「奥田権左衛門由來記を読む」が終了したので、続いて奥田氏の祖・「加賀山家由緒略記」をご紹介する。
加賀山氏の祖は「伊丹氏」である。私も随分伊丹氏については文献調査などしてきたが、上記記録の存在は知らずに来た。
この記録をご紹介することで、伊丹氏研究の一助になれば幸いである。(出典:上妻文庫‐熊本県立図書館藏)
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加賀山家由緒略記 大正十二年十一月加賀山崇氏
先祖記録ヲ抄録ス
傳云往昔加賀山氏ハ摂津国ノ産ニシテ藤原氏ノ末葉ナリ 本苗ハ
伊丹氏ニテ代々摂津国伊丹ノ城ニ住居セリ 其先正平十三年二鎌倉ノ
執権北条相模守高塒カ代ニ當リテ紀州安田ノ莊司ト云者
武名ヲ叛キケル時摂州伊丹ノ住人伊丹十郎兵衛重継
楠正成ニ随ヒ鎌倉ヨリノ命ヲ受河瀬大夫抔云人ト同シク
進発シテ追悼セシ事武家評林三楠實録等ニ評之併其
後建武二年足利尊氏ゟ軍勢催促ノ御教書ヲ受ケ私ニ
尊氏ニ内通シケル故正成何トナク居城千釼破ニ被召寄家
子郎等(党)ニ命シテ被誅シ由其子伊丹大和守ト云フ人延文年
中尊氏ノ長男義詮公ニ仕へ摂津国ノ地ヲ賜ハリ伊丹ノ城ニ住
ケルカ貞治元年壬寅八月同国ノ守護代箕浦二郎左衛門
等ㇳ固ク正成ノ三男正儀ト戦ヒ於摂津討死ス 又其後百余
年ヲ経テ応仁元年将軍義政公ノ代ニ前管領細川右
京大夫勝元・山田右衛門督持豊入道宗全ニ対シ不快ヲ
抱キ世ノ大乱起ケル時伊丹何某ト云人摂州ハ元ゟ勝元分国ナレハ
勝元ニ属シ武田大膳大夫国信ノ手ニ被附所々ノ合戦ニ赴キ
其後ハ代々細川管領ノ家ニ従ヒ伊丹ノ城ニ在住ス 永正ノ
頃ニ至テ細川家ノ長臣三好カ一族勢威盛ニシテ国々ノ
合戦暫クモ止事ナク細川家ノ人々モ動モスレハ互ニ合
戦有ケル時永正十七年庚辰二月伊丹但馬守ト云人伊丹ノ
城ニ在テ敵ノ為ニ被攻防戦難叶野間豊前守ト同ク城中
ニテ生害ス
(2へ続く)