315(十二月)
廿一日 今日御先祖祭之事
吉弘・山形・宮部・戸嶋・魚住家内共案内 例年之通献
奠饗応之事
御献立等献立帳ニ記例年之通
今日者千衛殿初命日ニ而候得とも年内ニ者
無余日 且ハ追善之事ニ付今日相供候事
廿二日
廿三日 今夕藤本兄弟方長屋笠隠居忘年会案内之事
藤本兄常記ハ差懸病中不参 依而薬用ニ龞一
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ッ送候事
廿四日 公参湧泉庵参拝之事
今日岩崎物部御用有之 多年帳口ニ而出精いた
し候ニ付 御足高五拾石 且二ノ丸宮内御作事御
用出精ニ付 御小袖一銀三枚被下置候ニ付 夕方
同役同道欽ニ参る事
廿五日 今日者被 召出候筈之處 明日ニ御延引被 仰
出候事
廿六日 今日被 召出出勤之事
一御米柄等大濱町出火之事言上
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右御用勤相済候上ニ而被遊 御意候ニ者 其後
者いまた逢ぬが 伊倉へ参り候節者セ話ニ成候
ぞとの 御意ニ付 御意之趣誠ニ以難有仕合ニ
奉存候 其節者御別段之御懇意ニ被 仰付 御品
々器共ニ拝領被 仰付 誠ニ以冥加之仕合ニ
奉存候と申上候処 菓子ハ家内共へたへさせた
るか 少なくてたりたかとの 御意ニ付 沢山被下
置いつれへも為戴申候 誠以冥加之仕合ニ奉存
候と申上候處 其節之樽ハ二ッ共ニたべたぞ 大
ニ酔たるそとの 御意ニ付 是又冥加之仕合ニ
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奉存候 庄右衛門儀も植木ニ而者 大きなる御盃
を 御借ニ而被下候ニ付 大ニたへ酔 漸もて御
共申上候と申上候處 其節之同役者何とか申ぞ
との 御意ニ付 永屋猪兵衛と申候 是へも数杯
被下置 大ニたへ酔申候 併猪兵衛儀者酒量庄右
衛門ゟも餘程強 且者いまた年若御座候ニ付 庄
右衛門程ニ者酔不申候と申上候處 否ヤ庄右衛
門茂餘程強そとの 御意 尚 上ゟノ御意者 其
節伊倉ニ而春毛の馬目ニ付 おれも春毛の馬持
ぬニ付 今日典八を引せニ遣し□たが 追而筋々
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(ママ)
相達可申候 迷惑ハせまいかとのとの 御意ニ
付 嘸々難有奉存可申候段申上候處 庄右衛門か
乗たる馬は孰か馬ニ而候哉との 御意ニ付 松
尾二郎作可春気の馬ニ而御座候と申上候處 お
れか乗たる馬ハとの 御意ニ付 上の日為召
候馬ハ篤斗存不申と申上候處 大木織部宿亭
之馬との御意ニ付 夫ハ今川善七郎馬ニ而御
座候と申上候處 迷惑ハセまいかとの 御意ニ
と申上其外段々被遊 御意候事
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廿七日
廿八日 小倉村上新蔵ゟ早打ち書状着
去ル廿四日 薩州蒸気船大坂ゟ長崎へ通船 下関
向田浦へ碇泊いたし候處 下関ゟ相図数発放し
懸候ニ付 蒸気船者郡浦を引退候節 竈ゟ火然出
悉焼失いたし 乗組六十八人之内四十人助命 其
外は相分不申候 右数発之相図暴発之実丸当り
焼失の風聞之事
右ニ付 荒木氏ゟ外聞出し候様との事ニ付 今日
午刻仕出 南関江人撰を以 至急ニ外聞を差出候
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佐馬御惣庄屋へ早打仕出候事
廿九日 伊倉 御出之節入目銭 御郡中割願出済達
一銭四拾貫百三拾五匁壱厘
右者六手永割出 其外自手永諸雑費茂有之 六
貫目も入り候由なり
晦日 詰間歳末之寄合 一統無事ニ而異聞も無之候事
今晩家内中歳暮之祝儀嘉例之通相済候事
家内中へ銘々歳暮遣し家来共下女共へも手拭
一筋完遣し候事
(了)
文久三年「恕斎日録」は今回をもって終了いたしました。
50回を予定していましたが、内容があまりにも面白くタイピングも順調に進みました。
一日平均7.6頁毎日二時間ほどを要しましたが、コロナ禍と猛暑による巣ごもりも関係したようです。
畏友S氏が「恕斎日録」全巻のコピー版を熊本県立図書館に寄贈され、近々公開の運びとなります。
他の巻もご紹介できる日が訪れることを期待しています。