11■ 仇討④ 江戸八丁堀神田白銀町代地細川様御中屋敷前 親の仇 嘉永3年1月18日 打手:兄定吉、弟政吉 敵:鶴吉事完治
事件の内容もさることながら「江戸八丁堀神田白銀町代地細川様御中屋敷前」という場所がどこだろうと、「江戸切絵図」を眺めていたら、「八町堀霊岸島日本橋南之絵図」に該当する場所を見つけ出した。
神田白銀町ではなく新銀町(しんしろがねちょう)が本当らしい。
新場橋の位置からすると現在の日本橋兜町17番地あたりか?
さすがにこのような事件は、熊本藩年表稿には書いてはないが、わが「津々堂年表」?にはしっかり記録にとどめておこう。
□□嘉永三年戌十月十六日
朝七ツ半頃八丁堀神田代地に
かたき
おいて親の敵を討たる次第
十一ヶ年前上総の国の百姓
某ふとわづらいしにいつの比よりか
やこ
近村の僧来りて野狐をつけ
てゐにその為に
命をうし
ない此僧を敵と思ふにその村をのがれて
行来志甚□なりぬ 今親子ハ御當地に□□□
つきこめ
下□□丁に衝米渡世をなして諸所を
きぞく
尋るに此敵の僧は帰俗して北□町に
すみ日雇を
なして暮したるを
見とどけ今日こそ父の命日なれバ
□□□をはらしくれんとまち□□て
本意をとげ既に孝子の一念
神佛の加護勧懲のあきらか
なる□おそるべし/\