今日は「書初め」、昨年の大河ドラマを見て、今年は少々思うことがある。
藤(紫)式部を演じた吉高由里子さん、藤原実資を演じたロバート秋山さん、劇中での書くシーンはお二人ともご自身のものであったというが、特に吉岡さんはもともと左ききでこの作品に出演するにあたり急きょ右で練習をされたと聞く。
そしてクローズアップされる優雅な文字の運びにも魅了させられた。
秋山氏も日頃から文字を書くのはお好きらしく、いつも筆ペンを持ち歩いて居られるらしい。
まさに「小右記」を認めている感じが好もしく思えた。
私も身近にあるペン立てにはいろんな筆記具や、色鉛筆や蛍光ペンなどに混ざって習字の小・中筆や面相筆、そして筆ペンも入れている。
最近は墨を摺ったりが面倒で、もっぱら筆ペンを使ってはいるが、これを毎日日常に使えば少しは上達するのではないかといつも思っている。
古文書に触れるなかで、先人が書き残した筆跡は、悪筆・達筆いろいろだが、必ずしも上手ではないどちらかと云えば悪筆であるものは読み下しに余計な時間を浪費させられることがある。
かとおもえば、男性の見事な細い文字で書かれた冊子なども所蔵しているが、見事な文字であっても読み下しは簡単とはいかないから不思議である。
やはり自らが筆を使い文字を認めることを習慣としなければ、古文書の深淵部には入り込めない気がする。
今年は筆ペンで日記でもしたためてみようかと思っている。頓挫している「般若心経」の模写も再開したい。
今日の書き始めは小学生のそれではないが、大文字で「新たな決意」と戯れてみた。
文字の上手下手は遺憾ともしがたいが、筆に成れることを第一義としてチャレンジしたい。