津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■建築の力

2023-09-04 10:44:18 | 建築

 最近ニュース以外はあまりTVに興味がない私だが、唯一見逃さないようにしている番組が「所さんの目がテン」と「ブラタモリ」である。
もう一月ほど前「目がテン」で「科学の里」に建築予定の隈研吾氏設計の建物が紹介されていた。
かやぶき屋根の軒先の緩やかなカーブがすごくきれいで、この建物が出来上がるとまたいろんな化学反応が起こる事だろうと感じたことだ。

 細川護熙様が熊本県知事だったころ、「くまもとアートポリス」が始まり熊本はしばらく大いに盛り上がった。
熊本に有名建築家の作品が沢山誕生して、建築を志す学生や業界関係者の来熊でもにぎわった。
海外メディアも報じて随分沸騰したが、最近は建築家を指名するという方式から離れ、プロポザール方式へと方向転還されたようだし、「推進賞」や「推進選賞」等がもうけられて、毎年多くの作品が受賞しているようだ。
中には使用する立場の人たちから大いなる不評を買った作品も沢山ある。
西日本新聞社の熊本総局長を務められた山本巌氏のブックレット「熊本反乱の系譜」に、「アートポリスの矛盾」という一文がある。
のっけから、アートポリス第一作品である「北警察署庁舎」の職員のぼやきから始まるが、他にも、二つのブロックが渡り廊下で繋がれた某公共住宅は、雨の日や寒い日などの部屋の行き来など、大いに批判を受けたこともやり玉に挙げられた。
建築家が芸術性の高い建築を目指そうとすると、往々にしてこのような結果を招く。
数十年、この建物の寿命が尽きる迄付き合わなければならなくなる。
大先生方はよく、機能よりも芸術性を優先し、「生活や習慣を建築に合わせろ」という発言をよくされる。
一方で、頭書の隈研吾氏の建物の様に、建築の力が良い影響を与えるに違いないと思われる作品がある。
熊本ではその隈氏設計の、国宝青井神社の「国宝記念館」が過日完成した。
また、熊本県立図書館では、建設費を自ら負担された、安藤忠雄氏の「こども図書館」の建設工事が進んでいる。

       

        国宝青井神社の「国宝記念館」 熊本日々新聞から引用       こども図書館 熊本県HPより引用


いずれも隈氏・安藤氏らしいデザインが特に奇をてらう訳ではなく、それでも建築の魅力を振りまいている。
アートポリスの夫々の作品は、当時の喧騒からはなれ、今では当たり前のように街並みに溶け込んで風景の一つになっている。
魅力ある建築がかもし出す心豊かにさせる世界の醸成が、アートポリスの発案者・細川護熙元知事の想いであったと思うし、点が線となりそれぞれが影響し合う世界が出来つつあり、まだアートポリスは進化型だともいえる。

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■重賢公 VS 建築屋の蘊蓄「雁木」

2023-07-28 09:37:59 | 建築

 清成八十郎の「聞くまゝ乃記」に「雁木」にかんする記述がある。重賢公の参勤の途中の話として次のようにある
遥か向こうの山にお宮があるのにお気づきになり、「あれはどのような御宮であるか」とお尋ねになったので「あの高い雁木のある御宮でございますか」と申上げたところ、「このように石で付けた段は石段という、木で付けたのを雁木というのだ」と仰せられたという。
本妙寺にある「胸突き(急な)雁木」は石の階段だし、川尻の船着き場に在る石の階段も雁木と言う。
これをお読みになる方も、少々違和感を感じられるであろう。これには「元々は」と言う言葉をつけるべきだと思うが如何だろうか。

 重賢公の話は矛盾することになるが、「板雁木」という建築用語が有りどうもこの辺りを指して居られるのだろう。
寝殿造りの「階(きざはし)」と呼ばれるような形式の古いものをいう。
これをさらにさかのぼると高床式の倉庫に丸太の一木を刻んだ原始的な階段を「雁木」(左下図)と呼んでいる。
建築様式に「鴈行(がんこう)型建築」(右下図=二条城)があるが 、これは鴈が飛んでいく形から来ている。
高床式建築の「鴈木」も、この飛行する「鴈」の形から来ていると考えるのが妥当か?
  
