことに気づかれた。
太刀に長刀に弓が主なる武具である。

石垣の上に居並ぶおえら方の中に肥後の菊池氏の姿がある。
熊本には「菊池千本鑓」とか「菊池鑓」とかいう言葉があるが、菊池勢の勇猛さを表す言葉である。
ある時菊池勢の戦況が悪くなった時、短刀を竹の先に結び付けて反攻にでて危機を脱したにという。
資料を見ると、蒙古襲来の以後の事らしい。

これが後の戦闘の主流になる「鑓」につながったのだろう。

           「菊池千本槍」の画像検索結果 菊池千本槍 - Wikipediaより

「絵詞」にある当時の戦いぶりは、蒙古軍は火器を遣ったりしてるにもかかわらず、日本勢のこのような有様を見ると、当時の武人の勇敢なることに驚かされる。

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■だんだら模様の空

2018-11-02 07:23:46 | 色・いろいろ

 5時半ころ右足のふくらはぎがつって目が覚め起床、ベランダに出てみると東の空が赤くなりつつある。
過日見事な朝茜に出会ったが、今朝はどうだろうと思いながらデジカメ片手に散歩に出る。
6時20分すぎ、空が見事なだんだら模様になり思わずシャッターを切る。
今日の散歩の証拠写真、もうそろそろ立冬を迎えるが、街路樹の紅葉はまだまだの様である。

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■朝茜と有田焼の赤

2018-10-28 07:43:01 | 色・いろいろ

 今日は日曜だと思うと起床も少々遅れてしまう。6:15散歩に出る。
我家から6~7分、自衛隊の北西の角から東に一直線の道がいつもの歩き出しのコースだが、今朝は其の自衛隊の敷地内の木々の向こうの空が広範囲に交じりっ気なしの茜色に輝き、まるで大火事の空かと思わせるほどであった。
携帯かデジカメを持って出ればよかったと悔やまれるほどの美しさだった。

 昨日のブラタモリでは「有田焼」の「赤色の顔料」を作る話があったが、「水の中に入れた鉄さびを、毎日水を変えることにより酸化させ、10年懸けてナノ単位の顔色を作る」と聞いて、驚き入ってしまった。
「酸化鉄の粒を小さく細かくすればするほど、鮮やかな赤が生まれる」という。

白磁の肌に赤のグラデーションで色付するにはこの「赤の顔料」が使われるのだそうだが、伝統の継続に携わる方々の、気の遠くなるような年月をかけたご努力に、タモリならずとも只々敬意を表するばかりである

                

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