「綿考輯録」の忠興、忠利、光尚に関する膨大な記述の中から、宇土藩立藩当時の
経緯を抜粋し、また井門家文書の御三代記や宗中覚書を紹介する事を思いたった。
三斎の立允(宇土細川家初代)をして八代に支藩を立てる思惑は、立允の死をもっ
て崩れ去るが、又三斎の死後の三斎附の侍の離国や、松井興長の八代入り、その
結果としての宇土支藩の立藩など、改めて考えると興味が尽きない。
しばらくは資料収集に時間を費やすことになるが、頑張ってみようと思う。
経緯を抜粋し、また井門家文書の御三代記や宗中覚書を紹介する事を思いたった。
三斎の立允(宇土細川家初代)をして八代に支藩を立てる思惑は、立允の死をもっ
て崩れ去るが、又三斎の死後の三斎附の侍の離国や、松井興長の八代入り、その
結果としての宇土支藩の立藩など、改めて考えると興味が尽きない。
しばらくは資料収集に時間を費やすことになるが、頑張ってみようと思う。