               


しかし、雪の多い地方に「雪除けの歩道」を「がんぎ」と呼び「雁木」としているようだが、これはまた違う言葉の由来があるのだろう。
日本の言葉はその由来を遡ると誠に含蓄が有り、奥が深い。(参考:建築大辞典)

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■女優・鈴木京香氏建築文化賞受賞

2023-04-19 09:05:46 | 建築

    ヴィラクウクウ2.jpg 

 女優の鈴木京香氏が、「建築学会文化賞」受賞されたというニュースが報じられている。
あのヤギ髭をたくわえた有名な建築家・吉坂隆正氏設計の作品・東京都渋谷区にコンクリート造の小住宅「ヴィラ・クゥクゥ」が1957年に完成した。
この建物が解体の危機にあったらしいが、これを鈴木氏が購入されて改修をされ、名建築の保存に寄与されたことに対する評価であろう。
以前触れたように思うが、氏のパートナーは俳優の長谷川博己氏(麒麟がくる・主演俳優)なのだが、その父が著名な建築評論家・長谷川堯氏である。■建築史家・長谷川堯氏死去
そのような関係で、鈴木氏は建築に関する興味が非常に強かったとお聞きした。
有名建築が日本のあちこちで消えつつある。建築学会においても大いなるジレンマと無力感を感じて居られるのだろう。
建築設計の世界に身を置いた者として、鈴木氏の行為を大いに称えたい。

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■桂離宮とモンドリアン

2022-10-30 12:57:48 | 建築

 私がよく拝見する感性の時代屋 Vol.2というブログ、ほんとうに美しい感性に満ちた素敵なブログだ。ブックマークを開いて、昨晩久しぶりに拝見した。
カテゴリーから2017年の「ぶらり京都」をいくつか眺めている内に、140・139と進んで、138 [桂離宮のモダニズム]があった。
この名建築・庭園の創建にあたられた八条宮智仁親王は、細川幽齋に古今伝授を伝受されたり、親王の姫と光尚の縁談があるなど深い関係が伺える。

ブルーノ・タウトにより「日本再発見」され世界に発信された感が強いが、建築を志す人はこの桂離宮は避けて通れない。
上記ブログに魅了されて豊かな気持ちにさせられた。

 全くの偶然だが、今朝のWEBニュースで「モンドリアンの絵が77年間上下逆さまに展示」というものがあったが、昨日の今日の話で少々びっくりした。

 桂離宮の建築や内装のしつらえはよくモンドリアンと対比して語られることが多い。
上記ブログ138に紹介されている写真を眺めると、よくそのことが理解できると思う。

まさか、桂離宮の「襖」が上下逆さまになる事はあるまいが、モンドリアンの絵ならばありうる話だと思ったことである。
宮内庁が管理するこの建物だから、残念ながら拝観がかなわない。精々写真集やこんなブログの素晴らしい写真で対面するほかない。

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■TVは選んで・・

2022-05-31 06:46:34 | 建築

 最近のTVは、若い人たちの音楽や、芸人に乗っ取られてしまったような番組に爺様はついていけず、又若い人たちはTVそのものに離れているのだそうな。
ニュースを見るばかりの用になりつつある。好んでみるのは「新日本紀行」「ブラタモリ」「目がテン」などを見たりしているが、最近はTV番組をチェックして「音楽番組」や「建築に関するもの」等、面白そうなもを観ることにしている。
昨日は22:50~23:20迄、NHK・EテレのSWITCHインタビュー 達人達「藤森照信×森星 EP1」を拝見した。
「世界からも注目される「奇想天外」な建築で知られる建築家・建築史家の藤森照信。彼に会いたいと願ったのはファッションモデルの森星。自然の中で衣・食・住を語り合う。」とあった。
奇想天外な建築の中には、「二本の栗の木で支えられたお茶室」があったが、同様の作品が湯河原にある細川護熙邸の茶室「一夜亭」がある。又陶芸をされる工房「不東庵」も藤森氏の作品である。
元々は建築史家だから、そう作品は多くないが、出来上がった作品は誠に個性的である。
構造は現代的だが、外皮が独特である。
自宅の屋根には雑草がうえられ「たんぽぽハウス」の名がある。友人・赤瀬川原平の家は、屋根に「ニラ」が植えられている。有名な「ニラの家」である。
有名建築家が住宅などを設計すると、「住みにくい」家が多いと聞く。処が藤森先生の作品は、大方クライアントは大喜びで過ごして居られるような気がする。
次回のSWITCHインタビュー 達人達「藤森照信×森星 EP2」は6月6日の同時刻である。
カレンダーに記録した。

    参考  ぽつんと街に現れた どこか懐かしい藤森照信の建築物をめぐる

        藤森照信の小さな建築は、 なぜこれほど愛されるのか?




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■和敬塾の図面を書いてみる

2020-09-11 10:10:44 | 建築

 以前、かっての目白細川侯爵家の建物(現・和敬塾本館)の図面がヤフオクに出品されたのを見かけて落札して所持している。
                 ■昭和九年・細川侯爵邸の配置図

当時の細川侯爵家は、現在の ①和敬塾、②永青文庫、③文京区立肥後細川庭園(元・新江戸川公園)と、③の西側の道を挟んだ反対側の一画(現・目白台1丁目2及び3、4)に及ぶ広大な広さがあった。
その建物配置図を含む17枚の建築設計図であり、興味深い貴重な資料である。

 最近私は暇に任せて、「和敬塾本館」の図面の複製を作ろうと思いたち、CADを使って作業を始めた。
掛かりっきりにであれば3~4日もあれば出来そうなものだが、毎日一時間ばかりの作業でいつ出来上がるのかは保証の限りではないが・・・
製図版にT定規の時代にかかれている図面で、取り掛かってみると当時の関係者のご苦労のほどがしのばれる。
私も設計一途に半世紀ほどを生業としてきたが、T定規の時代も数年経験している。
そしてこれだけの資料が有れば、模型もつくれるな~等と余計な妄想が沸き上がってきている。
コロナ禍が終息し、巣ごもりが解消されるまでのことだが、どれだけの成果が得られるだろうか?

 こんなことをご披露すると、又悪友に「ご苦労なこったい」といわれそうだ。

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■昭和九年・細川侯爵邸の配置図

2020-03-30 06:30:12 | 建築

          
          

          
                                        肥後細川公園

 昭和9年の書き込みがある細川侯爵邸の配置図である。17葉の設計図面があるようだが、これがヤフオクに出品されていた。
この一式の図面は昭和11年に竣工して現在は「和敬塾本館」として有名な、旧・細川侯爵邸の建物である。
私は小石川区高田老松町76番地で生まれたが、上の配置図がまさにこれに当る。それ故何とか手に入れたいという想いが通じて、昨晩無事に落札することができた。
左下に数軒の家が並んでいるが、ここが職員宿舎だと思われ、多分そのうちの一軒が私の生家ということになる。
下方に池と建物が見えるが、現在の「肥後細川公園(旧・新江戸川公園)」(下の図)である。
つまりわが生家は、現在は同公園前(西側)にできた新しい道を挟んで反対側に当たる。
配置図の中段右寄りに事務所とあるのが当時の家政所と思われ、祖父が大正四年から昭和十九年までの約30年弱勤務していたところである。
これが現在の「永青文庫」の建物であろうと思われるが、建物の向きが違うようにも思える?

思いがけずのこのような図面に出会い、定かではないが自分の生まれた場所を知ることができた。
私の姉は池に落ちたというが、まさにこの広い池がそうであろうし、一枚の図面がいろいろなことを思い出させてくれる。
建築設計を生業としてきた私にとっては、此の設計図は興味深い史料でありお宝である。到着するのが待ち遠しい。

追記 11:36記
T様からメールをいただき、昭和14年から伯母様が侯爵家に奉職されていたそうで、そのお話に「現在の建物は元の家政所で、終戦後に1年かかって現在地まで引っ張ってきた」ということであった。

若干位置が違うようだし、又建物も回転しているように思えたが、上記のご連絡で氷解した。ご連絡に御礼申し上げる。

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■建築史家・長谷川堯氏死去

2019-04-20 19:00:31 | 建築

 建築史家・評論家長谷川堯氏の訃報に接した。現役の時代この長谷川堯氏といま一人の川添登氏の著書には大いに親しんだものだ。
この長谷川氏は川添氏とは違い、建築学科の出身ではない。その氏がのちに毎日出版文化賞を得られた「都市回廊」なる著をだされたときには、いささか驚きながらも読んだことを覚えている。
建築の世界から離れた今もこの「都市回廊」や「生きものの建築学」などという著書は今も私の本棚に或る。
村野藤吾の作品や人物評など建築家ではない視点での観察は大変興味深いものがあった。
建築学会賞を受賞されているが、まさに氏にとっては勲章であったろうと推測する。ご冥福をお祈り申し上げる。


                    生きものの建築学 (1981å¹´)

 蛇足だが来年の大河ドラマで主人公の明智光秀を演ずる長谷川博己氏は、氏のご長男だという。これは驚きであった。
ご子息も応援せずばなるまいと思ったりしている。

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■ノートルダムの火災

2019-04-16 14:56:44 | 建築

 20代の後半、ヨーロッパ数か国を旅したが、その折ノートルダムも身近に見学した。
キリスト教建築はバチカンやドウモウ、ケルンの大聖堂なども見て回ったが、巨大な教会がもつ荘厳さや、合唱する少年少女たちの声が複雑な教会の作りに相まって不思議な残響をのこす、心地よい音のハーモニーの空間も体験した。
仲間に「キリスト教徒になろう」と冗談をいったほど、それぞれの地で感銘を受けた。

ノートルダムはゴシック建築のお手本のような建物で、重要な構造体であるリブボールトを支える、不思議な形をしたフライングバットレスが特異なデザインとなっている。

              
花をモチーフにしたきれいなステンドグラスや、高くてスマートな尖塔等が今でも目に浮かぶ。


その尖塔に火が回り、折れて落下していくさまなど、パリっ子ならずとも涙してみた人も多いことだろう。
いずれは再建という事になるのだろうが、現代の優れた建築技術をしても100年ほどの時間は要するのではないか・・・

世界遺産中の最たる遺産ともいえるノートルダム・・悲しい姿は見たくなかった。
被害状況写真 https://www.afpbb.com/articles/-/3221132?pno=0&pid=21177489

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■街角散歩・・コンクリート打ち放しの建物

2018-11-09 12:00:35 | 建築

 天気予報通り日にちが変わるころ随分雨が降ったらしい。いつもの散歩時間は少々の小雨で、雨が上がった朝食後に変更して出かける。今日は少々目的があってデジカメ持参。
数日前いつもは歩かない路地に入り込み、打ち放しコンクリートの見事な建築物を見懸けて、改めて眺めてみようと思ったからだ。
現役は引退したものの、まだこんな気分になることがあって自らおどろかされるが、それに値する建築だった。

 ひそかに、著名な建築家の作品ではないかと思っているが、確かめようがない。
角地に立つこの建物は、ゆったりとした凹凸のある平面から豊かな表情を見せている。
表面が滑らかな打ち放しや、杉板の型枠を使った面、打ち放し面を斫り仕上げにした広い壁面、玄関廻りの天井はキーストン状になって陰影をつけている。
腰回りとそれに続く低い塀は色合いの違う数種の荒い土を、細い目地を微妙に波うたせて塗分けている。
象徴的な大壁の縦方向の先端部分は、巾30センチほどアルミ板がコの字状に使われ、道路に面する部分はアクリル板が嵌められて表情を変え、見事な演出である。
正面左側の壁にはチャコールグレイの10×30センチほどの羽根状のパネルが、水平方向に日除け状に数段配置されているが、別段大きな開口部があるわけでもなく余裕に満ちている。

個人の住宅だと思われるが、素晴らしいクライアントであり、良い設計者と施工者にめぐり逢われた。
100点満点の作品と表しておきたい。写真も数枚とったが、無断開示は当然避けておくことにする。

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■希首座を祀る祠

2018-10-20 07:16:07 | 建築

 よく原因が判らないが、一色氏の男子だとされる大徳寺の希首座(きしゅそ)を、細川忠興が殺害している。その後忠興はその折りの刀「銘・希首座」を細川内膳家に譲っている。その後内膳家は祠を建てて希首座の霊を待ったとされる。この祠は下屋敷であった現・熊本県立図書館の敷地内にあるが、現在の祠は昭和6年に建設されたものである。改めて眺めてみると大変凝った作りであり、小さいながらも寺社建築の見本のを見る如くである。基壇は石造であり、見事な彫刻や母屋先の飾り、えび紅梁や木組み、木間返しの二重垂木等非常に手が込んでいる。何とか詳細に採寸して図面化しておくべきだと思うのだが、熊本大学だとか熊本工業高校の各々建築科の生徒さんなどがやってくらないかしらと、ひそかに思っている。


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■熊本の洋館建築の安否

2017-08-22 10:09:21 | 建築

 熊本城・須戸口門を右手に坪井川越に見た旧市役所庁舎だが、これは、押し入れ整理中開かずの段ボールから出てきた「都市住宅7406」掲載の写真である。
こうして改めて見ると懐かしく又風情ある建物だと感じさせる。

さてこの写真が掲載されていた雑誌「都市住宅」は、私が20数年間毎月購入していた建築関係の月刊誌4冊の中で、唯一棄てずにとっておいたものである。
それはこの74年06月号で「発掘文化都市熊本」特集されていたものだからである。
                      
41年前のものだから建築関係者でも余りお持ちになっていないのではないかと自負している。
当時熊本にあったいわゆる「洋館建築」が特集されている。
当時熊本大学工学部建築学科助教授の木島安史氏(熊大教授→千葉大教授・故人)や、武蔵野美大講師の長谷川尭氏(現・同大名誉教授、建築史家、評論家)などが調査などに関わられた結果、特集発刊されて当時は大いに評判になったものである。

懐かしいこの本のページをめくる時、今回の熊本地震でこれらの建物は生きながらえているのだろうかという想いが頭をよぎった。


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■建築文学傑作選 (講談社文芸文庫)

2017-05-29 19:57:20 | 建築
  建築文学傑作選 (講談社文芸文庫)
 
       講談社


ほとんど現役引退の建築士ですが、図書館に出かけると「新建築」などを手に取って眺めていますよ。
こんな本の存在を知ると、大いに食指が動きます。非常に興味があり読書後数冊の本を購入するということになりそうな気がしています。


内容説明

建築学科の必読書は谷崎「陰翳礼讃」であるという。文学と建築。まったく異なるジャンルでありながら、そのたたずまいやなりたちに文学を思わせる建築、そして構造、手法に建築を思わせる文学がある。構成、位相、運動、幾何学、連続/不連続―日本を代表する建築家が選び抜いた、既存の読みを覆す傑作“建築文学”十篇。

著者紹介

青木淳[アオキジュン] 
1956・10・22~。建築家。1982年、東京大学工学部建築学科修士課程修了。磯崎新アトリエに勤務後、91年に青木淳建築計画事務所設立。個人住宅を始め、青森県立美術館に代表される公共建築、いくつものルイ・ヴィトンの商業施設など作品は多岐にわたり、世界的な評価を得ている。99年に日本建築学会作品賞、2004年度に芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。15年には読売新聞読書委員を務めた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

出版社内容情報

ルイ・ヴィトンビルの設計などで世界的に知られた建築家・青木淳氏が厳選する、、建築文学の傑作10篇。建築学科の必読書は谷崎「陰翳礼讃」であるという。
文学と建築。まったく異なるジャンルでありながら、そのたたずまいやなりたちに文学を思わせる建築、そして構造、手法に建築を思わせる文学がある。
構成、位相、運動、幾何学、連続/不連続――日本を代表する建築家が選び抜いた、既存の読みを覆す傑作“建築文学”十篇。

収録作品
須賀敦子「ヴェネチアの悲しみ」
開高健「流亡記」
筒井康隆「中隊長」
川崎長太郎「蝋燭」
青木淳悟「ふるさと以外のことは知らない」
澁澤龍彦「鳥と少女」
芥川龍之介「蜃気楼」
幸田文「台所のおと」
平出隆「日は階段なり」
立原道造「長崎紀行」


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惜檪荘

2014-01-03 10:44:03 | 建築

                                    

 確か二度目の放映だと思うが、昨日BS朝日で「惜檪荘ものがたり--文豪たちが愛した名建築」をやっていた。惜檪荘とは昭和16年岩波書店の岩波茂雄が数寄屋建築の巨匠・建築家吉田五十八に頼んで作らせた名建築である。作家・佐伯泰英の所有するところと成り、解体改修が行われたその顛末や工事の状況が映像化されて紹介された。この建物については、岩波の女婿・小林勇の「惜檪荘主人」に詳しい。

僅か30数坪の建築だが、この建物は近代数寄屋の神髄ともいうべき作品である。この名建築が佐伯氏の手に渡ったことは幸いであった。
下世話な話で申し訳ないが億に近いか、さらに超えているかそんな金額ではないだろうか。佐伯泰英氏の深い思いに敬意を表したい。
改修なったこの建物で佐伯氏はゲラの校正などをされるのだそうな。 

大変申し訳ない話だが、私は佐伯氏の著作は読んだことがない。TV化された「居眠り磐音 江戸双紙」シリーズを何度か見た位である。
惜檪荘の改築に関しても「惜櫟荘だより」(岩波書店、2012)を出しているので、是は読んでみたいと思っている。

平凡社のコロナブックスでは、「作家の家」「作家の住まい」等を出版していて、これがなかなか面白い。作家のそれぞれの想いが住まいや書斎に顕れている。書斎だとか作業場とかは男のあこがれの場所だが、なかなかこれが確保できない住宅事情がある。
本や資料の山に囲まれたわずかな空間で私も我慢をしているが、ここが一番よい居所である。 

 

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伊東豊雄氏、プリツカー賞受賞

2013-03-18 11:35:11 | 建築

                                         新建築 2013年3月号

                     

              建築界のノーベル賞ともいわれる「プリツカー賞」の2013年の受賞者に、伊東豊雄氏が選出されたことをメディアが報じいる。
              東日本大震災後、建築家の苦悩は大きい。そんな中で氏は積極的に復興支援に携わっておられる。
          
              最新号の「新建築」 に氏の作品が掲載されていて、これを拝見しご活躍ぶりに感じ入っていた中での朗報である。
              氏は八代市の未来の森ミュージアム以来熊本との関わりも深く、、くまもとアートポリスのコミッショナー(三代目)も務めておられる。
              そんな関係で、復興事業に熊本から木材等の提供がなされたりしている。
              大変喜ばしいことで、お祝い申し上げる。
         

 

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